2016年8月5日

【無料連載】『哀しき総会屋・小池隆一』第6回「流儀」

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 小池隆一がメディアの取材に応じ、その発言が報じられたのは1997年の逮捕直前だった。

 具体的には産経新聞の3月26日朝刊になる。第1社会面に掲載された『野村証券利益供与事件 総会屋と一問一答』を見てみよう。

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【筆者】田中広美(ジャーナリスト)
【購読記事の文字数】8000字
【写真】野村・一勧事件で記者会見する第一勧業銀行の藤田一郎新頭取、近藤克彦頭取、奥田正司会長、摩尼義晴新会長(※右から=1997年05月23日、産経新聞社撮影)
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<親族企業に野村証券から利益供与を受けたとされる小池隆一代表は今月中旬、東京都内で産経新聞の取材に応じ、次のように話した。

 野村証券が利益供与を図ったとされることについて、「基本的には私の取引じゃないので、よく分からない。弟の会社の証券投資の一環で、私は株主でも役員でもない」とした。

 しかし、一任勘定取引については、「一任勘定取引を始めたのは平成元年くらいから、(弟が)個人の名前でやっていたときのことだろう。当時、(一任勘定取引は)違法という認識はまったくなかったし、すべてが一任勘定だったわけではない。独自の判断で売買したが、相場観が悪かったから損が出てきて、中には気の毒だからということで、一任勘定的なものもあったんだろう」と取引自体が過去あったことを認めた。

 野村証券との関係については、「商法改正前には確かに深い付き合いはあったが、改正後はほとんど出入りしていない」と発言、田淵節也顧問、田淵義久相談役との付き合いは「一切ない」としたが、総務担当の藤倉信孝前常務とは「一度くらいどこかで会ったことはあるだろう」と面識があることを認めた>

「一任勘定取引」とは耳慣れない言葉だ。しかし例えば98年に大きな話題となった、衆院議員、故・新井将敬(自民党→自由党→新進党→無所属・東京4区)の自殺事件も、この一任勘定取引が絡んでいたとされる。

 ちなみに新井の事件と野村証券は全く関係がなく、新井側の舞台は日興證券(現・SMBC日興証券)だ。同社からの利益供与疑惑など一連の証券スキャンダルが発覚。検察当局からの追及も受けていたという。自民党や新進党などで常に将来を嘱望されていた新井氏は潔白を主張しながら、東京・高輪のパンパシフィックホテルで首を吊った。

 この一任勘定とは、証券会社に預けた金での運用が前提なのは論を俟たないが、通常の取引と異なるのは「必ず収益を上げる」という〝暗黙のルール〟が存在したことだ。そのため仮に運用で損益が発生すれば、証券会社は「利益を付け替える」必要に迫られた。預ける側は「一切合切」を証券会社に任せるという意味もあって「一任」と表現されたわけだが、証券会社は政治家など大切な顧客の窓口として機能させてきたのだ。

 97年の野村証券事件や、あるいは98年の新井将敬自殺などが起きても、一任勘定取引という言葉は大手を振って表通りを闊歩していたわけではなかった。しかし証券会社の、特に「総務屋」と呼ばれる総務担当者の間では当然、知らぬ者はなかった。いや、もし知らない総務屋がいたのならモグリと言われかねない時代風潮が残っていた。

 小池が逮捕された野村証券や第一勧業銀行(現・みずほホールディングス)などの事件でも、企業側の逮捕者には「総務屋」が多く含まれていた。いや、経営トップ陣も含め、逮捕者の大半を総務屋が占めたとみるべきだろう。

■「総務屋絶頂期」の航空業界と小池の〝蜜月〟

 では「総会屋」ではなく、こうした「総務屋」は常々、どのような仕事を行っていたのだろうか。

 もちろん小池も、往時は総務屋と行動を共にしていた。

 例えば日航や全日空だ。格安航空会社が新規参入して競争が活発になってきた昨今では想像もつかないが、日本の航空業界における80〜90年代とは、国策会社に等しい日本航空が〝ガリバー〟として君臨し、それに挑む全日空も業績伸長を果たした時代、と見ることができる。

 航空業界全体のパイが拡大していく。このような時期こそ、総会屋と総務屋の出番だ。企業がイケイケドンドンで伸び盛りの時に総務屋の役目は重要性を増す。

 もともと総会屋と総務屋は心理的に一体化しやすい。与党総会屋と総務屋のコンビを見ればすぐ分かる。だが、それだけでなく、高度経済成長を経て日本経済が急伸し、企業が成長していく過程で、むしろ「総務屋=企業側」が総会屋を必要とした面もある。こうした〝時代ニーズ〟が存在した点は絶対に忘れてはならない。

 特に当時の日航は小池に限らず、多くの総会屋を世界規模のネットワークを活かして接待した。こうなると全日空は分が悪い。何しろ日航は世界中の名所へファーストクラスを使って接待したのだ。

 ヨーロッパを小池と回った際、ノルウェーのフィヨルドがとりわけ印象深かったと振り返ったことがある。

「一体どうして、あんな地形ができるのかと思うくらいなんですよ。地形が凹凸して入り組んでいて、そこに海の水が入っているんだけれども、船で奥まで入っていけるんですね。上をみると、もうほとんどが切り立った崖にしか見えないくらい鋭く削られていてね。昔の氷河で削られたそうなんですけど、こんなに鋭く抉れるものかというくらいね。それで崖の下まで船で行けるんだけれども、船の縁から下を覗き込むと、これがまた波一つない水がどこまでも澄んでいて、どこまでも下が見えるんですよ。まるで水面がないみたいに透明でね。崖がずーとずーっと下まで、どこまでも切り立って落ちて行くのが、どこまでも見えるんですよ。もう怖いくらいにね。空から落ちて行くみたいな感覚になるんですよ」

 今は世界遺産でも、風光明媚なリゾート地でも日本人で溢れている。退職金を手にした元サラリーマンと、その妻という2人組が一般的だろうか。

 しかし小池がフィヨルドを自分の眼で見たのは、誰でも、どこでも手軽に旅行ができる時代より、ずっと前のことだ。その頃にフィヨルドの光景を語ることができたのは、よほど辺境に惹かれた商社の駐在員か外交官かという話である。

 総務屋も総会屋も、こんな鷹揚な時代が未来永劫に続くとは、さすがに思っていなかったかもしれない。だが、終焉は予想より早く訪れたというのは本音だった可能性はある。この後、小池自身を含め、彼らを取り巻く状況はまさに乱世となる。時代が急速に「鷹揚さ」を許さなくなっていくのだ。

■いまだに残る謎──総会屋と第一勧業銀行の「たすき掛け人事」の関係

 週刊誌『AERA』(朝日新聞出版)97年6月16日号に掲載された『抗争に総会屋使う第一勧業の過去 総務担当役員ら逮捕』の記事は非常に興味深い。

 記事には署名があり、「尾木和晴」となっている。後にAERA編集長を務めた尾木和晴が執筆したものだと分かる。

 それはともかく、記事のリードは次のような具合だ。

<一勧は総会屋や右翼の子弟まで「預金」している。総会屋は「人事介入」を担保に、子弟の採用を利息として、トップとのなれ合いを深めた>

 続く書き出しを見てみよう。

<第一勧業銀行の総務部関係者四人が逮捕された五日、ある行員は複雑な心境だったろう。行員の父親は、名前の知れた右翼団体の代表者。かつて同行総務部には足繁く通っていた。この行員は、有名私大を卒業後、一九八八年に入行。支店を経て現在は本店で勤務している。同僚の一人は、「これも人事的な利益供与ですよ。これまでにも、総会屋の娘を採用したり、ウチではいままでにいくらでもあった」と指摘している。こうした指摘に当人は、「生保や銀行という金融機関を中心に就職活動をした。父親が右翼だといって、私はコネ入社ではないと信じている。他の都銀にも総会屋の子弟はいますよ」と反論する。第一勧銀広報部では、「この件でコメントは一切できません」と拒否しているが、このような採用の例は、他の企業にも多いことが分かった。第一勧銀や野村証券に大きな影響力を持った総会屋の木島力也氏(故人)の長男は現在、神戸製鋼所に勤務していることが分かっている。また長女は九一年まで、三菱地所に勤務していた。総会屋の小池隆一容疑者(五四)と野村証券の武士二郎元常務、広域暴力団幹部が住んでいる都内の億ションは、三菱地所が分譲した。三菱地所の高木丈太郎会長は、かつて総務部長を経験し、木島氏とも親しかったといわれている>

 木島力也──小池の実質的な師匠にあたる人物である。

 この第一勧銀事件では、ノンバンクを迂回して小池に融資された約110億円が利益供与の商法違反にあたるとし、当時の担当常務と総務部長、そして2人の総務部副部長が東京地検に逮捕されている。

 逮捕された彼らが「総務屋」であることは明白だが、AERAの記事は彼ら4人を引き立てたのは木島だったと指摘している。それほどの影響力を行使できたのは、何が原点だったのか。更に記事を見てみよう。

<木島氏が第一勧銀に関わったのは七一年、第一銀行と日本勧業銀行の合併時にさかのぼる。合併時に第一銀行の井上馨会長が総務部長だった頃、木島氏との交流が始まったといわれている。

 第一銀行は日本勧銀との合併前、三菱銀行との合併話があった。だが、当時の長谷川重三郎頭取が進めていた話に井上会長が猛然と反対した。

 戦前、第一銀行は三井銀行と一緒になって帝国銀行となっていた。戦後、財閥系の三井側とうまくいかず、分裂した経緯があったため、財閥系の三菱銀行との合併は懸念していたといわれている。

 総会屋によれば、井上側についた木島氏は、激しく長谷川頭取をはじめとする合併推進派を攻撃するようになる。

 井上会長は、「相手のプラス情報などいらない。マイナス材料があればすぐに持ってこい」と木島氏に限らず、嶋崎栄治氏(故人)など出入りしていた総会屋に檄を飛ばしたという。

 結局、三菱銀行との合併はご破算になり、財閥色の薄い日本勧銀との合併となる。井上会長は、頭取に復帰して、合併推進派の役員を事実上、解任するという強硬策に出た>

 確かに、これだけの恩義があれば、頭は上がらないに違いない。記事によると、当時の第一勧銀は例えば、取締役候補の選考にも、総会屋の評価が反映されることがあったのだという。さすがに未来の頭取候補に威光を発揮させることはなかったが、<ボーダーライン上>の場合は生殺与奪の権を握るケースもあったようだ。

 70年代後半の都銀は、数千人の総会屋、右翼などを出入りさせ、毎月1億円の賛助金を払っていたという。「使途秘匿金」といった裏金ではなく、帳簿に顕れる立派な表の金だ。

 ところが78年、第一勧銀は総会屋に「絶縁宣言」を通告する。賛助金のカットを表明したのだ。AERAの記事によると、第一勧銀が総会屋との縁を絶ちきろうとしたのは、やはり株主総会が原因だったようだ。同年6月の総会で与党側であるはずの総会屋が立ちあがって演説を始めたのだ。

 内容に攻撃性はなく、混乱は起きなかった。それでも第一勧銀の「総務屋」たちは「与党でも、やはり総会屋は何をするか分からない」とショックを受けたという。

 それでも結局、真の忠誠を誓う総会屋とは結びつきを深めたというのだから、本当の意味での絶縁ではなかった。AERAは第一勧業銀行の合併母体である「第一」と「勧銀」の出身者が会長と頭取を交互に務める「たすき掛け人事」が<必要以上に総会屋からの攻撃材料を気にする>ようにさせたと指摘している。そこに<木島氏やその後の小池氏がうまく食い込んでいった素地>があったという。

 確かに「素地」の1つであったことは間違いない。だが、それが総会屋側から見て、どれだけ旨みのある〝隙〟でありえたのかは、実のところ未だに判然とはしていない。事実として断言できるのは、そのたすき掛け人事が繰り返された果てに、小池が逮捕されたということだけだ。

■建物として存在しているわけではなかった「小甚ビルディング」

 この第一勧業事件で、銀行の危機的状況を救うべく、世直しならぬ「企業直し」を前面に押しだした「4人組」が登場する。広報部を中心としたメンバーで、いずれも当時は中堅の行員に過ぎなかった。その中には作家に転身した江上剛と、西武ホールディングスのトップに就いた後藤高志がいる。

 後に江上剛は、月刊誌の『文藝春秋』に当時を振り返った原稿を寄稿したことがあった。それを目にした小池は、こう言った。

「私が現役の頃、もちろん小畠さん(註:江上剛氏の本名)の名前は聞いたことがありませんでしたね。だって小畠という方は、広報の人でしょ。私らは広報と付き合っていたわけではないから。それに寄稿では『小甚ビルディングに担保以上の過剰融資をした』ことが問題だ、みたいな書かれ方をしていたけれども、だって、過剰融資も何も、そもそも小甚ビルなんていうビルも建物も、そんなものもないんですよ。いわゆる担保価値以上に貸し付けるオーバーローンみたいな指摘だけれども、でも、そこからして間違っていますよ。そもそも担保なんてないんだから」

 これに続く小池の説明には、目から鱗どころか、いかに世に定着した逸話なるものが信用ならないかという驚きを禁じ得なかった。小池が逮捕された時に事件の〝舞台〟とされた「小甚ビルディング」は、あくまでも法人名であり、あるいはその不動産物件そのものを喚起させうる名前のビルは存在しなかったのだ。

 念のため、それなりの配慮を示した記事を引用しておこう。99年9月8日の朝日新聞夕刊に掲載された『利益供与で一勧元会長に有罪判決 東京地裁「最も重い役割」指摘』の記事だ。ここに、

<判決によると、奥田元会長は他の元幹部らと共謀して九四年七月から九六年九月にかけ、同行の株主である小池元代表の親族企業「小甚ビルディング」あてに、系列ノンバンクを通じて総額百十七億八千二百万円をう回融資し、利益を提供した>

 とある。あくまで「小甚ビルディング」は「企業」と記述されているのだ。

 だが、企業犯罪を追及する側から見れば、そのために一層、性質の悪い総会屋と映ったかもしれない。何しろ、わざわざ企業名に「ビル」などという言葉を付けているのだ。単なる法人名を、あたかも現実に存在するかのような不動産に偽装した、と判断されても仕方ないだろう。

 そして、この「小甚ビルディング」という法人名が、その後の小池に、どれほどの影響を与えただろうか。これまで小池は事件の舞台裏などをメディアに語ることは一切なく、ひたすら記者たちとの接触を断って生きてきた。

 事件の本筋は当然ながら、枝葉のエピソードに至るまで、自分からは何も明かさない。検察が作成し、小池が納得した調書が裁判所に提出されただけだ。それは公判維持に大きく寄与しただけでなく、数多の企業関係者を救ってもいた。何しろ企業側の「言い分」を小池は一切否定せず、全てを追認・黙認したからだ。

 そもそも小池は逮捕当初から、全く抗弁しない覚悟を決めていた。2004年から06年まで検事総長を務めた松尾邦弘は、小池の取り調べ時は東京地検の次席検事だった。

 小池の公判が始まる頃だ、ある人間を通じて小池の元に〝松尾検事からのメッセージ〟が届いた。

「小池さん、次席から『喋らないでくれ』って頼まれました」

 勘の早い小池は、その一言で了解した。

「分かってるよ、と伝えておいてくれ」

 小池は、もともと政治力の高い野村証券との付き合いが長い。そういう意味では鍛えられていた。検察側の立件に向けた捜査で小池は自分の調書について、野村の逮捕者が認めた〝筋書き〟に沿ったものだけに了解を与えていた。

 結局、商法違反で実刑を食らっても、最高刑で懲役9か月に過ぎない。詐欺罪の懲役10年などに比べれば、ごく僅かな時間を凌げばいいだけなのだ。ちなみに99年4月、1審出小池は懲役9か月、追徴金約6億9300万円の実刑判決を受けた。すぐに控訴権放棄の手続きを取り、検察も上訴を放棄した。

 そもそも小池は逮捕当初から何も喋るつもりはなかったのだ。だが企業側は違った。危機感を募らせたはずだと小池は考えている。

「公判で小池が何を喋るか、皆が注目している。企業にとっては逮捕者が出ただけでも〝十二分〟な痛手なのに、小池が腹いせに全てをぶちまけるようなことをされたらたまらないという思いがあったんでしょう」

 そして松尾から「沈黙要請」が届いたわけだが、恐らく小池は不満もあったに違いない。彼の性格からいって、「黙っている自分に疑心を抱くのは、これまでの信頼を裏切るようなものだ」という怒りを抱くことはない。

 単純に「小池が喋りかねない」と思われた時点で納得がいかないのだ。それほど小池隆一という男は利得より自身の美学を優先させる。実際のところ、そうした性格が仇となってしまい、今日の顛末に繋がっているとも言える。

■小池が小川薫の〝腹心〟になった瞬間──

 小池の口の堅さ、重さは筋金入りである。作家の大下英治は、さるエピソードを拾っている。

 ちなみに、このエピソードは、小池が前半生のピークへ向かう時期のものだ。登山で言えば「全国5000人を越える総会屋」の中から、アタック隊=ごく僅かなトップグループに入るきっかけとなっているように伺える。

 それは小池の認識とは大いに異なる。あくまで〝外側〟から見たエピソードなのだ。しかし、外側からの見方も、1つの見方であることは間違いない。

 1982(昭和57)年、総会屋潰しとも言われた商法改正が施行され、その僅か2週間後、大物総会屋である小川薫が見せしめさながらに恐喝容疑で逮捕。結局、実刑が確定して翌83(昭和58)年8月に栃木県の黒羽刑務所で服役することとなった。

 小池隆一が小川薫の右腕格だったことは前に触れた。例えば71(昭和46)年11月末、王子製紙の乱闘事件で逮捕されても、小池は小川薫の関与を一切認めず、いわゆる「男を上げた」と評判になる。

 この小川グループに、玉田大成という男がいた。玉田は小川薫の妹と結婚していた。この小川薫の義弟は、早稲田大学のボクシング部と関係があり、その人脈で三菱電機に務めている仲間がいた。

 ある時、この仲間の男から「三菱電機が3月決算を前に、架空売上を計上している」との情報が入った。玉田と小池は共に三菱電機のトイレに身を隠した。社員たちが帰った頃を見計らってトイレから出ると、架空売上の書類を見つけて持ち去った。少なくとも当時は、どこの企業も決算前には、こんなことをしていたものだ。玉田は三菱電機を脅すつもりはなかった。しかし小池は三菱電機に電話を入れた。

「こんな書類がある。粉飾決算をしているんじゃないか。こっそり、取りに来い!」

 小川薫は三菱電機と親しかった。特に総務部長と懇意にしていた。当然ながら小川は、小池と玉田の恐喝に烈火のごとく怒った。

「おどれら、何をしとるんなら。出入り禁止じゃッ!」

 とはいえ、玉田は小川の義弟である。さすがに出入禁止にはできなかったが、小池の方となると、さすがに同じようにはいかない。

 その頃、小池は郷里・新潟の味噌を『論談同友会』の会長、正木龍樹にも送っていた。小池は正木に言った。

「よく、正木さんに似ているといわれるんです、自分」

 うまく正木の心もくすぐっているうちに、あちこちの総会で1人活発に発言している小池の活躍は、小川の耳にも届いていく。だが用心深い小池は、虎の尾を踏むようなことはしない。小川らが押さえている銀行や証券会社には手を出さなかった。その代わり、日本セメントをはじめとするセメント業界など、総会屋があまり狙わない企業を狙った。

 遂に、小川が言った。

「小池を、呼んでみいー」

 それから小川は、小池を連れて発言するようになる。ただ小池は新潟出身ということもあるために、広島出身者ばかりの事務所にいても話が合わない。回りも小池を冷ややかな眼で見ていた。

「このあいだまで、玉田の下にいた人間が、三菱電機の泥棒ではい上がってから、最近は社長としゃべらせてもらうようになったけぇの」

(第7回につづく)

2016年6月9日

【無料連載】『哀しき総会屋・小池隆一』第1回「漂着」

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「小遣いをあげるお金もない」

 親として充分なことがしてやれない。そんな苦しい声を上げたのは、「最後の総会屋」小池隆一である。

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【筆者】田中広美(ジャーナリスト)
【写真】1997年12月、保釈され東京拘置所を出る総会屋の小池隆一被告(撮影・産経新聞社)
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 2011年の師走だった。電話の遣り取りをしていると、言葉の端々から小池の苦しげな様子が伺えた。

「家族もね、なんとなく察するものですよ。小遣いもまともにあげられないとね。それに、それで結局は家庭もギスギスしてくるものですよ。子供にもね、伝わっちゃうんですね、そういうことが……」

 深刻な窮状が窺え、その先まで頭に浮かぶ。何も告げずに鹿児島を訪ねることにした。

 クリスマスイブの前日、羽田を発って福岡空港に降りた。ほどなく日暮れて、天神も中洲もネオンが輝く。九州随一の商都はいつにも増して活況を呈しているようだ。先を急ぐ人、高級ブランド店の紙バッグを抱える人、恋人と手をつなぐ人、そして誰かを待っている人──。

 三越でクリスマスケーキを買った。翌日、その大きさにいささかの不安を募らせながらケーキをレンタカーに積み、途中、佐賀で帰省していた友人の編集者も合流して、九州縦貫道で鹿児島を目指した。

 桜島を望める海からほど近い場所で、カーナビが目的地到着のアナウンスを流した。と、長箒で庭を掃く男性の姿が目に入った。間違いなく小池隆一、その人だった。直接顔を合わせるのは久しぶりだったが、互いの無事を認め合うと挨拶もそこそこに、招き入れられるまま小池家の敷居をまたいだ。

「ロビイスト」に身ぐるみ剥がされてしまった「最後の総会屋」

 小池から絶望感漂う電話を受けるたび、万に一つという状況を、幾度も思い浮かべた。

 家族思いの小池に限って、という思いもむろん強い。日本の敗戦を挟んで生きてきた年長者であり、強く律した内面を保っている。しかし筋の通った人間ほど、時として悲劇的な末路を辿ることもなくはない。

 実際、経済犯罪に巻き込まれた企業経営者や幹部らが、命を断った瞬間を間近で経験したことがこれまでにもあった。

 2005年、西武グループ総帥の堤義明が東京地検特捜部に逮捕されたとき、西武鉄道の小柳社長やコクドの幹部が自らの命を断った。その場面が脳裏に焼き付いている。

 小池に限ってまさか。しかし今度ばかりは……。

 そんな思いを抱かせるほど、絶望の波が繰り返し押し寄せていた。元凶は「ロビイスト」という政界と実業界を繋ぐ特殊な〝装置〟たる山田慶一だった。

 事あるごとに小池は、山田慶一から求められるまま資金を用立て、身ぐるみを剥がされていた。

 小池は土壇場で、山田の不誠実極まりない、沈黙という究極の恫喝に圧迫されていた。世間的には、小池隆一は総会屋というおどろおどろしい響きを放つ、ヤクザとも同種と見なされる世界に生きてきた。そんな人間が、窮地に陥ることなどあるのだろうか。

 小池を山田慶一につないだのは内野経一郎だ。弁護士で、山田と親しい。弁護士の内野に、小池が経済的にも心理的にも追い込まれている状況について訊ねると、唖然とする答えが返ってきた。

「そんな泣きごとをいう総会屋、聞いたことねえよ」

 小池は総会屋の世界から足を洗って長い。確かに暴力団組員が堅気になったとしても、世間は素直に受け止めない。ヤクザ者はどこまでいってもヤクザ──そんな〝世間知〟を払拭するのは難しいだろう。

 小池の師匠である小川薫も2003年、次のように書き遺してから6年後に世を去った。

現在の私は、企業から賛助金をもらっているわけでもないし、利益供与を受けているわけでもない。商法改正以来、私は賛助金とも、利益供与ともまるで無縁になった。……しかし、残念ながら、世間は私が何をしても、総会屋と呼び続ける。この先、私が商売替えをして公務員になっても(間違っても、そんなことはなさそうだが)、マスコミや世間は、小川薫を総会屋と呼び続けるに違いない。……世間やマスコミが、私にかぶせる総会屋という呼び名は、おそらく死ぬまで私について回るだろう。どんな美談になるようなことをおこなったとしても、『大物総会屋の小川薫が』と新聞や週刊誌は書くだろう。(『実録 総会屋』より)

 1997年、小池は第一勧銀・野村證券事件の商法違反で逮捕され、刑に服した。出所後は決して人前に出ず、むしろ人目を避けて生きてきた。

 だが弁護士の内野が紹介した山田慶一が、小池の財布のすべてだけでなく、心の拠り所さえも毟り取ろうとしていた。

「そんな泣きごとをいう総会屋、聞いたことねえよ」

 内野の「捨て台詞」は先に紹介した。それにしても、ならば倒れた者は去れ、とでも言うのだろうか。

 山田慶一が利用し、恃みとする弁護士は内野だけではない。やり手のマチ弁だけでなく、元東京地検特捜部あがり、高検検事長あがり……俗に言う「ヤメ検弁護士」も自身の周りに配置している。

 法律家といっても、特に弁護士は稼業であり、経営者である。

 事務所の維持には金がかかる。雇っている弁護士の人件費も稼がなければならない。経営者たる内野にとっては、山田慶一は良い顧客を引っ張ってくれる、最高の客筋なのだろう。

 依頼主と弁護士という関係を超えた「紐帯」が山田と内野の間には存在する、と小池は推測して接しなければならなかった。

 しかし、それでも小池は法律家全般に、かなりの信頼を置いていた。だから小池は、彼らの異様な関係に気づくことができなかったのだ。

 誰も信じないかもしれないが、小池は「規範意識」が相当に高い。小池は逮捕されると検事、弁護士、裁判官といった法曹家と相対し、彼らの規範意識は自分より更に高いと信じてしまった。

 素顔の小池は「総会屋」というおどろおどろしいイメージからはほど遠い。むしろ、その辺りの経済人や企業人より、よほどまっとうな他者感覚を有している。義理人情に厚く、礼儀作法をわきまえ、慎み深さと遠慮深さを備え持つ。数年来、ふとしたきっかけから付き合いを重ねてきた者の、小池隆一に対する正直な感想である。

投資格言「木の葉が沈んで石が浮かぶ」とマルグリットの絵

 小池が逮捕された当初、なぜ銀行も証券会社も、詰まるところ一流企業が総会屋に食い物にされたかということが盛んに言われたが、そんな「世間」の一方的な解釈では、彼らの関係性は容易に理解できない。

 顔の見えない「企業」「法人」が犯罪の舞台だったのではない。小池隆一と相対したのは経営者や担当者という「個人」であり、単なる利害得失という関係を超えて小池と付き合っていたのだ。

 野村証券や大和証券など、逮捕された企業関係者らは、最終的には小池を検察に売る。その保身が非難されることはなかった。小池も異議を唱えたことなど一度もない。

 小池は取り調べでは沈黙を守り、担当検事が「おい小池、あっちはこう言ったぞ。こう調書にサインしたぞ」と言われたら、「ああ、そうですか。ではそこまでは」と、付き合った企業が認めた範囲まで、自分の調書も認めることを貫いた。その結果か、当時の担当者で事件後も小池と親しく付き合っている人間さえいた。

 もちろん、彼らはすでに退職している。利害関係が完全に消滅しても、小池を友人として交際を続けた。もう共に総会屋ではなく、企業担当者でもないのに、人間関係だけが存続したのだ。

 このあたりは、山田慶一と企業関係者の交際とは決定的に異なる。

 山田の周辺では、常に人間の離合集散が繰り返される。それは彼が政界・行政と民間を繋ぐ「接続装置」、つまりインターフェイスに過ぎないからであり、そこを通過するためには通行料として多額の金が必要となるからだ。

 会社であれ、個人であれ、金がなければ山田とは付き合えない。徹頭徹尾、完全な利害得失の世界、計算の世界であるといえる。

 対して小池のもとに集まった人々は、よほどのことがない限り、各々が死を迎えるまでは離れることはない。

 もちろん、中には小池が逮捕されたことで、小池の元を離れた人間もいた。それはやはり、小池という個人ではなく、あくまでも経済力のある総会屋である小池の魅力に引き寄せられ、見込んで恃みにした連中であった。

 小池の友人が、総会屋全盛期に、小池のエピソードを話してくれた。

 その人物は止むにやまれず、当時六本木に事務所を構えていた小池を訪ねて無心した。金額を訊くと、小池は「無利子でいいよ」と、ぽんと机の上に放るようにして札束を渡したことがあったという。

 そんな態度にさえ男気を感じ、有りがたさを感じて辞去したのだが、ほどなく小池から電話がかかってきた。

「さっきは悪かったなー。あんなかたちで随分と失礼な渡し方をしちゃって。ごめん。申し訳なかった」

 金を貸してくれてありがたく思っている債務者である自分に、小池はあろうことか、詫びの電話を入れてきた、というのだ。

 それは、小池がお金を貸すとはいえ、机の上にぽんと投げ出すその作法が相手に対して非礼だったと悔やんでいる詫びの言葉だったのだ。

 これには相手のほうが恐縮してしまう。

 だからこそ、小池は山田という「無機質の装置」を前に、人間として摩耗し、消費されつくしてしまったのかもしれない。小池自身もよく言うのだが、「あの小池が」と何かと悪口の種にされてしまうのもさることながら、「あの小池が騙されるはずがない」と、かつての小池を知る者であれば思い込んでしまう。

 だが、これは次のように考えれば、納得もいく。

 小池隆一は自らを求心力とした「有機の世界」に生きているが故に、心の伴わない山田のような「無機の世界」の住人に出遭ってしまうと、摩耗してしまうのだ、と。

 いや、小池に限らず、人間同士の付き合いを優先する真っ当な人間が山田慶一に目をつけられると、身ぐるみ剥がされ、全てを奪われてしまうものなのかもしれない。

 木の葉が沈んで石が浮かぶ――。

 小池は人生の苦境に入った。逮捕された時とは異なり、嵐が訪れて去って行くような一過性の出来事ではない。禊ぎを済ませれば状況が好転するものでもない。展望のない長い隘路に入り込んでしまったことに気づいてから、しばしば小池は上の言葉を口にした。

 木の葉は有機物、つまり小池だ。当然ながら無機物の石は山田となる。

 この言葉、実は投資格言でもあるのだが、一枚の絵画が頭に浮かぶ。ルネ・マグリットの描いた『ピレネーの城』だ。

 白い雲が流れる青空と波の打ち寄せる海辺を背景に、頂上に城砦を戴く巨大な岩石が重力に逆らって宙に浮かんでいる、細密な筆致で表現された異様な光景ながら圧倒的な存在感を示す、シュールレアリスムの代表作の一つだ。

 現実とは到底かけ離れたその架空の城砦の中に住まう1人が、山田慶一であるのかもしれない。

人の悲しみに寄り添える「哀しき総会屋」

 2011年の師走、小池が涙ながらに「もう駄目だ……家族が……」と声を振り絞って苦境を伝えてきていたまさにその時、東京・西新宿にあるヒルトンホテルのエレベーターでは石川雅己・千代田区長が山田慶一に話しかけていた。

「声かけらんなかったよ。だって、山ちゃんが女連れで降りてくるんだもの」

 石が浮かぶどころか、石が空に飛び跳ねんばかりの状況があったのだ。山田慶一が際限なく吸収した小池の金、そして小池以前にも数多くの企業と人間が吐き出した資金はどこへ消えていったのか……。

「お金ある? あればすぐにできるよ」

 しかし、そんな言葉を吐く山田が、決して人間や企業を幸福にしないことは明白だった。

 それはまさに虚構のマネーゲームであり、幻想のパワーゲームとでも呼びうるものであり、そこに人々は踊らされたのだ。もちろん、小池もまたその一人ということになる。

 鹿児島の小池にクリスマスケーキを届け、通された居間で談笑となった。

 しばらくすると小池が奥さんに「お茶を」と言いながら中座して部屋を出て行ったが、それからかなりの時間が経過していく。

 ようやく部屋に戻ってくると、手にした盆の上には、お茶だけでなく菓子も載っていた。包みに記されていたのは、小池の自宅近くにある洋菓子店の名前だった。「お茶を」と言いながら、わざわざ茶菓を買いに奥さんを走らせたのだろう。

「貧乏の極みに達した」小池と、その家族にクリスマスケーキを届けたくて訪ねたにもかかわらず、その小池に財布の紐を解かせてしまった。

 さらに、ひとしきり歓談した後、お腹が空いていないかと声をかけ、小池自らの運転で、国道沿いにある名物の料理屋に案内されて昼食まで御馳走になったのだ。

 結果として、逆にとんでもない出費をさせてしまった。そう思いながらも、おそらく小池には、人を前にすると、打算抜きに歓待しなければ気が済まない「人間性」を持ち合わせているのだろうなと、あらためて感得したのだった。

 だからこそ山田慶一は、その隙に付け入って小池から金銭を搾り取ることに成功したのだった。もちろん小池だけでなく、一流と呼ばれる企業や企業人、はたまた起業家や大学などの教育機関からも同じ手口で金銭をせしめたのだが、その中には倒産や破綻に向かってしまったところも少なくない。

 しかし、山田慶一だけは生き残り続けている。

 金がないなどという、「そんな総会屋、聞いたことねえよ」と嘲笑うように言い放った、山田の後見人である弁護士の内野経一郎でさえ、自身の事務所で採用した新任の弁護士を引き連れて鹿児島を訪れ、小池に宴会の接待をさせていた。

 小池にとっては、自分の顧問弁護士ではない。内野にそこまでする義理はないのだが、内野も小池の財布に甘えていたのだろう。小池が内野に挨拶しようとアポを取ると「じゃあ、メシを食おう」と言い、場所を自ら指定するのだ。

 相手の財布で飲み食いをさせてもらう〝先生道楽〟の世界は、弁護士業界に限らずともよくある話だ。

 しかし、微々たるものとはいえ、小池の財布で飲食をくり返してきた内野がその人間関係の機微の末に、「そんな総会屋、聞いたことねえよ」と言い放つというのは、小池に限らずとも割り切れない思いが込み上げてくる。

 小池が総会屋稼業から身を引いて久しいが、おそらく現役当時からすでに「悲しき総会屋」であっただろうと思えた。

 人の悲しみを知ることのできる人間は決して多くはない。また人の悲しみに寄り添える人間はほとんどいない。家族関係でさえ他者との世界でもある。小池は人の悲しみを慮ることのできる人間だった。だから同じ悲しみを知る者は、組織や企業に属しながらも、小池が総会屋の看板を降ろしてからも、共に苦楽を分かち合って歩みを進めてきたのだろう。そこは金勘定から解放された、完全に人間の世界だった。

 小池の家を辞去するとき、翌年に成人を迎える長男が玄関前に腰かけ、いささか手持ち無沙汰に庭を眺めていた。

 どうした、と父親らしく優しい声をかける小池の背中のすぐ向こうには、桜島が煙を噴いていた。

 煮えたぎるマグマの如き怒りを悲しみで押し込めつつ、小池は子どもになおも父親らしい気遣いをみせる。小池のすべてを剥いだ山田が、仮にその姿を知ったとしても詫びることはないだろう。

77.5万株を「1円」で購入した山田慶一

 ロビイスト・山田慶一が暗躍する〝無慈悲〟な世界は、常に「今」を取り込もうと無尽蔵な欲望を膨張させ続けている。

 これはその一端にすぎないが、「ゴールデンブリッジ株式会社」もまた、山田らの不可解な手さばきを受けていた。

 日本企業がもっとも神経を尖らせる中国国内での権利保護に尽力している、著作権確保の日本での唯一の窓口を謡う企業であり、出版社をはじめ日本の著名企業も数多く取引するこの企業は、日本の大手紙にもしばしばその名を登場させる。

 2009年7月31日付の日本経済新聞には次のような記事が掲載された。

 

タカラトミーは中国でまん延する模造玩具を摘発するため、現地の政府系機関との連携を強化する。このほど日本の窓口となる企業に約1%出資した。『ベイブレード』など人気商品は、中国で販売していないものも含めて版権を登録。現地工場を細かく監視し、問題があれば生産停止などの処分をする。中国政府との密接な協力により模造品対策の実効を高める。

連携するのは中国・国家版権局の中国版権保護センター(北京市)。日本で版権登録を受け付けるゴールデンブリッジ(東京・港)の株式1%をこのほど約1500万円で取得した。同社と模造品対策で資本提携する日本企業はタカラトミーが初めて

 

 タカラトミーも出資をしたゴールデンブリッジ社の業態は記事が伝える通りだが、その素性のきわどさを物語る一通の「株式譲渡契約書」がある。

 その内容は、2010年11月1日、72万5000株が1円で譲渡されたというものだ。1株1円ではなく総額1円という、まったく不可解なものである。

 譲り受けたのは同社の代表取締役ではなく、山田慶一。そして同日付で更に5万株の株式譲渡契約書がもう1通あり、やはり総額1円で山田に譲渡されている。

 この2通の譲渡契約書に付随し、1通の確認書が手交された。

                  確認書
平成22年(2010年11月1日付)株式譲渡契約書に基くゴールデンブリッジ株式会社の株式 川口耕一 725000株  星山慶子 50000株 株式会社プラネットシンクジャパン 4021670株 の株式譲渡は正常な譲渡で以後紛争になるものではありません。                  平成22年12月3日

 そこには株式会社プラネットシンクジャパンの代表取締役である川口耕一と星山慶子の署名押印があり、さらに立会人の弁護士、内野経一郎の署名押印もある。これにともない、山田は株券の名義書換請求を行っている。

 川口と星山の両人は、大株主でもあり、ゴールデンブリッジ社の役員という立場だったとされるが、やはり署名押印のうえ、山田宛に一通の誓約書も先に提出させられていた。

                誓約書
私がゴールデンブリッジ株式会社取締役在任中あるいは業務に携わっていた間、ゴールデンブリッジ株式会社の商業帳簿に記載の無い一切の契約その他の法律関係が存せず、ゴールデンブリッジ株式会社に債務負担を負わせる事実は存しません。
万一私の故意又は過失で貴社に負担を負わしめる事が有った場合、私並びに株式会社プラネットシンクジャパンへの宥恕を撤回され、更なる責任追及されるとも止むを得ません。                        平成22年11月29日

 

「宥恕を撤回」とは、尋常ならざる切迫した表現ではないか。

 川口と星山の両者が役員であったなかで、ゴールデンブリッジ社には使途不明金が発生していたのだと、山田は関係者に明かしていた。

 流れから推察するに、「宥恕」とは、この背任行為に抵触しかねない状況を問題としないことを意味し、その代償として、両者が保有していた全ての株を1円単位で山田に放出することを迫られたのではないか。

 この結果、2010年12月20日段階で、ゴールデンブリッジ社代表取締役・森田栄光が作成した株主構成表によれば、山田慶一は380万8000株を保有。個人株主としては、454万株を保有する森田栄光に次ぐ大株主となっているのだ。ちなみに、日経で記事化されたタカラトミーの持ち株は2万株にすぎない。

 架空の城砦に住むロビイスト、山田慶一の触手は、このように周到に広く張り巡らされ、不当に巨額の金を手にしているのだろう。

断骨を以て断骨に及ぶ──小池隆一の反撃

 小池家の菩提寺は新潟県加茂市にあり、星霜を重ねてきたと知れる墓標には「小甚」と彫られている。おそらくはこれが、東京を拠点にしながらも守り抜いてきた〝臍〟である。

 1997年に発覚した野村證券・第一勧銀事件の舞台となったのは「小甚ビルディング」であり、その「小甚」とは他ならぬ古い織物問屋として栄えた小池家の屋号だったのだ。

 若くして飛び出すように故郷を離れた小池だが、たとえ波はあっても、どんな瞬間にも胸中には故郷があり、家への想いがあったのだろう。

 初めて会った瞬間に小池という人間にどこか感じた戦前の匂いは、決して小池の実際の誕生年──1943(昭和18)年──だけに由来するものではないのかもしれない。

 本人からすれば異論はあろうが、小池は代々の「家」を守り続けていた。そして、ただ家族のためだけに生きようと決めた後半生で、自身が表社会で立ち回れば家族に迷惑がかかるからと戒め、鹿児島に蟄居することを強いた。

 自身が築いた家を守らんがため、自身のもとに持ち込まれる謀議の数々を自身の足で検証することを許さず、その結果、再起不能な欺きを受けたのだとすれば、それほどの皮肉と、そして苛烈な顚末はない。

 鹿児島に生まれ育ち、戦後、田村隆一と並んで詩誌『荒地』を代表する詩人であった黒田三郎の詩句が思い出される。復員してきた彼は、詩句の通り、

 

お金がなくて煙草も吸えず
水ばかりのんで
それでも威儀を正していた

 

のだ。偶然にも、同じ鹿児島の地に生きている小池隆一もまた、威儀を正す日々を過ごしているのである。

 それを、総会屋として生きた小池の前半生の「因果応報」だと呼ぶにしても、その〝罪〟を償ってなお余りある悲劇でさえある。

「石が浮かんで木の葉が沈む」―。それは紛れもなく不条理だろう。他人の人生を食い物にして世を渡る不条理は、小池に限らずとも看過されえないものだ。

 さらには、戦前の人間であればこそ、小池は厳しい。肉を切らせて骨を断つなどという、甘いことは考えてはいない。

 自身の骨もろともを断つ気で、必ずや相手の骨を断ちにいくに違いない、小池との年月を経てきたがゆえにそんな確信を抱くのである。

 断骨を以って断骨に及ぶ――。

 おそらく小池は自身を利用し、欺いたロビイスト、山田慶一たちを一網打尽にするべく、断罪に向かうだろう。
一人の人間の涙の重みを見届けるのも巡り合わせだとすれば、それもまた受け入れるべき運命なのだ。

 小池隆一はすべてを失いつつある今、その成り行きのすべてを明かす覚悟を決めた。自身の恥を世に晒してなお、抹殺すべき社会悪があると信じ、その根を──骨を──断つ。

 小池という男が、社会からのいかなる言われように晒されようとも、今この瞬間の「義」に嘘はない。

 たとえ前科があろうとも、人生に禍根があろうとも、過去に悪評があろうとも、罵声にまみれようとも、普遍の人間性を備え、小さくもまっとうに生きようと決意した真摯な思いを踏みにじる存在こそが「巨悪」であり「社会悪」である。

 そして、そんな悪に限って、誰よりもまっとうそうな顔と振る舞いで、ときに正義さえ主張しながら、社会のあらゆる地位と場所に、つまり、すぐ隣の身近な場所で和やかに呼吸している。

 背徳のロビイストとそこに群がる者たちの営みは、だからこそ、表立ってはその暗躍を悟られることはなかったのかもしれない。

 だがそれも、これまでは、の話。小池隆一という、水のごとき普遍の触媒と交わってしまった以上、「装置」は錆びるかメッキが剥がれるか、何がしかの化学変化を伴わないわけにはいかない……。

 桁ちがいのダニである。たしかに総会屋もダニだ。間宮も一匹のダニ。錦城もダニ。貫禄や実力に大小の差はあっても、ひとしく会社の闇の血を吸って生きている。どの大企業にも、数匹、数十匹のダニがついている。用といえば、年に二回の総会ですごんだ声をかけるだけ。無職無税のひまな体で、会社の秘書課あたりにとぐろを巻き、帳簿にのらぬ金を食って生きて行く。だが、それ以上に大きなダニが悪質な顧問弁護士や公認会計士なのだ。明るい血だけで満足せず、膨大な闇の血を要求する。企業は成長し、ダニもまた成長する。銀行もデパートもメーカーも、白く輝く衣裳の内側は、そうした闇の血を吸う大小のダニにとりつかれている。
―城山三郎『総会屋錦城』より―

(第2回へつづく)