【無料連載】『哀しき総会屋・小池隆一』第14回「小池から山田慶一への手紙」

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(承前)2012年7月、株式会社大都市政策研究センターがある東京都中央区銀座2丁目10番18号の東京都中小企業会館と同じ所在地と、約款もほとんど変更されず、新しい「株式会社大都市政策研究センター」が設立された。

 なぜ、こんな〝トリッキー〟なことが行われたのか。銀行マンが「考えられる可能性」を解説する。

「1つは、例えば旧・大都市センターの代表取締役を辞めさせると、不都合が生じる場合です。具体的には大都市センター名義で借入金があり、代取の金子清志氏が返済の個人保証を行っている、といったケースが考えられます。旧・大都市センターでは金子清志、前川燿男の2人が代取でした。仮に金子氏が代取を辞職すると、前川氏が借入金の個人保証を行わなければなりません。それが嫌で新しい法人を作ったという経緯です」

 この分析が事実だった場合、当然ながら旧・大都市センターは、借金まみれということになる。

 私の取材に対し、大都市センターの代表取締役を務めていた前川──ご存じの通り、現在は練馬区長──は、

「あそこの従業員からクレームが多くてね。金子が支払いばかりをこっちにまわしてくるとかね。それで、仕方なくね、会社を移したんだ」

と答えた。これに銀行マンは着目する。

「もし『支払いばかりが押し付けられて』という話が本当なのであれば、もともと旧・大都市センターは損失の受け皿にするために設立したのかもしれません。負債を押し付けるペーパーカンパニーは実のところ、かなり多数存在しています」

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【著者】田中広美(ジャーナリスト)
【写真】東京都都市整備局『東京都市白書 CITY VIEW TOKYO』より
http://www.toshiseibi.metro.tokyo.jp/topics/h28/topi002_01.html
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 損失だけを引き受ける会社を作ることは、違法とは断言できないそうだ。そもそも銀行は捜査権がないため見抜けない。仮に国税の査察が入っても、帳簿上に取引記録が書かれてあれば、脱法行為と認定するのも難しい。こうした理由から、「損失専門会社」の実態を監視することは事実上、不可能なのだという。

「この旧・大都市センターの法人口座を、新・大都市センターが継続して利用している可能性も考えられます。そもそも、旧法人の名称を変更し、同じ所在地で、同じ名称の新法人を登記するというのは異常です。そこまでして表向きは同じ法人であるように見せかける必要があったわけですが、法人口座の問題は動機になり得るでしょう」

 会社の設立は比較的容易だが、法人口座の開設はマネーロンダリングの観点から現在、極めて審査が厳しくなっている。

「新会社の法人口座を作るのは簡単ではないので、旧・大都市センターと同じ名称とせざるを得なかったかもしれません。あるいは、旧センターの口座で運用中の取引が存在するため、どうしても口座だけは新法人でも引き継がなければならなかった可能性も考えられます」

 興味深いことに、2012年8月頃、東京都中小企業会館の大都市センターの事務所では、こんな場面が目撃されている。山田と金子が「社判」をめぐって諍いを展開していたのだ。

「代表印を渡すのならば、代取はおろさせてもらわなければなりません」

 文面だけでも、金子の強い決意が伝わってくる。実際、相当な剣幕だったという証言もある。さすがの山田もたじろいでいたという。「異常」は言い過ぎでも、「異様」な場面なのは間違いない。

「ただし、旧法人の法人口座を、全く別の新法人で使用する場合、銀行は絶対に問題視します。また口座の譲渡が法規に触れる可能性もあります」(同・銀行マン)

 旧・大都市センターの役員たちは一部を除き、この名称変更など「法人移行」の動きをまったく知らされていなかったのだ。

 一連のトリックを見抜いたのは、小池である。それを知った私は、眼光紙背に徹すが如き目力と、追い込まれた時の執念に驚かされた。

「法人番号が変わっている。これは新しい会社だ。企業がこういうことをするときには必ずただならぬ事情がある。そして、悪事がそこには必ずある」

 自らをしゃぶりつくした山田の身辺を、小池は執念で追っていた。

 

「他人の信頼を勝ち取る方法」を知り抜く山田慶一

 
 旧・大都市センターの役員ですら「そもそも会社設立以来、株主総会はおろか、役員会が開かれたこともない」と証言する。これが事実だとすれば、センターの異様さは一層増してくる。

 だが、大都市センターが新旧移行する中で、唯一、業態が一貫している存在がある。それが山田慶一だ。

 山田の机と事務所は、一貫して大都市センター内にあり、多くの企業関係者が呼ばれる場所も、面会する場所も、東京都中小企業会館内のこの事務所だ。

 第13回で、机の上に3億円が積まれた場面を紹介したが、その〝現場〟も、このセンターにある山田の机だった。

『【会員無料】『哀しき総会屋・小池隆一』第13回「千代田&練馬区長」の〝過去〟』
http://www.yellow-journal.jp/series/yj-00000444/

 小池が三菱商事の三桝素生、そして金子、山田との面会に指定されたのも、この東京都中小企業会館の事務所である。

 前川は、自身が代取を務める法人で、まさに社内で行われてきた策動の数々を、まったく知らないと言う。だが、その回答には決して逃げを打つだけだとは思えない信憑性が感じられた。

 実際、山田と金子が大都市センターを舞台に展開させる〝プロジェクト〟の数々は決して、思惑とスキームの全貌が他者に明かされることはないからだ。関係者は、ごく一部の事実しか明かされず、基本的には善意を悪用されて手伝うはめになる。

 もちろん、何もかもが善意を動機としているわけでもない。「山田と金子に寄り添っていれば、きっといいことがあるに違いない」「経済的なリターンも、いつかは得られる」──こんな下心も、もちろんある。

 だが恐ろしいのは、山田は言質を与えることなく、そうした善意と下心を他人から引き出すところだ。そんなマジックに、センターという〝舞台装置〟も、相当な寄与を果たしているのかもしれない。

 センターにおいて、山田はさながら最高の演出家というわけだ。さらに言えば、金子は〝出し物〟の手配師といったところだろう。

 そのひとつが連載第2回で触れた、ベトナムでの発電所入札事業という、三菱商事が関係する〝出し物〟だ。

『【連載】『哀しき総会屋・小池隆一』第2回「陰謀」──ODA・ベトナム火力発電所建設入札で〝暗躍〟した「伊藤忠」「三菱重工」「三菱商事」の抱えた「あまりにも深い闇」』
http://www.yellow-journal.jp/series/yj-00000248/

 山田は「ファイナンスはぜんぶ任せようと思ってまーす」と言ってはさらなる出資者を募り、あるいは「もうすぐこれでまとまったお金が入って来るので、そこから1億円をお支払いできます」と、さらなる金集めに励むのだ。

 だが、これだけなら、世の中に多数転がっている、月並みな「事業家」の──その別名は詐欺師だが──1人に過ぎない。

 山田たちが凡庸ではない点は、検察、警察、国税といった、捜査当局の介入をすんでのところで回避し、組織崩壊を防いできたところにある。彼らを支えたのは自民党一党支配という社会体制であり、更に田中角栄「越山会の女王」佐藤昭の影があった。

 とはいえ、これだけでも、彼らの評価には足りない。決定的な凄みは、後ろ盾が時代の移り変りで衰退していったにもかかわらず、現在に至るまで他人の信頼を勝ち取っているという点にある。信頼される方法を山田は知り抜いている。1番重要なのは誰もが理解しているように「絶対的な政治力」だが、2番を把握している者は少ない。それは「公的な存在」というカードだ。

 実際、山田にとって最大の後ろ盾だった佐藤昭は、大都市センターを設立してほどなく、2010年に鬼籍に入る。衰退どころか、消滅してしまったのだ。

 1番だけの男なら、同じ道を辿っただろう。しかし、山田には2番も知り抜いていた。

 だからこそ「都庁OBを受け入れる会社」との目的を掲げ、東京都人事の天皇と呼ばれた小豆畑を納得させることができたのだ。加えて代表取締役に元知事本局長の前川を据えさせ、いわば〝山田劇団〟の信頼性を確保した。

 東京都という「公的な存在」の価値は重い。日本では単なる地方自治体のレベルに留まらない。予算規模はアジア諸国の国家予算を遥かに凌ぎ、オーストラリアと同規模というレベルに達する。

 東京都庁の元知事本局長とは「一国の主」に匹敵し、東京都中小企業会館とは「城」に等しいだろう。山田慶一は「一国一城の主」を神輿に担ぐことで、自身に関する青天井の信頼性を手に入れたわけだ。

 ここにおいて「大都市政策研究センター」という、株式会社というよりは、むしろシンクタンクを連想させる社名が効いてくる。誰もが「よい方向に」誤解してくれるのだ。

 前川は株式会社の代表取締役だったにもかかわらず、名刺には「理事長」と記されていた。当然ながら、公益法人か財団法人という印象の強い肩書だ。そして金子は「理事」の名刺を持っていた。

 その大都市センターに積まれる3億円もの札束は、果たしてどこから来て、どこへ消えていったのか――前川は自身が知る限り、大都市センター名義で受注したのは、「杉並区からの調査委託事業だけしかない」という。

 区が発注する委託事業の予算規模は、もっと常識的な額だ。3億円もの額が机の上に無造作に積まれうるはずもない。というより、そもそも億単位の現金を積むという状況は、金よりも重要な思惑があることを示唆している。

 

「戦中生まれ世代」に属する小池隆一と「団塊の世代」の違い

 ヨーロッパ旅行から帰国直後、小池が口惜しそうに電話をしてきたことがあった。聞けば、鹿児島駅前の大型スーパー・ダイエーで、小池の長男が事故に遭ったという。

 エスカレーターの上で転落し、意識を失ったそうだ。

 一緒にいた弟が助けたが、上下の歯をひどくぶつけたらしく、ボロボロに折れてしまった。更に心肺停止状態に陥ったのだが、たまたま居合わせた女性が人工呼吸で蘇生させてくれた。長男が一命を取り留めて安堵すると同時に、小池には忸怩たる想いが沸き上がった。

「その時、ダイエーは何もしなかったんですよ。文句の一つも言いたいけれど、そうすると『あの小池が……』と非難される。でも、これも報いです。『大難を小難に、小難を無難に』という言葉があって、その通りだな、と考えました」

 元総会屋と知らぬ者が相対していれば、小池を哲学者と考える人間もいるのではないだろうか。それほど小池はストイックというか、求道者のような雰囲気を滲みだしている。

 それは見かけだけの話ではない。語る内容も語彙も実に多岐にわたる。引退した者にありがちな自慢話どころか、思い出話さえ滅多なことでは口にしない。

 小池は昭和18(1943)年の生れだ。第1次ベビーブームは昭和22〜24(47〜49)のため、いわゆる「団塊の世代」よりは数年、年長だ。世代論的には極めて似通っていても、小池たちは「戦中」に出生し、ベビーブーマーは「戦後」生まれという違いは大きいだろう。

 かつて昭和16(1941)年から、21(46)年までに生まれた世代を「戦中生まれ世代」と呼ぶ動きもあったようだ。初耳の人が多いはずで、定着しなかったことが簡単に分かる。

 とはいえ、第2次ベビーブーマー世代に属する私からすると、この「戦中生まれ世代」のキーワードは「忍耐」と「体験の捉え方」だと考える。つまり小池のように「戦中」を知る者と、「戦後」しか知らぬ者を比較すれば、危機に直面した時の粘りが全く異なるように思えるのだ。

 例えば日本国憲法の公布は昭和21(46)年だから小池は生まれているが、団塊の世代は誕生していない。朝鮮戦争は昭和25(50)年で小池は7歳だが、ベビーブーマーは3〜1歳ということになる。

 確かに団塊の世代も、戦争の記憶を鮮明に引き継いではいる。とはいえ、戦後の混乱期に数歳の差は大きい。何より小池たちの親は、空襲の中で乳呑み児を育てたのだ。一応は平和の中で養育した団塊の世代の親たちと最も違うところだろう。

 やはり団塊の世代は、終戦直後の空気を肌で知るには若すぎる。物心つき、多感な青年期に差し掛かった頃には昭和39(64)年の東京オリンピックを迎えた。経済白書が『もはや戦後ではない』と記述したのは昭和31(56)年のことだ。

 つまり第1次=団塊の世代と、第2次=団塊ジュニアの両ベビーブーマーは、いずれも戦後経験しかないというところは同じだ。戦中を知る者からすれば「いい時代しか知らない」世代とも言える。

 更に第1次世代は高度経済成長の波を受け、バブルという再び訪れることのない波にも乗った。その恩恵を受けて第2次ベビーブーマーも成長してきた。

 その団塊の世代が大量に退職したとき、各地の公民館は彼らで溢れ、その在勤中の苦労話こそが、あちらこちらで、憚られることない直截的な言葉で華を咲かせることになる。

 だが、小池もそうだが、戦前生まれの人間からは、問われるきっかけでもなければ、いかに自身が苦労したかという話は自然に発生しない。空襲にしても、戦中のひもじさにしても、そうした抗い得ない宿命としての体験が、死をも間近に感じさせる体験が、避けて通ることのできない局面が人生にはありうるのだということを肌で知っているからなのではないか。

 優劣を問うものではない。ただ、団塊世代の苦労と、戦前生まれのそれとでは、死線を彷徨うという決定的な質の断絶ではないのかと思えた。

 そんな時代背景が、小池隆一という人間の背中の片隅にもやはり漂っているような気がした。だからこそ、小池が2012年8月に送った手紙は、他の誰でもない、小池本人がこれまでにない屈辱に耐えて書きしたためたに違いないと思わせるものがあった。

 

経済的な破綻に追い詰められていく小池隆一

 
これから小池の手紙を紹介する。明確な誤字は修正したほか、文中には私の註釈が存在する。

被通知人 山田慶一 殿

 

 

 いつも貴殿とは東京でお会いしておりましたが、私はとうとう貧乏の極に達し、飛行機代もホテル代も無い状態で、もはや気軽に東京へ行けなくなりました。止むを得ず、用件は電話による会話がほとんどとなってしまいましたが、平成二十四年の新年を迎えた一月以降、貴殿とは会話らしい会話はほとんど行っておりません。

 

 

 思い起こして、振り返ってみても、真面目な、誠実な、真剣な会話は、ここ二~三年間を考えてみても、全く無かったように考えております。

 

 今回、この通知書を出さざるを得なくなったことにしても、この一週間というもの毎日毎日、何回も何回も貴殿の携帯電話に連絡をしても、何時も何時も留守番電話になっており、必ず「お電話を下さい」とメッセージを入れているにも拘らず、全く連絡が無い日が続いておりました。

 

 もちろん貴殿の銀座の事務所の方にも電話を入れましたが、女性事務員さんの対応は「私も連絡をしているのですが、全く連絡がつきません。連絡がつきしだい小池さんの方へ電話を入れさせます。」というお返事が十六日から二十三日までの六日間も続いておりました。

 

 そこで私は女性事務員さんに「こんなに事務所の方に連絡が来ない、事務所の方から連絡を入れても連絡が取れない等という事は、およそ有り得ない、考えられない話しでしょう。何か事故とか病気とか警察にでも捕っているかでなければ有り得ない事でしょう。とにかく電話を頂きたい事をお伝えしてください」と言って電話を切るより仕方ありませんでした。

 

 しかし、考えてみれば、こうして連絡が取れない状況は、この六日間に限らず、その以前からの事ではありました。

 小池【註:筆者判断で、小池氏妻の名前を削除】のお母さんが、胃癌と肺癌の二カ所が発見されて、鹿児島の方の国立南九州病院で色々と検査をしたが肺の方は難しいような印象のお話しを医師がされるので、やはり、もっと医療レベルの高い東京の病院で手術をやって貰わなければならないことになったので、どうしても入院・治療費及び【同】さんが付き添いのために料金の安いホテルに滞在しなければならないので、その費用等を見積ると、かなりの金額になるので、その費用の方を何とかして欲しい」と電話でお願いをしたことから貴殿との電話連絡が途絶えがちになりました

 小池はすでに、この山田にずいぶんなお金を貸しこんでいた。

 だが、一向に返済されないどころか、さらには貸し込んでいるお金を返してもらうためにさらに貸し込まなければならない展開に持ち込まれ、ついに、この「通知書」で悲痛な心境をさらけ出す。

 小池にすれば、何とか、こちらの心中を、その切迫した心中を相手に理解してほしかったに違いない。

 この通知書の発送後、小池は幾度となく私の携帯電話を鳴らし、この山田が現在、どのような状況にあるのかについて自身の推論を話して聞かせたが、小池はこの時点でもなおも、この男の誠実な対応を心のどこかで一縷の望みをつないでいた。

 だが、小池が相対する山田という男は非情だった。手紙の引用を続ける。

 

 二月の始めに入院・治療費でお金が必用になったことの説明と同時に平成二十一年三月三十一日に小池【同】さん自身が貴殿の口座に振り込み送金をして緊急に融資をしたお金壱阡萬円を返金して欲しいという催告を込めた電話を私が貴殿に入れた時の会話では、貴殿は「何とかしなければならないですネ」「どの位の費用がかかるのですか?」と私に質問をしてきました。

 

 私は「さあー。どの位かかるのでしょうか?胃癌の手術と肺癌の手術を二度手術するわけですが一回で二度の手術をするわけにはいかないそうです。まず、どちらかの手術を先に行って、様子を見たうえで、もう一方の方の手術をすることになると聞いております。

 そのうえ、鹿児島から出たことの無い八十五歳のお婆ちゃんで、鹿児島弁が凄いので、一般病棟では過ごせないと思うので、個室に入って貰わないといけないのですが、その個室が最低料金の部屋で一日二万九千五百円、約三万円なのだそうですが、それは絶えず満室で、なかなか空かないのだそうです。

 空き待ち順も数多くエントリーしているとも聞いております。その上のクラスの個室だと一日四万円台で、その上はいくらでも高い部屋が有るようです。しかも実際に入院をして検査をして、手術をしてみないと、一カ月で退院できるのか? 二カ月で退院できるのか? あるいは三カ月も四カ月もかかるものなのか私には解りません。

 ですから費用はいくらかかるかと聞かれても、現在の段階では、ちょっと判りませんが」と説明をしている話しの途中で、貴殿の方から「病気の事や個室の事を話しされても、私には解らないから、もう解りました。何とかしないといけないですネ。二~三日内に連絡します」と言って電話を切られましたので、貴殿の方から連絡が来るものと思って、電話をお待ち致しておりましたが、貴殿が言われた二~三日が過ぎても、四~五日が過ぎても電話が来ないので、私の方から電話を入れても入れても連絡がつかない日が続いておりました。

 

 そして、それこそ、たまたまつながった時には「いまバタバタしているので後程電話します」とか「いまお客さんがいるので後で架け直します」とかと言って切られてしまいます。

 しかし、その後では、ほとんどのケースが電話はかかって来ません。何と不誠実な対応なんだろう。何と無責任な対応なんだろうと率直に思いました。

 

 そんな日々が二月の始めから続いているうちに二月十五日の入院日を迎えてしまいました。おばあちゃんと【同】さんは二人で飛行機で東京へ発ちました。十分なお金の手配ができていない状況ではありますが、二人に不安な思いをさせるわけにはいかないので、「お金の手配はできているので数日中には届けることができるから安心して下さい」と、【同】さんには言い聞かせて送り出しました。

 

 ところが、その日二月十五日、羽田空港に到着した【同】さんから電話が有り、「いま羽田空港に居るんだけれど、お婆ちゃんが疲れたのか少々具合が悪くなって、椅子で休んでいる状態なんだけど、お金が無いのでタクシーには乗れない。モノレールや京浜急行電車では具合が悪化したら困るので、リムジンバスが病院の近くのホテルに行く便があるので、それに乗ってホテルまで行って、ホテルからならタクシーが安く済むので、リムジンバスの切符を買ったところです。ところが、そのリムジンの出発時刻まで二時間以上待たなければならない状況で、ほとほと困っている。

 

 しかも病院の方には昼までには到着する予定だと先生にも言っているけれど、これでは大幅に遅くなってしまうので、病院の方に連絡して欲しい」という電話が来たので、私はビックリ仰天しました。

 

 飛行機は順調に午前11時頃には到着しているのに、午後1時過ぎに電話がきて、まだ飛行場に居て、さらにはタクシー代が無いのでリムジンバスを待っている状況で、そのリムジンバスの発車時刻が、これから2時間以上も後になるけど、それを待っているということですので、私が貧乏の極にあるが故に、ここまで苦労をさせてしまうのか、と、本当に情けない気持ちになり気分が奈落の底に落ち込むようでした。

 

 しかし、困り果てている二人を、そのままにするわけにはいかないので、貴殿携帯、銀座の事務所に連絡を取っても、全く取れないので困り果てましたが、このような午後を過ぎているけれど、おられるわけは無いのだがと思い乍らも、御自宅の方に電話を入れてみたところ、神様のお手配なのでしょうか?偶然にも霧島さんが電話を取り上げたのです

 霧島とは、山田が個人で雇っている運転手で、山田は周囲にはこの霧島は、鹿児島の霧島神宮の宮司の直系であると紹介し続けていたが、霧島神宮の宮司家は「霧島家」ではない。

 小さな嘘の積み重ねは大きな嘘になり、それを信じる人間は、最後には〝大きく〟裏切られることになる。それが信頼関係の破綻に留まるのならば、それはまだ傷が浅いのかもしれない。小池は山田によって、経済的な破綻に追い込まれつつあった。

(第15回につづく)