2016年6月23日

【無料連載】『哀しき総会屋・小池隆一』第3回「警告」─「賄賂を払え」との訴訟

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 伊藤忠と三菱重工は約8億円を払え──火力発電所の建設を巡り、2010年7月、ベトナム人エージェント、グエン・チー・タンは、いわば〝賄賂の支払不履行〟を理由に日本有数の商社2社に訴訟を起こした。

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【筆者】田中広美(ジャーナリスト)
【購読記事の文字数】約9800字
【写真】双日株式会社の公式サイトより
(https://www.sojitz.com/jp/)
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 訴訟提起後、全国紙の社会部宛てに封書が届いた。そこにはベトナムで日本企業による汚職工作が行われている旨と、2つの訴訟番号が記されていた。
 横浜地裁 平成22年(ワ)第3604号
 東京地裁 平成22年(ワ)第23300号
 横浜地裁の裁判は、これまでに見てきた伊藤忠と三菱重工が被告となったものだ。
 もう1つの東京地裁の案件は「べトシン国際株式会社」なるエージェントが、やはり手数料の支払いを求めて、日本商社の双日を訴えたものだ。
 いずれも2011年の夏頃に提訴されているが、基本的に2つの裁判は原告と被告が異なり、内容も関連性が乏しい。共通点があるとすれば、たった1つ、ベトナムのエージェントに対する手数料未払いを原因とする日本商社に対する訴訟という点だけだ。
 にもかかわらず、2つの裁判は同じ時期に提訴され、訴訟番号が1枚の紙に記され、封書で新聞社だけでなく、ODAを所管する国際協力機構(JICA)にも送られた。〝タレコミ〟を受け、JICAの斉藤蘭は横浜と東京の両地裁に足を運び、裁判記録を閲覧している。ODAを巡る贈賄まがいのキナ臭い話はJICAとしても、ひいては外務省としても無視できない。
 一体、何が起きていたのか。ここに、その背景を示唆する1通の内容証明郵便がある。2012年4月3日付けで、小池隆一が三菱商事の三枡素生宛てに送ったものだ。そこには、この一連の工作の〝首謀者〟を伺わせる内容がはっきりと記されている。

<前略、平成二十三年四月の始め頃ではなかったかと記憶いたしておりますが、山田慶一氏の赤坂の事務所に呼ばれて、お訪ねした時、英文の契約書と、それを日本語に翻訳した文書を渡され説明を受けました。
 それによると「大手商社の双日株式会社が子会社の双日システムズ株式会社を使ってマネーロンダリングをやっており、そこで裏金をプールしてベトナム政府の高官に贈賄をしている。その裏金作りを裏付ける書類で、子会社の双日システムズ株式会社がベトナムのエージェントであるヴェト・シン国際株式会社に手数料を支払うとき九十%~九十五%をキックバックさせていることの証拠書類です。英文のものですが、日本語に翻訳しておきましたから読んでみて下さい。」
「これを、どこかの新聞か週刊誌に書かせて貰えませんか」とマスコミ掲載工作を依頼されました。
 その際、私が山田氏にお尋ねしたことは二点でした。
 一つは「誰からの依頼でしょうか」という私の質問に山田氏は「三菱商事の三桝素生と金子清志です」と答えました。
 二つ目は「少しお小遣いを渡してやれば、どこか書くところは有ると思いますが、その費用は誰が出すのでしょうか」という私の質問に対して山田氏は「依頼主の三桝と金子です。これは仕事ですから」と答えましたので「三桝さんと金子さんが資金を出すのであれば、支払いに間違いはないのでしょうから、お引受けしましょう」と応じて別れました。
 それから一日~二日経って、私は国際新聞社発行の「国際新聞」の直近の新しい新聞を持って山田氏を訪れ「こんな新聞でも良いのでしょうか」と尋ねたら、「二日~三日返事を待って欲しい、三桝と金子が了解するか、どうか少し時間を下さい」と言われて帰りました。
 二日~三日経過後、山田氏の方から「この新聞は実に面白い、ズバリと痛いところを遠慮なく指摘する、上手いもんですネ」「この新聞に載せて貰えますか」と言われて、指示をされた事は、金子氏直筆の原告ヴェトシン国際株式会社と被告双日株式会社の平成二十三日五月十日の裁判を東京地方裁判所四〇九号法廷で十時四十五分から傍聴に行って取材をしたという形式を取ることを指示されました
 その後、金子清志氏の方から山田氏経由で「こう書いて欲しい」という簡単ではあるが、それがポイントで、それを抜かさないで書けということなのでしょうか、一枚は金子氏直筆で、もう一枚はパソコンか何かで打ち出したもので、合計二枚の原稿も渡されて、国際新聞の平成二十三年六月三十日号ということで、六月十五日前後に三桝素生氏指示の発送先リストも渡されて、それも含めて広範囲に郵送配布致しました。
 その後、二カ月後の八月のお盆も過ぎてから山田氏の事務所を訪ねた時に、山田氏の方から「既に過日に入札は実施されたものだが、一番が双日で、二番が三菱商事であったものだが、一番札の双日の技術審査を双日の工作で四月から六月に延び、さらに七月二十七日に延びていたものを、今回は三菱商事による国際新聞誌に暴露記事掲載工作が効を奏して、双日は当局による摘発を恐れて七月末を待たずに辞退したもので、その結果三菱商事と丸紅の二社のみで再入札ということになったようです」と言いながら、金子清志氏が〇〇〇〇(※筆者の判断で匿名)宛に発信した平成二十三年八月十日付のメールのコピーを渡されました。そして感謝されました。三桝さんも金子さんもたいへんお喜びだと言われました>

 これもODAが絡んでいるが、これまでに見たオモン火力発電所2号機に関わるものではない。同じベトナムでも、北部にあるタイビン火力発電所の入札工作だった。三菱商事の三枡や山田たちはオモンとタイビンを両睨みして工作を行っていた。いや、他にも同時並行で、いくつものODAで受注工作を展開していたのだ。
 金子は中国側へ、次のようなメールを送っている。

< 2011年8月10日14:00
〇〇様
  御無沙汰しております。
  先々月お会いしてからの状況報告です。
  4月から6月に延び、7月末に再度延期されたベトナム案件は、ようやく入札が実施されました。予想された3社ではなく、2社のみの入札です。
  今後数か月(おそらく3から4カ月)の技術審査期間を経て、入札金額がオープンされ受注企業が決定されるものと思います。
  また、各種状況が変化しましたら、ご報告いたします。>

 山田はメディア工作を依頼した人物に、このメールの送信記録を見せ、それが内容証明で触れられることになった。メールの内容を見れば、両者共に思惑には成功していることが分かる。内容証明などという緊迫したやり取りに登場するはずもない。
 それが、どうして対立関係に発展してしまったのか。当然ながら小池の内容証明には「しかし」の文字が記されている。

<しかし、ここまでは私も三桝さんや金子さん、あるいは山田さんの御希望に添うことができて良かったと思っておりましたが、この国際新聞の方への支払いが現在に至るも滞っており済んではおりません>
 
 小池が山田に請求しても、全く支払われない。金子に電話しても出ない。留守電を残しても、社員に伝言を残しても、折り返しの電話はかかってこない。
 あげくの果てに山田から「金子からカネは出ない」と言われてしまう。あくまでも山田の説明ではあるのだが、金子は「山田に多額のカネが渡っているのだから、山田が支払え」と主張しているのだという。そして山田は、まるで他人事のように「もう金子に電話したり、連絡したりするのは止めてほしい」と小池に頼んだ。
 小池は「三枡や金子は山田に金を出資したが、山田が使い込んでしまったのか」とも考えてみた。それとも山田は金子から借金をしているのだろうか? となれば、金子は「借金を返しもしないくせに、なんで国際新聞にカネを払う必要がある。泥棒に負い銭じゃないか!」と怒っても不思議はない……。
 小池に判断はつかなかった。だが、少なくとも山田は小池に対し、国際新聞への掲載工作は三枡と金子が依頼してきたとし、発生する経費は2人が連帯して支払うと説明していたはずだ。小池は内容証明に、次のような嫌味を書く。

<山田氏とお二人がどのような事情に変ったのか、あるいは変らないのか、私は全く知りませんが、依頼を受けた私はきちんと引き受けた役割を果しておるわけですから、そのトバッチリを受けることははなはだ心外でございます>

 とはいっても、事態は深刻だ。冗談で済ませられる話ではない。そこで小池は次のように通告する。

<三桝氏、金子氏、〇〇氏(※筆者の判断で匿名)の三者でのメールでの遣り取りが上手く行っていたものであり、その都度私の方にも送信したメールのコピーがわざわざ私の方にも送られて来ていたものが、突然、急に、あの国際新聞暴露記事以降、全くそれまでの流れが激変して、私はつんぼ桟敷に置かれているわけですが、これでは中国側への私の信用が著しく傷つく事になりますので、私としても、何とか打開しなくてはならないと考え、いくら電話をしても会話が成り立たない状況であれば、止むを得ずお手紙を出すしか方法がありません。
 ぜひとも今後の事を話し合いたいと存じますので、三桝さん、金子さん、山田さん、皆さん打ち揃って、できれば私の方で弁護士先生に依頼致しますので、弁護士先生同席の上でお話し申し上げたいと存じます。ご連絡をお待ち致しております>

 この内容証明郵便は、同様の文面で三菱商事の三桝のほか、金子、そして当然に山田にも配達証明付きで送付されている。しかし、この郵便を送った小池隆一のもとに、連絡がくることはなかった。 

■ベトナム側弁護士が双日の代表取締役・加瀬豊宛てに送った「警告書」

 では、内容証明に登場した「国際新聞」を見てみよう。確かに2011年6月30日付紙面の1面すべてを使い、この双日の裁判を記事化している。週刊誌も裸足で逃げ出すほど、思い切った見出しだ。

<双日 円借款200億で贈収賄工作資金用裏金作り? ベトナムODAで現代版ロッキードか 奇妙な代理店との契約で裁判沙汰>

 ロッキード級の疑獄、と報じるこの新聞が、山田側から提供された「リスト」に従って送付された。送り先は、それこそ実にぬかりがない。
 リストの先頭が三菱商事の社長・小林健になっているのは失笑を禁じ得ないにしても、以下は三井物産の飯島彰己、丸紅の朝田照男、住友商事の加藤進、伊藤忠商事の岡藤正広、双日の加瀬豊、双日システムズの小幡和徳、三菱重工業の大宮英明、IHIの釜和明、日立製作所の中西宏明、東芝の佐々木則夫……といった当時の各社代表取締役の名前が並ぶ。まさに〝関係各位〟にあまねく伝えているわけだ。それに以下の送付先が加わる。

<外務省国際協力局政策課 東京都千代田区霞ヶ関2―2―1
 JICA総務部総合調整課 不正腐敗情報受付窓口 東京都千代田区二番町5―25 二番町センタービル
 東京国税局調査第一部 東京都千代田区大手町1―3―3 大手町合同庁舎3号館>

 ご覧の通り、JICAは「不正腐敗情報受付窓口」で、東京国税局は「調査第一部」だ。素人では想像さえ不可能な部署名を特定している。このあたりは手慣れた雰囲気と、用意周到な印象が強い。
 賄賂の性質が強い工作資金であり、裏の金であるエージェント手数料を巡るトラブルが、裁判という形で表沙汰になったのが異例であることは論を俟たない。更に原告が「ベトナム在住のベトナム人」でありながら、あえて訴訟費用が莫大な額になる日本国内で提起されるのも異様だった。ベトナム人原告は当然ながら、格段に負担の少ないベトナム国内で訴訟を起こすことができたはずだからだ。
 ちなみに日米企業の法的紛争を見ても、米国企業が本国から離れた日本国内で訴訟提起するケースは少ない。圧倒的に本拠地のある米国で訴訟提起する場合がほとんどだ。
 横浜地裁のケースでは、ベトナム人原告による訴訟印紙額だけでも248万円に上る。ベトナム国内の平均年収が日本円にして約20万円。これに鑑みれば、いかにこのエージェントが〝やり手〟であったとしても、およそ平均年収の10年分超に当たる額の印紙代を払ってまで日本国内で裁判を起こしたのは理解に苦しむ。〝取りっぱぐれ〟たエージェント手数料が8億円超なのだから、それぐらいの費用は当然という考えもあるだろうが、裁判なのだから勝てる保証はない。
 加えて、どちらの係争案件も、発生から5〜6年近くが経過していた。だが、2011年になるとほぼ同時に、日本国内で歩調を合わせたかのように訴訟が提起された。山田や三菱商事側の思惑など考えなくとも、ベトナム人の訴訟費用を負担する第3者が存在するのではないかという推測は、否が応にも現実味を増す。
 そして2裁判での訴訟記録をめくれば、ある弁護士の名前が登場する。第1回で触れた内野経一郎だ。両裁判は、ここでも山田=金子=三菱商事・三枡、と1本の筋でつながっていく。
 東京地裁で双日に対する訴訟が起こされて間もなく、ベトナム側弁護士である内野経一郎は、双日の代表取締役・加瀬豊宛てに1通の「警告書」を内容証明郵便で送付した。
 この「警告文」が言及した内容こそ、山田や三菱商事・三枡の狙いがあったのではないか。そこには、山田がこの間、関係者らに吹聴していた計略が、これほどないまでに直截的な表現で記されていた。

<                 警告書

1. 日本政府によるジャイカを通じての円借款によって行わる(原文ママ)事業である国営ベトナム電力傘下カントー火力発電会社が建設するオモン火力発電所2号機建設プロジェクトの入札が10月5日に行われる予定で貴社がこれに応札される予定と仄聞しております。
2. (1)当社は貴社の依頼により貴社のVTV入札のコンサルタントを引き受けました。貴社職員宇土澤秀徳氏が2004年3月15日当社への代理店手数料の支払を文書を以って約束され、一方貴社は2006年4月3日落札を公表しておられます。
   当社代表者の催促メールに対し貴社はメールを以て約束を実質上認めながらも一向に手数料の支払がなされず、
  (2)当社は貴社に対して平成22年6月22日訴を提起し東京地方裁判所平成22年(ワ)23300号として係属係争中であります>

  この警告書はここから一気に本題に切り込む。

<3.ところで円借款事業の為の調達ガイドラインによる応札資格には過去5年間の訴訟情報の申告が求められているようであります。同じベトナムの事業にかかわる同じ円借款に基づく事業にかかわる係争であります故記入もれないよう願います。
4.記入の有無については関係各機関に問い合わせし、あるいは訴訟記録を送付し円借款事業にかかわる貴社の経営姿勢への注意を喚起することがあり得ますこと警告しておきます。
  平成22年9月24日
  東京都港区赤坂六丁目1番地20号 双日株式会社代表取締役 加瀬豊様 
  東京都千代田区九段北四丁目1番5号市ヶ谷法曹ビル505号 東京第一法律事務所
                     電話03―3230―4041
                     FAX03―3230―4050
                  ヴェト・シン国際株式会社代理人
                        弁護士 内野経一郎>

 内野と山田との付き合いは古い。持ち込まれる企業のトラブルなどを、山田は積極的に内野へ斡旋紹介し、山田に東京地検特捜部の手が及べば、内野に弁護を依頼した。
 だが、ここで内野は、あくまでもヴェト・シン国際株式会社の代理人として登場している。山田の代理人として警告書を発送しているわけではない。それを踏まえた上で、次は横浜地裁で提訴された三菱重工と伊藤忠商事が被告の裁判を見て頂こう。すると、ここにもある名前が浮上する。訴状にはこうある。

<……原告は弁護士を通じて被告らに対する交渉を行うべく、韓国弁護士である金賛鎮弁護士及び本訴原告代理人に委任して交渉することとした>

「金賛鎮」は、韓国国内に事務所を構える弁護士だが、山田を知る関係者にとっては、山田の顧問弁護士の1人だ。つまり、東京地裁と横浜地裁で〝偶然〟に同じ時期に提訴されたエージェント手数料を巡る裁判には、やはり〝偶然〟に山田の知人・顧問格の弁護士が関わったわけだ。
 先に触れた、弁護士の内野が双日宛てに送った警告書を思い出して頂きたい。あの中には、わざわざ「円借款事業の為の調達ガイドラインによる応札資格には過去五年間の訴訟情報の申告が求められている」ので、記入漏れをするな、と記されていた。
 弁護士の内野にとっては、訴訟戦略の一環としての「揺さぶり工作」であったとしても、結果として、山田と三菱商事・三枡たちの「狙い」に寄与することは間違いない。「過去五年間の訴訟情報の申告が求められ」ることを考えれば、日本国内で訴訟を抱えることは一種の〝失点〟になりうることが懸念されるはずだ。
 なお、この内野の警告書に対し、被告である双日側の代理人弁護士は、次のように返答している。

<まず、双日がベトナムのオモン火力発電所2号機建設プロジェクトに入札するかどうかは、貴職が代理人をしておられるヴェト・シン国際株式会社(以下「ヴェト・シン社」といいます。)とは何ら関係のない問題であり、ヴェト・シン社が双日に対して警告書を送る趣旨が全く理解できません。(中略)
 因みに、ヴェト・シン社との係争につきましても、ヴェト・シン社からのご請求が、正当な業務にもとづくものかどうかを確認するために、業務内容のご説明をお願いしたにもかかわらず、これに応じていただけないために、やむなく訴訟に発展したものであることをご理解ください。
 なお、警告書においては、双日の業務につき、関係各機関に問い合わせをし、あるいは訴訟記録を送付するなどの行為をされることを示唆しておられますが、万一、ヴェト・シン社が双日の業務を妨害する行為に出る場合には、双日としてもしかるべき法的措置をとらざるを得ませんので、ご承知おき下さい>

 だが先に見たように、この警告書が送付されるのに先立って、既に大手新聞社の社会部や政府の関係各所などには、横浜地裁と東京地裁の2つの係争番号が記された封書が届き、山田は「どこか新聞か雑誌かに書かせてもらえませんか」と、ある人物に依頼していた。
 やはり2つの裁判は「工作」の一環として提起されたものであり、不可分なセットの関係にあったのだ。その根底に山田と三菱商事・三枡の思惑があったことは、山田自身が次のように語っている。
「横浜での裁判は、内野先生からのアドバイスもあって、日本国内では三菱重工や伊藤忠の大手に対する裁判を引受ける弁護士はいないだろうから、韓国の先生からの依頼というかたちで日本国内で引き受ける弁護士を探したほうがいいだろうということになりました。それに、ヴェト・シンの裁判は和解になりますから、和解になりましたら、お金が入りますよ」
 繰り返しになるが、山田は原告ではない。原告側弁護士は極めて山田と親しいのは事実だが、なぜ山田へカネが渡るのか……?

■〝海坊主〟山田への直接取材から浮かび上がったこと

 罠にかかったケダモノの顔とは、まさにこれをいうのだろうか。山田は右目下の、ほのかに興奮からか紅潮した頬の肉をビクッと上へ引きつらせた。
 2013年2月15日午後3時半すぎ。山田を東京・銀座の大都市政策研究センターに訪ね、三菱商事の受注工作のために関与した事実と、その内容を詳細に問うた。山田は、入居する東京都中小企業会館地階のソファーでじっと目を閉じて、答えにならない答えをくり返した。
「裁判について書くのは、これは構いませんよ。でも、60億円の話と裁判はまったく関係ないのではないでしょうか。何か誤解しているのではないでしょうか」
 しかし、山田の懇意の弁護士の内野が双日の社長宛てに送った「警告書」には、オモン火力発電所2号機の入札が迫っているという、山田と三菱商事側の〝都合〟がきっちりと書き込まれていることを告げると、山田はこう繰り返した。
「本当に私は知りません。それがなぜ裁判と?」
 裁判所の訴訟記録に内野の警告書が綴じられていることを告げると、それには一瞬、驚いた表情を見せ、沈黙した。
 警告書は、法廷でのやりとりではない。担当弁護士の内野は双日の社長宛てに直接送付している。双日側弁護士も反論を書き送っている。だから裁判所の外でのやり取りが証拠書類として裁判所に提出されていることを山田は知らなかったのかもしれない。裁判はODAの60億円の分配とは関係ない、決して足は付かない……そんな確信に満ちていたのだろう。
 だが、次の言葉を投げた瞬間、山田ははっきりと顔をこわばらせた。
「そう。東京地裁と横浜地裁の2つの裁判は、たとえ起こされていたとしても誰にもわかりませんよ。しかし、トラブルが起きてからすでに何年も経っているものが、オモン火力発電所の入札を目前にした時期に、同時に日本で起こされた。そもそも、2つの裁判は日本ではなくてベトナム国内で起こされてもいいはずの裁判です。それがわざわざ日本で起こされた。そして、そこには2人の弁護士が絡んでいる。金さんと内野さんだ。2人は、山田さんが極めて親しくしている弁護士であることは、山田さんを知る者ならば、それこそ誰でも知っている。山田さん、あなたはコンサルタントだから、依頼されれば、それに応えるのが仕事でしょう。たとえその仕事を悪くいうものがあっても、それはそれでしょう。あなたはコンサルタントとしての務めを果しただけかもしれない。しかし、それを恃んだのは三菱商事でしょう。頼む者がいなければ頼まれたほうはやらないんだから。山田さん、あなたは2つの裁判は60億円の分配とは関係ないと言う……」
 山田はすでに、60億円の分配は三菱商事の三桝、元社員の金子、そして山田の3人で分配しようとしていたのではないかという問いかけにこう答えていた。
「……それは、そんな簡単じゃないんじゃないでしょうか……。あれだけの金額ですからね……」
 簡単ではない――だからこそ、彼らはわざわざ中国にまで赴き、日本への送金ルートの構築を画策していたのではなかったか。山東省の電力会社(SEPCOⅢ)に〝抱かせた〟ODAの受注額の上積み分の60億円をSEPCOⅢから自分達に還流させ、さらに還流させたものを日本国内に持ち込む……。山田はこうも言った。
「それに、あれは駄目だったんじゃないでしょうか」
 結論はそうだ。しかし、商法の特別背任には未遂罪が存在する。背任を計画した段階で、罪に問われる可能性があるのだ。
 その三菱商事の受注工作を展開した山田は、三菱商事、金子、そして山田本人の誰がその計画の首謀者なのかと詰め寄るたびに、ソファーでじっと目を閉じて、腕を組み、そして沈黙した。そして、次の問いかけるでもない言葉に、頬骨あたりの筋肉が反応した。
「あなたが60億円の分配計画とは関係がないという2つの訴訟が起きた直後、朝日新聞と読売新聞に匿名の投書が届いた。そこには関係ないはずの2つの訴訟の係属番号が記されて、ベトナムでの賄賂工作云々と取材を促すような文言が短く書かれていた。つまり、関係ないはずの2つの訴訟がリンクすることを知っていた人物が送ったんですよ、これは。それは一体誰なのか、ということですよ」
 微かな表情の変化のあと、山田はまるで涅槃のように目を閉じて身じろぎひとつしなくなった。やましさを孕んだ目がありうるとすれば、まさにこれを言うのだろう。その顔相を前に、意図的な投書の実行犯こそは、やはりこの男ではないのか、と確信めいたものが浮かんだ。
 山田はメディア工作を、三菱商事の三枡や金子から請け負っていた。自身の人脈を以て、確実なリークを実現し、取材が行われることで相手は萎縮する──しかし実際には、山田は新聞社の社会部宛てに投書を行うことで済ませていたのだ。
 国際新聞の件で、小池が山田に問い合わせを行うと、「金子から、山田さんのところにはお金がいっぱい行っているんだから、そこから出せばいいじゃないかと言われました」と答えたのは先に見た通りだ。
 だが、朝日と読売、そして国際協力事業団を含めて撒かれた封書の投函にかかる費用は、1通わずか80円である。しかも、この時期に山田は「朝日の○○を取材に行かせています」などと、知名度の高い大物記者の名前を出し、いかにも自分が動かしているかのように吹聴していたのだが、実際には匿名投書の「80円作戦」だったのだ。
 山田は取材内容の細部を出しての問いかけに、沈黙し、目を閉じ、そして再び目を開いて口を動かした。
「いろいろと誤解があるようです」
 地下の共同応接室から一階に上がるまで、山田は執拗にエレベーターに乗るように促した。しかし、階段を上がれば済むわずかな距離を、同じ箱に乗ることを勧める。関係者は山田を「海坊主」とのあだ名をつけていた。そんな男の不敵な笑みは、相当な恐怖を煽られる。
「山田には暴力装置が付いている。とにかく気をつけてくれ」
 そう告げるメディア関係者は多かった。実際、山田の前半生を振り返れば、それは当っていた。
 山田は別れ際、家族関係についても執拗に訊いてきた。そんな笑顔の〝恫喝〟に、これまでの取材人生で何度か遭遇したことがあった。
 山田と二人だけの空間に入ることは危険だ。山田がエレベーターという一つ箱のなかで逆上し、それこそ鶏の首を絞めるかのごとく首に手をかければ、ひとたまりもないだろう、そんな思いがよぎる。
 執拗なエレベーターへの誘いを断り、一階への階段を上がろうとしたとき、白いコートに身を包んだ、女性が私とすれ違い、急ぎ、階下に降りて行った。
 その女性は、やはり三菱商事に勤めていた。今は独立してコンサルタント会社を経営している。「道路に強い」との評判だった。目の細く化粧の行き届いた、そのうりざね顔の女性は、山田の好みと言われていた。
 足早に階下を駆け降りて行った女性は、おそらくたった今、3階の事務所へと上がって行った山田とすれ違ってしまうことになったであろう。
 女性の足取りにはまだ希望の気配があった。
 聞けば、山田は安倍政権のもと、カンボジアで物流の大動脈となる高速道路建設〝プロジェクト〟を推進しているという。その参加料なのか、その女性もすでに山田に金を貸していると言われていた。この女性もまた、山田という大きな筋が大きな仕事に結び付くその日を夢見て、今を生きているのかもしれない。
 雪になるかもしれないと言われたバレンタインデー翌日の銀座で、人々の足取りは早く、空気は一層冷え込んでいるように感じられた。そんななか、山田を追いかけるかのように向かう女の姿が再び甦った。彼女もまた、小池隆一のように、身ぐるみ剥がされなければいいが……。
 山田に関わった者は、気付いた瞬間には、全てを奪われ、路上にぽつねんと放り出される。山田と知りあったゆえに、後半生で地獄の苦しみを味わうことになった小池。その悲しみは当然ながら、他の者と異なるはずがない。

(第4回につづく)

2016年6月16日

【無料連載】『哀しき総会屋・小池隆一』第2回「陰謀─重工、商事、伊藤忠」

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 2009年9月12日、中国東方航空のビジネスクラスに、山田慶一は元三菱商事の金子清志と搭乗、北京へ飛んだ。とある国際入札のため、小池隆一が紹介した中国企業との折衝に臨むためである。小池も成り行きを見守るべく、別ルートで北京へ向かった。

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【筆者】田中広美(ジャーナリスト)
【写真】ベトナム火力発電所の建設を巡り、受注額の「中抜き」を画策したメモ
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 高層ビルが建ち並ぶ北京の街並みは、既に東京やニューヨークに匹敵しつつあった。

 かつての東京オリンピックは、日本を途上国から先進国へ大きく飛躍させ、国際社会に対して敗戦国との負のイメージを払拭した。同じように08年に開かれた北京オリンピックも、そんな国威発揚の証として機能したのだろう。

 オリンピックに合わせて展開された北京市内のインフラ整備は、社会主義国家らしい速効性のある統制が効いたのか、空港から道路網に至るまで、とりわけ公共施設の拡張と展開に瞠目すべきものがあった。真新しく白みの強い、耀く化粧石ばりのコンクリートが空港から市内まで太いネットワークをつなぐ。その脇を高層ビルの回廊が建ち護る。

 だが裏へ回れば、下水とも川とも見分けのつかない淀みから臭気が満ち、土埃が舞う中に小さな小屋が密集し、人々が歓声を上げていた。表通りの世界とは異なる時間を懸命に過ごしている姿がそこにはあったが、そんな場所も、やはりオリンピック以後は少なくなる一方のようだった。

 北京でも有数の高級ホテルとして知られるシャングリラホテルも、裏通りの喧騒が表へ洩れるのを封じるかのように建っていた。しかし木々が豊かな中国風庭園と、流れる水を望む、澄んだガラス張りのロビーの中には、ある不穏な時間が流れていた。程なくそこは陰謀の現場となる。

シャングリラホテルで中国側が抱いた〝小さな懸念〟

 山田慶一と金子清志は、到着した北京空港で中国側が差配した車に乗り込むと、シャングリラホテルへと向かった。

 ホテルに投宿すると、山田らは中国側が用意した宴席に招かれた。明日の朝から折衝が始まる。その前夜祭という位置づけなのか、壮麗な中国装飾に囲まれた個室の円卓を囲み、中国側企業の役員は豪華な中華料理で日本からの賓客をもてなした。

 この時点まで中国側は、金子のことを三菱商事の現役社員だと考えていた。というのも山田は小池に次のように説明し、中国側企業を紹介してくれるように頼んでいたからだ。

「三菱商事がベトナムで受注する案件で、ぜひ中国の企業と手を組みたい。ついては三菱商事の人間を連れて北京にいきたいのだが……」

 当然、小池もそう中国側へ伝えた。中国側にしてみれば、三菱商事の東京本社一行が仕事の依頼で北京にやって来ると考える。だが、その晩、早々と金子の素性を知った中国側に小さな疑念が湧く。中国側企業の担当役員は、小池にその晩、こう洩らしている。

「ちょっと話が違うようだ。三菱商事の人間が来ると聞いていたんだが、金子という人物は元社員だという。現在は三菱の人間ではないようだ。三菱ほどの企業が、大事な事業の案件を自社の人間を同席させず、山田といった外部の人間や、金子といった元社員だけに任せるのだろうか?」

 この後、三菱商事の現役社員は登場する。その国際犯罪まがいのトリックは、中国側企業の懸念をはるかにしのぐ、大胆なものであることが発覚するのだが、今は時系列を追っていこう。

 仲介者ではあるが、自身を裏方と考える小池は宴会に参加しなかった。ホテルの一室でじっと待機していると、中国側から金子の素性について知らされた。当然、小池も「おや?」と思った。

 とはいえ、もう山田も金子も投宿している。明日の朝には中国側企業の代表もホテルに到着する運びだ。今さら山田に「金子は三菱商事の人間ではないのか!?」と詰め寄ったところで、埒が明かないのは目に見えていた。

 ここはともかくも明日を待とう。小池は、そう考えた。

三菱商事と山田、金子が計画した「受注の中抜き」

 翌9月13日の朝、中国側企業の代表の前で、金子はA4のレポート用紙を広げ、自身の考える〝事業スキーム〟の解説を英語で開始した。案件はベトナム南部・メコンデルタ最大の都市であるカントー市・オモンに計画されている火力発電所の受注工作だった。

 山田も金子も三菱商事の社員ではない。にもかかわらず、三菱商事の国際入札の案件を持って歩いている──中国側の疑念をよそに、金子は突き出した腹を、両肩で小さく押さえ込むよう前屈みになりながら、ロビーに据えられた低いテーブルの上に、A4大の用紙を広げた。

 中国有数の政府系企業の代表と役員は、むろん日本との取引は初めてではない。合弁の経験も豊富で、担当役員は日本語も堪能だ。

 レポート用紙を広げた金子は、前は三菱商事に勤務していた。だが、この時は退職しており、不動産やスポーツビジネスのコンサルティングに従事している。

 そして金子の傍らには、山田慶一がどっかと腰を下ろしていた。金子より上背がある。本名は朴慶鎬。

 山田という日本国内での通名は、企業社会では知る人ぞ知る名前だ。80年代以降から今日まで、山田=朴が手掛けた数多くのロビイング活動の際どさと、その〝手腕〟は、これまでほとんど表立って知られることはなかった。

 本人は表に出ることを極端に恐れ、徹底して避けてきた。しかし裏を返せば、表に出ては彼の〝ビジネス〟が成立しないからでもある。

 山田も金子も、共に一般的には無名の存在だ。だが山田の場合は、これまでに度々、その名が出かかったことがあった。直近では08年、日本の大手コンサルの1つ、パシフィックコンサルタンツインターナショナルに東京地検特捜部が捜査のメスを入れた時だった。

 改めて詳述するが、この事件で山田は逮捕直前までいくのだが、寸手のところで逮捕を免れる。このことだけ触れておき、話を元に戻そう。

 金子は担当役員が日本語に堪能なことを知ると、そのスキームを日本語で解説した。その目論見は、次のようなものだ。

 ベトナム・オモン火力発電所の国際入札に当たり、三菱商事〝側〟は中国企業をかませる形で落札を成功させる。金子は「60億円」という額を円ベースで強調してみせた。

 つまり、中国企業側の受注額のうち60億円を、落札の成功報酬として関係者で山分けし、日本国内に運びたいというのだ。

 中国側企業の眼前で、金子はレポート用紙に60億円を「分配」と記す。これは受注を狙う三菱商事側にも一石二鳥だった。

 受注が成功すれば、三菱側に不満はない。単独受注に成功し、その利ザヤがダミー会社に流れたとしても、それで損益は発生しないのだ。

 山田と金子はそこに目をつけ、いわゆる、受注額の中抜きを計画する。そして、もう1人、山田と金子にこの工作を依頼した人物がいる。三菱商事の人間だ。山田と金子が北京の折衝で話を付けてから登場し、後にこの中国側企業にいくつものメールを送信している。

 先に、その一部を抜粋してみよう。

どの会社もお客や政府のトップにお金を配らねばならぬ、必要悪がありますが、日・米・欧の企業は皆尻込みして、どこか中国の一流企業でこの仕事をやってくれる処はないのかと、日本の大手メーカーなどから最近良く聞かれております。

タイやインドネシアやマレーシアでは斯かる専属の土建業者などが育成されているのですが、ベトナムは皆ドル紙幣が好きなのに、五人組的な告げ口組織も変に存在しており、なかなかこの様な業者が育っておりません。

そこででございますが、〇〇さん(※筆者の判断により匿名)がご推薦出来る中国の一流企業でこの様な事が出来る会社を内々ご紹介頂ければ大変有り難いと感じる今日この頃です。

微妙なお話なので、次回お会いした際にでもお話しできればと存じます。

引き続き宜しくお願い申し上げます。

三菱商事(株)重電機輸出ユニットアセアン・南西アジアチーム 三枡

 メールの送信者である「三枡」は、三枡素生のことだ。

 三枡の〝名代〟として山田と金子が北京に現れてから、三菱商事側は執拗に中国側との接点を保ち続けた。しかし当の中国側は、不審な思惑を感じ取り、距離を置いていた。

「中国の企業なら、カネ次第で不正に手を貸すだろう」

 メールには、そんな風に見ている節も感じられる。それが事実だとすれば、随分と我々を見くびったものだ。中国側は、そんな小さな怒りさえ感じていた。

中国側が見抜いた「三菱商事」の真の狙い

 三枡のメールからは、中国企業をかませた受注工作が失敗に終わったこと、外国政府に対する賄賂提供の斡旋依頼が伺える。日本では1998年の不正競争防止法改正により、外国の公務員に対する賄賂提供も日本の国内法規で取り締まりの対象となっている。

 このメールの送信日時は2010年6月2日。折しも同年4月には、贈収賄罪では世界でもっとも厳しいといわれる「2010年英国贈収賄防止法」が成立した直後である。アメリカの海外腐敗行為防止法と並ぶ同法の成立によって、抵触行為が発覚すれば日本など外国籍企業も英米圏の入札から排除され、営業資格を剥奪される危険性もある。法人名のアドレスでやりとりするにはあまりに大胆な内容だった。

 メールに書かれた「政府のトップにお金を配らねばならぬ、必要悪」という直截的すぎるとも思える言葉には失笑を禁じえない。とはいえ、国際入札の現場で商社マンが向き合わされている競走の現実を象徴した、素直な心境とも読める。この時、三枡は「部長代理」の名刺を持っていたのだが、当の中国側は冷ややかに見ていた。

 ことの顛末を、先に明かしてしまおう。この計画は結局、予期せぬ展開によって頓挫してしまった。

 三菱商事が組んだ中国企業の山東電力建設(SEPCOⅢ)は無事に応札したのだが、何と技術審査ではねられてしまったのだ。これは山田や三菱商事側にとっても想定外だった。

 だが三菱商事・三枡側は、その後もベトナムでのODA案件で中国側をかませようと、メールを含めた接触を続けていた。その中で、三枡側に対する不審を抱き続けていた中国側企業は、こう洩らしている。

「どうにも腑に落ちない。三菱商事の重要な案件だと言われ、実際、私が東京に行くと三菱商事の三枡は登場する。だが、どこまでやり取りを続けても、結局、三枡しか出てこないのだ。三枡はたかだか部長代理だろう。三菱商事としての重要案件なら本来、話が進展した段階で担当役員が顔を見せるはずではないのか」

 中国側企業は国内で企業集団を率いるコングロマリットだ。本音のところで、「部長代理風情が」という思いもあったのかもしれない。だが、彼の疑念は充分に首肯できる。

 なぜ三菱商事側は担当役員どころか、部長でさえ一度も顔を見せないのか。三枡しか登場しないやり取りが続く中、中国側はハタとスキームの最終目的に気づく。

「これはもしかすると、60億円の中抜きそのものは、三菱商事としての計画や方針などではなく、三枡や山田らの個人がやろうとしていることではないのか」

 これに先立ち、三枡ら三菱商事側は中国企業をかませたベトナムでの単独受注工作を成功させるため、まさにあの手この手で仕掛けていた。

「60億円中抜き」を成功させようにも、まずは受注しなければ始まらない話だ。そのために、双日、伊藤忠商事、三菱重工業といった企業を巻き込み、驚くべき工作を実行に移す。

山田を潰すと決意した小池

 今一度、彼らが北京に降り立った09年9月に遡る。

 山田と金子が降り立った北京空港の駐車場の影から、2人の男たちの姿を見つめる、もうひとつの背があった。金子は駐車場の柱の陰で、山田と接触する人間を認めた。大柄な山田に比べ、あまりに小さく見えるその背中の主が、後に三菱商事の三枡らに内容証明郵便を送る小池隆一であるとは知るよしもなかった。

 小池は、おそらく世の誰よりも自身の身の振り方をわきまえていた。

 出所後は特に気をつけてきた。かつての事件から、どれだけの時を経ても、自身に対する形容は「総会屋」だ。それを悔やみ、表に出てはならないことを誰よりも分かっていた。禊ぎを終え、なお企業社会にかかわってはならぬと、強く戒めて生きてきた。

「おかしいと思うんです。安倍譲二にしても、ほかのヤクザにしても、本を出すと皆、作家という肩書きになってしまう。私は刑期を終えて出てから20年近く経っているのに、いつまで経っても総会屋と言われ続けなければいけない。その間、なんにも悪いことはしていないのに、私だけはどうして総会屋と言われ続けなければならないんでしょうか」

 小池は、しばしばそう口にする。たとえ、自分の人間性を頼みにしてくれる企業の人間がいても、自分が顔を出せば、再び「あの総会屋が」と言われるのは誰よりもよく分かっていた。それが現実なのだ。まっとうに生きようとする精紳がたとえ本物でも、日本社会と世間は許容しないという思いも強くあった。

 それゆえ、人を紹介して欲しいと頼まれれば、断る理由がなければ応対はする。だが決して金銭のようなものを受け取ることはなかった。絶対に拒絶してきた。強く自身を律しなければ、必ず「あの総会屋が……」と後ろ指を指されてしまう。

 だから今回、山田から「三菱商事の案件で、三菱商事の人間と共に北京に行きたいのだが」と相談を受けた時、商事という〝真っ当な〟企業人の前に、自分が姿を見せるわけにはいかないと判断したのだ。

 そして小池は、金子と山田の2人が無事に中国側の迎えのクルマに乗り込んだのを駐車場の柱の陰から見届けた上で、自身もシャングリラホテルへと向かった。中国側に紹介する都合上、同じホテルでなければならなかったが、決して〝三菱商事〟側と接触するわけにはいかない。

 だが、その後、三菱商事の三枡と山田たちの不可解な行動に不審を募らせた小池は、遂に関係者を呼び集めた席に乗り込む。2010年6月25日のことだ。山田、金子、そして三菱商事の三枡の3人と、小池は対峙する。

「三桝さん、あんたは三菱商事の人間じゃないのか。あんたは三菱商事のためにこのベトナムの案件もやっているんじゃないのか。三菱商事の人間がこんなことをやって許されるのか」

 三桝は答える。

「私どもは山田組の一員ですから。山田組長のためにやってるようなもんですよ。山田さんを儲けさせるためにやっているんですよ」

 それは「語るに落ちた」返答だった。

(なるほど。当初からすべては山田とその一味が濡れ手に粟で、ODAのカネを中抜きしようとする、そういう腹だったのだな。その思惑に利用されてしまった。これは聞かされた通りに、三菱商事の仕事として仲介した中国側に恥をかかせ、とんだ迷惑をかけることになってしまった)

 同時に、ある条文が浮かんだ。商法第488条、特別背任未遂罪……。特別背任には未遂罪がある。

(山田のみならず、三菱商事の三桝は危険な橋を渡っている。ODAの受注というまっとうなビジネスとはかけ離れた陰謀をめぐらしているのだ。)

 これは犯罪になりうる――そう確信する。小池が山田慶一という人物の軌跡を追跡する腹を括ったのは、あるいはその瞬間であったのかもしれない。

 しばしば好んで禅を語る小池の哲学を踏まえれば、彼がついに、不退転を決意した〝慧可断譬〟の境地に達したのだった。小池は決意する。

「駄目だね。トラックにお金を積んできたって駄目だ。山田は社会悪だ。私はあの悪事のすべてを看過しない。これはお金の問題じゃない。私が人生を賭けて葬るべき社会悪の問題だ」

ベトナムODAで伊藤忠と三菱重工の「裏工作」と「三菱商事」の〝暗躍〟

 北京・シャングリラホテルでの一件に先立つ09年6月、小田急線代々木上原駅からほど近い高級住宅地、西原にある白いメゾネットタイプの一軒の住宅に一人のジャーナリストが呼ばれた。招いた人物は、その住宅を個人のコンサルティング会社「環境計画研究会」の事務所兼自宅として登記している山田慶一である。

 やたらと広いリビングには巨大な巻き貝のような音響機器が置かれ、そのさらに奥、台所に置かれたテーブルに2人の男が座っていた。元三菱商事の金子清志と三菱商事社員の三桝素生である。

 ジャーナリストは、その白い住宅を過去に何度か取材目的で訪れたことがあった。しかし、山田の自宅としてではなく、ある経済事件の関係者宅としてであった。かつてそこは、自民党の代議士、故・加藤六月の親族が所有する物件だったのだ。

 果してどのような経緯でそこが山田の持ち物となったのかは不明だったが、不動産登記を上げれば、その抵当権の経歴は凄まじく、山田が〝経営〟する「環境計画研究会」がボロボロの状態であることは明白だった。

 山田を知る関係者によれば、環境計画研究会名ではすでに法人としての信頼はまったくなきに等しく、山田が運転手に預けて乗っている自家用車のオートローンさえ、09年時点で、法人名義ではローンを組めない有様だった。
山田のようなコンサルティング会社経営者は日本には数多存在し、キヤノンの大分工場誘致、あるいはオリンパスの粉飾決算事件など、司直の手が入った折々に、その存在が知られることがある。

 いわゆるこうした経営コンサルが独立して業を営む以前の前職は元銀行マンであったり、元証券マンであったりと様々だが、いずれにしても大きな筋が縦横無尽に入り組んだ、熱帯雨林に巨大に張ったクモの巣のような壮大な人脈図を持った人間でなければ成立しない稼業であることは間違いない。

「環境計画研究会」の山田こそは、こうしたコンサル業界のなかでも、ひときわ異彩を放つ人物であり、山田を知った者が〝山田商法〟とさえ呼ぶその手腕については後述するが、あの東京地検特捜部の眼をも欺くのだ。

 金子と三桝、そして山田の3人は、ジャーナリストが席に着くなり話を切り出した。金子に促された三菱商事の三桝は、ベトナムの国際入札に関する話を始めたが、まったく同じ話が、数年後に横浜地裁で起こされたある裁判の訴状にも認められることになる。

 このとき、三菱商事の三桝は「情報提供(リーク)」しただけでなく、数年後の訴状で被告となる関係者の名前を挙げ、「取材をかけて欲しい」と頼んだのである。

 だが、この話は09年の時点で取材されることはなかった。それどころか、逆にジャーナリストは金子、三枡、山田の3人の動きは極めて怪しいと、あるルートを通じて東京地検の感触を探り、警視庁の捜査員と情報交換を行った。

 リークには必ず意図がある。むろん、それでも取材すべき案件があるのも確かだ。しかし、山田たちのリークは、意図の背景があまりに濃い霧に包まれていた。ただ利用されるだけでなく、場合によっては犯罪行為に加担させられる危険性さえ存在する。

 この時点でジャーナリストが狙ったことは、特捜部や警視庁が長年マークしても落としきれなかった山田と、山田商法の周辺を立ち回る金子の動きを掴み、当局と情報交換することにあった。

 警察当局も、山田には強い関心を持っていた。何しろ巨額の資金が流れこみながらも、国税の査察でさえ〝ブラックボックス〟が解明できず、山田の現金がどこに流れているのか不明な点が多かったからだ。

 億単位のコンサル料を企業から得ておきながら、山田は表向き、いつも金に枯渇していた。東京地検、警察庁、警視庁、国税庁、多くの〝当局〟に、山田慶一こと朴慶鎬に関心を持つ者がいた。山田が在日であることから、現金の運搬ルートにも注目が集まっていた。

 ジャーナリストは、もちろん山田たちの前では協力者を装った。そして三菱商事の三枡が「取材をかけてほしい」と名前を挙げた2人の日本人について強い興味を持った。もちろん、山田たちに対しては関心がないふりをすることも忘れなかった。

 その日は土曜で休日だったのだろう。スラックスにシャツという私服姿の三枡が口にしたのは、ODA関連入札を巡る日本からベトナムへの裏金でトラブルが発生したことについてだった。その詳細は、まさに次の訴状の文面と寸分たがわぬものだった。

 2001年3月、日本政府は、ベトナム政府に対して、ベトナム最南部・メコンデルタ地区に30万キロワットの油・ガス焚火力発電所であるオモン1号機の開発・建設(以下、「本件プロジェクト」とも言う。)について、ODA(円借款)を供与した。
2003年2月15日、事前資格審査を経た後、下記4グループが本件プロジェクトに関する入札に参加し(略)た

 4グループとは、以下の顔ぶれになる。

①裁判で被告となった三菱重工と、訴外の三菱商事
②いずれも訴外の三井物産、石川島播磨重工業、アルストム社(フランス)
③訴外の住友商事
④裁判で被告となった伊藤忠と、いずれも訴外の富士電機、三井バブコック

 この入札では「2封筒」方式が採られたのだという。まず「技術札」を提出し、発電所の仕様などについて評価を受ける。これに合格したグループだけが、設計・建設費用などを計上した「商務札」を提出する資格が与えられるわけだ。訴状に戻る。

なお、被告三菱重工は、前記フーミー1号機(※筆者注・背景については後述)の案件においても前記の通り横浜本社内の原動機事業本部が主に担当していたところ、本件においても同様に同部が担当していた。2003年4月、技術札に関する評価レポートが作成された。このレポートの中で、被告伊藤忠グループの技術札につき種々の不備が指摘され、2003年後半には、本件プロジェクトの入札について同グループの失格が実質的に確定し、次段階に進めないことが明らかとなった

 伊藤忠は2003年後半には、入札の失格を確信したのだという。そこで方針を転換し、三菱重工と協力しながらプロジェクトに関与する道を探る。

 これは三菱重工側にも悪い話ではなかったようだ。自分たちが1番手でないことは認識しており、このままでは安い額を入札したグループに落札されてしまう。ならばベトナム政府に働きかけ、自分たちの技術に対する評価を上げさせ、更に自分たちの入札価格に合致するよう予算を引きあげさせる必要があると考えたのだ。

 こうして伊藤忠と三菱重工は接近を果たす。その背景として訴状は、

被告伊藤忠の平野和也部長代理が、前記フーミー1号機発電所プロジェクト以来、被告三菱重工の矢野洋主任と懇意であり、かつ、両名共に、原告のことを知悉していたことが影響している。すなわち、平野部長代理が被告三菱重工に接近して、原告を本件プロジェクトのためのエージェントに起用しようと進言したのである。ここに、被告らが原告に対し、エージェント業務を依頼する素地が形成されたわけである

と指摘している。

 そして三菱商事の三枡が、ジャーナリストに「取材をかけて欲しい」と依頼した「2人の日本人」こそ、ここに登場した伊藤忠商事の平野和也と三菱重工の矢野洋だった。三枡は2人の家族関係や経済状況、出身大学を含めた人間関係の背景までをもジャーナリストに説明した。おそらく三桝自身が両人と親しい時期があったのだろう。

 ジャーナリストは三枡の話を聞きながら、「なぜ三菱グループでありながら、重工は伊藤忠と組んだのか」という疑問についても、訴状は明確に繙いている。そして彼らが受注に向けて頼みとしたベトナム人エージェントが、グエン・チー・タンだ。

 グエンが原告となり、伊藤忠商事と三菱重工業を訴えたのが2010年7月6日。三桝がジャーナリストに平野と矢野の名前を挙げ、「取材をかけて欲しい」と告げてから約1年後のことになる。

 原告のベトナム人であるグエン・チー・タンは、訴状では

グエン・タン・ズン首相の側近である政府関係者と緊密な関係を築いている者である

と少々、迂遠な言い回しになっているが、三枡によるとベトナム人エージェントは首相の甥っ子であるらしい。

 この時点で三枡は、首相の甥っ子であり、ベトナムでコンサルティング業を営むグエン・チー・タンから詳細な情報を得ていたのであろう。なぜならば、三枡は伊藤忠の平野と重工の矢野がトラブルを引き起こした紛れもない物証である「工作手数料」の支払い確約書を山田に提供し、各方面に流布させるからだ。

 三枡が山田にもたらした「英文のレター」は、この横浜地裁での裁判でも原告側の証拠資料として提出され、次のように説明されている。

 被告三菱重工の矢野主任及び被告伊藤忠の平野部長代理は、エージェント業務を原告に依頼すべく、原告に面会を求めてきた。両名の行為は、2004年初めから行われ、同年2月10日前後、矢野主任及び平野部長代理は、原告及び通訳(ベトナム語及び英語)と、ホーチミン市内で面会し、エージェント業務の依頼を行った。原告が矢野主任に会う場合は必ず平野部長代理も同席していた。

 会合の場所は、ソフィテル・サイゴン・ホテル、シェラトン・ホテル、タイ・バン・ルン通りの日本食レストランなどであった。

 被告三菱重工及び被告伊藤忠は、最終的に、矢野主任及び平野部長代理を通じて、2004年2月10日前後の複数回の会合の中で、被告三菱重工が本件オモン1号機プロジェクトを受注できた場合には、被告らは原告に対し、エージェント業務の手数料として、契約金額の2パーセントを支払う旨の合意を交わした。

 その上で、同年2月20日頃、今度は平野部長代理が原告に面会して、被告三菱重工が原告に対し、上記の合意内容に基づいてエージェント業務の手数料として契約金額の2パーセントを支払う旨記載し、これに矢野主任が自著した同日付の平野部長代理宛てレターを原告に示した。その上で、平野部長代理は、原告に対し、同レターの写しを交付した。

 同レター交付後は、主として平野部長代理が原告との対応を行ない、また、原告との日常の接触は、被告伊藤忠のホーチミン事務所に所属する機械・プロジェクト部のマネージャーであるグエン・クアン・タング氏(以下、「タング・マネージャー」という)が行った。なお、上記の矢野主任、平野部長代理及び原告との面談は、上記レターの作成日前後に、最低6回行われている

(※編集部註:数字の半角化、改行など、原文に一部手を加えた)

「エージェント手数料」といえば聞こえがいいが、要は受注工作のための賄賂という側面が少なくない。あるいは政界工作のための資金工作といった主旨だろう。三菱商事の三桝が中国人に宛てたメールには、ずばりその意図が明記されていたのは前に触れた通りだ。

 三菱重工と伊藤忠を相手にエージェント手数料の支払いを求めて訴えた原告のグエン・チー・タンもまた、首相の親族というまさに最適な環境を背景に、こうした日本企業相手のコンサルティング業務を行っていたのだろう。

 ちなみに、この英文レターの翻訳も原告側によって裁判所に提出されているが、それによれば、日本文内容は次のようなものだ。

2004年2月20日 平野和也殿
拝啓
EVN(ベトナム電力庁)・ベトナム・オモン火力発電プロジェクトの件
我々のグエン・チー・タン氏との共同事業の確認に関して

我々並びに我々とグエン・チー・タン(NCT)氏との間において、これ迄実施した打合わせに関連して、私、矢野洋は、ここに最初に記した日付にて、我々とNCTとの頭書プロジェクトの共同事業に関して同意すると共に、NCTの仕事を通じて当社が同プロジェクトを受注した暁には、当社は(当該プロジェクトの)契約金額の2パーセントをNCT若しくは同氏の指定する関係者、譲受人若しくは代理人に支払うべき旨を確認致します。
敬具
署名 矢野洋

 当然、右記述の通り、支払いが行われていればトラブルは発覚せずに済んだのだろうが、この約束が履行されなかったために、横浜地裁で訴訟が起きたというわけだ。

 当初、伊藤忠と三菱重工は英文レターの存在を否定していたが、裁判途中からは認めた。その上で、ベトナムの国内法規を準用した場合には、原告ベトナム人による支払い請求権そのものが時効になっている旨の主張に切り替え、裁判が進展した。

 日本のODA援助による世界各地の事業を、日本企業が受注することそのものは責められるべきはずはない。だがODAは日本国民の税金から支出されている。国民心情を汲んだ表現ならば「血税」に他ならない。

 日本の商社やメーカーが海外で受注するODA案件は、結局のところ我々の公共事業だ、との認識があってもおかしくない。ここに登場する日本企業の利潤は、日本人の税金そのものなのだ。にもかかわらず、その「2パーセント」を工作資金、ないしは報酬として現地にばら撒くという〝商慣行〟が横行していることに驚かされる。何より原告のベトナム人が支払いを求めた「2パーセント」は日本円にして、実に8億2062万8100円にも上るのだ。

 もちろん、そんなことは商社にとって常識の範疇であり、アジアやアフリカなどの途上国では日常的風景であったとしても、こうした形で訴訟が日本国内で提起され、公判を通して露わになった事態は異例中の異例と言えた。

 だが、三菱商事や山田たちは、この〝ツボ〟を逆手に取ったのである。つまり、これは仕組まれた訴訟だったのだ。

(第3回へつづく)