【初回完全無料】『哀しき総会屋・小池隆一』第1回「漂着」──「沈んだ木の葉」の行方

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「小遣いをあげるお金もない」

 親として充分なことがしてやれない。そんな苦しい声を上げたのは、「最後の総会屋」小池隆一である。

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【筆者】田中広美(ジャーナリスト)
【写真】1997年12月、保釈され東京拘置所を出る総会屋の小池隆一被告(撮影・産経新聞社)
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 2011年の師走だった。電話の遣り取りをしていると、言葉の端々から小池の苦しげな様子が伺えた。

「家族もね、なんとなく察するものですよ。小遣いもまともにあげられないとね。それに、それで結局は家庭もギスギスしてくるものですよ。子供にもね、伝わっちゃうんですね、そういうことが……」

 深刻な窮状が窺え、その先まで頭に浮かぶ。何も告げずに鹿児島を訪ねることにした。

 クリスマスイブの前日、羽田を発って福岡空港に降りた。ほどなく日暮れて、天神も中洲もネオンが輝く。九州随一の商都はいつにも増して活況を呈しているようだ。先を急ぐ人、高級ブランド店の紙バッグを抱える人、恋人と手をつなぐ人、そして誰かを待っている人──。

 三越でクリスマスケーキを買った。翌日、その大きさにいささかの不安を募らせながらケーキをレンタカーに積み、途中、佐賀で帰省していた友人の編集者も合流して、九州縦貫道で鹿児島を目指した。

 桜島を望める海からほど近い場所で、カーナビが目的地到着のアナウンスを流した。と、長箒で庭を掃く男性の姿が目に入った。間違いなく小池隆一、その人だった。直接顔を合わせるのは久しぶりだったが、互いの無事を認め合うと挨拶もそこそこに、招き入れられるまま小池家の敷居をまたいだ。

「ロビイスト」に身ぐるみ剥がされてしまった「最後の総会屋」

 小池から絶望感漂う電話を受けるたび、万に一つという状況を、幾度も思い浮かべた。

 家族思いの小池に限って、という思いもむろん強い。日本の敗戦を挟んで生きてきた年長者であり、強く律した内面を保っている。しかし筋の通った人間ほど、時として悲劇的な末路を辿ることもなくはない。

 実際、経済犯罪に巻き込まれた企業経営者や幹部らが、命を断った瞬間を間近で経験したことがこれまでにもあった。

 2005年、西武グループ総帥の堤義明が東京地検特捜部に逮捕されたとき、西武鉄道の小柳社長やコクドの幹部が自らの命を断った。その場面が脳裏に焼き付いている。

 小池に限ってまさか。しかし今度ばかりは……。

 そんな思いを抱かせるほど、絶望の波が繰り返し押し寄せていた。元凶は「ロビイスト」という政界と実業界を繋ぐ特殊な〝装置〟たる山田慶一だった。

 事あるごとに小池は、山田慶一から求められるまま資金を用立て、身ぐるみを剥がされていた。

 小池は土壇場で、山田の不誠実極まりない、沈黙という究極の恫喝に圧迫されていた。世間的には、小池隆一は総会屋というおどろおどろしい響きを放つ、ヤクザとも同種と見なされる世界に生きてきた。そんな人間が、窮地に陥ることなどあるのだろうか。

 小池を山田慶一につないだのは内野経一郎だ。弁護士で、山田と親しい。弁護士の内野に、小池が経済的にも心理的にも追い込まれている状況について訊ねると、唖然とする答えが返ってきた。

「そんな泣きごとをいう総会屋、聞いたことねえよ」

 小池は総会屋の世界から足を洗って長い。確かに暴力団組員が堅気になったとしても、世間は素直に受け止めない。ヤクザ者はどこまでいってもヤクザ──そんな〝世間知〟を払拭するのは難しいだろう。

 小池の師匠である小川薫も2003年、次のように書き遺してから6年後に世を去った。

現在の私は、企業から賛助金をもらっているわけでもないし、利益供与を受けているわけでもない。商法改正以来、私は賛助金とも、利益供与ともまるで無縁になった。……しかし、残念ながら、世間は私が何をしても、総会屋と呼び続ける。この先、私が商売替えをして公務員になっても(間違っても、そんなことはなさそうだが)、マスコミや世間は、小川薫を総会屋と呼び続けるに違いない。……世間やマスコミが、私にかぶせる総会屋という呼び名は、おそらく死ぬまで私について回るだろう。どんな美談になるようなことをおこなったとしても、『大物総会屋の小川薫が』と新聞や週刊誌は書くだろう。(『実録 総会屋』より)

 1997年、小池は第一勧銀・野村證券事件の商法違反で逮捕され、刑に服した。出所後は決して人前に出ず、むしろ人目を避けて生きてきた。

 だが弁護士の内野が紹介した山田慶一が、小池の財布のすべてだけでなく、心の拠り所さえも毟り取ろうとしていた。

「そんな泣きごとをいう総会屋、聞いたことねえよ」

 内野の「捨て台詞」は先に紹介した。それにしても、ならば倒れた者は去れ、とでも言うのだろうか。

 山田慶一が利用し、恃みとする弁護士は内野だけではない。やり手のマチ弁だけでなく、元東京地検特捜部あがり、高検検事長あがり……俗に言う「ヤメ検弁護士」も自身の周りに配置している。

 法律家といっても、特に弁護士は稼業であり、経営者である。

 事務所の維持には金がかかる。雇っている弁護士の人件費も稼がなければならない。経営者たる内野にとっては、山田慶一は良い顧客を引っ張ってくれる、最高の客筋なのだろう。

 依頼主と弁護士という関係を超えた「紐帯」が山田と内野の間には存在する、と小池は推測して接しなければならなかった。

 しかし、それでも小池は法律家全般に、かなりの信頼を置いていた。だから小池は、彼らの異様な関係に気づくことができなかったのだ。

 誰も信じないかもしれないが、小池は「規範意識」が相当に高い。小池は逮捕されると検事、弁護士、裁判官といった法曹家と相対し、彼らの規範意識は自分より更に高いと信じてしまった。

 素顔の小池は「総会屋」というおどろおどろしいイメージからはほど遠い。むしろ、その辺りの経済人や企業人より、よほどまっとうな他者感覚を有している。義理人情に厚く、礼儀作法をわきまえ、慎み深さと遠慮深さを備え持つ。数年来、ふとしたきっかけから付き合いを重ねてきた者の、小池隆一に対する正直な感想である。

投資格言「木の葉が沈んで石が浮かぶ」とマルグリットの絵

 小池が逮捕された当初、なぜ銀行も証券会社も、詰まるところ一流企業が総会屋に食い物にされたかということが盛んに言われたが、そんな「世間」の一方的な解釈では、彼らの関係性は容易に理解できない。

 顔の見えない「企業」「法人」が犯罪の舞台だったのではない。小池隆一と相対したのは経営者や担当者という「個人」であり、単なる利害得失という関係を超えて小池と付き合っていたのだ。

 野村証券や大和証券など、逮捕された企業関係者らは、最終的には小池を検察に売る。その保身が非難されることはなかった。小池も異議を唱えたことなど一度もない。

 小池は取り調べでは沈黙を守り、担当検事が「おい小池、あっちはこう言ったぞ。こう調書にサインしたぞ」と言われたら、「ああ、そうですか。ではそこまでは」と、付き合った企業が認めた範囲まで、自分の調書も認めることを貫いた。その結果か、当時の担当者で事件後も小池と親しく付き合っている人間さえいた。

 もちろん、彼らはすでに退職している。利害関係が完全に消滅しても、小池を友人として交際を続けた。もう共に総会屋ではなく、企業担当者でもないのに、人間関係だけが存続したのだ。

 このあたりは、山田慶一と企業関係者の交際とは決定的に異なる。

 山田の周辺では、常に人間の離合集散が繰り返される。それは彼が政界・行政と民間を繋ぐ「接続装置」、つまりインターフェイスに過ぎないからであり、そこを通過するためには通行料として多額の金が必要となるからだ。

 会社であれ、個人であれ、金がなければ山田とは付き合えない。徹頭徹尾、完全な利害得失の世界、計算の世界であるといえる。

 対して小池のもとに集まった人々は、よほどのことがない限り、各々が死を迎えるまでは離れることはない。

 もちろん、中には小池が逮捕されたことで、小池の元を離れた人間もいた。それはやはり、小池という個人ではなく、あくまでも経済力のある総会屋である小池の魅力に引き寄せられ、見込んで恃みにした連中であった。

 小池の友人が、総会屋全盛期に、小池のエピソードを話してくれた。

 その人物は止むにやまれず、当時六本木に事務所を構えていた小池を訪ねて無心した。金額を訊くと、小池は「無利子でいいよ」と、ぽんと机の上に放るようにして札束を渡したことがあったという。

 そんな態度にさえ男気を感じ、有りがたさを感じて辞去したのだが、ほどなく小池から電話がかかってきた。

「さっきは悪かったなー。あんなかたちで随分と失礼な渡し方をしちゃって。ごめん。申し訳なかった」

 金を貸してくれてありがたく思っている債務者である自分に、小池はあろうことか、詫びの電話を入れてきた、というのだ。

 それは、小池がお金を貸すとはいえ、机の上にぽんと投げ出すその作法が相手に対して非礼だったと悔やんでいる詫びの言葉だったのだ。

 これには相手のほうが恐縮してしまう。

 だからこそ、小池は山田という「無機質の装置」を前に、人間として摩耗し、消費されつくしてしまったのかもしれない。小池自身もよく言うのだが、「あの小池が」と何かと悪口の種にされてしまうのもさることながら、「あの小池が騙されるはずがない」と、かつての小池を知る者であれば思い込んでしまう。

 だが、これは次のように考えれば、納得もいく。

 小池隆一は自らを求心力とした「有機の世界」に生きているが故に、心の伴わない山田のような「無機の世界」の住人に出遭ってしまうと、摩耗してしまうのだ、と。

 いや、小池に限らず、人間同士の付き合いを優先する真っ当な人間が山田慶一に目をつけられると、身ぐるみ剥がされ、全てを奪われてしまうものなのかもしれない。

 木の葉が沈んで石が浮かぶ――。

 小池は人生の苦境に入った。逮捕された時とは異なり、嵐が訪れて去って行くような一過性の出来事ではない。禊ぎを済ませれば状況が好転するものでもない。展望のない長い隘路に入り込んでしまったことに気づいてから、しばしば小池は上の言葉を口にした。

 木の葉は有機物、つまり小池だ。当然ながら無機物の石は山田となる。

 この言葉、実は投資格言でもあるのだが、一枚の絵画が頭に浮かぶ。ルネ・マグリットの描いた『ピレネーの城』だ。

 白い雲が流れる青空と波の打ち寄せる海辺を背景に、頂上に城砦を戴く巨大な岩石が重力に逆らって宙に浮かんでいる、細密な筆致で表現された異様な光景ながら圧倒的な存在感を示す、シュールレアリスムの代表作の一つだ。

 現実とは到底かけ離れたその架空の城砦の中に住まう1人が、山田慶一であるのかもしれない。

人の悲しみに寄り添える「哀しき総会屋」

 2011年の師走、小池が涙ながらに「もう駄目だ……家族が……」と声を振り絞って苦境を伝えてきていたまさにその時、東京・西新宿にあるヒルトンホテルのエレベーターでは石川雅己・千代田区長が山田慶一に話しかけていた。

「声かけらんなかったよ。だって、山ちゃんが女連れで降りてくるんだもの」

 石が浮かぶどころか、石が空に飛び跳ねんばかりの状況があったのだ。山田慶一が際限なく吸収した小池の金、そして小池以前にも数多くの企業と人間が吐き出した資金はどこへ消えていったのか……。

「お金ある? あればすぐにできるよ」

 しかし、そんな言葉を吐く山田が、決して人間や企業を幸福にしないことは明白だった。

 それはまさに虚構のマネーゲームであり、幻想のパワーゲームとでも呼びうるものであり、そこに人々は踊らされたのだ。もちろん、小池もまたその一人ということになる。

 鹿児島の小池にクリスマスケーキを届け、通された居間で談笑となった。

 しばらくすると小池が奥さんに「お茶を」と言いながら中座して部屋を出て行ったが、それからかなりの時間が経過していく。

 ようやく部屋に戻ってくると、手にした盆の上には、お茶だけでなく菓子も載っていた。包みに記されていたのは、小池の自宅近くにある洋菓子店の名前だった。「お茶を」と言いながら、わざわざ茶菓を買いに奥さんを走らせたのだろう。

「貧乏の極みに達した」小池と、その家族にクリスマスケーキを届けたくて訪ねたにもかかわらず、その小池に財布の紐を解かせてしまった。

 さらに、ひとしきり歓談した後、お腹が空いていないかと声をかけ、小池自らの運転で、国道沿いにある名物の料理屋に案内されて昼食まで御馳走になったのだ。

 結果として、逆にとんでもない出費をさせてしまった。そう思いながらも、おそらく小池には、人を前にすると、打算抜きに歓待しなければ気が済まない「人間性」を持ち合わせているのだろうなと、あらためて感得したのだった。

 だからこそ山田慶一は、その隙に付け入って小池から金銭を搾り取ることに成功したのだった。もちろん小池だけでなく、一流と呼ばれる企業や企業人、はたまた起業家や大学などの教育機関からも同じ手口で金銭をせしめたのだが、その中には倒産や破綻に向かってしまったところも少なくない。

 しかし、山田慶一だけは生き残り続けている。

 金がないなどという、「そんな総会屋、聞いたことねえよ」と嘲笑うように言い放った、山田の後見人である弁護士の内野経一郎でさえ、自身の事務所で採用した新任の弁護士を引き連れて鹿児島を訪れ、小池に宴会の接待をさせていた。

 小池にとっては、自分の顧問弁護士ではない。内野にそこまでする義理はないのだが、内野も小池の財布に甘えていたのだろう。小池が内野に挨拶しようとアポを取ると「じゃあ、メシを食おう」と言い、場所を自ら指定するのだ。

 相手の財布で飲み食いをさせてもらう〝先生道楽〟の世界は、弁護士業界に限らずともよくある話だ。

 しかし、微々たるものとはいえ、小池の財布で飲食をくり返してきた内野がその人間関係の機微の末に、「そんな総会屋、聞いたことねえよ」と言い放つというのは、小池に限らずとも割り切れない思いが込み上げてくる。

 小池が総会屋稼業から身を引いて久しいが、おそらく現役当時からすでに「悲しき総会屋」であっただろうと思えた。

 人の悲しみを知ることのできる人間は決して多くはない。また人の悲しみに寄り添える人間はほとんどいない。家族関係でさえ他者との世界でもある。小池は人の悲しみを慮ることのできる人間だった。だから同じ悲しみを知る者は、組織や企業に属しながらも、小池が総会屋の看板を降ろしてからも、共に苦楽を分かち合って歩みを進めてきたのだろう。そこは金勘定から解放された、完全に人間の世界だった。

 小池の家を辞去するとき、翌年に成人を迎える長男が玄関前に腰かけ、いささか手持ち無沙汰に庭を眺めていた。

 どうした、と父親らしく優しい声をかける小池の背中のすぐ向こうには、桜島が煙を噴いていた。

 煮えたぎるマグマの如き怒りを悲しみで押し込めつつ、小池は子どもになおも父親らしい気遣いをみせる。小池のすべてを剥いだ山田が、仮にその姿を知ったとしても詫びることはないだろう。

77.5万株を「1円」で購入した山田慶一

 ロビイスト・山田慶一が暗躍する〝無慈悲〟な世界は、常に「今」を取り込もうと無尽蔵な欲望を膨張させ続けている。

 これはその一端にすぎないが、「ゴールデンブリッジ株式会社」もまた、山田らの不可解な手さばきを受けていた。

 日本企業がもっとも神経を尖らせる中国国内での権利保護に尽力している、著作権確保の日本での唯一の窓口を謡う企業であり、出版社をはじめ日本の著名企業も数多く取引するこの企業は、日本の大手紙にもしばしばその名を登場させる。

 2009年7月31日付の日本経済新聞には次のような記事が掲載された。

 

タカラトミーは中国でまん延する模造玩具を摘発するため、現地の政府系機関との連携を強化する。このほど日本の窓口となる企業に約1%出資した。『ベイブレード』など人気商品は、中国で販売していないものも含めて版権を登録。現地工場を細かく監視し、問題があれば生産停止などの処分をする。中国政府との密接な協力により模造品対策の実効を高める。

連携するのは中国・国家版権局の中国版権保護センター(北京市)。日本で版権登録を受け付けるゴールデンブリッジ(東京・港)の株式1%をこのほど約1500万円で取得した。同社と模造品対策で資本提携する日本企業はタカラトミーが初めて

 

 タカラトミーも出資をしたゴールデンブリッジ社の業態は記事が伝える通りだが、その素性のきわどさを物語る一通の「株式譲渡契約書」がある。

 その内容は、2010年11月1日、72万5000株が1円で譲渡されたというものだ。1株1円ではなく総額1円という、まったく不可解なものである。

 譲り受けたのは同社の代表取締役ではなく、山田慶一。そして同日付で更に5万株の株式譲渡契約書がもう1通あり、やはり総額1円で山田に譲渡されている。

 この2通の譲渡契約書に付随し、1通の確認書が手交された。

                  確認書
平成22年(2010年11月1日付)株式譲渡契約書に基くゴールデンブリッジ株式会社の株式 川口耕一 725000株  星山慶子 50000株 株式会社プラネットシンクジャパン 4021670株 の株式譲渡は正常な譲渡で以後紛争になるものではありません。                  平成22年12月3日

 そこには株式会社プラネットシンクジャパンの代表取締役である川口耕一と星山慶子の署名押印があり、さらに立会人の弁護士、内野経一郎の署名押印もある。これにともない、山田は株券の名義書換請求を行っている。

 川口と星山の両人は、大株主でもあり、ゴールデンブリッジ社の役員という立場だったとされるが、やはり署名押印のうえ、山田宛に一通の誓約書も先に提出させられていた。

                誓約書
私がゴールデンブリッジ株式会社取締役在任中あるいは業務に携わっていた間、ゴールデンブリッジ株式会社の商業帳簿に記載の無い一切の契約その他の法律関係が存せず、ゴールデンブリッジ株式会社に債務負担を負わせる事実は存しません。
万一私の故意又は過失で貴社に負担を負わしめる事が有った場合、私並びに株式会社プラネットシンクジャパンへの宥恕を撤回され、更なる責任追及されるとも止むを得ません。                        平成22年11月29日

 

「宥恕を撤回」とは、尋常ならざる切迫した表現ではないか。

 川口と星山の両者が役員であったなかで、ゴールデンブリッジ社には使途不明金が発生していたのだと、山田は関係者に明かしていた。

 流れから推察するに、「宥恕」とは、この背任行為に抵触しかねない状況を問題としないことを意味し、その代償として、両者が保有していた全ての株を1円単位で山田に放出することを迫られたのではないか。

 この結果、2010年12月20日段階で、ゴールデンブリッジ社代表取締役・森田栄光が作成した株主構成表によれば、山田慶一は380万8000株を保有。個人株主としては、454万株を保有する森田栄光に次ぐ大株主となっているのだ。ちなみに、日経で記事化されたタカラトミーの持ち株は2万株にすぎない。

 架空の城砦に住むロビイスト、山田慶一の触手は、このように周到に広く張り巡らされ、不当に巨額の金を手にしているのだろう。

断骨を以て断骨に及ぶ──小池隆一の反撃

 小池家の菩提寺は新潟県加茂市にあり、星霜を重ねてきたと知れる墓標には「小甚」と彫られている。おそらくはこれが、東京を拠点にしながらも守り抜いてきた〝臍〟である。

 1997年に発覚した野村證券・第一勧銀事件の舞台となったのは「小甚ビルディング」であり、その「小甚」とは他ならぬ古い織物問屋として栄えた小池家の屋号だったのだ。

 若くして飛び出すように故郷を離れた小池だが、たとえ波はあっても、どんな瞬間にも胸中には故郷があり、家への想いがあったのだろう。

 初めて会った瞬間に小池という人間にどこか感じた戦前の匂いは、決して小池の実際の誕生年──1943(昭和18)年──だけに由来するものではないのかもしれない。

 本人からすれば異論はあろうが、小池は代々の「家」を守り続けていた。そして、ただ家族のためだけに生きようと決めた後半生で、自身が表社会で立ち回れば家族に迷惑がかかるからと戒め、鹿児島に蟄居することを強いた。

 自身が築いた家を守らんがため、自身のもとに持ち込まれる謀議の数々を自身の足で検証することを許さず、その結果、再起不能な欺きを受けたのだとすれば、それほどの皮肉と、そして苛烈な顚末はない。

 鹿児島に生まれ育ち、戦後、田村隆一と並んで詩誌『荒地』を代表する詩人であった黒田三郎の詩句が思い出される。復員してきた彼は、詩句の通り、

 

お金がなくて煙草も吸えず
水ばかりのんで
それでも威儀を正していた

 

のだ。偶然にも、同じ鹿児島の地に生きている小池隆一もまた、威儀を正す日々を過ごしているのである。

 それを、総会屋として生きた小池の前半生の「因果応報」だと呼ぶにしても、その〝罪〟を償ってなお余りある悲劇でさえある。

「石が浮かんで木の葉が沈む」―。それは紛れもなく不条理だろう。他人の人生を食い物にして世を渡る不条理は、小池に限らずとも看過されえないものだ。

 さらには、戦前の人間であればこそ、小池は厳しい。肉を切らせて骨を断つなどという、甘いことは考えてはいない。

 自身の骨もろともを断つ気で、必ずや相手の骨を断ちにいくに違いない、小池との年月を経てきたがゆえにそんな確信を抱くのである。

 断骨を以って断骨に及ぶ――。

 おそらく小池は自身を利用し、欺いたロビイスト、山田慶一たちを一網打尽にするべく、断罪に向かうだろう。
一人の人間の涙の重みを見届けるのも巡り合わせだとすれば、それもまた受け入れるべき運命なのだ。

 小池隆一はすべてを失いつつある今、その成り行きのすべてを明かす覚悟を決めた。自身の恥を世に晒してなお、抹殺すべき社会悪があると信じ、その根を──骨を──断つ。

 小池という男が、社会からのいかなる言われように晒されようとも、今この瞬間の「義」に嘘はない。

 たとえ前科があろうとも、人生に禍根があろうとも、過去に悪評があろうとも、罵声にまみれようとも、普遍の人間性を備え、小さくもまっとうに生きようと決意した真摯な思いを踏みにじる存在こそが「巨悪」であり「社会悪」である。

 そして、そんな悪に限って、誰よりもまっとうそうな顔と振る舞いで、ときに正義さえ主張しながら、社会のあらゆる地位と場所に、つまり、すぐ隣の身近な場所で和やかに呼吸している。

 背徳のロビイストとそこに群がる者たちの営みは、だからこそ、表立ってはその暗躍を悟られることはなかったのかもしれない。

 だがそれも、これまでは、の話。小池隆一という、水のごとき普遍の触媒と交わってしまった以上、「装置」は錆びるかメッキが剥がれるか、何がしかの化学変化を伴わないわけにはいかない……。

 桁ちがいのダニである。たしかに総会屋もダニだ。間宮も一匹のダニ。錦城もダニ。貫禄や実力に大小の差はあっても、ひとしく会社の闇の血を吸って生きている。どの大企業にも、数匹、数十匹のダニがついている。用といえば、年に二回の総会ですごんだ声をかけるだけ。無職無税のひまな体で、会社の秘書課あたりにとぐろを巻き、帳簿にのらぬ金を食って生きて行く。だが、それ以上に大きなダニが悪質な顧問弁護士や公認会計士なのだ。明るい血だけで満足せず、膨大な闇の血を要求する。企業は成長し、ダニもまた成長する。銀行もデパートもメーカーも、白く輝く衣裳の内側は、そうした闇の血を吸う大小のダニにとりつかれている。
―城山三郎『総会屋錦城』より―

(第2回へつづく)