2016年12月6日

「櫻井翔の父」桜井俊「天下り先」三井住友信託「役員」内定

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 2016年6月、都知事選の出馬が取り沙汰され、誰も予想しなかった形で知名度が急上昇した人物といえば、総務省の桜井俊・前事務次官(62)だ。人気アイドルグループ『嵐』のメンバー櫻井翔の父親とはいえ、昼の情報番組で名前が連呼されるタイプでなかったことは言うまでもない。バリバリのキャリア官僚だったのだから、無名が普通なのだ。

 そんな桜井氏は9月、都知事選の時とは比較にならないほど小さな扱いで「天下り先」が決まったことが報じられた。ご記憶の方も多いだろう。代表的な新聞・通信社の9月30日記事の見出しを振り返っておく。

 朝日新聞は「桜井前次官が三井住友信託顧問に」と、やや素っ気ない印象。産経は「桜井パパが銀行顧問に 三井住友信託」とし、「パパ」に都知事選の余韻を含ませた。

 スポーツ紙も配信先である共同は「「嵐」桜井さんの父、銀行顧問に 前総務事務次官」と芸能ニュースとしても読める工夫を加えた。

 だが、この天下り人事が、様々な憶測を呼んだことは、意外に知られていない。その背景の1つとして、総務省幹部が大手民間銀行に天下りするのは、実は今回が初めてということがある。銀行天下りといえば、普通は財務省・金融庁を連想するはずだ。

 なぜ桜井氏は三井住友信託顧問に就任できたのか。信託での仕事は何か。この人事に秘められた「狙い」を読み解けば、都知事選出馬を「蹴った」真の理由も浮かび上がってくるのだという。霞ヶ関を自宅のように歩く〝ウォッチャー〟たちの鋭い分析を元に、レポートをお届けしたい。

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【写真】2015年7月、総務省事務次官に就任時の桜井俊氏(撮影 産経新聞社)
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2016年9月29日

【無料連載】『哀しき総会屋・小池隆一』第9回『ロビイスト』

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 2001年9月11日、アメリカ・ワシントンDC──。雲ひとつない青空の下、ポトマック川の向こうに大きな地響きと共に太い黒煙が上がった。ハイジャックされた民間の旅客機が国防総省に突っ込んだのだった。

 その日の朝、私はホワイトハウスに近いKストリートを歩いていた。ほどなく軍用車両が市内に溢れ、物々しい空気が通りを走りぬけた。そしてオフィス街は一転して週末のように静まり返った。

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【著者】田中広美(ジャーナリスト)
【写真】日本自動車工業会『自動車の役割と安全・環境への取り組み』表紙より
http://www.jama.or.jp/safe/safe_eco_digest/
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 街角のカフェでは背広姿の人々が、かじりつくようにしてテレビに見入っていた。画面にはツインタワーが映り、やはり黒煙が空へ上がっていた。朝を迎えたばかりのKストリートだったが、感謝祭でもクリスマス休暇でもないのに、オフィスから全ての灯りが消えようとしていた。この通りの歴史上、初めてのことだろう。

 既に郊外からDC市内へ向かう車には規制がかかっているのだろうか。市外へ出て行く車は見受けられるが、ストリートに入ってくる車はほとんどない。旅客機によるテロがもたらした筆舌に尽くしがたい地獄絵図と同じぐらい、そうした街の光景は強烈な印象として眼に飛び込んできた。

 ワシントンDCにおけるKストリートは、ホワイトハウスに匹敵するほど、政治的な象徴性を有している。ホワイトハウスの外に位置しながら、ホワイトハウス以上にアメリカを代表し、国務省の外にあって、国務省以上にアメリカを代弁する場所といえた。世界最強のロビイストがオフィスを連ねる街、それがワシントンDCのKストリートである。

■アメリカの「ロビイスト」と日本の「天下りキャリア」の類似性

 ロビイストとは文字通り、ビルや建物の玄関口やロビーに集う者を意味した。

 それが転じて議会などに対して政治工作を担う専門家を指すようになった。日本では馴染みがないが、アメリカでは登録が必要となっているほど、職業として確立している。たとえ外国人でも登録は可能だ。日本人なら例えば石原慎太郎が登録している。

 ロビイストは企業や利益団体の代理人として、その主張や要望を議会や有権者に広く浸透させる「中間媒体」と見なすことも可能だ。つまり、メディア的な存在ともいえる。

 ただ、少なくとも建前では「不偏不党」を謳う報道メディアとは決定的に異なり、彼らは徹頭徹尾、特定利益の代理人として動く。

 先に私は「日本でロビイストは馴染みがない」と書いたが、似たものはいくつか存在する。その1つにKストリートならぬ虎ノ門界隈に拠点を置く、業界団体や特殊法人の専門理事職だ。彼らの多くは対象業界を所管してきたキャリア官僚OB。交流人事の名目で、時には現職官僚も部長級クラスの待遇で着任することもある。

 バッシングのブームは去ったが、キャリア官僚の天下りに対しては未だに批判が根強い。であるにもかかわらず虎ノ門界隈が隆盛なのは、役所側の斡旋ニーズもさることながら、業界側が中央官庁とのパイプを必要としているからだ。結果として、専務理事や理事職が官僚OBの天下り先であることは揺るがない。

 天下り理事たちは出身母体の省庁と業界団体を繋ぐパイプとなるだけでなく、業界側の陳情や要望を国会議員に伝える必要があれば先陣を切る。その姿を目にするたび、私は旗を振って観光客を案内するツアーコンダクターを連想してしまう。

 アメリカのロビイストは登録制だが、日本における官僚OBは「格と序列」に従って仕事に携わっていく。事務次官を筆頭に審議官、参事官、課長級……と、省庁を退官した時の官職は「格」として天下りのポストに連動する。

 その体系は極めて精緻だ。退官後、2人の官僚OBが「専務理事」に天下りしたとしよう。役職名は同じだが、格も序列も違うことは珍しくない。例えば経済産業省が所掌する業界のうち、機械業界であっても自動車と事務機器では残酷な序列が存在する。

 自動車工業会は、事務機械工業会より格上であり、前者の専務理事も後者の専務理事より格上として扱われる。そうした格と序列を反映し、送り込まれる官僚は自動車業界なら局長級、事務機器団体は課長級と決まっている。

 更に業界団体は、それぞれに議員連盟を抱えている。議員立法を目論む場合は、議連への働きかけが不可欠だ。議連は「日本型議会ロビイング」の窓口と言える。

 日本政治が官僚主導であることは論を俟たない。だが、たとえそうではあっても、官僚は政治=民意の下僕であるという意識も強い。そのために官僚OBの専務理事が、国会議員に強く出るということはあり得ない。

 業界団体から依頼された陳情でも、現役時代に国会議員へレクチャーしていた時と変わらない。主旨説明を棒読みするだけで、アメリカのロビイストのように具体的な交渉は行えないことの方が多い。

 議員側も、専務理事の役割と限界は知っている。あからさまに言えば、専務理事が業界から「カネ」を引っ張ってはくれない。だから専務理事は窓口役としてしか遇されない。それが実態だ。

 それに物足りない企業はどうするか。彼らは業界団体に所属する官僚OBを表向きは立てながら、自分たちの目的追求のため自社内に別の官僚OBを囲う。独自に天下りを受け入れ、役員や顧問として処遇する。

 歴史の古い、老舗の大企業などは特に、大物キャリアが退官すると役員や顧問として迎える。記憶に新しいところでは、東日本大震災で原発事故を引き起こした東京電力が、監督官庁である資源エネルギー庁の次長だった石田徹を役員として迎え入れた事例がある。

 石田は東電に対する世論が厳しくなって退任に追い込まれたが、官庁にも議員にもそれなりに顔が利く〝やり手〟となると日本はもちろん、アメリカでさえ数は限られる。その対策として日本では大物OBを企業が抱え込み、社外ロビー活動を行わせてきたわけだ。

 日本社会は、どこまでも「所属」意識がつきまとう。独立したロビイストより、大企業顧問の方が信用されるに違いない。「その人は何者か」ではなく「その人は、どこに勤務する何者なのか」が最重視される。だからこそ我が国ではアメリカのような登録制のロビイストが根付かなかったのではないだろうか。

■アメリカの「ロビイスト」と日本の「コンサルタント」の類似性
 
 似てはいるが、アメリカのロビイストと日本の官僚OBが決定的に異なるのは「カネを引っ張れるかどうか」という点にある。

 業界サイドが議員=政治側に要求を呑ませられるかどうかは、何よりも公共性という見栄えが重要だ。その上で、議員が利益享受を納得するかどうかのシーソーゲームといえるだろう。

 アメリカの政治世界は、日本以上の拝金主義だ。そのロビイストの提案を呑めば、多くのカネが集まるかどうかという判断基準も存在する。全ての政治家が邪な期待感で政策決定に加わっているわけではないだろう。だが当選した議員でも、落選してリベンジを目指す前議員でも、多額の選挙資金を必要とし、実際に調達しているのは事実だ。

 ちなみにアメリカではNPOでさえ自分たちで政治資金を集め、自分たちの政策ビジョンに近い議員へ重点的に配分するところもある。昨日今日始まったことではなく、伝統と呼んで差し支えない。アメリカ風の「合理的な判断」ということでもあるのだろう。

 繰り返すが、日本ではキャリア官僚OBにカネを集める力はない。だからこそ彼らは決定的に職能ロビイストたり得ない。業界団体は議員連盟を抱え、日常的な接触を保っている。しかし団体から差配されるカネは議員たちにとって充分に魅力的──というには足りないのだ。

 そこで議員たちは業界からの政治資金を当てにせず、後援会で有力者を増やし、自分のタニマチになってくれることを望む。この構造が決定的に覆らない限り、議員にとって官僚OBは日本型ロビイストどころか、単なる業界・企業のスポークスマンに過ぎない。

 その間隙を突く格好で、日本でも一般化してきたのが「コンサルタント」だ。我が国では元議員秘書や証券会社OBなど、豊富な人脈を持つ者が独立して開業するというイメージは強い。だが、彼らのリアルな実態や、その仕事ぶりなどは、意外なほど表立って知られてこなかった。

 日本の官庁も、例えばボストン・コンサルティング・グループと組み、特にアメリカ政界におけるロビイングを展開したこともある。70年代から80年代にかけて日本の輸出水準が高かったのに対し、レーガノミックスによる「双子の赤字」を抱えてアメリカの国内経済は疲弊していた。

 結果として日米貿易摩擦という国際問題に発展したわけだが、日本の省庁は外務省というチャンネル以外に、アメリカ系コンサルティング・グループをロビイストとして活用しようとしたのだ。
 
 だが日本ではその後、施策の展開はロビー活動より、パブリシティを重視する傾向が強まる。官庁も電通や博報堂などに仕事を依頼。大手広告代理店がロビー活動の一翼を担うことになった。

 とはいえ両社の活動は世論に対する働きかけを越えることはなく、政治的な周旋活動に及ぶことは少なかった。行われたとしても単発のものであり、継続性と影響力には欠けていた。電通と博報堂は、政治家個々の懐を潤すところまではいかない。そこまで立ち入れる人材を確保していないからだ。

 つまり日本において、深層のロビー活動は常に空白域だったのだ。組織化、職業化されることはなく、個人の力量に託された。だからこそ、山田慶一をはじめとする多くのコンサルタントが立ち現れたのだ。

 少なからぬ企業が自社で天下り官僚を抱え、政治家とのパイプを持ちながらも、それでも全く無名のコンサルタントに仕事を頼らざるを得ないのは、政界にカネを運んで交渉できる人間が社内に存在しないという事情もあっただろう。

 コンサルタントは政界に企業の都合を納得させられる者であり、政治の世界との交渉をカネで解決する者なのだ。その原資は企業にとって帳簿外とするしかない裏金だけではない。「コンサルタント料」という正規の業務委託契約によって表の金として処理できる。おまけに不動産取引のように「手数料は3%」という法律の網もかかっていない。まさに青天井に膨らみうる余地がある、意図を持った者、意図を通す者の双方にとって旨みのある名目となる。

 企業にとっても、コンサルタントという緩衝地帯を経ることで、政治側に対して表面に出ることなく、陰ながらの利益を追求できるという旨みがある。要するに刑法上の贈収賄を回避できることが最大のメリットであるのかもしれない。

 2012年に発覚したオリンパス事件、キヤノンの大分工場誘致をめぐる刑事事件でも、一般には全く無名のコンサルタントの名が浮上したが、そうしたコンサルタントが関与する案件に比べると、山田慶一の場合は担当案件の大きさと数で群を抜いていた。

「8億円をごろごろと」と言われるように山田の元には圧倒的な金が集まり、その資金力を魅力とする多くの政治家が山田を詣でる。企業や利益団体から、どれだけ多くの金を集めるのかという職能を持っている点で、日本でアメリカのロビイストに近い職業はコンサルタントなのだ。

■日本における「フィクサー」と「コンサルタント」と「ロビイスト」

 山田慶一は最も深く政界の懐に入ったコンサルタントといえた。つまり日本で最も有能なコンサルタントなのだ。前回で見て頂いた通り、田中角栄在りし日の「越山会の女王」佐藤昭との親交から、ころころとトップが代わった自民党政権末期も生き延び、そしてゼネコンを筆頭に一流企業の裏人脈に精通していく。

 ある朝、机の上に積まれていた3億円は、夕方になるとなくなってしまった──これは山田の事務所、銀座の大都市政策研究センターでの光景だとされ、私は2012年のことだと聞いた。いわゆる55年体制が終焉を迎えたのは1993年だ。

 3億円の話を聞き、かつて渋谷・南平台にあった岸信介の屋敷で家政婦として詰めていた久保ウメから教えてもらったエピソードが、にわかに脳裏に甦った。自民党総裁選最中のことである。

「奥の金庫に入ってたお金が一晩でぜんぶなくなっちゃったの。政治ってお金がかかるのねえって本当に驚いたわ」

 日本でロビイストの名刺は、まず見ることはない。だが本場のアメリカでも集金力と、そのカネの分配力によってロビイストはロビイストたり得るのだが、山田慶一は多分、日本で唯一ロビイストの条件を満たした人間だろう。

 興味深いことに、日本で「資金力と分配力」と言えば、児玉誉士夫や笹川良一という名前が浮かぶ。彼らはフィクサーと呼ばれることが多かったが、山田をフィクサーと呼ぶ者は数少ない。

 児玉でも笹川でも、どれだけ悪名を轟かせてきたとしても、どこかに「公」という観点は存在した。清濁を併せのんでもなお、「清」と「濁」の両サイドから突き抜けた評価を得られる存在。それが私にとってフィクサーの定義だと思う。

 児玉と笹川は自民党を作った。ロビイスト・山田慶一は自民党に育てられた。しかし山田は常にカネの臭いはすれども、「日本政治に対する滅私奉公」は感じられない。

 確かにロビイストは、特定の者のため、特定の利益を追求するのが職務だ。山田に滅私奉公という観点が欠如しているのは当然のことなのかもしれない。とはいえ、山田の絡む案件=事業には、日本のためになる、社会のためになる、という──たとえ表向きの建前に過ぎなくとも──思惑の欠片さえも伺えなかった。

 数々のプロジェクトで「前捌き金」を集めては、姿を消していく「日本唯一のロビイスト」には、1人の側近がいる。親戚だともされる小柄な男は名を大場というが、彼が自らのボスである山田を評して、こんなことを言った。

「あのやり方は、どこまでいっても金貸しでしょ。金貸しのやり方そのままですよ」

 在日朝鮮人である山田の父親は戦後、銀座界隈で貸金業を営んでいたと伝えられる。山田も若き頃の一時期、父親の背中を見て歩いたという。山田の側近中の側近が評する「金貸しそのままのやり方」でのし上がった人間がロビイストに化けた時、一流企業が見事なまでに手玉に取られていく。次の一件もまさに、そんな手法を象徴していた。

■山田慶一が手玉に取った「ミサワホーム」創業者

 2009年12月31日の大晦日、朝日新聞の社会面トップにこんな見出しが躍った。

『経営返り咲き工作、ミサワホーム創業者が所得隠し 国税局が8億円指摘』

 一部が匿名とされている次の記事は見だし通り、国税による追徴課税をニュースとしたものだが、それ以上の示唆に富む深さを持っていた。

<住宅大手「ミサワホーム」創業者の三沢千代治・元社長(71)と三沢氏の資産管理会社「平成管財」(東京都新宿区)が東京国税局の税務調査を受け、計約8億円の所得隠しを指摘されたことが分かった。保有していた株式の売却益を、赤字だった別の関係会社の利益と仮装して隠したと判断された模様だ。重加算税を含む追徴税額は約3億円に上るとみられる。

 三沢氏側は、売却益約8億円の一部を、東京都内のコンサルタント会社代表(59)に渡したと説明。三沢氏のミサワホームへの復帰を、大株主のトヨタ自動車側に働きかけてもらうための手数料の趣旨だったという。この働きかけはいまだ実現していないとしているが、経済界の水面下の動きの一端が表に出た形だ。

 三沢氏側によると、三沢氏と平成管財は2006年、産業廃棄物処理会社(渋谷区)の株式を売却して約8億円を得た。三沢氏側は、別の資産管理会社「三澤」(新宿区)が実質的に株式を保有していたとして、同社の譲渡益として税務申告した。同社は多額の累積欠損(赤字)を抱えており、これと相殺されたため、課税される所得が発生しなかったという。

 だが、同国税局は税務調査の結果、三沢氏側が自らの売却益を赤字法人のものだったように操作した、と判断したとみられる。

 三沢氏側は「債権者との関係もあり、名義上の保有者を平成管財にしていたが、これはペーパー会社だ。適正に申告しており、問題はない」と争う構えだ。

 東京国税局から所得隠しの指摘を受けた三沢氏側が、ミサワホーム復帰のための手数料として都内のコンサル会社代表に支払った金額は、「5億~7億円」と巨額に上ったとされる。「カリスマ経営者」として知られた三沢氏の経営復帰に対する強い思いの表れともいえるが、期待した大株主のトヨタ自動車首脳との面会などは実現せず、落胆しているという。

 ミサワホームは、バブル期の過大な不動産開発の失敗が原因で経営が悪化。三沢氏は2003年に経営責任を問われて社長を退任し、翌年には名誉会長の座からも追われた。同社は産業再生機構の支援を受けることになり、「トヨタホーム」を傘下に持つトヨタが出資に応じ、ミサワホームの大株主となった。

 三沢氏は1967年に同社を29歳で設立。一代で大手住宅メーカーに育て上げた。パネルの新しい接着方法、南極や中東での住宅建設など、「豊富なアイデアと行動力」(業界関係者)で知られた。

 三沢氏の側近ら関係者の話を総合すると、三沢氏は、「自分の子どものようなもの」である同社に復帰し、再建に尽くしたいと考えていたという。退任後も、株主総会に出席し、最前列に座っていた。

 だが、創業者色を排したい新経営陣が否定的だったほか、トヨタの拒否反応もあったため、会社に戻る道は険しかった。トヨタの豊田章一郎・名誉会長(84)に相談しようとしたが、うまくいかなかったという。

 この局面で、政財界に豊富な人脈を持つとされたコンサル会社代表に頼ることになった。豊田氏との面会の場を設けるなど、ミサワホームへの返り咲きを「おぜん立て」してもらうことを約束したという。その手数料の趣旨で、06年ごろに個人的な資産管理会社「三澤」を通じ、同代表に5億~7億円を支払ったという。

 面会は現在も実現していない。コンサル会社代表は、三沢氏側に「トヨタも経営悪化でそれどころではない」などと伝えてきたという。三沢氏側は「完全に失敗だった。引っかけられた」と話す。豊田氏は、同代表について「知らない。会ったこともない」とコメントしている。

 コンサル会社代表は朝日新聞の取材に「ノーコメント。関係ない」としている>

 お察しの通り、この「コンサル会社代表」こそ、山田慶一だった。記事が大晦日の朝刊に大きく掲載されたため、山田は焦ったのだろう。翌年、三が日が明けるや否や、三沢側との調整に乗り出した。

 東京新宿・パークハイアット東京のラウンジで、三沢側の関係者と頻繁に接触を図るようになる。登場したのは三沢千代治と山田のパイプ役を務めた村野剛彦だ。村野は長く三沢の側近を務め、朝日の記事が掲載された時点ではミサワホーム系の財団法人・住宅都市工学研究所の監事職にあった。

 それでもなお、三沢側は山田の顔を立て、顔色を伺っていた。山田は「私がやっていたのは豊田章一郎ではなく、張さんだから」と抗弁さながらに説いていた。張富士夫は1999年から2005年までトヨタ自動車の第4代社長を務めた。豊田章一郎は初代社長で、就任期間は82年から92年までだった。

 そんな噛み合わないやり取りが続き、結局、話し合いは不調に終わったのだろう。それから約半年後、2016年6月21日付で三沢側の代理人弁護士から1通の内容証明郵便が送達された。宛先はもちろん、「都内のコンサル会社代表」である山田慶一である。

 そこに書かれていたのは、朝日の記事でさえ裸足で逃げ出すような、凄まじいまでの三沢からの〝はぎ取り〟行為の一環が記されていた。

(第10回につづく)