2017年2月23日

【無料連載】『哀しき総会屋・小池隆一』第16回「記者と対峙」

sokai2017-02-22 14.03.51

(承前)千代田区長の石川雅己は都立大(現・首都大学東京)法経学部を経て、1963年に東京都庁に入庁した。そのため、石川と山田慶一は「都議会のドン」と呼ばれる内田茂と関係が深いとされている。

 現在は練馬区長である前川燿男も、山田が「顧問」の名刺を持つ大都市センターで代表取締役を務めていた。そもそも前川も元都知事本局長などを歴任した都職員。そして山田との繋がりは内田茂都議との縁だと仄めかしていた。

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【著者】田中広美(ジャーナリスト)
【写真】NEXCO東日本公式サイト『もっと知りたい高速道路図鑑』より
http://www.e-nexco.co.jp/csr/wakuwaku/
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 2012年秋、当時の石原慎太郎都知事が急遽、国政復帰を表明。それに伴い12月に都知事選が実施された時も、内田の前に自民党都議団は「沈黙」を余儀なくされた。

 なぜか。それは以下のような事情があったからだ。

 石原が後継として使命した、作家で都副知事だった猪瀬直樹を、内田茂は極めて嫌っていると言われたからだ。そのきっかけは、千代田区紀尾井町の参議院議員宿舎の移転問題だった。

 副知事に就任すると、猪瀬はメディアを引き連れ、宿舎の建て替え予定地を視察。結果、自然保護を理由に反対したのだ。

 これが虎の尾を踏む。移転を推進していた内田茂の怒りに触れたのだ。以来、内田は猪瀬を徹底的に嫌厭する。ために自民党都議団も、猪瀬との不仲を伝えられるようになった。

 その影響は、都知事選で露骨に現れる。自民都議団は猪瀬推薦を決定できず、最後の最後まで沈黙を守った。内田を慮ったと見られても仕方がなかった。対して選挙公示に先立って行われた自民党による世論調査では、猪瀬支持が40%超という結果が出た。猪瀬を容認できない自民都議団としては苦々しい展開に追い込まれていた。

 最後は都議団での意思決定は不可能となり、公示日の直前、態度未決のまま判断を自民党本部に預ける形となった。そして最終的には党本部の決定で「猪瀬支援」が決まり、他党も有力候補の猪瀬に相乗りすることとなり、蓋を明けてみれば430万票超という歴史的数字で当選を果たす。

 自民党都議の中にも、なぜこれほどまでに内田が猪瀬を嫌っているのか──参院宿舎の問題で猪瀬副知事が、内田都議の意向に反対したとはいえ──これほどまでに執拗に尾を引いているのか訝る向きもあった。

 その背景として、内田当人でさえ自覚していない可能性もあるが、猪瀬が道路公団改革で「道路族のドン」と徹底的に戦ったことは重要だろう。猪瀬は勝者となり、相手を追放してしまったのだ。

 猪瀬が引きずり下ろした相手は、元建設省事務次官で、元道路公団総裁の藤井治芳。そして藤井と内田茂の間は、やはり山田慶一が取り持っていた。

〝全知全能の神〟たる「道路族のドン」藤井治芳

 山田たちが赤坂の焼肉屋『牛村』で宴会を開いた場面を、この連載では何度も紹介している。

第8回「角栄」
http://www.yellow-journal.jp/series/yj-00000320/
第15回「人間不信」
http://www.yellow-journal.jp/series/yj-00000457/

 山田は、この会合の直後、藤井治芳の「直筆メッセージ」を自身のところに集う者たちに伝えた。それを道路のドンからのご託宣ととった者もいようし、はたまた、藤井からの直筆メッセージを得てくる山田という男の凄さを更に確信した者もいよう。

 内容は、経済談義の他愛のないものだ。しかし藤井の直筆メッセージであることが「山田慶一」という看板がなお求心力を得るための何よりも強いメッセージとなる。

「藤井所感」とでも戯れに名付けてみるが、ポイントは以下のようなものだった。

 経済再編に当たっての考え方
経済、特に金融・産業の国際化が一層重層化する中で、国際的なシステムへの参画がより弾力的に可能となるよう、努力すべき
例えば
○税制のあり方、その中でも関税のあり方
○国際企業へ成長していくための育成プログラムの見直し
○外圧を利用した国内企業へのバッシング(パシフィックコンサルタント)

 パシフィックコンサルタントがバッシングの一例として言及されているところが、いかにも山田らしい〝手配〟であるようにも見える。

 自身が逮捕直前まで追い込まれた──実際、無罪とはなった──ものの、東京地検特捜部が立件した事件が、元建設省の事務次官をして「外圧を利用したバッシング」の一例としてわざわざ持ちだしている。

 これこそが肝なのだ。山田の元へ参集する一流企業勤務の〝賢い紳士〟たちは、山田と藤井の「精神的な一体感」を見過ごすことなく、見事に嗅ぎ当てる。「山田劇場」で演じられる仕掛けは大胆かつ繊細。観客たちが〝見巧者〟ということもあり、芝居の意味を誰もが完璧に理解する。

 藤井所感はレポート用紙3枚。地域金融と国際化など、マクロからミクロまで目配りがきいていた。しかし意外にも、「都市計画における研ぎ澄まされた思想性」などといった、プロを唸らせる魅力に乏しかった。藤井の圧倒的なキャリアを重ね合わせれば、凡庸という評価が下ってもおかしくない。

 それは、日本社会を論じた次の一節からも伺えた。

 日本社会は、明治政府発足以来、国家の体制が、諸外国に対して、国を富ます、強くする視点から、中央の強化と国家の強化を同一視し、税制、財政、法制、行政等を含め、インフラ構築も特別扱いされてきた。

 国即ち中央と地方との関係は、廃藩置県、官制知事、地方への助成金システムといった視点でつくられてきた。

 このことが、日本では、東京と地方との関係が必要以上に〝格差〟の形で現在に至っている。

 全総計画で当初から〝一極集中是正〟が挙げられているのはその為である。

 しかし、江戸時代では日本の文化、知識層が300雄藩からなる地方社会に定着しており、江戸に一極集中するのでなく、ほどほどの強い中央(江戸)とそれなりに強い地方との連けい構造であった。

 日本社会が、住み易さ、文化、経済的強さを目ざして、新たな地域社会構築(地方分権)を考えるためには、最近の諸々の情報及び情報発信のあり方が極めて重要になる。

 東京という大都市社会の国民である東京の発注情報をもって、日本の情報と誤解されないよう注意する必要がある。(東京人が日本人という誤解、東京人は日本人の一部にしか過ぎないという認識をあらためて思う必要がある)

 藤井所感のキーワードに「全総計画」がある。この全国総合開発計画こそは、まさに戦後自民党の55年体制を裏支えした国土開発計画といえる。

 目的は日本のグランドデザインを描くというものだ。当初は高度経済成長期にその事務局は旧通産省の外局である経済企画庁に置かれていた。それが橋本行革を経て、国土審議会を所管する旧建設省がその所掌を獲得した。

 各年次の予算獲得が各論だとすれば、全総は、いわば総論にあたる。そして、仮に各論が総論を超え得ないものだと考えれば、全総は「日本国デザイン」の設計思想ともいえる。更に踏み込んで表現すれば、日本国開発計画の「チャーター」──憲章、綱領、宣言などと訳される──とでもいうべきものだ。

 旧建設省の事務次官・藤井治芳が道路族のドンとして君臨できた背景の1つは、国土交通省が土建行政の元締だからというだけではなく、日本国土の設計思想さえもデザインする組織であったからだ。

 山田は、その「全総」を築いてきた藤井のメモを、つまりは「ドンの心情」を〝代読〟できる存在なのだ。山田こそは「日本開発のドン」の〝使用人〟であるという空気を醸し出していく。

〝道路利権〟を巡る通産省と建設省の暗闘

 現在、旧建設省=国土交通省が所管する全総は、そもそも旧通産省=経済産業省が担当していたことは、専門家の間でも、あまり知られていないようだ。

 先述した通り、全総は日本のグランドデザインを描く総論にあたる。当初は経済企画庁が所管し、経企庁は内閣府の外局として設置された。しかし、設置時にプロパー職員の存在しない官庁は、既存組織によって所掌争いの草刈場と化す。

 経企庁を巡るヘゲモニー闘争に、当然ながら旧建設省も〝参戦〟している。建設省は霞が関の中でも「隠れた名門」という個性を持っていた。藤井治芳のように、技官でも事務次官に上り詰めることができる技術官庁として知られるが、その出自は戦前の旧内務省に遡る。

 戦後GHQにより、内務省は自治省、厚生省、警察庁などに分割されたが、こうした旧内務省系の省庁は現在でも〝選民意識〟が高い。省庁の垣根を横断し、「旧内務省関係者」の名簿を作成するなど、自らを「ノーブル」な存在だと任じている。

 日本の省庁はエリート組織と見なされるが、1府13省庁の中で更に上位と位置付けられる役所を「五大省庁」と呼ぶ。内訳は①財務省、②外務省、③経済産業省、④警察庁、⑤総務省自治分野──となるが、この中で経産省=旧通産省は戦前、商工省と呼ばれ、決して一流官庁ではなかった。通産省が一流官庁として台頭してきたのは復興と経済立国が成功した戦後からになる。

 そして1950年に誕生した経済企画庁は当初、通産省に〝占拠〟される。歴代の事務次官を見れば、当初は商工・通算官僚の名ばかりが連なる。経企庁プロパーのトップ人事が行われたのは何と1989年。星野進保・事務次官の登場まで待たなければならず、実に設立から30年が経過していた。

 だが、名門建設省が、通産省の勝ちっぱなしを許すはずもない。最重要の仕事であるかのように暗闘が続き、遂に2001年の橋本行革による省庁再編で、全総の所管は通産省の手から建設省の手に移る。

 この全総が描く、全国道路ネットワークの下積み作業に関わり、役人人生を全うしたのが藤井治芳である。1936年生まれ。東京大学工学部土木工学科、同大学院工学研究科を経て62年に建設省入省。

 通産省=経産省は例えば、都市整備機構を所掌し、絶対に離さない。だが、道路で結ばれていない「単独の街」などあり得ない。都市を発展させるためには、必ず道路が必要だ。だからこそ藤井は戦後日本で行われた開発の全てを担ったと言っていい。生き字引だからこそのドンだったのだ。

 そして山田慶一は自民党田中派・田中政権が生んだロビイストだ。田中派が持つ権力、その源泉の1つが道路だったことは言うまでもない。山田も、この藤井の影をちらつかせることで、企業の求心力と、自身の命脈をつないでいた。

 ここで、少し重要な寄り道をさせて頂きたい。少なくとも、わが国日本において、民間が仕事をしようとすれば、必ず役所の「ルール」にぶつかるわけだが、そもそも、なぜ省庁の所掌が拡大し続けるのだろうか。更に、そうした指向の源泉はどこにあるのだろうか。この問いに、さる経産省の人間は、次のように答えてくれた。

「すべては法律。役所の権限はすべて法律が根拠になっているんだから。法律、政令、省令とね。役所は法律がなければ何もできないでしょ。だから、法律を作らなければどうにもならないわけだ。施策にはすべて法律が絡んでくる」

 なるほど。省庁は法律を作れども、棄てないのには訳があったのだ。

「年間、おおよそで100本くらいの法律が成立しますが、廃止というのはほとんどないですね。廃止の場合でも、法律の一部を廃止することはあっても、法律そのものの廃止というのはまずない。改正、改正でやっていきますからね」(内閣法制局)

 そして、経産省の人間はこう付け加える。

「法律を廃止するときはね、それは何を意味するかわかるかい? それは、新しい法律を作るときだよ」

 法律を永遠に作り続けるのだから、所掌が拡大することはあっても、縮小することはない。そこに、商機ならぬ〝省機〟拡大の芽もあろう。

 更に、省機拡大のときこそ、民間の思惑も潜り込む〝好機〟到来なのだ。1990年の橋本行革。その中の省庁再編とはまさに、バブル崩壊後の「失われた20年」の始まりであり、変革期特有の微妙な歪みが、ロビイストに付け込む余地を生んだのかもしれない。

 更に言えば、田中角栄と、越山会の女王、佐藤昭を後ろ盾にする自民党の生んだロビイスト、山田慶一の生き残る余地を……。

山田慶一と対峙した東洋経済新報社記者の岡田広行

 藤井治芳と全総計画。それは字義通り、開発そのものを意味した。

 開発計画に関する情報を、いち早く入手することは、企業にとってはどこよりも早く「ツバを付ける」すなわち、カネを注ぎこめることを意味した。

 使途秘匿金のニーズと、それが生きる余地がそこに生じるのだ。ちなみに使途秘匿金については、この連載の第13回で焦点を当てた。

【会員無料】『哀しき総会屋・小池隆一』第13回「千代田&練馬区長」の〝過去〟
http://www.yellow-journal.jp/series/yj-00000444/

 ゼネコン業界にとっては、いわゆる「前捌き金」といわれる、優に億単位にのぼるカネが動くことになる。事業関係者を飲食で接待するカネに使われるのみならず、現ナマを〝握らせる〟ためのシステムといえた。

 あそこにビルが立つ、向こうの駅前が整理される、といった計画が発表された段階で動いても、もう企業の事業は成り立たない。計画段階からカネを注ぎ、計画そのものを時には動かし、原案に食い込み、素案に意志を反映させる。そんな時にこそ「前捌き金」は大きな力を発揮する。

 藤井治芳という〝神〟の思想が、山田という〝口〟を通じ、ゼネコン業界と、その周辺に現実的なメッセージを伝える。すると、そこに集い、行動を開始する者たちが現れる。

 しかし、それが現在進行形として立ち現れる時、あまりに生々しく、醜悪な姿態を曝すことにもなる。東京都千代田区紀尾井町・清水谷参議院議員宿舎の老朽化にともなう移転・建て替え計画もまた、実はそんな壮大な思惑の一端にしか過ぎないのかもしれない。

 それにしても、この山田慶一という一般には耳慣れない無名の人物になぜ、これほど多くの人間が〝惹かれ〟、そして〝恃み〟とするのか。山田の素姓についてはほとんど活字になったことはないが、その山田を長く〝監視〟し続けてきた記者がいる。

 東洋経済新報社の岡田広行だ。その岡田が書いた次の記事が、これまでにもっとも深く、その山田を追ったものといえる。

 岡田がかつて取材した段階では読み解けなかった部分に、その後、私の取材で新たに読み解ける部分を加えて補完しながら、引用してみたい。

山田慶一氏。

「業務屋」と呼ばれる建設談合の世界に身を置く人間であれば、一度ならず彼の名前を耳にしたことがあるはずだ。

 昨年2月、公正取引委員会に一通の〝告発文〟が持ち込まれた。

 表題は「独占禁止法四五条一項に基づく申告」。差出人は平島栄・西松建設相談役(当時)。近畿二府四県の建設談合を取り仕切ってきた実力者が、部下の談合屋の造反に激怒して、前代未聞の行為に及んだのだ

〝談合のドン〟、平島のこの暴挙ともとれる行為は、当時、ゼネコン業界にとどまらず、それを持ちこまれた役所側にも衝撃を与えた。このスキームを描いたのが山田である。

 その平島氏が「すべてを明るみに出す」と息巻いていたさなか、談合の実態に詳しい準大手ゼネコンの幹部がポツリと漏らした。

「平島さんの背後で、『山田慶一』が動いている。話がややこしくなってきた」

 山田氏は、経歴、生年月日、出身地とも不詳。

 過去の事業歴を調べるには、法務局に眠る膨大な閉鎖謄本を丹念にめくる以外にない。しかも、一三年前に遡らなければならない。当時、山田氏は、「ケイヨウエンジニアリング」(本社・港区)なる企業の代表取締役を務めており、同社が二度目の不渡りを出す四カ月前に代表の座を退いている。以来、なぜか世間の表舞台に出ることを避け続けてきた

 山田の経歴はたしかに、表向き不詳である。当人が語らないのみならず、当人に訊くことさえ憚られる、強い威圧感を放っているからである。

 あるいは、誰もが知る「在日」という素姓ゆえに、山田を知る人間に自発的な抑制を強いているのかもしれない。

 だが、警視庁のファイルによれば、山田の経歴については次のように記録されている。

 山田慶一はもちろん、日本でのいわゆる日本人的な〝通名〟であるが、この通名もかつては慶一ではなく、初男で通っていたとされる。

 山田初男は、山口県出身とされる。それも、九州にもっとも近く、関門海峡をのぞむ下関市という。

 山田の学歴もこれまた表向きには、日本大学中退とも、東京理科大中退とも、他称されているが、これは、山田がこれら2つの巨大な学校法人を巻きこんだ巨大な都市計画プロジェクトに参画する折々にどこからともなく囁かれた話であり、事業の展開に有利に働くとみるや、それぞれの局面で都合のいいほうにあえて〝流している〟気配が強い。

 警察当局は、山田の最終学歴を「日本不動産専門学校」と見ている。同名の専門学校は現在も福岡市内に存在するが、山田が幼少期から青年期にかけて下関で過ごしたとすれば、福岡の専門学校に通っていたとしても不思議はない。

 下関と福岡とは、関門海峡という海を挟んではいるが、〝通勤圏〟である。

 この後、山田が警察当局に補足されるのは、「林一家」の構成員としてである。林一家とは聞き慣れないが、それも無理はない。かつて横須賀界隈を拠点として展開した林喜一郎率いる任侠グループで、林は稲川会最高顧問であった。この林一家の若い衆として、山田は初めて警察当局に補足されるのだ。

 この林一家の領袖、林喜一郎が死去した1985年以降、「山田初男」は表から姿を消した。

 そして、いつしか立ち現れたのが「山田慶一」である。山田の朝鮮名は朴慶鎬。おそらく、新しい通名に、「慶」の一文字を入れたのであろう。在日の人間が日本語の通名を創る場合に、当然、本名とのつながりをどこかに残す作法にもかなっている。

 この山田初男が構成員として認知されていた林喜一郎一家だが、林一家は、いわゆる〝経済ヤクザ〟のパイオニアといわれ、単なる任侠道から、現在につながる事業性へシフトする先鞭をつけたことでも知られている。

 山田初男が日本不動産専門学校で身につけた不動産取引の知識が、そうした事業性を追求する林一家で重宝された場面もあったのかもしれない。

 さらに、岡田が突き止めた「ケイヨウエンジニアリング」における山田の役員歴は貴重といえた。山田は現在まで種々に顧問の名刺を持つものの、ある時期以降、法人の役員登記欄には一切、名前を出さないからである。

 山田が〝自分の会社〟といいながら、「経営者」として正式に名前を表すのは、これまでに知られているところでは、このケイヨウエンジニアリングと、そしてもうひとつ、かつて赤坂にあった料亭・鶴仲くらいである。その他は、オーナー然とした振舞いをしながらも、決して役員欄には登場しない。

「山田は不動産には長けているが、株などの数字はまったくわからない」(小池隆一)といわれるそのあたりの偏りも、あるいはそのキャリアに由来しているのではないかとさえ思わせる。

 実際、自身にまつわる不動産の抵当のつけかたと、その転がし方、つまり不動産を、売買を経ずしてカネにする作法には山田は実に長けていて、自信を見せる。

 そして、その人脈は確かで、彩り鮮やかである。

 反面、政官財の人脈は多彩だ。

「越山会の女王」の異名を持つ佐藤昭子女史(政経調査会)、佐藤茂・川崎定徳前社長(故人)、加藤六月・衆議院議員、藤井富雄・公明元代表(東京都議)の長男・練和氏、そして葉山莞児・大成建設副社長等々。

 主催するパーティーもスケールがでかい。毎年暮れになるとホテルの大広間を借り切り、ゼネコン幹部数百人を招待して忘年会を催すという。出席者は互いに顔を見合わせ、「どんな人がよく知らないが、すごい人脈を持つ人らしい」と囁きあう。パーティーの費用の捻出方法も不明である

 だがバブルが崩壊し、自民党による圧倒的な利権政治と土建体質も多少の変革も迫られてきた昨今は、山田自身の経済状況も下降の一途を辿っているようだ。

「かつてのような神通力はもう失われつつある」(山田と20年来の知人)との声もあり、近年は赤坂の元クラブの焼肉屋の奥座敷で粛々と行われているにすぎない。

 しかし、そのスケールは異なれども、互いを知らぬ多彩な人脈こそが自身に対する求心力につながることを知悉し、そのための演出を躊躇なく駆使するあたりは、過去から現在に至るまで一貫している。

 本誌は山田氏の事業を二年以上にわたって追い続けてきた。山田氏が関与したプロジェクトの多くが不良債権と化しており、少なからぬ事業で「疑惑「の存在が囁かれてきたからだ。

 

 今年度末にかけて、銀行の不良債権処理に六兆円の公的資金が投入される。不良債権を作った責任は厳しく問われねばならない。だからこそ、山田氏には事業が頓挫したいきさつを聞きたかった。

 

 すると、思いがけないことに希望がかなった。文化学園の不祥事を取材するさなか、本人から「会ってもいい」と連絡が入ったのだ。この間、電話での取材依頼は優に一〇回を超えていた。山田氏が手掛けた東京・日の出町の山林開発の取材を始めた時から、すでに二年の歳月が経過していた。

 

 11月半ば、本誌記者は山田氏が主宰する団体の事務所におもむいた。千代田区一番町。日本交通の子会社が所有する真新しいビルの八階に山田氏は本拠を構えていた。中では七、八人の中高年の男女が働いているが、仕事の内容ははた目には分からない。

 

「環境計画研究会 山田慶一」

 

 差し出された名刺は、シンプルなものだった。ちなみに「環境計画研究会」は法人登記がされていない私的な集まりである。ただ、三年前に東京都に提出された宅地建物取引業者の資料の中に、次のような記載があった。

 

「本来、林野庁の遊休化した土地の再開発をするために(株)リスト内に設置された勉強会であり、目的を達成した現在も、ゼネコンその他不動産間連業者を集めて勉強会を開催しています」

 

 ちなみに、「リスト」の関山靖人社長は、右翼団体の「輿論社」に勤務していた経歴を持つ実業家で、山田氏の最も緊密なパートナーの一人とされる。リストと環境計画研究会は、同じビルの一室に事務所を構えていたこともある

 山田はしかし、この関山とのトラブルを抱える。これが、記事中でも言及されている東京西部の日の出町の開発を目論んだ、西東京開発をめぐる案件で、このときの反動も大きく影響したのか、ゼネコン大手の青木建設の倒産にも一役買った。西東京開発については岡田が記事中で後述する。

 山田氏の名前は、意外なところでも登場した。大沼淳・文化学園理事長の娘婿だったのだ。だからこそ、山田氏は本誌記者の動向に神経をとがらせていたのだ

 山田が子どもをもうけた〝妻〟はこれまでに都合6人に上ると見られている。

 この数は2007年、山田の実母が亡くなった葬儀の席で、初めて参列者らの目に触れ、明らかになった。

 文化学園理事長の娘は、このうちの1人で、山田はやはり子を1人設けている。だが、戸籍上の理由からか、山田は「これまで一度も結婚歴はない」と親しい者に喧伝している。つまるところ、籍を入れたことはないというのが実態のようだが、大沼の娘婿であった一時期、山田をマークするもうひとつの眼があった。

 当時の写真週刊誌『FOCUS』(新潮社・休刊)編集部である。所属記者やカメラマンは山田を追い、数々の写真を収めている。編集部が山田をマークしたのは、やはり平島栄による談合告発事件が契機だった。地下に潜っていた「初男」が「慶一」としてメディアに注視されるようになったのは、やはり平島栄事件が転機とみていいだろう。

 西松建設の平島栄、そして文化学園理事長の大沼と、常に大きな図体の後ろに身を隠すかのような生き方をしながら、徐々にその防御装置が完全には機能しなくなる。

 それは、関わる事業の大きさというよりはむしろ、自民党による圧倒的で絶対的な支配構造がほころびを見せ始める、時代構造と社会情勢の変化に曝されていたと読むほうが自然なのかもしれない。

 だが、自民党を背景に、山田らは「日本」を掘り起こし続けようとした。そこに、実はもっとも大きな落とし穴が待っていた。そして、その穴の底には亀裂が見えていた……。

 週刊東洋経済の岡田はついにその山田と対面する。

 山田氏に聞きたいことは山ほどあった。まず第一に「平島事件」の真相。次に、三〇〇億円が注ぎ込まれた東京・日の出町の山林開発事業の挫折の軌跡。そして、汐留地区での再開発事業の行方。そして文化学園の一件である。

 

「私の周りをあれこれお調べのようですね。私に何を聞きたいんですか」

 

 山田氏は、一瞬当惑した表情を浮かべながら切り出した。そしてすぐさま苦言を呈した。
「あなた方は以前、私が関係する『西東京開発』に七〇億円の使途不明金があると書きましたね。そんなカネは一銭もありません。きちんと調べてください」

 

「西東京開発」とは、東京・日の出町の山林開発を目的に設立されたプロジェクト会社である。青木建設、熊谷組、ハザマ、五洋建設などゼネコン六社が三〇〇億円近い債務を連帯保証したものの、事業は行き詰まった(本誌『96年10月5日号』参照)。

「そんなはずないでしょう。こちらも関係者を取材しています」

 

 記者が食い下がると、山田氏は興味深い発言をした。

「使途不明金はないのです。(住宅・都市整備公団出身の)元社長が目的外の事業に使ったカネが約三〇億円ありましたがね。原宿で土地建物を買ったんです」

 

 記者は思わず息を呑んだ。

 

「ですが、すでに時効です」

 

 山田氏はこう締めくくった

 山田の口からいみじくも洩れた「時効」という言葉。山田がしばしば表舞台から姿を消す時、民法上の時効がつきまとう。

 それが果して「時効成立」を待つための意図した行為なのかどうかはわからないが、山田が看板を下ろして、あるいは息を潜めている間に、しばしば多くの「時効」が成立し、関係者らは路頭に迷う。

 小池隆一もまた、山田の時効主張を目撃したことがある。関係者が歯ぎしりしたときにはすでに時効は成立し、そして刑法上の訴追を受けることもまずない。そうした関係者らの心理には、山田との〝共益関係を築かされてしまったのではないか〟という一抹にして大きな不安が必ず植え付けられているからである。

「山田の手口には、そうした共犯心理を共有させるところにひとつの特徴がある」(小池)のだ。それを、しかし、商売上手と呼ぶには、いささか無邪気が過ぎるだろう。山田以外の周辺関係者はそれによって、事業、そして企業、そして詰まるところは個人の生活が破綻するなどして、決定的な犠牲を生むからだ。

 山田がしかし、偶然ではなく、「時効」という概念をしっかり認識していることの言質をとった岡田との対峙は続く。

(第17回につづく)

2017年2月16日

【無料連載】『哀しき総会屋・小池隆一』第15回「人間不信」

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(承前)「貧乏の極にある」「奈落の底に落ち込むようでした」

 こうした小池の言葉は決して、貸した金を返してもらうためのハッタリや演技ではなかった。山田慶一に繰り返し金を貸し続け、返済の埒が空かないことが判明しても、小池は山田を責め立て、追い込むようなことはしなかった。

 山田にも真摯な部分があるはずだと一縷の望みをつなぎ、自分の生活費をやりくりするため、郷里・新潟県加茂市の土地などを売り払った。

 だが遂に「貧乏の極みに達し」てしまったのだった。手紙の引用を続けよう。

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【著者】田中広美(ジャーナリスト)
【写真】2007年10月、家宅捜索のため、「パシフィックコンサルタンツインターナショナル」のグループ企業が入るビルに入る東京地検の係官ら(撮影 共同通信)
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 「山田には連絡は付きません。」との事でしたので、霧島さんに事情を話したところ、霧島さんは「私が車を運転して羽田飛行場まで迎えに行って、お二人を病院までお届け致しますし、山田には私の方から、ちゃんと報告しますので、必ず責任を持って病院までお届けします。」と言って下さったので、私は霧島さんに甘えてお願いを致しました。

 その日の夕方、貴殿から電話があり、私は霧島さんにお世話になったことを報告し、貴殿に連絡が付かないまま、つまり、貴殿の了解無しに勝手に霧島さんに物事を頼み、車と時間を使わせて拘束してしまったことをお詫び申し上げ、感謝の言葉を貴殿に申し述べました。 

 これに対して貴殿の方からは、この霧島さんを勝手に使ったことを心良く了解する言葉と、病院の費用の工面をもう少し待ってくれという短いお話しがありましたので、私としては、霧島さんとの事が有った話しの後なので「解りました、お待ちしますので宜しくお願い致します。」としか答えられませんでした

 不義理の限りを尽くす相手、その運転手の善意に対して、誠心誠意の謝罪と感謝の言葉を書き連ねる。そんな小池を笑う人もいるだろう。だが、いくら嘲笑されようと、小池とはそんな男なのだ。だからこそ、小池と付き合った企業の総務担当者に、事件後も小池を慕う者がいるのも納得がいく。

 相手を決して不愉快にさせない。そのためには細心の気配りを行う。そんな小池の態度を計略的、作為的と見る者もいる。確かに、様々な経験を通して後天的に獲得した作法かもしれないが、それを死ぬまで貫けば、そうした性格は「天賦」のものだと言えるのではないだろうか。

「深い人間不信」に陥る小池隆一

 小池の記憶は驚くほど細部まで鮮明だ。そして恐ろしいほど几帳面な性格が、それを強化している。山田との一件だけでなく、自身が関わったこと、自身の耳に入ってきた情報は会話も含めて極めて細かく整理し、メモを作成している。

 その積み重ねは、取材を生業とする新聞記者や週刊誌記者、編集者などのノートやメモでさえも敵わないほど、詳細で丁寧なのだ。 

 しかもメモは、やりとりが行われたり、場面を見聞したりした直後にファイリングされている。正確性は極めて高く、録音に等しいレベルだ。

 だからこそ小池の回想は、思い込みや勘違いが非常に少なく、再現性と信憑性が高いように思えるのだ。

 山田に送った手紙にも含まれているが、場面の再現が非常に細かい。なるほど、小池らしい正確性なのだ。だからこそ一層、小池が追い詰められた状況は不憫に思える。自身の記憶を手紙に記すという作業は、辛い内容ならば残酷なものに違いない。

 小池は鈍感ではない。手紙を書くことが、身を切るように辛い記憶を鮮明に蘇らせることを充分に理解してもなお、手紙をしたためようとしたのだ。そこには「哀願」より、強い怒りがあっただろう。静かなる怒りが、遂に小池を動かしたのだ。

 この直筆の内容証明郵便が18枚にも及んでいるという分量にも、そうした「気」が現れているし、書き綴った内容には「覚悟」が満ちている。

 手紙はさらに、切実さを増す。

ところが、その翌日十六日朝、貴殿の方から電話があり「持って来る事になっている人が後から来るから、今日の三時過ぎには連絡します。遅くとも夕方までには連絡しますのでお待ち下さい。」と短い話しで電話が切れました。

 私は正直のところ、助かった、これで何とかなると素直に嬉しかったです。

 ところが、夕方を過ぎても電話が無いので、少々遅くまで何回も何回も私の方から貴殿の携帯電話に連絡をしましたが、何時も留守番電話になっていました。もちろんメッセージは「電話連絡をお待ちしています。」と吹き込んでおきました。

 そして翌二月十七日には、貴殿の方から前日十六日と同じように「昨日は連絡できなくてすみませんでした。今日もう一日待ってて下さい。夕方には連絡しますから、いまチョットお客さんでバタバタしているから」と言って電話が切れました。

 それ以後十八日の土曜日から二十三日の木曜日まで毎日毎日、何回も何回も携帯電話に連絡しても、銀座の事務所に連絡しても、自宅に連絡しても、一切連絡が取れないということで、互いの会話が成り立ちません。

 もちろん貴殿の携帯の留守番電話には「お電話下さい。お待ち致しております。」とメッセージを入れておりますし、二十二日には、「本日、胃癌の手術が終って、現在ICUに入っています。」という事も吹き込んでおります。

 そして、私としては、もう「これは駄目なのかな」という深い人間不信に落ち込んでしまいそうになった、そのとき、二月二十四日金曜日、午前十時三十一分に貴殿の携帯電話から電話があり、「何回も電話を頂いていたことは承知していましたが、電話できなくて済みません。いまお客さんなので三時過ぎにもう一度電話します。」と言って切れました。しかし例によって、それ以後、全く電話は有りません。

 この時、私が思ったことは、何時も「現在バタバタしているから後で電話を架け直すから」とか「いまお客さんなので後程電話します」とか「いま電車の中だから後程もう一度電話するから」等々、色々な場面を口実に何時も電話で話し合う姿勢が全く無く、直ぐに切られてしまうことばかりだなという事です。

 当然、私は貴殿のお仕事の邪魔をしてはイケナイとか、お話しできない状況であれば仕方のない事として、直ちに「それでは後程、電話をお待ちしています」「後程とは何時頃でしょうか?」と確認したり、「ではお待ちしますので夜中でも朝方でも一日二十四時間、何時でも、御都合の良い時にお電話を下さい。ですから必ず下さいョ。」と念を押したり致しますが、それでも、ほとんどお約束した筈の後程の電話はありません。

 しかし、このような、貴殿の方から電話を架けて寄越しながら「いまお客さんだから」とか「いまバタバタしているから」いう科白でサッサと電話を切ってしまい、架けた相手、つまり私に話しをする余裕も時間も与えず、極く短時間で電話を切り上げるという事は、私にとって甚だ失礼な電話であると存じます。日頃から、私は貴殿には「夜中でも朝方でも一日二十四時間、何時でも都合の良い時に、十分に話しができる時に電話を下さい。」と昔から言い続けております。貴殿は私のそうした姿勢・考え方を十分に承知しているにも拘らず、それが実行されることは、ほとんど有りません

実は「詐欺師」への免疫が存在しなかった小池隆一

 山田から希望を繋ぐ言葉だけであしらわれている最中に──さすがに極度の不安が募っていたのだろう──私の携帯に小池からの着信回数が増えた。

 意外に思われるかもしれないが、小池は「明白な虚偽」に対しては免疫に乏しかった。総会屋も、それこそ任侠の世界でも、一般社会と異なる内容かもしれないが、「質実と信頼」で成り立っているのだ。

 約束は守る。義理は果たす。この掟を破った者は信用を失い、世界で〝抹殺〟される。それが小池の前半生を占める世界の作法だった。まして、虚言を弄して相手を窮地に陥れ、それに頬っ被りするなどという人間は企業社会を含め、これまで小池が渡り合ってきた人間の中には皆無に近かった。

 もちろん任侠社会で約束を守らなければ、相応の痛手や報復が待っている。企業社会でも同様のことをすれば、経営者は自らの地位を失う危険性がある。手形が代表的だが、何よりも信用で成り立っている世界なのだ。

 ある種の盲点だったのかもしれない。「後程電話します」「夕方までには用意できます」などと嘘を言い、延々とシラを切ることができる人間。そんな相手と小池は取引を行ったことがなかった。

 鹿児島で山田からの連絡を、ひたすら必死に待ち続けている間、小池は1本の記事を目にする。

在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)は20日、中央常任委員会議長の徐萬述(ソ・マンスル)氏が19日に心不全のため自宅で死去したと発表した。84歳だった。25日午前11時から東京都千代田区富士見2の14の15の朝鮮会館で朝鮮総連葬を行う。葬儀委員長は許宗萬(ホ・ジョンマン)・朝鮮総連中央常任委員会責任副議長。

 ここ数年は病気のため、自宅で療養していたという。韓国慶尚北道出身で、1941年に日本に入国。総連幹部の人事などを扱う旧組織局などで活躍。2001年5月に第1副議長から議長に昇格。小泉純一郎元首相と故金正日(キム・ジョンイル)総書記による2度にわたる日朝首脳会談の実現や「在日本大韓民国民団」(民団)との一時的な和解などに関与した。

 許責任副議長が政策決定などに影響力をふるう一方、徐氏は今年1月、北朝鮮の金永南(キム・ヨンナム)最高人民会議常任委員長からの新年の祝電を受け取るなど、対外的な窓口役を務めてきた。総連内部では、議長席は当面空席になるとの観測が出ている。

 徐氏は、北朝鮮の国会議員にあたる最高人民会議代議員も務めた。日本政府は対北朝鮮制裁の一環として、代議員が北朝鮮に渡航した場合、日本への再入国を認めない措置を取っている。日本政府関係者によれば、徐氏は昨年12月に金正日総書記が死去した際に訪朝を希望したが、制裁措置のため断念したという
(2012年2月20日付朝日新聞デジタル版より)

 新聞記事をベタ記事に至るまで隅から隅まで目を通す小池は、この記事に目を留めた。

 うんともすんとも連絡してこない山田の行方について様々に頭を巡らせていたのだろう。なおも、決定的に山田に〝騙された〟とは思いたくはない。むしろ、すでにそれで済む状況ではない。妻と義理の母はすでに手術のために東京に行き、入院している。当座、その支払いが確実に迫って来ていた。

 もとより、形ばかりは山田にお金の工面を〝哀願〟するかのようにへりくだってはいるが、むしろ山田にこれまで工面してきたのは小池の側だった。しかし、そうした立場を決して振り回さないのが小池の作法である。

 記事を見て、小池はこう考え、私に告げた。

「記事を見て気付いたんだけど、朝鮮総連の最高幹部が亡くなったって出てる。だとすると、山田さんは今、電話をかけたくともかけられない状況にあるんじゃないかと思うんだ。最高幹部が亡くなったんだから、おそらく市ヶ谷の朝鮮総連の本部にぐーっと詰めてるんじゃないかな」

 私は、その時ばかりは小池に無情な応答をしてしまった。恐らく、小池自身が自分でも疑問に思いながら、それでも一縷の望みを繋ぐために話していたのだろう。同じ立場に直面すれば、誰でもそうなるに違いない。だが私は小池の希望を立ち切ろうとした。

「小池さん、それはないと思いますね。確かに彼は在日で、警察当局もその金の流れを追いかけ続けています。仮に在日であり、北系であったとしても、とりわけ警察の眼だけはことごとく嫌って、足のつくことだけは避けて生きてきた人間が、今、公安当局の監視が一層厳重になっているはずの総連本部に出入りして、ましてやそこに詰めているなんていうのはちょっと考えにくいですよ。それに……もし仮に詰めていたとしても、一本の電話もできない状況というのはありうるのでしょうか」

 こう告げると、小池はちょっと間をおいて、「それはそうだな……」と呟いた。

 小池は、私が言ったような「常識的な言葉」を求めているはずもなかった。少しでも長く、自身に希望があるという可能性を、自分で鼓舞したかっただけなのだ。小池の呟きを聞いた瞬間、私は「しまった」と思った。小池を更に落ち込ませてしまう、無神経な言葉を吐いてしまった。申し訳ないことをしたと反省した。

 小池は内容証明に自身で記している通り、昼夜を問わず、電話がかかってくれば、よほどのことが無い限り自分の都合を押してでも、相手の気持ちと言葉に誠実に向き合う。後述するが、2007年暮れにかけて山田が東京地検特捜部の連日の聴取を受け、まもなく〝完落ち〟寸前になりかけたときでさえ、山田を救ったのは、弁護士の内野経一郎ではなく、自身も逮捕という憂き目に遭い、そして特捜部の捜査を受けた経験のある小池であったのかもしれない。

 だからこそ、弁護士である内野でさえ、最後は「小池さん、あんたから山田さんに話をしてやってくれないか」と小池を恃んできたのでもあろう。だが、その時とて、小池は結果的には裏切られていた。

東京地検特捜部VS山田慶一「攻防戦」での「助け船」

 山田は特捜部が睨む、パシコン側から山田にカネが流れたのではないかという点については、毎日、朝晩の電話で心を預けて見せた小池に対してさえ完全に否定してみせ、小池も、山田が「善意の第三者である」と思えばこそ、山田からの相談に、昼夜を問わずに乗ってきた。

 しかし後に、追究の意志を固め、検察側の冒頭陳述書を入手した小池は、山田がパシコン側からカネを受け取っていたことを知る。さらに、それは1回ならず、継続して受け取り続けていたことを知るのだった。

 小池がその「欺瞞」を知るのは、2012年夏のことであり、山田が「電話をする」と言いながら、小池を翻弄し続けていた12年2月からさらに半年後のことであった。

 だが、内容証明をしたためた2月の時点でも、小池のなかには当然、これまでの山田の〝恃み〟に対して自分は精いっぱい応えてきたという感覚は当然にあった。それをあたかも愚弄するかのごとき、不誠実な対応が小池にはさっぱり理解できない。

<私に言わせれば、お客さんが居る時やバタバタしている時に、何故電話をしてくるのでしょうか?しかも私の方に貴殿に大切な、重要なお話しが有ることを承知していながら、さらには、私が貴殿に重要な用件をお伝えしており、その答えを首を長くして待っている私の心情を十分に承知していながら、何時も会話を十分にできない極く極く短時間で電話を切られるのか非常に疑問に思っております。

 しかし一方で、貴殿は時々、私の携帯電話に電話を架けてきて、「携帯電話では、盗聴されると困るので私も私の固定電話から小池さんの固定電話の方へ架け直しますから、何番の方へ架けたらいいでしょうか?」と言ってきて、架け直された固定電話での話しは、なるほど、これは他人様には、とりわけ捜査当局には聞かれたくない話しだなという内容の話しを長々とされて、私に意見を求めたり、判断を求めたり、知恵を絞らせたり、アイディアを出させたりしたことがしばしば有りましたが、貴殿は御自分の大切な話しは時間に関係なく、盗聴を警戒しながら長時間話されることも、ちゃんと実行されてるくせに、他人つまり私の大切な話しは、聞きたくない、結論を出したくない、返事をハッキリと言葉で伝えたくない、放って置けというかの如き電話の対応ではありませんか?

 こうした事は、今回に限らず、ここ三~四年前から特に顕著な貴殿の対応スタイルで、貴殿の電話の際の方程式のようなパターンです。

 それでも私は今日まで貴殿を信じて疑わずに、自分の信念をブレることなく今日まで頑張って参りました>

 12年4月26日付で内容証明郵便で送付されたこの手紙に対して、山田は回答してくることはなかった。たまりかねて電話をかけた小池に山田はこう言い放つ。

「そんなもの、読んでませんよ」

 そして、回答を拒絶したともとれる山田の電話からほどなく、小池のところに珍しい電話が入った。弁護士の内野経一郎だった。小池は不穏なものを感じ取った。

「小池さん、最近はね、暴対法の改正だとか、条例の強化だとかで、暴力団が表の世界からは消えていくように見えるけれども、それは結局、うまくかたちを変えて一般の企業にむしろ潜りこんでいるような状況なんだな」

 小池には、唐突とも思えるその内野の言葉を瞬時に理解した。

「なるほど、小池、おまえもすねに傷があるんだろう。だったらあまり騒がずに静かにしておれよと、そういうことを匂わせているんだなと思いましたよ。内野先生は頭がいいですからね」

 そして、次の言葉が小池のなかに決定的に突き刺さる。

「小池さん、あんたは私のホワイトナイト(救援者)になってくれる人だと思ってたんだけどなあ」

 それを聞いて、小池はこう確信した。

「小池よ、おまえあまり山田に触るなよ、と、まあ、そういうことでしょう」

 しかし、小池の腹は決まっていた。

「世の理というものはね、軽い木の葉が水に浮かんで、重い石は沈んでしまうんですね。でもね、今、私が陥った状況は、何にも悪いことをしていない私という木の葉が沈んで、むしろ私を食い物にした石が浮かんでしまっている状況です。木の葉を沈めて石が浮かび続けて延命するなんていうのは道理に反する。石が浮かんで木の葉が沈むという不条理を私は見過ごしませんよ。たとえ、あの小池が、と言われようとも、私はそれを見過ごしません。そんな不条理がまかり通れば、社会はおかしいことになる」

 石が浮かんで木の葉が沈む――。小池は2012年、自身、70歳になろうとする瞬間、そんな過酷さのなかにいた。

8億円を運んだ男と、中曽根の秘書と、そして千代田区長と

「あの、わたし、8億円を運んだことありますがね、運べるものですね。キャスター付きのバッグに入れて。東京駅前をですね。運べるものですね。重いです。重いですけど、運べるものです」

 並大抵のことでは驚かないであろう、居並ぶ紳士たちも、酔狂の言葉だけとも思えないその情景のリアリティーに、さすがに固唾を呑んだ。

 民主党の樽床伸二を招いての一席が設けられる以前の09年12月、東京・赤坂の焼肉料理屋・牛村の奥の座敷で、参集した紳士らを前に、こんな話が繰り広げられる。かつて名だたる企業のトップを務めた者たちばかりの席だ。しかし、だからこそ、億単位の現金に自ら手を下した経験などないのかもしれない。

「えー、8億ってバッグに入るの?」

 形を変えた追従さながらに、親しげに驚きの声をあげてへりくだってみせる紳士らがいる。

「えー、入ります」

 身振り手振りで、1億はこれくらい、8億はこんなものと、腕を広げてみせる。

 そこに1人の男が現れる。地下1階のその店に入るのにはいささか難儀であったかもしれない。杖をつき、弱った脚を庇っている。

 しかし、そのがっしりした肩幅だけではなく、男がまとう空気は、柔らかくとも、どこか強さに満ちている。

 男は名刺を取り出して、初対面の者たちに名刺を差し出す。決して大仰にではなく、さりげなくスマートに、かつ嫌みなく。そこには、男の自信と、そして長いキャリアが顕れて見える。

『劇団四季 顧問 筑比地康夫』──。

 とっさに、〝8億をキャスターで運んだ男〟が、名刺交換した紳士らに紹介する。

「中曽根さんの元秘書よ」

「浅利慶太の劇団四季」に留めておいては、その男を登場させた〝8億をキャスターで運んだ男〟、山田慶一の面目が立たないとでもいうように、山田はすぐに、元首相、中曽根康弘の名前を上げる。

 あっ、という声にならない声とともに再びツバを吞む紳士らがそこにはいる。

 あの中曽根元総理の側近がいる。会に呼ばれた者がそう思った瞬間、山田を知らぬ者は一瞬にして山田の〝凄さ〟を知る。そんな仕掛けなのかもしれない。他人の信用で自身の信用を創る。そんな手腕で叩き上げ、這い上がってきた人間らしい振舞いであり、作法であろう。

 時折、カウンターの奥から隙なく細く黒いアイラインを引いたママが顕れ、会の主宰者であろう、山田に話しかける。韓国語だ……。

 しかし、山田は一切、そのママとは目を合わせようとしない。それどころか、話しかけているママのほうに顔を傾けようとさえしない。まるで自身の横には誰もいないかのように、である。

 そして、その山田の異変にようやく気付いたのか。ママの口から耳慣れた言葉が洩れた。

「……持って来ましょうか」

 初めて山田は頷いた。山田が朝鮮人であることは、おそらく居並ぶ紳士らで知らぬ者はいないであろう。すでにその名はウェブサイト上にも溢れ、本名である朝鮮名も〝報道〟されている。しかし、本人が在日であることをあえて語らない以上、山田と相対する者たちがそれをあえて言葉にする必要はない。

 その店のママは、かつて山田の〝これ〟だったと、小指を立てて教える者があった。
 
 ママは山田との間では、いつもの朝鮮語で話しかけてしまったのだろう。しかし、それに朝鮮語で応じることは、山田にとっては恥をかかせられるようなものだったのかもしれない。

 ようやく日本語で何事かを話すやいなや、ママが素早くその場を去ったのと同時に、山田が大きな声で参集した一同に再び話しかけた。

「さあ、皆さん、冷めちゃいますよ。そっち、お酒、足りてますか。お肉、とる? なんでも言ってくださいね」

 韓国語で話しかけるママの横でこわばった顔を崩さなかった山田に再び愛想が戻り、相好を崩す。
 
そこへ、店の従業員だろう、10代に見えなくもない若い女性が慣れない手つきで、盆に水割り用の氷を載せて山田の脇に滑り込む。先ほどまで、ママの語りかけを執拗に無視していた山田のもとにあてがわれたかの如き、うら若い女性の登場に、山田は打って変わって舐めるような視線を注いだ。

 そしてこう言った。

「かわいいねえ―」

 首をかしげてもう一言。

「かわいいねえー」

 若い女性もやはり朝鮮の女性だろうか。細面で脚は長く、すらっとしたその姿は、いかにも日本人離れした美しさに見える。若さだけではない、伝統的な美形を醸している。

 盆から渡した氷受けを受け取り、その場を去ろうとする背中を、山田の視線はまだ追っていた。

 女もあまりの直截的な眼差しに照れたのだろうか。カウンターに走り戻ると、カウンターの内側にいた若い男と朝鮮語で二言、三言、笑いながら言葉を交わした。

 その日、山田が常々付き合いがある者を集めて忘年会を開くとの情報を得ていた捜査筋の男女2人は、開け放った座敷から僅かの距離にあるテーブル席で、飛び込み客などほとんどいないであろうその店の一隅に交代に飛び込み、この宴に参集する人間たちの様子を伺っていた。

 山田たちはすっかり出来あがり、そこに自分たちを監視する者がいることにはまったく気付いていないようだった。

 座敷2つをつなげられた宴会は続く。若い従業員にねっとりした視線を送っていたのに気付いたのだろうか。初老の紳士の声が響いた。

「山ちゃんは、奥さんがいっぱいいるからなあー」と、ひときわ親しげな声が上がる。

 東京都千代田区の区長、石川雅巳だ。

(第16回につづく)

2017年2月9日

【無料記事】千代田区長選・現職勝利で「石川VS内田」黒い原点

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 千代田区長選は小池百合子を〝担いだ〟形となった現職・石川雅己氏の勝利に終わった。

 報道では今のところ、『週刊朝日』(2017年2月17日号)の「豊洲移転きっかけは「小池派区長説」を追う」が唯一、気を吐いた印象だ。

 とはいえ、石川区長が築地市場の移転に絡んでいたことを示し、特に都庁港湾局長時代の辣腕に触れたことは重要だが、その背景には踏み込めてはいない。
 
 答えを先に示せば、港湾局長時代の石川氏は、既に内田茂都議の実質的な傀儡だったのだ。記事では、石川が都局長として政策を立案したように書かれているが、当時から都庁では内田都議の後ろ盾がなければ、誰も局長などの幹部ポストには就けなかった。

 つまり石川区長こそ「内田茂チルドレン」の筆頭格なのだが、いまだに正確な報道が行われていない「なぜ石川区長と内田都議は反目したのか」というポイントを詳報してみようと思う。

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【著者】下赤坂三郎
【記事の文字数】2500字
【写真】千代田区公式サイト「区長選挙開票結果」より
http://www.city.chiyoda.lg.jp/koho/kurashi/senkyo/kucho/kihyo.html
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 まずは元千代田区職員に、もつれた糸を解き明かしてもらおう。

「決定的なきっかけは2008年、内田茂さんの落選です。この時、例えばゼネコンや、政治ブローカーといった〝都政関係者〟の間で、『これで内田は終り』という雰囲気が蔓延したんですね。そしてゼネコンなどが内田さんの代りとして注目したのが、01年に千代田区長に当選していた石川雅己さんでした」

 これまでは「内田茂チルドレン」たる千代田区長だったが、周囲が「親離れ」を勧めてきたわけだ。そしてチルドレンたるご本人も、やぶさかではなかったらしい。

「さる都政ブローカーが、赤坂の焼肉屋で都やゼネコンの関係者を招く宴会を、定期的に開いていたんです。そこに石川さんも姿を見せていたんですが、非常に用意周到なんです。公用車の利用記録を残してしまうと、反石川派の区議から追及されるので、赤坂見附の交差点で公用車を降りて、赤坂の繁華街を1人で歩いて来るわけです。ところが、この振舞が内田さんの逆鱗に触れてしまうんです」(同・元千代田区職員)

 内田都議は石川区長のこれまでになかった用心深さを目の当たりにして、何と「ゼネコンとの折衝役という自分の役割を奪い取ろうとしている」と見抜いてしまったのだという。男の勘も、こういう時は恐ろしいものがある。

「この頃は例えば、紀尾井町にある参議院清水谷宿舎の建て替えに焦点が集まっていました。石川区長は内田さんを抜きにして、ゼネコンや不動産業者と直接、ラインを持つようになります。ゼネコン側も歓迎しました。となると内田さんからすれば『俺の力で千代田区長になったくせに』と面白くないのは当然でしょう。庇を貸したら母屋を乗っ取られたわけですから」(同)

 一方、1999年に初当選した石原慎太郎・都知事は、2003年、07年、と再選を重ねていく。そして07年には猪瀬直樹氏が副知事に就任する。
 
 ご記憶の方も少なくないだろうが、清水谷宿舎の建て替え問題は「江戸時代から続く貴重な緑地」として反対運動が根強く行われていた。ところが都政トップが石原=猪瀬のコンビとなってからの08年12月、「都心に残る貴重な緑を保護すべき」と計画の断念が表明された。

「石川区長は、改革派を自称する猪瀬直樹・副知事が都政入りすると、陰では蛇蝎のごとく嫌っていました。ところが猪瀬さんと内田さんの対立関係が明らかになると、一転して猪瀬さんを選挙応援に招いたんです。今回も同じですが、石川区長は改革イメージを前面に出すことで当選してきました。とはいえ、ゼネコンと金融機関の強固な支援が当選の最大要因ですから、改革派は見せかけだけですね」

 弊誌は『【無料記事】千代田区長選の「小池VS内田」は真っ赤な嘘』の記事を掲載した。
http://www.yellow-journal.jp/politics/yj-00000442/

 文中で、

<千代田区長選で真に重要なのは石川氏の選対本部に、1人のキーパーソンが参加していることだ。その名を鈴木重雄氏という>

と書いたが、この点に関して、都政クラブの記者氏に現状の解説をお願いしよう。

「石川区長の万歳三唱で、鈴木氏は真後ろに立っていましたね。関係者の間では、週刊文春の『反・内田茂キャンペーン』のネタ元は猪瀬氏と鈴木氏の2人という見立てが強固なんです。本来であれば情報参謀といった役割ですから、万歳のような表舞台に出るタイプの人じゃないんです。黒子の自覚は充分お持ちのはずで、あれはわざとでしょうね。都庁の幹部たちに『自分は小池百合子と近いぞ』とアピールする狙いだったんでしょう」

 何よりも内田VS石川のバトルが雄弁に物語るが、政治の裏舞台ともなれば、はったりやら化かし合いが横行する。自分を大きく見せるために、ありとあらゆる手を打たなければ生き残れない世界だ。都政クラブの記者氏は「今回の千代田区長選で、本当の勝者は鈴木さんですよ」と苦笑する。

 だが石川区長の素性に詳しいジャーナリストの見立ては、少し違うようだ。

「鈴木さんは旧住専の富士住建の関係者であり、その利害を背負っています。ところが石川区長が持つ千代田区のプロジェクトは巨大すぎてゼネコンしか対応できないんです。そのため、鈴木さんは小池都知事への近さを武器に、都議選への関与を画策していくのではないでしょうか」

 千代田区政に妙味が存在しないのであれば、小池都政に食い込めばいい、というわけだ。確かに金と票を持つ者にとっては、政治家など出入り業者に等しいだろう。

 いずれにしても、石川区長の再選で、千代田区内の開発は一気に加速するに違いない。弊誌は最後に「真冬の怪談」を付け加えて、この稿を終わらせよう。

「利権にどっぷりと漬かっている区議も少なくありませんが、これからは今以上に気を付けるべきでしょう。昨年も重鎮区議の1人が政務調査費の問題で書類送検されましたが、問題は誰が捜査を動かしたかということです」(前出の区長の素性に詳しいジャーナリスト)

 ジャーナリスト氏によると、少なくとも石川区長が特別秘書を使い、区議の政務調査費や不正行為の数々を徹底して調べていたのは事実だという。

 脛に疵を持つ者たちが、必死にバトルロワイヤルを戦っている姿が浮かぶ。それが千代田区政の実情なのだ。

(無料記事・了)

2017年2月2日

【会員無料】『哀しき総会屋・小池隆一』第13回「千代田・練馬」

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(承前)2009年の3月下旬か、4月のことだったと小池隆一は記憶している。当時は港区・虎ノ門交差点そばの晩翠軒ビルに入居していた山田慶一の事務所に呼ばれた小池は、こう告げられた。

「千代田区長が困っているので助け舟が欲しい」

 そして、一通の〝怪文書〟を渡された。そこには、<千代田区自民党区議団の正念場>と書かれてあった。小池が振り返る。

「怪文書には当時、千代田区議だった男性を誹謗中傷する文章が書かれていました。山田は、その怪文書を見せながら『石川雅己・千代田区長自ら直接に相談されたのだが、この怪文書を配布してほしい』と頼んできたんです」
※この記事は会員の方は無料です。会員ではない方は、登録をお願いします。
■――――――――――――――――――――
【著者】田中広美(ジャーナリスト)
【写真】千代田区公式サイト『ちよだ写真館』より
https://www.city.chiyoda.lg.jp/pg
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2017年1月31日

【無料記事】千代田区長選の「小池VS内田」は真っ赤な嘘

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 この厄介な構図を、品行方正な新聞記事から読み解くのは難しいだろう。

 1月29日に告示された千代田区長選。改革派の小池百合子知事対、守旧派の内田茂の代理戦争と前振りは喧しい。

 だが、その前にまず、品行方正な新聞記事を見習ってみよう。公選法に則った、教科書通りの報道を行っておく。

 任期満了に伴う千代田区長選に立候補したのは、以下の3人だ。

 現職の石川雅己氏(75)、新人で人材開発会社元社員の五十嵐朝青氏(41)、新人で自民党が推薦する外資系証券会社社員の与謝野信氏(41)──という顔ぶれになる。

 それぞれの主張・公約を、3候補者のサイトから紹介する。

 石川氏は現職らしく、「区政16年の施策」と実積を強調。書かれた7項目のうち「次世を担う子供たちを育成する「子育て・教育施策」」がトップだった。

 五十嵐氏は「ぼくたちの千代田。2025ビジョン」と名付けた政策集の中で、1番の番号を付けたのは「劇場型から賛成型の区政へ!」だった。

 与謝野氏は「基本政策」として最初に「日本一、住民が安心安全を感じられるまち 高齢者にやさしい安心して住み続けられるまち」を掲げた。

 これで3候補を均等に紹介したので、本題に進む。

 千代田区長選で真に重要なのは石川氏の選対本部に、1人のキーパーソンが参加していることだ。その名を鈴木重雄氏という。
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【写真】千代田区公式サイト「ようこそ千代田区へ」より
https://www.city.chiyoda.lg.jp/koho/kuse/gaiyo/yokoso/index.html
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 例えば産経新聞は2012年12月『【始動 猪瀬都政】「国に太いパイプ」特別秘書に鈴木氏』の記事を掲載した。一部を引用させて頂く。

<都は18日、猪瀬直樹知事の意向を受け、知事の日程管理や政策立案への助言などを行う政務担当特別秘書に、都知事選で選対事務局長を務めた鈴木重雄氏(56)を任命した。

 鈴木氏は昭和58年から一時、石原慎太郎氏の事務所に所属していた。

 就任会見で猪瀬知事は任命理由について、「会社に長く勤め、実際にマネジメントをしていて、大阪維新の立ち上げにも協力。国に対して太いパイプを持っている」と話した。石原氏の影響を受けるのではないかとの質問には、「石原さんの秘書をやっていたのは30年前。僕がすべて決めていくので心配なく」と答えた>

 都政担当記者が解説する。

「鈴木さんは、住専問題で取りざたされた富士住建に勤務していました。その後、当時は衆院議員だった石原慎太郎さんの〝パーティー秘書〟となります。つまり集金担当ですね。その後、石原さんが都知事になって、それから猪瀬直樹さんが後継となり、鈴木さんが目付役として猪瀬さんの特別秘書になりました。差配したのは石原知事の特別秘書だった兵藤茂さんです。猪瀬さんは、産経新聞の記者で、都政記者会の〝ドン〟とも呼ばれた石元悠生さんも特別秘書に就けました。鈴木さんと石元さんに期待する役割は、当然ながら似ていたはずです」

 都政記者氏は「似ていた」と綺麗に表現するが、要するに石元、鈴木組には「地獄耳」が期待されていたというわけだ。

 石元氏は新聞記者だから〝本業〟だが、鈴木氏にも同じ役割だった。そのことから氏の〝キャラクター〟が見えてくる。

 現在の猪瀬氏は改革派の旗を掲げ、小池塾の講師となるなど、小池都知事との密接な関係をアピールしている。だが徳洲会事件を忘れていいはずもない。猪瀬氏は例の5000万円を徳洲会に返却したが、その担当が特別秘書の鈴木氏だったのだ。

 鈴木氏は上記のように石原陣営に属している。石原慎太郎氏のためにカネを集め、猪瀬都知事の秘書を経ると、奇妙なことに小池百合子知事の〝同士〟として「クリーンな改革派」というレッテルを与えられるらしい。

 厭味はこのぐらいにして、改めて構図を確認しておこう。

 現職区長である石川氏の陣営は鈴木氏を通して石原=猪瀬という元知事の〝系譜〟を引き継いでいる。これは紛れもない事実だ。

 そして現職の小池都知事が石原慎太郎にケンカを売っているのも事実だ。

 ところが小池知事は「石原氏の臭いが、いまだに強烈」(関係者)だという石川陣営を必死に応援している。選挙に怪談は付き物だが、こんな奇っ怪な構図は珍しい。都政に詳しいジャーナリストが縺れた糸を解きほぐす。

「旧・富士住建の関係者も期待していますよ。鈴木氏が石川氏に食い込むほど、都内の再開発案件に関わる可能性が高まるからです。かつて、猪瀬直樹氏が都知事に当選した時、花束を持って走り回っていたのは、さる広告コンサルタントの副社長でした。社長は神奈川新聞OBですが、狙いは東京オリンピックのPR活動だったことは言うまでもありません」

 では「反石川派」たる自民党サイドこそ正義の味方かといえば、もちろんそんなことはない。というより、今回の千代田区長選では自民党らしからぬお粗末さが目立つ。

「選挙前から、破綻したアーバンコーポレーションによる、紀尾井町の再開発計画をめぐる石川区長の疑惑追及をマスコミに売り込もうと必死だったようです」(関係者)

 ちなみに、この件に関しては、弊誌は既に記事化している。

『【連載】『哀しき総会屋・小池隆一』第12回「麹町五丁目計画の暗部」』
http://www.yellow-journal.jp/series/yj-00000370/#more-3075

 だからこそ弊誌は断言するが、このネタを一般紙やテレビがストレートニュースとして報じられるわけがない。いわゆる「記者クラブ加盟社」は警察や検察が事件化してからスタートするのが基本だからだ。

 結局のところ、石原慎太郎も猪瀬直樹も、内田茂も小池百合子も、基本的には自民党と、その周辺で生きてきたのだ。自民党、特に「保守本流」からの距離は、それぞれによって異なるが、同質性は高い。

 そんな政治家が、敵味方に分かれて戦うわけだ。構図が複雑化するのは当然だと言える。だが「同じ穴の狢」によるバトルであることは間違いなく、要するに内ゲバなのだ。

 かつての同士が刃を交える。文字面だけを見れば悲劇性も感じるが、今回は単なる喜劇だろう。被害者が存在するとすれば、こんな茶番に付き合わされる千代田区民に違いない。

(無料記事・了)

2017年1月26日

【無料記事】千代田区長選「自民惨敗」で「自民都議」大量脱走

2017-01-26 15.30.13

 小池劇場の加速が止まらない──。

 1月23日、小池百合子東京都知事の政治塾を運営する「都民ファーストの会」が地域政党として活動を開始。今夏の都議選にまず4人を公認することとした。

 今後、小池サイドが候補者を続々と擁立していくことが可能なら、都議選は「ドン内田茂率いる自民党VS小池」となっていくのは必至。その前哨戦と位置付けられているのが、ご存じの通り、29日に告示される千代田区長選だ。

■――――――――――――――――――――
【写真】五十嵐朝青氏サイトより
http://asaoigarashi.com/
■――――――――――――――――――――

 22日には、小池知事が現職の石川雅己・千代田区長の決起集会に参加した。

「この戦いを勝ち抜くことが、東京大改革を進める一歩になる」

 そう高らかに宣言し、準備は万端だ。石川陣営の関係者も興奮を隠せないようだ。

「すでに、小池さんとのツーショットポスターを貼っています。次の当選で5選なので、多選批判も出るかもしれませんが、それを凌駕する人気が小池さんにはありますからね」

 一方、頭を抱えるのが自民党東京都連だ。都連関係者が言う。

「内田さんが擁立しようした中央大学の佐々木信夫教授に出馬を断られました。結果的に、与謝野馨元財務相のおい、信氏を擁立することになったわけです。しかし、実のところ当初は楽観論もあったのです。というのも、石川区長は多選批判を受けるだろうし、彼は41歳と若い。それなりの票をとれると思ったのですが……」

 誤算だったのは、第三の男が立候補を表明したからだという。

「元コンサルタント会社の五十嵐朝青候補ですよ。彼も同じ41歳。しかも、信さんよりもイケメンなんです。お互い票を食い合うことになるでしょう。しかも、公明党が今回は支援してくれませんからね」

 そうなのだ。今回の区長選で公明党はダンマリを決め込んでいる。公明党関係者が重い口を開く。

「都議会でも連立を解消しましたからね。ただ、理由はそれだけではないんですよ。実は昨年末、うちの党が情勢調査を行ったのです。すると、現職区長が2万に対し、自民党候補は5000という結果でした。『夕刊フジ』が同じ数字を「某政党の調査」と書いていましたが、あれはウチですよ。当時は、まだ与謝野信氏の擁立は決まっていませんでしたが、こんな数字が出れば、誰であっても支援できるはずがありません。早々と撤退したというわけですよ。もちろん、国政では連立を組んでいますが、公明党本部も都連が言うことを聞かなくて、困っているのです」

 今回の区長選でも、孤立を深めたドン内田都議の自民党は惨敗──との見方が優勢になっている。ではその結果何が起きるのか。都政担当記者が言う。

「完敗となれば、内田さんの求心力はますます低下します。すでに3人の都議が会派を離脱。中央区選出の立石晴康都議も自民党を離れようとしています。おそらく、大量離脱のタイミングは、来年度予算が決まる3月より前。予算決定の際には、会派として賛成か反対かを表明せねばなりません。都議団の意思表示を迫られるわけですから、会派にいたくない人はその前に脱藩するということになる。空中分解ですよ。そのきっかけになるのが千代田区長選の結果でしょうね」

 人口に膾炙している諺に「沈む船から逃げること鼠の如し」がある。政治家は「所詮、落ちれば唯の人」には違いない。当選するためには手段は選ばないのが普通だとは言える。

 とは言うものの、都議としての見識もネズミレベルとなると、かなり困ったことになる。更に「合従連衡」や「野合」は相当数の有権者が嫌いだということも、関係者は肝に命じるべきだろう。

(無料記事・了)

2017年1月23日

千代田区長選で「石川雅己区長」の「黒い人脈」再噴出

tiyoda2017-01-22 21.08.08

 弊誌はジャーナリストの田中広美氏の『哀しき総会屋・小池隆一』を連載している。

 小池隆一氏といえば、あの「総会屋利益供与事件」(1997年)の主役である。野村証券、第一勧業銀行という一流企業から引き出したカネは「100億以上」とも「270億円」とも言われる。

 そして田中氏の連載は、都庁・都議会の〝闇〟にも焦点を合わせている。興味のある方は、ぜひ第1回を拝読頂きたい。

『【初回完全無料】『哀しき総会屋・小池隆一』第1回「漂着」』
http://www.yellow-journal.jp/series/yj-00000232/

 この連載で、石川雅己区長も既に登場している。そのため弊誌は千代田区長選が近付いてきたため、田中氏に特別原稿を依頼した。田中氏の厚い取材から紡がれる「千代田区長選の真相」は、多くの人が驚くに違いない。

 マスコミの小池VS内田という図式が馬鹿らしく思えるほど、様々な魑魅魍魎が跋扈しており、千代田区長も全くの「ブラック政治家」なのだから。

■田中広美氏・特別原稿

 小池百合子・東京都知事VS自民党守旧派の代理戦争となっている千代田区長選。だが都知事にとって、現職の石川雅己・区長との〝共闘〟は本意ではなく、実は頭を痛めている。

 石川区長は2017年1月8日、5選を目指して無所属で立候補することと、小池知事の支援を受けることを明らかにした。

 自ら都庁へ出向き、小池知事の応援を取りつけたと言い、知事との2ショットが映るポスターを持参。知事について「応援のアクションを期待しているし、多分、応援してもらえると思う」とアピールした。

 だが、前々回まで支援を受けていた内田茂・都議について記者団が問うと、その口は相当に重かった。「内田氏と議論したことはないが、既成概念、既得権という意味で楔を打たれるのは嫌なのかも分かりません」と全面的な批判は差し控えた。

 こうしてマスコミが「代理戦争」と夢中で報じるわけだが、石川区長も決してクリーンな政治家ではない。都庁担当記者は知って無視したか、あるいは本当に把握できなかったのか、2016年の都知事選に前後して、千代田区庁舎(東京都千代田区九段南)に右翼が街宣をかけたことは全く報じられていない。

 右翼がやり玉に挙げたのは、石川区長の「黒い人脈」だ。
■――――――――――――――――――――
【筆者】田中広美(ジャーナリスト)
【記事の文字数】2700字
【写真】千代田区公式サイト『2月5日は千代田区長選挙の投票日です』より
https://www.city.chiyoda.lg.jp/koho/kurashi/senkyo/kucho/tohyobi.html
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2016年11月10日

【無料連載】『哀しき総会屋・小池隆一』第12回「麹町五丁目計画」

soukai122016-10-21-16-21-19

 山田と極めて近しい東京・千代田区長の石川雅己が、しばしば衆前で山田を評する言葉は、実に空々しい。
「やまちゃんはさあー、みんなひとのために使っちゃうからなあー」
 仮に、その言葉に偽りがないにしても、どこかの「ひとのため」に石井や小池といった〝犠牲者〟が生まれていいはずもない。そんなことは許されない。
 むしろ、山田と数十年来の付き合いがある人物の次の言葉のほうがより現実味がある。
「あの人は本当に、ファミリーだけ。自分のカネは隠しておいて、カネ回りが悪くなると、じーっと亀みたいに頭も手も引っ込めて、石みたいにじーっとしてるわけ。それで、すべてが通り過ぎるのをじーっと待ってるんだよ。あの辺の感覚は尋常じゃないよ。やっぱり日本人じゃないから、日本人からどれだけ取っても平気でいられるっていう感覚はあるんじゃないかな。日本人だったら世間体とかいろいろあるから、なかなか平気ではいられない状況でも、あの人は平気だから。それで、守るのはやっぱりファミリーだけだからね」
 山田慶一の生態と感覚は「居留民」と同根だと指摘する声がある。長年、山田の傍で多くを見てきただけはあろう。「すべてが通り過ぎるのをじーっと待」った末に、石井の債権の請求権は時効を迎えていたのであった。

■――――――――――――――――――――
【著者】田中広美(ジャーナリスト)
【写真】『ちよだ区議会だより』より
https://kugikai.city.chiyoda.tokyo.jp/dayori/no229/pdf/229_P1.pdf
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 7000万円も貸しながら、債権者が返済を「お願い」するという本末転倒。だが、その原因を作った男に擦り寄り、近寄ろうとする人間は後を絶たない。魔力の如き魅力は恐らく、多少のいかがわしさには目をつぶっても、利益を得られる場面に遭遇することを望む人間にとっては、リスクを考慮しても、なお輝きを放って見えるのだろう。

■日大総長選挙騒動における山田慶一と小池隆一

 東京・銀座の昭和通りから通りを1歩入ったところに「東京都中小企業会館」なるビルがあり、その中に山田慶一の〝架空の城砦〟がある。「株式会社大都市政策研究センター」だ。以下からは「大都市センター」と省略させて頂く。
 山田らは2008年、虎ノ門交差点脇の晩翠軒ビルから銀座に拠点を移して事務所を構え、シンクタンク風の名前をつけて新たな法人を登記した。この大都市センターこそが、冒頭で挙げたベトナムでの受注工作の舞台となった。その1室では夕方になると、大企業の関係者らが三々五々集まって来る。
 山田は焼酎の一升瓶を片手にコップに水割りをつくり、やんや、やんやと、四方山話に花開かせる。その1室の笑い声の渦のなかには、山田が口にした数多のプロジェクトで泣きを見た者たちは、むろん入っていない。
 そこに集えるのは、山田の悪しき実態を踏まえたうえで、自分だけは山田と付き合えるという自負と実績に満ちた者だけなのだ。奇妙な矜持に満ちた笑いの宴には、常に不穏な通告も届いているのだが、それを気に留める者はいない。決して懲りるという内省を知らないため、千代田区に大きな拠点を構える日本大学でも大きな火種となった。
 ここに1冊の本がある。2005年8月に新装版として発刊されることになった折、小池は日大による発禁工作の実行者として、その名前を晒されてしまう。

<驚くまいことか、最後に接触してきたのは右翼団体元総会屋小池隆一である。なぜこの大物が出現したのか。おもしろそうなので話を聞くことにした。彼はあの児玉誉士夫の配下ととも(原文ママ)小川薫の門下生ともいわれる人物である。
「私は日大関係者のある人物に世話になっている。日大のために役に立ちたい。私個人の一存できた。版権を買い取りたい。」
 という申し出だった。
 私が断ると、
「警視庁捜査二課が動いている。」
 と脅された。
 私は平成一七年四月一八日付けで内容証明書を送付してこの申し出を正式に断った。
『暗黒の日大王国』の出版を目指してからもう六年になる。本が完成してからでも、一年近く経ってしまった。だが、その間にこんな知られざる水面下の攻防があったのである>(坂口義弘著『暗黒の日大王国─新装版─』スポーツサポートシステム)

 このとき、小池が著者の坂口に接触したのは事実だ。それは山田からのたっての頼みであったからだった。この発刊を前後して、日本大学では総長レースで人間関係が沸き立っていた。
 1996年から2005年まで日大総長は瀬在幸安。内容証明が送付された平成17年は2005年。『暗黒の日大王国』では瀬在と暴力団に癒着があったとし、大学運営の細部をレポートしたものだ。
 出版されれば瀬在の総長留任が厳しくなる、そう危機感を覚える者がいてもおかしくない。実際に阻止しようと動いたのは山田と、日大卒で共同通信出身の広報担当理事(当時)だった石井宏だった。
 山田と石井は日大による御茶ノ水周辺の校舎を含めた再開発を、当時まだ山田と蜜月だったパシフィックコンサルタンツに業務委託させるなど、日大の開発に一枚も二枚も噛んでいたのだ。
 しかし、当の瀬在の総長留任の雲行きが怪しくなったためか、工作に借り出された小池は、交渉の梯子をはずされたかたちとなり、坂口に対しても不義理な状況に追い込まれる。その結果が、右の記述となって現れたのだ。
 こうしたことから分かるのは、小池は既に山田の術中にはまっていたということだ。山田は小池の心理をうまく読んでいたのだろう。「こんな目先のカネで貸し渋って人間関係を壊してしまうより、ここはひとまず相手の顔を立ててやり、より大きなものにつなげた方がいい」──小池に限らず、山田は意識しているのかしていないのか、こうした人間社会における「大人の心理」を常に、実に巧みに利用していた。
 人心収攬術と呼ぶのであれば、間違いなくそうであろう。確かなことは、しかし、プロジェクトは常に完全な創作ではなく、ましてや架空のものなど1つもなく、どこかに必ず、その痕跡が傍目にも分かるようになっているということだ。幽霊話ではなく、ちゃんと脚も足も見えている。
 問題は、そうしたプロジェクトは、必ずしも山田の案件ではないところにある。「あいつは自分が見聞きしたものは全部、自分がやってる案件だって言っちゃう」(小池)なのだから手に負えない。
 山田に食い下がるのは、大人であればあるほど、不可能となっていく。なぜならば、もし万に一つ、山田の機嫌を損ねれば、「本当」のプロジェクトへの参加権を失いかねないという絶対的な恐怖が存在するからだ。
 そのためにも、山田側には絶対に欠かせないことがある。プロジェクトのメニューだけは手元に豊富に取りそろえておかなければならないのだ。ロビー活動を展開するコンサルティング業者に、そうしたプロジェクトが数多く揃うという下地を作ったのは、いわゆる55年体制、自民党体制であったことは間違いない。
 2009年に政権交代が実現してもなお、与党民主党はミニ自民党の如く振る舞った。そのために下地が決定的に崩れることはなかった。与野党が入れ替わっても、日本の国土は掘り返され続けていくのだ、と漠然とした期待があったのだろう。
 だからこそ山田慶一は、まるで夜光虫のように「期待」という名の光を放ち、一流企業と呼ばれる法人や、そこで働くエリートサラリーマンという組織人を魅了して止まないのかもしれない。
 それは決して山田慶一のみの「悪」ではない。彼ら組織人が自主的に集うという、自身の「意志」がある限り、山田慶一が持っているものは「悪」ではなく「魅力」なのだ。だから根本的な問題は、山田に魅力を感じる組織人たちの心の内側にも存在した。
 組織人から放たれる魅惑の眼差し。それを山田は間違いなく捕まえ、決して放さない。これこそが「ロビイスト」という職業に必須の条件なのだとすれば、間違いなく山田はバブル崩壊後最大の、55年体制末期が生んだ最も魅力的なロビイストだといえた。
「お金ある? あればすぐできるよ」
 そんな山田の掛け声に、人々は率先して金を出していった。山田という政治への、自民党への扉を開くための、金こそは何にも勝る通行手形であったのだ。

■区長と〝コンサルタント〟が絵図を描いた麹町五丁目計画

 銀行関係者をも驚かせる、業務委託契約書がある。不動産の第三者への売却コンサルティング業務の契約書だ。2008(平成20)年4月10日付の契約書の第6条には次のようなに記されている。
<甲は、本契約締結時に着手金として、金150000000円(消費税及び地方消費税)を支払うものとし、本委託業務完了時に成功報酬として、本不動産の売却価格の3%に消費税及び地方消費税を加算した金額から着手金を控除した金額を支払うものとする>

 念のため、金額は1億5000万円だ。甲欄には、株式会社アーバンコーポレーション代表取締役の房園博行の名と社判、乙は環境計画研究会代表の山田慶一の名と社判がそれぞれ置かれている。
 その日からわずか4ヵ月後の8月13日、甲であるアーバン社は東京地裁に民事再生手続き開始の申し立てを行う。つまり、アーバン社は実質的に倒産したのだ。
「時期的には4ヵ月前となると、すでに企業としては民事再生の手続きに入っていてもおかしくない時期です。その時期に、不確定要素の強い不動産売買を見越して1億5千万円もの手付金を払うというのは聞いたことはありません」(銀行法人営業部関係者)
 一方で、不動産の業界に詳しい人間はこういう。
「80年代のバブルの頃にはよくありましたよ、こういうの。倒産を見越してね、あるいは経営者個人に対するキックバックのために、現金が必要になるとこんな業務契約書をよく巻いたものですよ」
 後者の〝見立て″も現実味はある。この契約書と平行して作成された、63枚にのぼるカラ―の冊子がある。その表紙にはこう書かれている。
 麹町五丁目計画マスタープラン案――。
 日付は2008年2月12日、アーバン社と山田とが業務委託契約を結ぶわずか2ヵ月前のことだ。東京都内の大手建築設計事務所によって、麹町5丁目界隈の開発計画を取りまとめたもので、紀尾井町TBRビルの跡地を中心に、四ツ谷駅に近い新宿通りの現・鉄道弘済会館までをつないで開発する計画だ。そこには、住宅とホテルのタワー棟複数と、商業施設、さらに中低層の住宅施設を建築する計画が示されている。
 この東京のみならず、日本における一等地中の一等地で、山田たちは開発に着手していた。この建築設計事務所が作成した「マスタープラン案」を山田は持ち歩き、実際に永田町の弁護士事務所で広げて見せている。
 わざわざ第三者の弁護士にこのマスタープランを渡さなければならなかった事情は後述するが、山田はこのマスタープランを任されているのでカネが入るとして、このプラン案が記された冊子を提示していた。
 このプラン案の策定を前後して、この計画地周辺で、奇妙な動きがあったのが、表沙汰になったのは、山田らが業務委託契約を結んでから2年後のことだ。2010年9月16日、東京・千代田区の共産党区議、木村正明が質疑に立った。

<区政運営の公平性・透明性の確保について、端的に2点伺います。1つ目。区役所の移転に当たって、全体のマネジメントを民間企業にゆだねました。その企業の選定に当たり、プロポーザル方式を採用しましたが、選定委員はすべて区の内部職員でありました。『千代田区プロポーザル方式業者選定実施要綱』では、選定委員に原則として『学識経験者を入れる』となっています。なぜ内部職員だけで選定したのか、答弁を求めます。
 2つ目。2008年12月に都市計画決定された『麹町地区の地区計画』では、D地区、いわゆる上智大や鉄道弘済会館や駐車場などがある地区ですが、ここだけが高さと壁面の位置の制限が定められていません。D地区だけルール化を避けた、どんな特別な理由があったのでしょうか>

 鉄道弘済会館、そして「駐車場」こそが、山田らが持ち歩いた麹町プロジェクトの開発区域に当たる。
 いわゆる高さ制限がこの「D地区」の一角だけ設けられていなかった。そこに〝恣意性〟をかぎ取ったであろう木村は、質疑に取りあげた。むろん裏では、何かと区政で話題の尽きなかった、区長の石川雅巳の影を睨んでいたことは間違いない。しかし共産党の木村だけでなく、区議会側もこの段階では、このD地区で具体的な開発計画が進行中であることは知らなかった節がある。答弁に立ったまちづくり推進部長は朗々と読み上げた。

<麹町地区の地区計画は、幹線道路沿道において良好なまち並みを形成することにより、幹線道路における緩衝帯として、後背地の環境保全につなげることを目的としております。D地区におきましては、大規模敷地が多く、不整形な大規模街区となっております。こうした大規模敷地、大規模街区の建てかえにつきましては、一律に高さや壁面後退距離を制限するのではなく、ほかの都市計画手法も視野に入れながら、広場や道路等の空間―都市の空間ですね、そのとり方や、建物、それから機能の配置等、一体的検討が必要であると考えております。このため、地区計画の中では具体的な高さを定めませんでしたが、具体的な建築計画の機会をとらえ、地域の課題解決に向けた効果的な計画誘導を行えるよう、今回は方針のみとさせていただいたところでございます>

 一般論に終始しようとする答弁に、木村がさらに突っ込む。

<それから、麹町地区のD地区だけ、高さ制限、あるいは壁面後退のルールをかけなかったという問題であります。
 今の土地が不整形であるとか、あるいは大規模街区というご説明でしたけれども、そういうところだからこそ、高さ制限や一定のルールを課すことが重要なんじゃないですか。どういうところが開発をするのか、わからないわけだから。
 これまでも区は、地区計画について、その実現に向けて、都市計画に――地区の目指すべき将来図を設定してまちづくりを進めていくんだと。あるいは、将来像をその地区の人々が共有することで、地区としてのまとまり、一体感を持ったまちづくりを進めることができるんだと、こう述べています。つまり、その地区の地権者の皆さん、住民の皆さんがまちの将来像を共有して、そして一歩一歩、良好な住環境をつくっていくんだと。これが地区計画でしょう。何で一定の割合だけ、住民とは別のところで、区が独自にそういったところは別の手法で誘導していくというような例外措置を設けたのか。これは極めて疑問ですよ。
 これについては、特別にこのエリアを外せという働きかけだとか、そういう声がかかりましたか。その点だけ、確認しておきます>

 区議会も知らなかっただろうが、この時点で既にマスタープラン案は計画敷地面積として実に1万8198㎡を予定しており、そこに36階建てのタワー2棟を建設する計画が進行していたのだ。
 当初、この敷地を所有していたアーバンが倒産前に描いていた開発計画とはいえ、建築設計事務所側の青図では新宿副都心、表参道、東京ミッドタウン、六本木ヒルズ、丸の内仲通り、カレッタ汐留、そして銀座に並ぶ都内の一大開発となりうるものだった。
 山田と区長の石川とは極めて近しい間柄だ。山田の持ち歩く〝思惑〟と、そして石川ら千代田区の「部分的な例外措置」によって重なった部分、それが、「D地区」であり、「麹町五丁目計画」として表に現れたのだ。木村の「働きかけだとか、そういう声がかかりましたか」という直接的な問いかけに、役所側の答えはもはや見えていた。

<木村議員の再質問にお答えいたします。まず最初に、どちらかからいろんな要請があったか、高さを決めるなという要請があったかという話でございますが、それはございません>

 しかし、この答弁から遡ること2年前、2008年2月の段階、つまり千代田区が高さ制限を部分的に外すことを決めた時期までに、もう業者による青図は完璧にできあがっていた。これに対して、千代田区のまちづくり部長の答弁は、役所答弁としてはひな形通りのものだといえる。

<このまちについては、道路の舗装のあり方とか、いろんなことをやってきた経緯もありまして、一定の、余り高さに不そろいのないように、結果的には敷地の大きさによって高さも変わってくるわけでございますけれども、それでも、この辺を考えましょうという、70メーター、80メーターという数字が出てきましたし、それとともにあわせて出てきたのが、麹町大通りの、やはり色とか形態について、いろいろ、議論があった記憶がございます。
 そういう点でいきますと、先ほどのA地区におきましても、そういった敷地が道路に面しているところについては、一定の高さ、先ほど申し上げました70メーター、80メーターを設定していますが、その裏敷地においては、先ほども申し上げましたように、大きな街区それから公共施設、都市施設の整備状況がやはりここは不十分であるという観点からそういうふうな議論をして、そこの部分については、今回定めないで方針だけにしておきましょうと。方針の中で、やはり一体のまちであるということを書き込もうということで、そういうふうなことになった経緯がございます>

 実は、この共産党区議の質問から遡ることおよそ1年前、1通の怪文書が流れた。
(第13回につづく)

2016年8月1日

小池百合子新都知事誕生で、余裕綽々の「内田茂」の恐怖

koike vs uchida2016-08-01 17.42.03

 男たちを完膚なきまで叩きつぶし、小池百合子・新都知事が誕生した。小池氏の得票率は44%に伸び、増田氏でさえ27%、鳥越氏に至っては自民分裂という追い風を受けながら20%がやっという大惨敗だった。しかし「ブラックボックス」と名指しされた自民党都連側には何の動揺もない。それどころか「百合子は必ず、いずれ意趣返しを受けるよ」と涼しい顔なのだという。
 小池都政がスタートすれば、完全なオール野党からのスタートとなる。過去に2人の都知事を葬ってきた内田茂都連幹事長は、小池百合子氏とどんなバトルを繰り広げるのか、互いにとっての〝勝機〟はどこに存在するのか──。
 編集部は、都政を丁寧に取材している、さる記者に取材を申し込んだ。結果、匿名を条件にしてインタビューは始まった。

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【購読記事の文字数】4400字
【写真】内田茂氏の公式サイトより
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2016年7月28日

猪瀬直樹の「元腹心」が明かす「猪瀬VS内田都議」の真相

INOSE2016-07-28 16.55.43

 猪瀬直樹が止まらない。文字通りの〝猪突〟直樹だ。舛添要一・前都知事への批判が高まると突如としてテレビに復帰。更に小池百合子氏が〝都議会のドン〟内田茂都議との対決姿勢を匂わせると、ネットメディアで暴露記事をアップするなど存在感を爆発させた。今や徳洲会5000万円問題など、どこ吹く風。毎日、自ら多くのメディア関係者に電話をかけて「内田をやらない?」と水を向けているという。都議会改革派の急先鋒として立つ姿は、かつて道路公団改革で名を売った頃を思い出させる。
 しかしながら、冷静になれば「猪瀬に内田を批判できる資格があるのか?」という当然の疑問も浮かぶ。「ここが叩きどころ、露出のしどころだと見れば、しゃにむに前面に立とうとする。あの性根は若い頃から変わらないね」との声も漏れ聞こえる。そんな元都知事の原点を探るべく、弊社は信州大学・全共闘議長時代から猪瀬氏を知り、知事選当選の会見にまで立ち会った、かつて「影の腹心」と呼ばれたある人物を訪ねた。
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【購読記事の文字数】4900字
【写真】猪瀬直樹氏Facebook(15年5月4日の記事)より
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