【連載】『哀しき総会屋・小池隆一』第2回「陰謀」──ODA・ベトナム火力発電所建設入札で〝暗躍〟した「伊藤忠」「三菱重工」「三菱商事」の抱えた「あまりにも深い闇」

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 2009年9月12日、中国東方航空のビジネスクラスに、山田慶一は元三菱商事の金子清志と搭乗、北京へ飛んだ。とある国際入札のため、小池隆一が紹介した中国企業との折衝に臨むためである。小池も成り行きを見守るべく、別ルートで北京へ向かった。

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【筆者】田中広美(ジャーナリスト)
【写真】ベトナム火力発電所の建設を巡り、受注額の「中抜き」を画策したメモ
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 高層ビルが建ち並ぶ北京の街並みは、既に東京やニューヨークに匹敵しつつあった。

 かつての東京オリンピックは、日本を途上国から先進国へ大きく飛躍させ、国際社会に対して敗戦国との負のイメージを払拭した。同じように08年に開かれた北京オリンピックも、そんな国威発揚の証として機能したのだろう。

 オリンピックに合わせて展開された北京市内のインフラ整備は、社会主義国家らしい速効性のある統制が効いたのか、空港から道路網に至るまで、とりわけ公共施設の拡張と展開に瞠目すべきものがあった。真新しく白みの強い、耀く化粧石ばりのコンクリートが空港から市内まで太いネットワークをつなぐ。その脇を高層ビルの回廊が建ち護る。

 だが裏へ回れば、下水とも川とも見分けのつかない淀みから臭気が満ち、土埃が舞う中に小さな小屋が密集し、人々が歓声を上げていた。表通りの世界とは異なる時間を懸命に過ごしている姿がそこにはあったが、そんな場所も、やはりオリンピック以後は少なくなる一方のようだった。

 北京でも有数の高級ホテルとして知られるシャングリラホテルも、裏通りの喧騒が表へ洩れるのを封じるかのように建っていた。しかし木々が豊かな中国風庭園と、流れる水を望む、澄んだガラス張りのロビーの中には、ある不穏な時間が流れていた。程なくそこは陰謀の現場となる。

シャングリラホテルで中国側が抱いた〝小さな懸念〟

 山田慶一と金子清志は、到着した北京空港で中国側が差配した車に乗り込むと、シャングリラホテルへと向かった。

 ホテルに投宿すると、山田らは中国側が用意した宴席に招かれた。明日の朝から折衝が始まる。その前夜祭という位置づけなのか、壮麗な中国装飾に囲まれた個室の円卓を囲み、中国側企業の役員は豪華な中華料理で日本からの賓客をもてなした。

 この時点まで中国側は、金子のことを三菱商事の現役社員だと考えていた。というのも山田は小池に次のように説明し、中国側企業を紹介してくれるように頼んでいたからだ。

「三菱商事がベトナムで受注する案件で、ぜひ中国の企業と手を組みたい。ついては三菱商事の人間を連れて北京にいきたいのだが……」

 当然、小池もそう中国側へ伝えた。中国側にしてみれば、三菱商事の東京本社一行が仕事の依頼で北京にやって来ると考える。だが、その晩、早々と金子の素性を知った中国側に小さな疑念が湧く。中国側企業の担当役員は、小池にその晩、こう洩らしている。

「ちょっと話が違うようだ。三菱商事の人間が来ると聞いていたんだが、金子という人物は元社員だという。現在は三菱の人間ではないようだ。三菱ほどの企業が、大事な事業の案件を自社の人間を同席させず、山田といった外部の人間や、金子といった元社員だけに任せるのだろうか?」

 この後、三菱商事の現役社員は登場する。その国際犯罪まがいのトリックは、中国側企業の懸念をはるかにしのぐ、大胆なものであることが発覚するのだが、今は時系列を追っていこう。

 仲介者ではあるが、自身を裏方と考える小池は宴会に参加しなかった。ホテルの一室でじっと待機していると、中国側から金子の素性について知らされた。当然、小池も「おや?」と思った。

 とはいえ、もう山田も金子も投宿している。明日の朝には中国側企業の代表もホテルに到着する運びだ。今さら山田に「金子は三菱商事の人間ではないのか!?」と詰め寄ったところで、埒が明かないのは目に見えていた。

 ここはともかくも明日を待とう。小池は、そう考えた。

三菱商事と山田、金子が計画した「受注の中抜き」

 翌9月13日の朝、中国側企業の代表の前で、金子はA4のレポート用紙を広げ、自身の考える〝事業スキーム〟の解説を英語で開始した。案件はベトナム南部・メコンデルタ最大の都市であるカントー市・オモンに計画されている火力発電所の受注工作だった。

 山田も金子も三菱商事の社員ではない。にもかかわらず、三菱商事の国際入札の案件を持って歩いている──中国側の疑念をよそに、金子は突き出した腹を、両肩で小さく押さえ込むよう前屈みになりながら、ロビーに据えられた低いテーブルの上に、A4大の用紙を広げた。

 中国有数の政府系企業の代表と役員は、むろん日本との取引は初めてではない。合弁の経験も豊富で、担当役員は日本語も堪能だ。

 レポート用紙を広げた金子は、前は三菱商事に勤務していた。だが、この時は退職しており、不動産やスポーツビジネスのコンサルティングに従事している。

 そして金子の傍らには、山田慶一がどっかと腰を下ろしていた。金子より上背がある。本名は朴慶鎬。

 山田という日本国内での通名は、企業社会では知る人ぞ知る名前だ。80年代以降から今日まで、山田=朴が手掛けた数多くのロビイング活動の際どさと、その〝手腕〟は、これまでほとんど表立って知られることはなかった。

 本人は表に出ることを極端に恐れ、徹底して避けてきた。しかし裏を返せば、表に出ては彼の〝ビジネス〟が成立しないからでもある。

 山田も金子も、共に一般的には無名の存在だ。だが山田の場合は、これまでに度々、その名が出かかったことがあった。直近では08年、日本の大手コンサルの1つ、パシフィックコンサルタンツインターナショナルに東京地検特捜部が捜査のメスを入れた時だった。

 改めて詳述するが、この事件で山田は逮捕直前までいくのだが、寸手のところで逮捕を免れる。このことだけ触れておき、話を元に戻そう。

 金子は担当役員が日本語に堪能なことを知ると、そのスキームを日本語で解説した。その目論見は、次のようなものだ。

 ベトナム・オモン火力発電所の国際入札に当たり、三菱商事〝側〟は中国企業をかませる形で落札を成功させる。金子は「60億円」という額を円ベースで強調してみせた。

 つまり、中国企業側の受注額のうち60億円を、落札の成功報酬として関係者で山分けし、日本国内に運びたいというのだ。

 中国側企業の眼前で、金子はレポート用紙に60億円を「分配」と記す。これは受注を狙う三菱商事側にも一石二鳥だった。

 受注が成功すれば、三菱側に不満はない。単独受注に成功し、その利ザヤがダミー会社に流れたとしても、それで損益は発生しないのだ。

 山田と金子はそこに目をつけ、いわゆる、受注額の中抜きを計画する。そして、もう1人、山田と金子にこの工作を依頼した人物がいる。三菱商事の人間だ。山田と金子が北京の折衝で話を付けてから登場し、後にこの中国側企業にいくつものメールを送信している。

 先に、その一部を抜粋してみよう。

どの会社もお客や政府のトップにお金を配らねばならぬ、必要悪がありますが、日・米・欧の企業は皆尻込みして、どこか中国の一流企業でこの仕事をやってくれる処はないのかと、日本の大手メーカーなどから最近良く聞かれております。

タイやインドネシアやマレーシアでは斯かる専属の土建業者などが育成されているのですが、ベトナムは皆ドル紙幣が好きなのに、五人組的な告げ口組織も変に存在しており、なかなかこの様な業者が育っておりません。

そこででございますが、〇〇さん(※筆者の判断により匿名)がご推薦出来る中国の一流企業でこの様な事が出来る会社を内々ご紹介頂ければ大変有り難いと感じる今日この頃です。

微妙なお話なので、次回お会いした際にでもお話しできればと存じます。

引き続き宜しくお願い申し上げます。

三菱商事(株)重電機輸出ユニットアセアン・南西アジアチーム 三枡

 メールの送信者である「三枡」は、三枡素生のことだ。

 三枡の〝名代〟として山田と金子が北京に現れてから、三菱商事側は執拗に中国側との接点を保ち続けた。しかし当の中国側は、不審な思惑を感じ取り、距離を置いていた。

「中国の企業なら、カネ次第で不正に手を貸すだろう」

 メールには、そんな風に見ている節も感じられる。それが事実だとすれば、随分と我々を見くびったものだ。中国側は、そんな小さな怒りさえ感じていた。

中国側が見抜いた「三菱商事」の真の狙い

 三枡のメールからは、中国企業をかませた受注工作が失敗に終わったこと、外国政府に対する賄賂提供の斡旋依頼が伺える。日本では1998年の不正競争防止法改正により、外国の公務員に対する賄賂提供も日本の国内法規で取り締まりの対象となっている。

 このメールの送信日時は2010年6月2日。折しも同年4月には、贈収賄罪では世界でもっとも厳しいといわれる「2010年英国贈収賄防止法」が成立した直後である。アメリカの海外腐敗行為防止法と並ぶ同法の成立によって、抵触行為が発覚すれば日本など外国籍企業も英米圏の入札から排除され、営業資格を剥奪される危険性もある。法人名のアドレスでやりとりするにはあまりに大胆な内容だった。

 メールに書かれた「政府のトップにお金を配らねばならぬ、必要悪」という直截的すぎるとも思える言葉には失笑を禁じえない。とはいえ、国際入札の現場で商社マンが向き合わされている競走の現実を象徴した、素直な心境とも読める。この時、三枡は「部長代理」の名刺を持っていたのだが、当の中国側は冷ややかに見ていた。

 ことの顛末を、先に明かしてしまおう。この計画は結局、予期せぬ展開によって頓挫してしまった。

 三菱商事が組んだ中国企業の山東電力建設(SEPCOⅢ)は無事に応札したのだが、何と技術審査ではねられてしまったのだ。これは山田や三菱商事側にとっても想定外だった。

 だが三菱商事・三枡側は、その後もベトナムでのODA案件で中国側をかませようと、メールを含めた接触を続けていた。その中で、三枡側に対する不審を抱き続けていた中国側企業は、こう洩らしている。

「どうにも腑に落ちない。三菱商事の重要な案件だと言われ、実際、私が東京に行くと三菱商事の三枡は登場する。だが、どこまでやり取りを続けても、結局、三枡しか出てこないのだ。三枡はたかだか部長代理だろう。三菱商事としての重要案件なら本来、話が進展した段階で担当役員が顔を見せるはずではないのか」

 中国側企業は国内で企業集団を率いるコングロマリットだ。本音のところで、「部長代理風情が」という思いもあったのかもしれない。だが、彼の疑念は充分に首肯できる。

 なぜ三菱商事側は担当役員どころか、部長でさえ一度も顔を見せないのか。三枡しか登場しないやり取りが続く中、中国側はハタとスキームの最終目的に気づく。

「これはもしかすると、60億円の中抜きそのものは、三菱商事としての計画や方針などではなく、三枡や山田らの個人がやろうとしていることではないのか」

 これに先立ち、三枡ら三菱商事側は中国企業をかませたベトナムでの単独受注工作を成功させるため、まさにあの手この手で仕掛けていた。

「60億円中抜き」を成功させようにも、まずは受注しなければ始まらない話だ。そのために、双日、伊藤忠商事、三菱重工業といった企業を巻き込み、驚くべき工作を実行に移す。

山田を潰すと決意した小池

 今一度、彼らが北京に降り立った09年9月に遡る。

 山田と金子が降り立った北京空港の駐車場の影から、2人の男たちの姿を見つめる、もうひとつの背があった。金子は駐車場の柱の陰で、山田と接触する人間を認めた。大柄な山田に比べ、あまりに小さく見えるその背中の主が、後に三菱商事の三枡らに内容証明郵便を送る小池隆一であるとは知るよしもなかった。

 小池は、おそらく世の誰よりも自身の身の振り方をわきまえていた。

 出所後は特に気をつけてきた。かつての事件から、どれだけの時を経ても、自身に対する形容は「総会屋」だ。それを悔やみ、表に出てはならないことを誰よりも分かっていた。禊ぎを終え、なお企業社会にかかわってはならぬと、強く戒めて生きてきた。

「おかしいと思うんです。安倍譲二にしても、ほかのヤクザにしても、本を出すと皆、作家という肩書きになってしまう。私は刑期を終えて出てから20年近く経っているのに、いつまで経っても総会屋と言われ続けなければいけない。その間、なんにも悪いことはしていないのに、私だけはどうして総会屋と言われ続けなければならないんでしょうか」

 小池は、しばしばそう口にする。たとえ、自分の人間性を頼みにしてくれる企業の人間がいても、自分が顔を出せば、再び「あの総会屋が」と言われるのは誰よりもよく分かっていた。それが現実なのだ。まっとうに生きようとする精紳がたとえ本物でも、日本社会と世間は許容しないという思いも強くあった。

 それゆえ、人を紹介して欲しいと頼まれれば、断る理由がなければ応対はする。だが決して金銭のようなものを受け取ることはなかった。絶対に拒絶してきた。強く自身を律しなければ、必ず「あの総会屋が……」と後ろ指を指されてしまう。

 だから今回、山田から「三菱商事の案件で、三菱商事の人間と共に北京に行きたいのだが」と相談を受けた時、商事という〝真っ当な〟企業人の前に、自分が姿を見せるわけにはいかないと判断したのだ。

 そして小池は、金子と山田の2人が無事に中国側の迎えのクルマに乗り込んだのを駐車場の柱の陰から見届けた上で、自身もシャングリラホテルへと向かった。中国側に紹介する都合上、同じホテルでなければならなかったが、決して〝三菱商事〟側と接触するわけにはいかない。

 だが、その後、三菱商事の三枡と山田たちの不可解な行動に不審を募らせた小池は、遂に関係者を呼び集めた席に乗り込む。2010年6月25日のことだ。山田、金子、そして三菱商事の三枡の3人と、小池は対峙する。

「三桝さん、あんたは三菱商事の人間じゃないのか。あんたは三菱商事のためにこのベトナムの案件もやっているんじゃないのか。三菱商事の人間がこんなことをやって許されるのか」

 三桝は答える。

「私どもは山田組の一員ですから。山田組長のためにやってるようなもんですよ。山田さんを儲けさせるためにやっているんですよ」

 それは「語るに落ちた」返答だった。

(なるほど。当初からすべては山田とその一味が濡れ手に粟で、ODAのカネを中抜きしようとする、そういう腹だったのだな。その思惑に利用されてしまった。これは聞かされた通りに、三菱商事の仕事として仲介した中国側に恥をかかせ、とんだ迷惑をかけることになってしまった)

 同時に、ある条文が浮かんだ。商法第488条、特別背任未遂罪……。特別背任には未遂罪がある。

(山田のみならず、三菱商事の三桝は危険な橋を渡っている。ODAの受注というまっとうなビジネスとはかけ離れた陰謀をめぐらしているのだ。)

 これは犯罪になりうる――そう確信する。小池が山田慶一という人物の軌跡を追跡する腹を括ったのは、あるいはその瞬間であったのかもしれない。

 しばしば好んで禅を語る小池の哲学を踏まえれば、彼がついに、不退転を決意した〝慧可断譬〟の境地に達したのだった。小池は決意する。

「駄目だね。トラックにお金を積んできたって駄目だ。山田は社会悪だ。私はあの悪事のすべてを看過しない。これはお金の問題じゃない。私が人生を賭けて葬るべき社会悪の問題だ」

ベトナムODAで伊藤忠と三菱重工の「裏工作」と「三菱商事」の〝暗躍〟

 北京・シャングリラホテルでの一件に先立つ09年6月、小田急線代々木上原駅からほど近い高級住宅地、西原にある白いメゾネットタイプの一軒の住宅に一人のジャーナリストが呼ばれた。招いた人物は、その住宅を個人のコンサルティング会社「環境計画研究会」の事務所兼自宅として登記している山田慶一である。

 やたらと広いリビングには巨大な巻き貝のような音響機器が置かれ、そのさらに奥、台所に置かれたテーブルに2人の男が座っていた。元三菱商事の金子清志と三菱商事社員の三桝素生である。

 ジャーナリストは、その白い住宅を過去に何度か取材目的で訪れたことがあった。しかし、山田の自宅としてではなく、ある経済事件の関係者宅としてであった。かつてそこは、自民党の代議士、故・加藤六月の親族が所有する物件だったのだ。

 果してどのような経緯でそこが山田の持ち物となったのかは不明だったが、不動産登記を上げれば、その抵当権の経歴は凄まじく、山田が〝経営〟する「環境計画研究会」がボロボロの状態であることは明白だった。

 山田を知る関係者によれば、環境計画研究会名ではすでに法人としての信頼はまったくなきに等しく、山田が運転手に預けて乗っている自家用車のオートローンさえ、09年時点で、法人名義ではローンを組めない有様だった。
山田のようなコンサルティング会社経営者は日本には数多存在し、キヤノンの大分工場誘致、あるいはオリンパスの粉飾決算事件など、司直の手が入った折々に、その存在が知られることがある。

 いわゆるこうした経営コンサルが独立して業を営む以前の前職は元銀行マンであったり、元証券マンであったりと様々だが、いずれにしても大きな筋が縦横無尽に入り組んだ、熱帯雨林に巨大に張ったクモの巣のような壮大な人脈図を持った人間でなければ成立しない稼業であることは間違いない。

「環境計画研究会」の山田こそは、こうしたコンサル業界のなかでも、ひときわ異彩を放つ人物であり、山田を知った者が〝山田商法〟とさえ呼ぶその手腕については後述するが、あの東京地検特捜部の眼をも欺くのだ。

 金子と三桝、そして山田の3人は、ジャーナリストが席に着くなり話を切り出した。金子に促された三菱商事の三桝は、ベトナムの国際入札に関する話を始めたが、まったく同じ話が、数年後に横浜地裁で起こされたある裁判の訴状にも認められることになる。

 このとき、三菱商事の三桝は「情報提供(リーク)」しただけでなく、数年後の訴状で被告となる関係者の名前を挙げ、「取材をかけて欲しい」と頼んだのである。

 だが、この話は09年の時点で取材されることはなかった。それどころか、逆にジャーナリストは金子、三枡、山田の3人の動きは極めて怪しいと、あるルートを通じて東京地検の感触を探り、警視庁の捜査員と情報交換を行った。

 リークには必ず意図がある。むろん、それでも取材すべき案件があるのも確かだ。しかし、山田たちのリークは、意図の背景があまりに濃い霧に包まれていた。ただ利用されるだけでなく、場合によっては犯罪行為に加担させられる危険性さえ存在する。

 この時点でジャーナリストが狙ったことは、特捜部や警視庁が長年マークしても落としきれなかった山田と、山田商法の周辺を立ち回る金子の動きを掴み、当局と情報交換することにあった。

 警察当局も、山田には強い関心を持っていた。何しろ巨額の資金が流れこみながらも、国税の査察でさえ〝ブラックボックス〟が解明できず、山田の現金がどこに流れているのか不明な点が多かったからだ。

 億単位のコンサル料を企業から得ておきながら、山田は表向き、いつも金に枯渇していた。東京地検、警察庁、警視庁、国税庁、多くの〝当局〟に、山田慶一こと朴慶鎬に関心を持つ者がいた。山田が在日であることから、現金の運搬ルートにも注目が集まっていた。

 ジャーナリストは、もちろん山田たちの前では協力者を装った。そして三菱商事の三枡が「取材をかけてほしい」と名前を挙げた2人の日本人について強い興味を持った。もちろん、山田たちに対しては関心がないふりをすることも忘れなかった。

 その日は土曜で休日だったのだろう。スラックスにシャツという私服姿の三枡が口にしたのは、ODA関連入札を巡る日本からベトナムへの裏金でトラブルが発生したことについてだった。その詳細は、まさに次の訴状の文面と寸分たがわぬものだった。

 2001年3月、日本政府は、ベトナム政府に対して、ベトナム最南部・メコンデルタ地区に30万キロワットの油・ガス焚火力発電所であるオモン1号機の開発・建設(以下、「本件プロジェクト」とも言う。)について、ODA(円借款)を供与した。
2003年2月15日、事前資格審査を経た後、下記4グループが本件プロジェクトに関する入札に参加し(略)た

 4グループとは、以下の顔ぶれになる。

①裁判で被告となった三菱重工と、訴外の三菱商事
②いずれも訴外の三井物産、石川島播磨重工業、アルストム社(フランス)
③訴外の住友商事
④裁判で被告となった伊藤忠と、いずれも訴外の富士電機、三井バブコック

 この入札では「2封筒」方式が採られたのだという。まず「技術札」を提出し、発電所の仕様などについて評価を受ける。これに合格したグループだけが、設計・建設費用などを計上した「商務札」を提出する資格が与えられるわけだ。訴状に戻る。

なお、被告三菱重工は、前記フーミー1号機(※筆者注・背景については後述)の案件においても前記の通り横浜本社内の原動機事業本部が主に担当していたところ、本件においても同様に同部が担当していた。2003年4月、技術札に関する評価レポートが作成された。このレポートの中で、被告伊藤忠グループの技術札につき種々の不備が指摘され、2003年後半には、本件プロジェクトの入札について同グループの失格が実質的に確定し、次段階に進めないことが明らかとなった

 伊藤忠は2003年後半には、入札の失格を確信したのだという。そこで方針を転換し、三菱重工と協力しながらプロジェクトに関与する道を探る。

 これは三菱重工側にも悪い話ではなかったようだ。自分たちが1番手でないことは認識しており、このままでは安い額を入札したグループに落札されてしまう。ならばベトナム政府に働きかけ、自分たちの技術に対する評価を上げさせ、更に自分たちの入札価格に合致するよう予算を引きあげさせる必要があると考えたのだ。

 こうして伊藤忠と三菱重工は接近を果たす。その背景として訴状は、

被告伊藤忠の平野和也部長代理が、前記フーミー1号機発電所プロジェクト以来、被告三菱重工の矢野洋主任と懇意であり、かつ、両名共に、原告のことを知悉していたことが影響している。すなわち、平野部長代理が被告三菱重工に接近して、原告を本件プロジェクトのためのエージェントに起用しようと進言したのである。ここに、被告らが原告に対し、エージェント業務を依頼する素地が形成されたわけである

と指摘している。

 そして三菱商事の三枡が、ジャーナリストに「取材をかけて欲しい」と依頼した「2人の日本人」こそ、ここに登場した伊藤忠商事の平野和也と三菱重工の矢野洋だった。三枡は2人の家族関係や経済状況、出身大学を含めた人間関係の背景までをもジャーナリストに説明した。おそらく三桝自身が両人と親しい時期があったのだろう。

 ジャーナリストは三枡の話を聞きながら、「なぜ三菱グループでありながら、重工は伊藤忠と組んだのか」という疑問についても、訴状は明確に繙いている。そして彼らが受注に向けて頼みとしたベトナム人エージェントが、グエン・チー・タンだ。

 グエンが原告となり、伊藤忠商事と三菱重工業を訴えたのが2010年7月6日。三桝がジャーナリストに平野と矢野の名前を挙げ、「取材をかけて欲しい」と告げてから約1年後のことになる。

 原告のベトナム人であるグエン・チー・タンは、訴状では

グエン・タン・ズン首相の側近である政府関係者と緊密な関係を築いている者である

と少々、迂遠な言い回しになっているが、三枡によるとベトナム人エージェントは首相の甥っ子であるらしい。

 この時点で三枡は、首相の甥っ子であり、ベトナムでコンサルティング業を営むグエン・チー・タンから詳細な情報を得ていたのであろう。なぜならば、三枡は伊藤忠の平野と重工の矢野がトラブルを引き起こした紛れもない物証である「工作手数料」の支払い確約書を山田に提供し、各方面に流布させるからだ。

 三枡が山田にもたらした「英文のレター」は、この横浜地裁での裁判でも原告側の証拠資料として提出され、次のように説明されている。

 被告三菱重工の矢野主任及び被告伊藤忠の平野部長代理は、エージェント業務を原告に依頼すべく、原告に面会を求めてきた。両名の行為は、2004年初めから行われ、同年2月10日前後、矢野主任及び平野部長代理は、原告及び通訳(ベトナム語及び英語)と、ホーチミン市内で面会し、エージェント業務の依頼を行った。原告が矢野主任に会う場合は必ず平野部長代理も同席していた。

 会合の場所は、ソフィテル・サイゴン・ホテル、シェラトン・ホテル、タイ・バン・ルン通りの日本食レストランなどであった。

 被告三菱重工及び被告伊藤忠は、最終的に、矢野主任及び平野部長代理を通じて、2004年2月10日前後の複数回の会合の中で、被告三菱重工が本件オモン1号機プロジェクトを受注できた場合には、被告らは原告に対し、エージェント業務の手数料として、契約金額の2パーセントを支払う旨の合意を交わした。

 その上で、同年2月20日頃、今度は平野部長代理が原告に面会して、被告三菱重工が原告に対し、上記の合意内容に基づいてエージェント業務の手数料として契約金額の2パーセントを支払う旨記載し、これに矢野主任が自著した同日付の平野部長代理宛てレターを原告に示した。その上で、平野部長代理は、原告に対し、同レターの写しを交付した。

 同レター交付後は、主として平野部長代理が原告との対応を行ない、また、原告との日常の接触は、被告伊藤忠のホーチミン事務所に所属する機械・プロジェクト部のマネージャーであるグエン・クアン・タング氏(以下、「タング・マネージャー」という)が行った。なお、上記の矢野主任、平野部長代理及び原告との面談は、上記レターの作成日前後に、最低6回行われている

(※編集部註:数字の半角化、改行など、原文に一部手を加えた)

「エージェント手数料」といえば聞こえがいいが、要は受注工作のための賄賂という側面が少なくない。あるいは政界工作のための資金工作といった主旨だろう。三菱商事の三桝が中国人に宛てたメールには、ずばりその意図が明記されていたのは前に触れた通りだ。

 三菱重工と伊藤忠を相手にエージェント手数料の支払いを求めて訴えた原告のグエン・チー・タンもまた、首相の親族というまさに最適な環境を背景に、こうした日本企業相手のコンサルティング業務を行っていたのだろう。

 ちなみに、この英文レターの翻訳も原告側によって裁判所に提出されているが、それによれば、日本文内容は次のようなものだ。

2004年2月20日 平野和也殿
拝啓
EVN(ベトナム電力庁)・ベトナム・オモン火力発電プロジェクトの件
我々のグエン・チー・タン氏との共同事業の確認に関して

我々並びに我々とグエン・チー・タン(NCT)氏との間において、これ迄実施した打合わせに関連して、私、矢野洋は、ここに最初に記した日付にて、我々とNCTとの頭書プロジェクトの共同事業に関して同意すると共に、NCTの仕事を通じて当社が同プロジェクトを受注した暁には、当社は(当該プロジェクトの)契約金額の2パーセントをNCT若しくは同氏の指定する関係者、譲受人若しくは代理人に支払うべき旨を確認致します。
敬具
署名 矢野洋

 当然、右記述の通り、支払いが行われていればトラブルは発覚せずに済んだのだろうが、この約束が履行されなかったために、横浜地裁で訴訟が起きたというわけだ。

 当初、伊藤忠と三菱重工は英文レターの存在を否定していたが、裁判途中からは認めた。その上で、ベトナムの国内法規を準用した場合には、原告ベトナム人による支払い請求権そのものが時効になっている旨の主張に切り替え、裁判が進展した。

 日本のODA援助による世界各地の事業を、日本企業が受注することそのものは責められるべきはずはない。だがODAは日本国民の税金から支出されている。国民心情を汲んだ表現ならば「血税」に他ならない。

 日本の商社やメーカーが海外で受注するODA案件は、結局のところ我々の公共事業だ、との認識があってもおかしくない。ここに登場する日本企業の利潤は、日本人の税金そのものなのだ。にもかかわらず、その「2パーセント」を工作資金、ないしは報酬として現地にばら撒くという〝商慣行〟が横行していることに驚かされる。何より原告のベトナム人が支払いを求めた「2パーセント」は日本円にして、実に8億2062万8100円にも上るのだ。

 もちろん、そんなことは商社にとって常識の範疇であり、アジアやアフリカなどの途上国では日常的風景であったとしても、こうした形で訴訟が日本国内で提起され、公判を通して露わになった事態は異例中の異例と言えた。

 だが、三菱商事や山田たちは、この〝ツボ〟を逆手に取ったのである。つまり、これは仕組まれた訴訟だったのだ。

(第3回へつづく)