【無料記事】石原〝証人喚問〟慎太郎に学ぶ「長期都政」の秘訣と「小池百合子」の未来

tosei2017-02-21 16.14.32

 記者会見を開くのか開かないのか。二転三転した石原慎太郎氏だが、現在の段階では百条委員会の設置が確定し、証人喚問の現実味が強まっている。

 改めて振り返れば、石原都政は何よりも長期政権だった。だが、後継者たる猪瀬直樹氏と、その辞任で〝火消役〟が期待された舛添要一氏も、共に短期政権に終わった。

 この3人の「元都知事」を比較すると、「都政を安定させる方法」が見えてくるのではないかというのが、このインタビュー記事の原点だ。そして、その「方法」が言語化されたなら、未だに支持率が8割近い小池百合子知事の今後を占うこともできるに違いない。

 弊誌は、この石原都政で政策決定過程の中枢を内側から知った、ある人物にインタビューを依頼した。快諾を頂いたが、残念ながら要求される「取材源の秘匿」は極めて高い。名前はX氏としか書けず、抽象化した略歴すらご紹介できないことをお許し頂きたい。

 それではインタビュー記事を開始しよう。

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【写真】新銀行東京公式サイトより
https://www.sgt.jp/
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──4回連続で当選し、1999年から2012年まで知事を務めた石原氏に対し、猪瀬、舛添両氏は短命知事に終わりました。改めて、2000年代の都政を、どのようにご覧になっておられますか?

X氏 都政を責任問題で振り返るのではなく、「構造と作用」の力学という視点で見ることが大事です。

 普通なら石原都政は安定感に富み、猪瀬・舛添都政は不安定だったと総括されるはずですが、ここで真逆の視点から疑問を提起してみたいのです。石原、猪瀬、舛添の3人のうち、なぜ石原都政だけが「特別」に安定していたかという問いです。

 猪瀬、舛添両氏の辞任は、むろん本人たちの行動が全ての原因だったことは間違いありません。しかし、私は「なぜ都議会は簡単に彼らを切ることができたのか」という点に着目したいのです。

 都議会は石原都知事のクビを取れなかった。ところが猪瀬、舛添は取れた。この違いは、石原都政と、石原以後の都政で「質」が異なることを示唆します。具体的には、「議会との共犯関係」があったのか、なかったのかということに尽きるだろうと思います。

──共犯関係とは穏やかではありません。具体的には、どのような内容を指すのでしょうか。

X氏 議会との駆け引き、などという抽象的な話ではありません。議会にとって知事は「担ぐに価する神輿」でなければ意味がないんです。与党議員が「今のトップには価値がない」と判断すれば、失職に追い込まれない方が珍しい。そうして辞任に追い込まれた政治家として猪瀬直樹、舛添要一、そして第1次政権での安倍晋三の名を挙げれば、具体例は充分でしょう。いわば議会政治の大前提なんです。

 この点で石原都政には、新銀行東京というカードがありました。石原都政の中期から晩期にかけては、このカードが最大の、決定的な構成素材となりました。石原都政の屋台骨を支えたわけです。

──弊誌は『小池百合子都知事誕生で、舌なめずりして待つ「内田茂」の余裕──小池VS内田の全面戦争では「小池敗北説」が濃厚という「都庁伏魔殿」の恐怖』という記事を掲載しました。
(http://www.yellow-journal.jp/politics/yj-00000289/)

 ベテラン都政記者の「短期的にも小池知事は破れ、内田都議が勝つ」という予想は外れてしまいましたが、石原都政が新銀行東京を作ったのは、都議に「利権」を用意したことと同義だとする証言は、非常に興味深いものがありました。

X氏 新銀行東京は結果として破綻し、なおも破綻処理が続いているという、正真正銘の「石原都政における負の遺産」です。しかしながら、中小企業を応援するという錦の御旗のもと、銀行に群がることを都議会与党は許された。これは大きかったですね。

 結果、新銀行東京は与党都議の顔を立てるため、時代錯誤の情実融資が横行しました。それが破綻原因の1つとなったのは間違いありません。それでも与党都議にとっては支持・支援者に恩を売ることを可能にした「大きな甘い汁」だったのです。

 もちろん石原氏は、議会に飴を舐めさせるために新銀行東京を構想したわけではありません。ですが石原知事が、経営破綻に向かいつつあった新銀行東京を「議会の既得権益」さながらに放置し続けたのも一面では真実です。あの時、石原知事と都議会は「共同正犯」の関係だったといえるのではないでしょうか。与党野党を問わずです。

──猪瀬・舛添両氏の都政とは、比較にならないほどの規模と期間、石原都政は公私混同を行っていました。にもかかわらず、都議会は決して石原知事を「抹殺」しなかった理由ですね。

X氏 猪瀬、舛添両知事は、都議会と「共同正犯」レベルまで関係性を構築できませんでした。特に猪瀬氏に顕著で、本人の意図するところとはおそらく異なるでしょうが、いみじくも辞任の際に漏らした「政治家としてはアマチュアだった」との弁は、真実を言い当てていたのかもしれません。

 政治の世界における「議会との良好な関係」の内実は、議員個々の顔が立つカードを切ることであり、それは結局、議員が常に選挙区へ手土産を持参できるよう差配してやることだとも言えるでしょう。

 例えば猪瀬知事が、当時の知事本局を作業部隊として毎週のように都政改革のメニューを探していた頃の話です。それを受けて都営住宅の問題に手を付けようとしたことがありました。老朽化対策というスケールの話ではなく、都営住宅を広大なインフラと見なし、再編、利活用するというプランです。

 しかし私は、これには断固として反対しました。

 なぜか。それは石原都政が唯一、手付かずで、そのままに放置していたのが都営住宅であり、確固たる理由があったのです。政治=組織力のない猪瀬サイドにとって、野党といえども、政党の既得権益を脅かすようなことをすれば、絶対に無血では済みません。

 結果、都営住宅への着手を見送る一方で、東京から発信する地方主権、というメニューで提案が行われたもののひとつが「シンガポール方式」です。私が関わりました。

 残念ながら基軸化は果たせませんでしたが、資源小国であるシンガポールのインフラ整備は、総花的なものではなく、集中投資による一点突破型です。シンガポール経済開発庁の幹部にヒアリングを行い、水道事業の海外展開に感触を得たんです。シンガポールは言うまでもなく資源小国であり、水源を他国にゆだねています。環境技術という意味での水道事業は、シンガポールのみならず、アジアや途上国など経済伸張を迎える各国にとってはもっとも注目される技術であり事業です。東京都の水道技術はその点で世界最高レベルにあります。

 たd、水道事業者の労組である全水労は日本最大最強の呼び声も高く、確固たる一枚岩を誇っています。水道事業のスリム化を謳えば彼らの反発を招き、うまくいかないことは明らかでした。

 そのために水道事業を海外にスピンアウトさせることで、新規事業に結び付けたんです。東京都水道局が水道事業のコンサルタントとなり、途上国に「東京方式」を輸出するというモデルケースです。

 このようにして、猪瀬知事は与党野党そうほうの既得権益である都営住宅問題に抵触することを避けながら、それでも果敢に新規事業を展開していきました。結果、世論の支持を得たのですが、猪瀬氏が400万もの票を集め、「これで議会は俺を切れないだろう」と驕り高ぶったところに、落とし穴があったように思います。

 国会議員だろうが都議だろうが、議員は選挙基盤の確保が最優先です。常に地元へ利益を還元しなければなりません。だからこそ議員のために飴を作り、議員に飴をなめさせ続ける。それが議会と友好的な関係を築く唯一の方法なのです。しかしながら猪瀬氏はむろん、国会議員の経験を持っていた舛添氏でも、それは盲点だったでしょう。

 舛添氏の話なら、知事時代、「都市外交」という機密費さながらの潤沢な税金で豪遊を繰り返しました。やっていることはただ、石原都政の豪遊と五十歩百歩です。それにもかかわらず、野党が、「舛添知事とは一緒には、やっていけない」と見切りを付けたのは、やはり、舛添氏では、世論の風当たりというリスクを承知したうえでも、都議ら自らを立脚させるメリットがリスクを上回らなかったという解釈も可能ではないでしょうか。

──野党が「やっていけない」と見切りをつけるというのは信じられません。野党にとって、知事の問題はチャンスなのではないでしょうか。

X氏 1999年、石原氏が初当選した知事選を思い出して下さい。自民党は明石康氏を擁立しました。石原都政は与党のバックアップによっては誕生していません。そのために都議会与党たる自公は、積極的に石原都政をバックアップしていないんです。

 では、なぜ石原都政は〝長期政権〟たりえたのか。それは石原氏が知事である限り、与党であろうが野党であろうが、都議なら誰でも新銀行東京や、福祉、住宅関係の予算で、潤沢な「地元選挙区への土産」を持って帰ることができたいうことです。都議からすれば、石原知事は「消極的放置」に価するリーダーであり、そうした判断が石原都政の安定を生み出したともいえるのです。

 むろん、そのカードを差配していたのは浜渦武生氏といった、政治家なみに鋭い側近らであったわけです。ちなみに石原都政で副知事だった浜渦武生氏は都議会予算委で、民主党にやらせ質問を行ったことが百条委員会で判明。2005年に辞職へ追い込まれます。その絵を描いたのは〝都議会のドン〟たる内田茂都議だということは、今やテレビのワイドショーでも報道されていますが、皮肉なものだと言わざるを得ません。

 本題に戻りますが、石原都政は都職員に対しては恐怖政治を敷きました。ですが、権益を確保しようとする議会側の動きには、比較的自由を与えていたことは特筆すべきことだと思います。そしてもちろん、猪瀬・舛添両知事にも、そうした動きは見られませんでした。

 両氏とも、政治家としては幼すぎたと言うべきでしょう。都議会にとっては、両知事を支える理由がなかったのです。

──今夏には都議選が控えています。この勢いなら小池新党は圧勝という予測もあります。どうご覧になりますか?

X氏 これまでに見てきたように、議会との「共犯関係」を築けない都知事は、小池知事に限らず、誰でも短命に終わります。

 オール与党となれば、議会対策の必要はありません。トップとしては、極めてやりやすい状況になるのは論を俟ちません。

 だからこそ政治家には、オール与党化こそが、政策実現の最短ルートだと考える人がいます。小池知事も、改革実現の近道だと信じておられるようです。

 それでは石原都政の最晩期はどうだったでしょうか。あの頃の都議会は実質的にオール与党でした。ですが、圧倒的な数の力を有すると、反動も大きいのです。石原都政の安定性を生んだ背景を冷静に振り返れば、学ぶべき「政治手腕」とは、『議会は掌握すれども、制するべからず』だと、これに尽きると言えるのではないでしょうか。

 難しいことに、攻める余地を知事に与えられないと、都議や都議会は立脚点を失ってしまいます。結果、都議は支援者に自らの手腕、技量、何よりも清新さをアピールできません。そして「このトップの元では、自らの足元が揺らいでしまう」と判断すれば、彼らは必ず造反の意志を芽生えさせます。小池知事もまたそこに気づかないのならば、早晩、彼女自身が「守旧派」のレッテルを貼られることになるのではないでしょうか。

(無料記事・了)