2017年2月9日

【無料連載】『哀しき総会屋・小池隆一』第14回「小池の手紙」

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(承前)2012年7月、株式会社大都市政策研究センターがある東京都中央区銀座2丁目10番18号の東京都中小企業会館と同じ所在地と、約款もほとんど変更されず、新しい「株式会社大都市政策研究センター」が設立された。

 なぜ、こんな〝トリッキー〟なことが行われたのか。銀行マンが「考えられる可能性」を解説する。

「1つは、例えば旧・大都市センターの代表取締役を辞めさせると、不都合が生じる場合です。具体的には大都市センター名義で借入金があり、代取の金子清志氏が返済の個人保証を行っている、といったケースが考えられます。旧・大都市センターでは金子清志、前川燿男の2人が代取でした。仮に金子氏が代取を辞職すると、前川氏が借入金の個人保証を行わなければなりません。それが嫌で新しい法人を作ったという経緯です」

 この分析が事実だった場合、当然ながら旧・大都市センターは、借金まみれということになる。

 私の取材に対し、大都市センターの代表取締役を務めていた前川──ご存じの通り、現在は練馬区長──は、

「あそこの従業員からクレームが多くてね。金子が支払いばかりをこっちにまわしてくるとかね。それで、仕方なくね、会社を移したんだ」

と答えた。これに銀行マンは着目する。

「もし『支払いばかりが押し付けられて』という話が本当なのであれば、もともと旧・大都市センターは損失の受け皿にするために設立したのかもしれません。負債を押し付けるペーパーカンパニーは実のところ、かなり多数存在しています」

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【著者】田中広美(ジャーナリスト)
【写真】東京都都市整備局『東京都市白書 CITY VIEW TOKYO』より
http://www.toshiseibi.metro.tokyo.jp/topics/h28/topi002_01.html
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 損失だけを引き受ける会社を作ることは、違法とは断言できないそうだ。そもそも銀行は捜査権がないため見抜けない。仮に国税の査察が入っても、帳簿上に取引記録が書かれてあれば、脱法行為と認定するのも難しい。こうした理由から、「損失専門会社」の実態を監視することは事実上、不可能なのだという。

「この旧・大都市センターの法人口座を、新・大都市センターが継続して利用している可能性も考えられます。そもそも、旧法人の名称を変更し、同じ所在地で、同じ名称の新法人を登記するというのは異常です。そこまでして表向きは同じ法人であるように見せかける必要があったわけですが、法人口座の問題は動機になり得るでしょう」

 会社の設立は比較的容易だが、法人口座の開設はマネーロンダリングの観点から現在、極めて審査が厳しくなっている。

「新会社の法人口座を作るのは簡単ではないので、旧・大都市センターと同じ名称とせざるを得なかったかもしれません。あるいは、旧センターの口座で運用中の取引が存在するため、どうしても口座だけは新法人でも引き継がなければならなかった可能性も考えられます」

 興味深いことに、2012年8月頃、東京都中小企業会館の大都市センターの事務所では、こんな場面が目撃されている。山田と金子が「社判」をめぐって諍いを展開していたのだ。

「代表印を渡すのならば、代取はおろさせてもらわなければなりません」

 文面だけでも、金子の強い決意が伝わってくる。実際、相当な剣幕だったという証言もある。さすがの山田もたじろいでいたという。「異常」は言い過ぎでも、「異様」な場面なのは間違いない。

「ただし、旧法人の法人口座を、全く別の新法人で使用する場合、銀行は絶対に問題視します。また口座の譲渡が法規に触れる可能性もあります」(同・銀行マン)

 旧・大都市センターの役員たちは一部を除き、この名称変更など「法人移行」の動きをまったく知らされていなかったのだ。

 一連のトリックを見抜いたのは、小池である。それを知った私は、眼光紙背に徹すが如き目力と、追い込まれた時の執念に驚かされた。

「法人番号が変わっている。これは新しい会社だ。企業がこういうことをするときには必ずただならぬ事情がある。そして、悪事がそこには必ずある」

 自らをしゃぶりつくした山田の身辺を、小池は執念で追っていた。

 

「他人の信頼を勝ち取る方法」を知り抜く山田慶一

 
 旧・大都市センターの役員ですら「そもそも会社設立以来、株主総会はおろか、役員会が開かれたこともない」と証言する。これが事実だとすれば、センターの異様さは一層増してくる。

 だが、大都市センターが新旧移行する中で、唯一、業態が一貫している存在がある。それが山田慶一だ。

 山田の机と事務所は、一貫して大都市センター内にあり、多くの企業関係者が呼ばれる場所も、面会する場所も、東京都中小企業会館内のこの事務所だ。

 第13回で、机の上に3億円が積まれた場面を紹介したが、その〝現場〟も、このセンターにある山田の机だった。

『【会員無料】『哀しき総会屋・小池隆一』第13回「千代田&練馬区長」の〝過去〟』
http://www.yellow-journal.jp/series/yj-00000444/

 小池が三菱商事の三桝素生、そして金子、山田との面会に指定されたのも、この東京都中小企業会館の事務所である。

 前川は、自身が代取を務める法人で、まさに社内で行われてきた策動の数々を、まったく知らないと言う。だが、その回答には決して逃げを打つだけだとは思えない信憑性が感じられた。

 実際、山田と金子が大都市センターを舞台に展開させる〝プロジェクト〟の数々は決して、思惑とスキームの全貌が他者に明かされることはないからだ。関係者は、ごく一部の事実しか明かされず、基本的には善意を悪用されて手伝うはめになる。

 もちろん、何もかもが善意を動機としているわけでもない。「山田と金子に寄り添っていれば、きっといいことがあるに違いない」「経済的なリターンも、いつかは得られる」──こんな下心も、もちろんある。

 だが恐ろしいのは、山田は言質を与えることなく、そうした善意と下心を他人から引き出すところだ。そんなマジックに、センターという〝舞台装置〟も、相当な寄与を果たしているのかもしれない。

 センターにおいて、山田はさながら最高の演出家というわけだ。さらに言えば、金子は〝出し物〟の手配師といったところだろう。

 そのひとつが連載第2回で触れた、ベトナムでの発電所入札事業という、三菱商事が関係する〝出し物〟だ。

『【連載】『哀しき総会屋・小池隆一』第2回「陰謀」──ODA・ベトナム火力発電所建設入札で〝暗躍〟した「伊藤忠」「三菱重工」「三菱商事」の抱えた「あまりにも深い闇」』
http://www.yellow-journal.jp/series/yj-00000248/

 山田は「ファイナンスはぜんぶ任せようと思ってまーす」と言ってはさらなる出資者を募り、あるいは「もうすぐこれでまとまったお金が入って来るので、そこから1億円をお支払いできます」と、さらなる金集めに励むのだ。

 だが、これだけなら、世の中に多数転がっている、月並みな「事業家」の──その別名は詐欺師だが──1人に過ぎない。

 山田たちが凡庸ではない点は、検察、警察、国税といった、捜査当局の介入をすんでのところで回避し、組織崩壊を防いできたところにある。彼らを支えたのは自民党一党支配という社会体制であり、更に田中角栄「越山会の女王」佐藤昭の影があった。

 とはいえ、これだけでも、彼らの評価には足りない。決定的な凄みは、後ろ盾が時代の移り変りで衰退していったにもかかわらず、現在に至るまで他人の信頼を勝ち取っているという点にある。信頼される方法を山田は知り抜いている。1番重要なのは誰もが理解しているように「絶対的な政治力」だが、2番を把握している者は少ない。それは「公的な存在」というカードだ。

 実際、山田にとって最大の後ろ盾だった佐藤昭は、大都市センターを設立してほどなく、2010年に鬼籍に入る。衰退どころか、消滅してしまったのだ。

 1番だけの男なら、同じ道を辿っただろう。しかし、山田には2番も知り抜いていた。

 だからこそ「都庁OBを受け入れる会社」との目的を掲げ、東京都人事の天皇と呼ばれた小豆畑を納得させることができたのだ。加えて代表取締役に元知事本局長の前川を据えさせ、いわば〝山田劇団〟の信頼性を確保した。

 東京都という「公的な存在」の価値は重い。日本では単なる地方自治体のレベルに留まらない。予算規模はアジア諸国の国家予算を遥かに凌ぎ、オーストラリアと同規模というレベルに達する。

 東京都庁の元知事本局長とは「一国の主」に匹敵し、東京都中小企業会館とは「城」に等しいだろう。山田慶一は「一国一城の主」を神輿に担ぐことで、自身に関する青天井の信頼性を手に入れたわけだ。

 ここにおいて「大都市政策研究センター」という、株式会社というよりは、むしろシンクタンクを連想させる社名が効いてくる。誰もが「よい方向に」誤解してくれるのだ。

 前川は株式会社の代表取締役だったにもかかわらず、名刺には「理事長」と記されていた。当然ながら、公益法人か財団法人という印象の強い肩書だ。そして金子は「理事」の名刺を持っていた。

 その大都市センターに積まれる3億円もの札束は、果たしてどこから来て、どこへ消えていったのか――前川は自身が知る限り、大都市センター名義で受注したのは、「杉並区からの調査委託事業だけしかない」という。

 区が発注する委託事業の予算規模は、もっと常識的な額だ。3億円もの額が机の上に無造作に積まれうるはずもない。というより、そもそも億単位の現金を積むという状況は、金よりも重要な思惑があることを示唆している。

 

「戦中生まれ世代」に属する小池隆一と「団塊の世代」の違い

 ヨーロッパ旅行から帰国直後、小池が口惜しそうに電話をしてきたことがあった。聞けば、鹿児島駅前の大型スーパー・ダイエーで、小池の長男が事故に遭ったという。

 エスカレーターの上で転落し、意識を失ったそうだ。

 一緒にいた弟が助けたが、上下の歯をひどくぶつけたらしく、ボロボロに折れてしまった。更に心肺停止状態に陥ったのだが、たまたま居合わせた女性が人工呼吸で蘇生させてくれた。長男が一命を取り留めて安堵すると同時に、小池には忸怩たる想いが沸き上がった。

「その時、ダイエーは何もしなかったんですよ。文句の一つも言いたいけれど、そうすると『あの小池が……』と非難される。でも、これも報いです。『大難を小難に、小難を無難に』という言葉があって、その通りだな、と考えました」

 元総会屋と知らぬ者が相対していれば、小池を哲学者と考える人間もいるのではないだろうか。それほど小池はストイックというか、求道者のような雰囲気を滲みだしている。

 それは見かけだけの話ではない。語る内容も語彙も実に多岐にわたる。引退した者にありがちな自慢話どころか、思い出話さえ滅多なことでは口にしない。

 小池は昭和18(1943)年の生れだ。第1次ベビーブームは昭和22〜24(47〜49)のため、いわゆる「団塊の世代」よりは数年、年長だ。世代論的には極めて似通っていても、小池たちは「戦中」に出生し、ベビーブーマーは「戦後」生まれという違いは大きいだろう。

 かつて昭和16(1941)年から、21(46)年までに生まれた世代を「戦中生まれ世代」と呼ぶ動きもあったようだ。初耳の人が多いはずで、定着しなかったことが簡単に分かる。

 とはいえ、第2次ベビーブーマー世代に属する私からすると、この「戦中生まれ世代」のキーワードは「忍耐」と「体験の捉え方」だと考える。つまり小池のように「戦中」を知る者と、「戦後」しか知らぬ者を比較すれば、危機に直面した時の粘りが全く異なるように思えるのだ。

 例えば日本国憲法の公布は昭和21(46)年だから小池は生まれているが、団塊の世代は誕生していない。朝鮮戦争は昭和25(50)年で小池は7歳だが、ベビーブーマーは3〜1歳ということになる。

 確かに団塊の世代も、戦争の記憶を鮮明に引き継いではいる。とはいえ、戦後の混乱期に数歳の差は大きい。何より小池たちの親は、空襲の中で乳呑み児を育てたのだ。一応は平和の中で養育した団塊の世代の親たちと最も違うところだろう。

 やはり団塊の世代は、終戦直後の空気を肌で知るには若すぎる。物心つき、多感な青年期に差し掛かった頃には昭和39(64)年の東京オリンピックを迎えた。経済白書が『もはや戦後ではない』と記述したのは昭和31(56)年のことだ。

 つまり第1次=団塊の世代と、第2次=団塊ジュニアの両ベビーブーマーは、いずれも戦後経験しかないというところは同じだ。戦中を知る者からすれば「いい時代しか知らない」世代とも言える。

 更に第1次世代は高度経済成長の波を受け、バブルという再び訪れることのない波にも乗った。その恩恵を受けて第2次ベビーブーマーも成長してきた。

 その団塊の世代が大量に退職したとき、各地の公民館は彼らで溢れ、その在勤中の苦労話こそが、あちらこちらで、憚られることない直截的な言葉で華を咲かせることになる。

 だが、小池もそうだが、戦前生まれの人間からは、問われるきっかけでもなければ、いかに自身が苦労したかという話は自然に発生しない。空襲にしても、戦中のひもじさにしても、そうした抗い得ない宿命としての体験が、死をも間近に感じさせる体験が、避けて通ることのできない局面が人生にはありうるのだということを肌で知っているからなのではないか。

 優劣を問うものではない。ただ、団塊世代の苦労と、戦前生まれのそれとでは、死線を彷徨うという決定的な質の断絶ではないのかと思えた。

 そんな時代背景が、小池隆一という人間の背中の片隅にもやはり漂っているような気がした。だからこそ、小池が2012年8月に送った手紙は、他の誰でもない、小池本人がこれまでにない屈辱に耐えて書きしたためたに違いないと思わせるものがあった。

 

経済的な破綻に追い詰められていく小池隆一

 
これから小池の手紙を紹介する。明確な誤字は修正したほか、文中には私の註釈が存在する。

被通知人 山田慶一 殿

 

 

 いつも貴殿とは東京でお会いしておりましたが、私はとうとう貧乏の極に達し、飛行機代もホテル代も無い状態で、もはや気軽に東京へ行けなくなりました。止むを得ず、用件は電話による会話がほとんどとなってしまいましたが、平成二十四年の新年を迎えた一月以降、貴殿とは会話らしい会話はほとんど行っておりません。

 

 

 思い起こして、振り返ってみても、真面目な、誠実な、真剣な会話は、ここ二~三年間を考えてみても、全く無かったように考えております。

 

 今回、この通知書を出さざるを得なくなったことにしても、この一週間というもの毎日毎日、何回も何回も貴殿の携帯電話に連絡をしても、何時も何時も留守番電話になっており、必ず「お電話を下さい」とメッセージを入れているにも拘らず、全く連絡が無い日が続いておりました。

 

 もちろん貴殿の銀座の事務所の方にも電話を入れましたが、女性事務員さんの対応は「私も連絡をしているのですが、全く連絡がつきません。連絡がつきしだい小池さんの方へ電話を入れさせます。」というお返事が十六日から二十三日までの六日間も続いておりました。

 

 そこで私は女性事務員さんに「こんなに事務所の方に連絡が来ない、事務所の方から連絡を入れても連絡が取れない等という事は、およそ有り得ない、考えられない話しでしょう。何か事故とか病気とか警察にでも捕っているかでなければ有り得ない事でしょう。とにかく電話を頂きたい事をお伝えしてください」と言って電話を切るより仕方ありませんでした。

 

 しかし、考えてみれば、こうして連絡が取れない状況は、この六日間に限らず、その以前からの事ではありました。

 小池【註:筆者判断で、小池氏妻の名前を削除】のお母さんが、胃癌と肺癌の二カ所が発見されて、鹿児島の方の国立南九州病院で色々と検査をしたが肺の方は難しいような印象のお話しを医師がされるので、やはり、もっと医療レベルの高い東京の病院で手術をやって貰わなければならないことになったので、どうしても入院・治療費及び【同】さんが付き添いのために料金の安いホテルに滞在しなければならないので、その費用等を見積ると、かなりの金額になるので、その費用の方を何とかして欲しい」と電話でお願いをしたことから貴殿との電話連絡が途絶えがちになりました

 小池はすでに、この山田にずいぶんなお金を貸しこんでいた。

 だが、一向に返済されないどころか、さらには貸し込んでいるお金を返してもらうためにさらに貸し込まなければならない展開に持ち込まれ、ついに、この「通知書」で悲痛な心境をさらけ出す。

 小池にすれば、何とか、こちらの心中を、その切迫した心中を相手に理解してほしかったに違いない。

 この通知書の発送後、小池は幾度となく私の携帯電話を鳴らし、この山田が現在、どのような状況にあるのかについて自身の推論を話して聞かせたが、小池はこの時点でもなおも、この男の誠実な対応を心のどこかで一縷の望みをつないでいた。

 だが、小池が相対する山田という男は非情だった。手紙の引用を続ける。

 

 二月の始めに入院・治療費でお金が必用になったことの説明と同時に平成二十一年三月三十一日に小池【同】さん自身が貴殿の口座に振り込み送金をして緊急に融資をしたお金壱阡萬円を返金して欲しいという催告を込めた電話を私が貴殿に入れた時の会話では、貴殿は「何とかしなければならないですネ」「どの位の費用がかかるのですか?」と私に質問をしてきました。

 

 私は「さあー。どの位かかるのでしょうか?胃癌の手術と肺癌の手術を二度手術するわけですが一回で二度の手術をするわけにはいかないそうです。まず、どちらかの手術を先に行って、様子を見たうえで、もう一方の方の手術をすることになると聞いております。

 そのうえ、鹿児島から出たことの無い八十五歳のお婆ちゃんで、鹿児島弁が凄いので、一般病棟では過ごせないと思うので、個室に入って貰わないといけないのですが、その個室が最低料金の部屋で一日二万九千五百円、約三万円なのだそうですが、それは絶えず満室で、なかなか空かないのだそうです。

 空き待ち順も数多くエントリーしているとも聞いております。その上のクラスの個室だと一日四万円台で、その上はいくらでも高い部屋が有るようです。しかも実際に入院をして検査をして、手術をしてみないと、一カ月で退院できるのか? 二カ月で退院できるのか? あるいは三カ月も四カ月もかかるものなのか私には解りません。

 ですから費用はいくらかかるかと聞かれても、現在の段階では、ちょっと判りませんが」と説明をしている話しの途中で、貴殿の方から「病気の事や個室の事を話しされても、私には解らないから、もう解りました。何とかしないといけないですネ。二~三日内に連絡します」と言って電話を切られましたので、貴殿の方から連絡が来るものと思って、電話をお待ち致しておりましたが、貴殿が言われた二~三日が過ぎても、四~五日が過ぎても電話が来ないので、私の方から電話を入れても入れても連絡がつかない日が続いておりました。

 

 そして、それこそ、たまたまつながった時には「いまバタバタしているので後程電話します」とか「いまお客さんがいるので後で架け直します」とかと言って切られてしまいます。

 しかし、その後では、ほとんどのケースが電話はかかって来ません。何と不誠実な対応なんだろう。何と無責任な対応なんだろうと率直に思いました。

 

 そんな日々が二月の始めから続いているうちに二月十五日の入院日を迎えてしまいました。おばあちゃんと【同】さんは二人で飛行機で東京へ発ちました。十分なお金の手配ができていない状況ではありますが、二人に不安な思いをさせるわけにはいかないので、「お金の手配はできているので数日中には届けることができるから安心して下さい」と、【同】さんには言い聞かせて送り出しました。

 

 ところが、その日二月十五日、羽田空港に到着した【同】さんから電話が有り、「いま羽田空港に居るんだけれど、お婆ちゃんが疲れたのか少々具合が悪くなって、椅子で休んでいる状態なんだけど、お金が無いのでタクシーには乗れない。モノレールや京浜急行電車では具合が悪化したら困るので、リムジンバスが病院の近くのホテルに行く便があるので、それに乗ってホテルまで行って、ホテルからならタクシーが安く済むので、リムジンバスの切符を買ったところです。ところが、そのリムジンの出発時刻まで二時間以上待たなければならない状況で、ほとほと困っている。

 

 しかも病院の方には昼までには到着する予定だと先生にも言っているけれど、これでは大幅に遅くなってしまうので、病院の方に連絡して欲しい」という電話が来たので、私はビックリ仰天しました。

 

 飛行機は順調に午前11時頃には到着しているのに、午後1時過ぎに電話がきて、まだ飛行場に居て、さらにはタクシー代が無いのでリムジンバスを待っている状況で、そのリムジンバスの発車時刻が、これから2時間以上も後になるけど、それを待っているということですので、私が貧乏の極にあるが故に、ここまで苦労をさせてしまうのか、と、本当に情けない気持ちになり気分が奈落の底に落ち込むようでした。

 

 しかし、困り果てている二人を、そのままにするわけにはいかないので、貴殿携帯、銀座の事務所に連絡を取っても、全く取れないので困り果てましたが、このような午後を過ぎているけれど、おられるわけは無いのだがと思い乍らも、御自宅の方に電話を入れてみたところ、神様のお手配なのでしょうか?偶然にも霧島さんが電話を取り上げたのです

 霧島とは、山田が個人で雇っている運転手で、山田は周囲にはこの霧島は、鹿児島の霧島神宮の宮司の直系であると紹介し続けていたが、霧島神宮の宮司家は「霧島家」ではない。

 小さな嘘の積み重ねは大きな嘘になり、それを信じる人間は、最後には〝大きく〟裏切られることになる。それが信頼関係の破綻に留まるのならば、それはまだ傷が浅いのかもしれない。小池は山田によって、経済的な破綻に追い込まれつつあった。

(第15回につづく)

2016年6月23日

【無料連載】『哀しき総会屋・小池隆一』第3回「警告」─「賄賂を払え」との訴訟

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 伊藤忠と三菱重工は約8億円を払え──火力発電所の建設を巡り、2010年7月、ベトナム人エージェント、グエン・チー・タンは、いわば〝賄賂の支払不履行〟を理由に日本有数の商社2社に訴訟を起こした。

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【筆者】田中広美(ジャーナリスト)
【購読記事の文字数】約9800字
【写真】双日株式会社の公式サイトより
(https://www.sojitz.com/jp/)
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 訴訟提起後、全国紙の社会部宛てに封書が届いた。そこにはベトナムで日本企業による汚職工作が行われている旨と、2つの訴訟番号が記されていた。
 横浜地裁 平成22年(ワ)第3604号
 東京地裁 平成22年(ワ)第23300号
 横浜地裁の裁判は、これまでに見てきた伊藤忠と三菱重工が被告となったものだ。
 もう1つの東京地裁の案件は「べトシン国際株式会社」なるエージェントが、やはり手数料の支払いを求めて、日本商社の双日を訴えたものだ。
 いずれも2011年の夏頃に提訴されているが、基本的に2つの裁判は原告と被告が異なり、内容も関連性が乏しい。共通点があるとすれば、たった1つ、ベトナムのエージェントに対する手数料未払いを原因とする日本商社に対する訴訟という点だけだ。
 にもかかわらず、2つの裁判は同じ時期に提訴され、訴訟番号が1枚の紙に記され、封書で新聞社だけでなく、ODAを所管する国際協力機構(JICA)にも送られた。〝タレコミ〟を受け、JICAの斉藤蘭は横浜と東京の両地裁に足を運び、裁判記録を閲覧している。ODAを巡る贈賄まがいのキナ臭い話はJICAとしても、ひいては外務省としても無視できない。
 一体、何が起きていたのか。ここに、その背景を示唆する1通の内容証明郵便がある。2012年4月3日付けで、小池隆一が三菱商事の三枡素生宛てに送ったものだ。そこには、この一連の工作の〝首謀者〟を伺わせる内容がはっきりと記されている。

<前略、平成二十三年四月の始め頃ではなかったかと記憶いたしておりますが、山田慶一氏の赤坂の事務所に呼ばれて、お訪ねした時、英文の契約書と、それを日本語に翻訳した文書を渡され説明を受けました。
 それによると「大手商社の双日株式会社が子会社の双日システムズ株式会社を使ってマネーロンダリングをやっており、そこで裏金をプールしてベトナム政府の高官に贈賄をしている。その裏金作りを裏付ける書類で、子会社の双日システムズ株式会社がベトナムのエージェントであるヴェト・シン国際株式会社に手数料を支払うとき九十%~九十五%をキックバックさせていることの証拠書類です。英文のものですが、日本語に翻訳しておきましたから読んでみて下さい。」
「これを、どこかの新聞か週刊誌に書かせて貰えませんか」とマスコミ掲載工作を依頼されました。
 その際、私が山田氏にお尋ねしたことは二点でした。
 一つは「誰からの依頼でしょうか」という私の質問に山田氏は「三菱商事の三桝素生と金子清志です」と答えました。
 二つ目は「少しお小遣いを渡してやれば、どこか書くところは有ると思いますが、その費用は誰が出すのでしょうか」という私の質問に対して山田氏は「依頼主の三桝と金子です。これは仕事ですから」と答えましたので「三桝さんと金子さんが資金を出すのであれば、支払いに間違いはないのでしょうから、お引受けしましょう」と応じて別れました。
 それから一日~二日経って、私は国際新聞社発行の「国際新聞」の直近の新しい新聞を持って山田氏を訪れ「こんな新聞でも良いのでしょうか」と尋ねたら、「二日~三日返事を待って欲しい、三桝と金子が了解するか、どうか少し時間を下さい」と言われて帰りました。
 二日~三日経過後、山田氏の方から「この新聞は実に面白い、ズバリと痛いところを遠慮なく指摘する、上手いもんですネ」「この新聞に載せて貰えますか」と言われて、指示をされた事は、金子氏直筆の原告ヴェトシン国際株式会社と被告双日株式会社の平成二十三日五月十日の裁判を東京地方裁判所四〇九号法廷で十時四十五分から傍聴に行って取材をしたという形式を取ることを指示されました
 その後、金子清志氏の方から山田氏経由で「こう書いて欲しい」という簡単ではあるが、それがポイントで、それを抜かさないで書けということなのでしょうか、一枚は金子氏直筆で、もう一枚はパソコンか何かで打ち出したもので、合計二枚の原稿も渡されて、国際新聞の平成二十三年六月三十日号ということで、六月十五日前後に三桝素生氏指示の発送先リストも渡されて、それも含めて広範囲に郵送配布致しました。
 その後、二カ月後の八月のお盆も過ぎてから山田氏の事務所を訪ねた時に、山田氏の方から「既に過日に入札は実施されたものだが、一番が双日で、二番が三菱商事であったものだが、一番札の双日の技術審査を双日の工作で四月から六月に延び、さらに七月二十七日に延びていたものを、今回は三菱商事による国際新聞誌に暴露記事掲載工作が効を奏して、双日は当局による摘発を恐れて七月末を待たずに辞退したもので、その結果三菱商事と丸紅の二社のみで再入札ということになったようです」と言いながら、金子清志氏が〇〇〇〇(※筆者の判断で匿名)宛に発信した平成二十三年八月十日付のメールのコピーを渡されました。そして感謝されました。三桝さんも金子さんもたいへんお喜びだと言われました>

 これもODAが絡んでいるが、これまでに見たオモン火力発電所2号機に関わるものではない。同じベトナムでも、北部にあるタイビン火力発電所の入札工作だった。三菱商事の三枡や山田たちはオモンとタイビンを両睨みして工作を行っていた。いや、他にも同時並行で、いくつものODAで受注工作を展開していたのだ。
 金子は中国側へ、次のようなメールを送っている。

< 2011年8月10日14:00
〇〇様
  御無沙汰しております。
  先々月お会いしてからの状況報告です。
  4月から6月に延び、7月末に再度延期されたベトナム案件は、ようやく入札が実施されました。予想された3社ではなく、2社のみの入札です。
  今後数か月(おそらく3から4カ月)の技術審査期間を経て、入札金額がオープンされ受注企業が決定されるものと思います。
  また、各種状況が変化しましたら、ご報告いたします。>

 山田はメディア工作を依頼した人物に、このメールの送信記録を見せ、それが内容証明で触れられることになった。メールの内容を見れば、両者共に思惑には成功していることが分かる。内容証明などという緊迫したやり取りに登場するはずもない。
 それが、どうして対立関係に発展してしまったのか。当然ながら小池の内容証明には「しかし」の文字が記されている。

<しかし、ここまでは私も三桝さんや金子さん、あるいは山田さんの御希望に添うことができて良かったと思っておりましたが、この国際新聞の方への支払いが現在に至るも滞っており済んではおりません>
 
 小池が山田に請求しても、全く支払われない。金子に電話しても出ない。留守電を残しても、社員に伝言を残しても、折り返しの電話はかかってこない。
 あげくの果てに山田から「金子からカネは出ない」と言われてしまう。あくまでも山田の説明ではあるのだが、金子は「山田に多額のカネが渡っているのだから、山田が支払え」と主張しているのだという。そして山田は、まるで他人事のように「もう金子に電話したり、連絡したりするのは止めてほしい」と小池に頼んだ。
 小池は「三枡や金子は山田に金を出資したが、山田が使い込んでしまったのか」とも考えてみた。それとも山田は金子から借金をしているのだろうか? となれば、金子は「借金を返しもしないくせに、なんで国際新聞にカネを払う必要がある。泥棒に負い銭じゃないか!」と怒っても不思議はない……。
 小池に判断はつかなかった。だが、少なくとも山田は小池に対し、国際新聞への掲載工作は三枡と金子が依頼してきたとし、発生する経費は2人が連帯して支払うと説明していたはずだ。小池は内容証明に、次のような嫌味を書く。

<山田氏とお二人がどのような事情に変ったのか、あるいは変らないのか、私は全く知りませんが、依頼を受けた私はきちんと引き受けた役割を果しておるわけですから、そのトバッチリを受けることははなはだ心外でございます>

 とはいっても、事態は深刻だ。冗談で済ませられる話ではない。そこで小池は次のように通告する。

<三桝氏、金子氏、〇〇氏(※筆者の判断で匿名)の三者でのメールでの遣り取りが上手く行っていたものであり、その都度私の方にも送信したメールのコピーがわざわざ私の方にも送られて来ていたものが、突然、急に、あの国際新聞暴露記事以降、全くそれまでの流れが激変して、私はつんぼ桟敷に置かれているわけですが、これでは中国側への私の信用が著しく傷つく事になりますので、私としても、何とか打開しなくてはならないと考え、いくら電話をしても会話が成り立たない状況であれば、止むを得ずお手紙を出すしか方法がありません。
 ぜひとも今後の事を話し合いたいと存じますので、三桝さん、金子さん、山田さん、皆さん打ち揃って、できれば私の方で弁護士先生に依頼致しますので、弁護士先生同席の上でお話し申し上げたいと存じます。ご連絡をお待ち致しております>

 この内容証明郵便は、同様の文面で三菱商事の三桝のほか、金子、そして当然に山田にも配達証明付きで送付されている。しかし、この郵便を送った小池隆一のもとに、連絡がくることはなかった。 

■ベトナム側弁護士が双日の代表取締役・加瀬豊宛てに送った「警告書」

 では、内容証明に登場した「国際新聞」を見てみよう。確かに2011年6月30日付紙面の1面すべてを使い、この双日の裁判を記事化している。週刊誌も裸足で逃げ出すほど、思い切った見出しだ。

<双日 円借款200億で贈収賄工作資金用裏金作り? ベトナムODAで現代版ロッキードか 奇妙な代理店との契約で裁判沙汰>

 ロッキード級の疑獄、と報じるこの新聞が、山田側から提供された「リスト」に従って送付された。送り先は、それこそ実にぬかりがない。
 リストの先頭が三菱商事の社長・小林健になっているのは失笑を禁じ得ないにしても、以下は三井物産の飯島彰己、丸紅の朝田照男、住友商事の加藤進、伊藤忠商事の岡藤正広、双日の加瀬豊、双日システムズの小幡和徳、三菱重工業の大宮英明、IHIの釜和明、日立製作所の中西宏明、東芝の佐々木則夫……といった当時の各社代表取締役の名前が並ぶ。まさに〝関係各位〟にあまねく伝えているわけだ。それに以下の送付先が加わる。

<外務省国際協力局政策課 東京都千代田区霞ヶ関2―2―1
 JICA総務部総合調整課 不正腐敗情報受付窓口 東京都千代田区二番町5―25 二番町センタービル
 東京国税局調査第一部 東京都千代田区大手町1―3―3 大手町合同庁舎3号館>

 ご覧の通り、JICAは「不正腐敗情報受付窓口」で、東京国税局は「調査第一部」だ。素人では想像さえ不可能な部署名を特定している。このあたりは手慣れた雰囲気と、用意周到な印象が強い。
 賄賂の性質が強い工作資金であり、裏の金であるエージェント手数料を巡るトラブルが、裁判という形で表沙汰になったのが異例であることは論を俟たない。更に原告が「ベトナム在住のベトナム人」でありながら、あえて訴訟費用が莫大な額になる日本国内で提起されるのも異様だった。ベトナム人原告は当然ながら、格段に負担の少ないベトナム国内で訴訟を起こすことができたはずだからだ。
 ちなみに日米企業の法的紛争を見ても、米国企業が本国から離れた日本国内で訴訟提起するケースは少ない。圧倒的に本拠地のある米国で訴訟提起する場合がほとんどだ。
 横浜地裁のケースでは、ベトナム人原告による訴訟印紙額だけでも248万円に上る。ベトナム国内の平均年収が日本円にして約20万円。これに鑑みれば、いかにこのエージェントが〝やり手〟であったとしても、およそ平均年収の10年分超に当たる額の印紙代を払ってまで日本国内で裁判を起こしたのは理解に苦しむ。〝取りっぱぐれ〟たエージェント手数料が8億円超なのだから、それぐらいの費用は当然という考えもあるだろうが、裁判なのだから勝てる保証はない。
 加えて、どちらの係争案件も、発生から5〜6年近くが経過していた。だが、2011年になるとほぼ同時に、日本国内で歩調を合わせたかのように訴訟が提起された。山田や三菱商事側の思惑など考えなくとも、ベトナム人の訴訟費用を負担する第3者が存在するのではないかという推測は、否が応にも現実味を増す。
 そして2裁判での訴訟記録をめくれば、ある弁護士の名前が登場する。第1回で触れた内野経一郎だ。両裁判は、ここでも山田=金子=三菱商事・三枡、と1本の筋でつながっていく。
 東京地裁で双日に対する訴訟が起こされて間もなく、ベトナム側弁護士である内野経一郎は、双日の代表取締役・加瀬豊宛てに1通の「警告書」を内容証明郵便で送付した。
 この「警告文」が言及した内容こそ、山田や三菱商事・三枡の狙いがあったのではないか。そこには、山田がこの間、関係者らに吹聴していた計略が、これほどないまでに直截的な表現で記されていた。

<                 警告書

1. 日本政府によるジャイカを通じての円借款によって行わる(原文ママ)事業である国営ベトナム電力傘下カントー火力発電会社が建設するオモン火力発電所2号機建設プロジェクトの入札が10月5日に行われる予定で貴社がこれに応札される予定と仄聞しております。
2. (1)当社は貴社の依頼により貴社のVTV入札のコンサルタントを引き受けました。貴社職員宇土澤秀徳氏が2004年3月15日当社への代理店手数料の支払を文書を以って約束され、一方貴社は2006年4月3日落札を公表しておられます。
   当社代表者の催促メールに対し貴社はメールを以て約束を実質上認めながらも一向に手数料の支払がなされず、
  (2)当社は貴社に対して平成22年6月22日訴を提起し東京地方裁判所平成22年(ワ)23300号として係属係争中であります>

  この警告書はここから一気に本題に切り込む。

<3.ところで円借款事業の為の調達ガイドラインによる応札資格には過去5年間の訴訟情報の申告が求められているようであります。同じベトナムの事業にかかわる同じ円借款に基づく事業にかかわる係争であります故記入もれないよう願います。
4.記入の有無については関係各機関に問い合わせし、あるいは訴訟記録を送付し円借款事業にかかわる貴社の経営姿勢への注意を喚起することがあり得ますこと警告しておきます。
  平成22年9月24日
  東京都港区赤坂六丁目1番地20号 双日株式会社代表取締役 加瀬豊様 
  東京都千代田区九段北四丁目1番5号市ヶ谷法曹ビル505号 東京第一法律事務所
                     電話03―3230―4041
                     FAX03―3230―4050
                  ヴェト・シン国際株式会社代理人
                        弁護士 内野経一郎>

 内野と山田との付き合いは古い。持ち込まれる企業のトラブルなどを、山田は積極的に内野へ斡旋紹介し、山田に東京地検特捜部の手が及べば、内野に弁護を依頼した。
 だが、ここで内野は、あくまでもヴェト・シン国際株式会社の代理人として登場している。山田の代理人として警告書を発送しているわけではない。それを踏まえた上で、次は横浜地裁で提訴された三菱重工と伊藤忠商事が被告の裁判を見て頂こう。すると、ここにもある名前が浮上する。訴状にはこうある。

<……原告は弁護士を通じて被告らに対する交渉を行うべく、韓国弁護士である金賛鎮弁護士及び本訴原告代理人に委任して交渉することとした>

「金賛鎮」は、韓国国内に事務所を構える弁護士だが、山田を知る関係者にとっては、山田の顧問弁護士の1人だ。つまり、東京地裁と横浜地裁で〝偶然〟に同じ時期に提訴されたエージェント手数料を巡る裁判には、やはり〝偶然〟に山田の知人・顧問格の弁護士が関わったわけだ。
 先に触れた、弁護士の内野が双日宛てに送った警告書を思い出して頂きたい。あの中には、わざわざ「円借款事業の為の調達ガイドラインによる応札資格には過去五年間の訴訟情報の申告が求められている」ので、記入漏れをするな、と記されていた。
 弁護士の内野にとっては、訴訟戦略の一環としての「揺さぶり工作」であったとしても、結果として、山田と三菱商事・三枡たちの「狙い」に寄与することは間違いない。「過去五年間の訴訟情報の申告が求められ」ることを考えれば、日本国内で訴訟を抱えることは一種の〝失点〟になりうることが懸念されるはずだ。
 なお、この内野の警告書に対し、被告である双日側の代理人弁護士は、次のように返答している。

<まず、双日がベトナムのオモン火力発電所2号機建設プロジェクトに入札するかどうかは、貴職が代理人をしておられるヴェト・シン国際株式会社(以下「ヴェト・シン社」といいます。)とは何ら関係のない問題であり、ヴェト・シン社が双日に対して警告書を送る趣旨が全く理解できません。(中略)
 因みに、ヴェト・シン社との係争につきましても、ヴェト・シン社からのご請求が、正当な業務にもとづくものかどうかを確認するために、業務内容のご説明をお願いしたにもかかわらず、これに応じていただけないために、やむなく訴訟に発展したものであることをご理解ください。
 なお、警告書においては、双日の業務につき、関係各機関に問い合わせをし、あるいは訴訟記録を送付するなどの行為をされることを示唆しておられますが、万一、ヴェト・シン社が双日の業務を妨害する行為に出る場合には、双日としてもしかるべき法的措置をとらざるを得ませんので、ご承知おき下さい>

 だが先に見たように、この警告書が送付されるのに先立って、既に大手新聞社の社会部や政府の関係各所などには、横浜地裁と東京地裁の2つの係争番号が記された封書が届き、山田は「どこか新聞か雑誌かに書かせてもらえませんか」と、ある人物に依頼していた。
 やはり2つの裁判は「工作」の一環として提起されたものであり、不可分なセットの関係にあったのだ。その根底に山田と三菱商事・三枡の思惑があったことは、山田自身が次のように語っている。
「横浜での裁判は、内野先生からのアドバイスもあって、日本国内では三菱重工や伊藤忠の大手に対する裁判を引受ける弁護士はいないだろうから、韓国の先生からの依頼というかたちで日本国内で引き受ける弁護士を探したほうがいいだろうということになりました。それに、ヴェト・シンの裁判は和解になりますから、和解になりましたら、お金が入りますよ」
 繰り返しになるが、山田は原告ではない。原告側弁護士は極めて山田と親しいのは事実だが、なぜ山田へカネが渡るのか……?

■〝海坊主〟山田への直接取材から浮かび上がったこと

 罠にかかったケダモノの顔とは、まさにこれをいうのだろうか。山田は右目下の、ほのかに興奮からか紅潮した頬の肉をビクッと上へ引きつらせた。
 2013年2月15日午後3時半すぎ。山田を東京・銀座の大都市政策研究センターに訪ね、三菱商事の受注工作のために関与した事実と、その内容を詳細に問うた。山田は、入居する東京都中小企業会館地階のソファーでじっと目を閉じて、答えにならない答えをくり返した。
「裁判について書くのは、これは構いませんよ。でも、60億円の話と裁判はまったく関係ないのではないでしょうか。何か誤解しているのではないでしょうか」
 しかし、山田の懇意の弁護士の内野が双日の社長宛てに送った「警告書」には、オモン火力発電所2号機の入札が迫っているという、山田と三菱商事側の〝都合〟がきっちりと書き込まれていることを告げると、山田はこう繰り返した。
「本当に私は知りません。それがなぜ裁判と?」
 裁判所の訴訟記録に内野の警告書が綴じられていることを告げると、それには一瞬、驚いた表情を見せ、沈黙した。
 警告書は、法廷でのやりとりではない。担当弁護士の内野は双日の社長宛てに直接送付している。双日側弁護士も反論を書き送っている。だから裁判所の外でのやり取りが証拠書類として裁判所に提出されていることを山田は知らなかったのかもしれない。裁判はODAの60億円の分配とは関係ない、決して足は付かない……そんな確信に満ちていたのだろう。
 だが、次の言葉を投げた瞬間、山田ははっきりと顔をこわばらせた。
「そう。東京地裁と横浜地裁の2つの裁判は、たとえ起こされていたとしても誰にもわかりませんよ。しかし、トラブルが起きてからすでに何年も経っているものが、オモン火力発電所の入札を目前にした時期に、同時に日本で起こされた。そもそも、2つの裁判は日本ではなくてベトナム国内で起こされてもいいはずの裁判です。それがわざわざ日本で起こされた。そして、そこには2人の弁護士が絡んでいる。金さんと内野さんだ。2人は、山田さんが極めて親しくしている弁護士であることは、山田さんを知る者ならば、それこそ誰でも知っている。山田さん、あなたはコンサルタントだから、依頼されれば、それに応えるのが仕事でしょう。たとえその仕事を悪くいうものがあっても、それはそれでしょう。あなたはコンサルタントとしての務めを果しただけかもしれない。しかし、それを恃んだのは三菱商事でしょう。頼む者がいなければ頼まれたほうはやらないんだから。山田さん、あなたは2つの裁判は60億円の分配とは関係ないと言う……」
 山田はすでに、60億円の分配は三菱商事の三桝、元社員の金子、そして山田の3人で分配しようとしていたのではないかという問いかけにこう答えていた。
「……それは、そんな簡単じゃないんじゃないでしょうか……。あれだけの金額ですからね……」
 簡単ではない――だからこそ、彼らはわざわざ中国にまで赴き、日本への送金ルートの構築を画策していたのではなかったか。山東省の電力会社(SEPCOⅢ)に〝抱かせた〟ODAの受注額の上積み分の60億円をSEPCOⅢから自分達に還流させ、さらに還流させたものを日本国内に持ち込む……。山田はこうも言った。
「それに、あれは駄目だったんじゃないでしょうか」
 結論はそうだ。しかし、商法の特別背任には未遂罪が存在する。背任を計画した段階で、罪に問われる可能性があるのだ。
 その三菱商事の受注工作を展開した山田は、三菱商事、金子、そして山田本人の誰がその計画の首謀者なのかと詰め寄るたびに、ソファーでじっと目を閉じて、腕を組み、そして沈黙した。そして、次の問いかけるでもない言葉に、頬骨あたりの筋肉が反応した。
「あなたが60億円の分配計画とは関係がないという2つの訴訟が起きた直後、朝日新聞と読売新聞に匿名の投書が届いた。そこには関係ないはずの2つの訴訟の係属番号が記されて、ベトナムでの賄賂工作云々と取材を促すような文言が短く書かれていた。つまり、関係ないはずの2つの訴訟がリンクすることを知っていた人物が送ったんですよ、これは。それは一体誰なのか、ということですよ」
 微かな表情の変化のあと、山田はまるで涅槃のように目を閉じて身じろぎひとつしなくなった。やましさを孕んだ目がありうるとすれば、まさにこれを言うのだろう。その顔相を前に、意図的な投書の実行犯こそは、やはりこの男ではないのか、と確信めいたものが浮かんだ。
 山田はメディア工作を、三菱商事の三枡や金子から請け負っていた。自身の人脈を以て、確実なリークを実現し、取材が行われることで相手は萎縮する──しかし実際には、山田は新聞社の社会部宛てに投書を行うことで済ませていたのだ。
 国際新聞の件で、小池が山田に問い合わせを行うと、「金子から、山田さんのところにはお金がいっぱい行っているんだから、そこから出せばいいじゃないかと言われました」と答えたのは先に見た通りだ。
 だが、朝日と読売、そして国際協力事業団を含めて撒かれた封書の投函にかかる費用は、1通わずか80円である。しかも、この時期に山田は「朝日の○○を取材に行かせています」などと、知名度の高い大物記者の名前を出し、いかにも自分が動かしているかのように吹聴していたのだが、実際には匿名投書の「80円作戦」だったのだ。
 山田は取材内容の細部を出しての問いかけに、沈黙し、目を閉じ、そして再び目を開いて口を動かした。
「いろいろと誤解があるようです」
 地下の共同応接室から一階に上がるまで、山田は執拗にエレベーターに乗るように促した。しかし、階段を上がれば済むわずかな距離を、同じ箱に乗ることを勧める。関係者は山田を「海坊主」とのあだ名をつけていた。そんな男の不敵な笑みは、相当な恐怖を煽られる。
「山田には暴力装置が付いている。とにかく気をつけてくれ」
 そう告げるメディア関係者は多かった。実際、山田の前半生を振り返れば、それは当っていた。
 山田は別れ際、家族関係についても執拗に訊いてきた。そんな笑顔の〝恫喝〟に、これまでの取材人生で何度か遭遇したことがあった。
 山田と二人だけの空間に入ることは危険だ。山田がエレベーターという一つ箱のなかで逆上し、それこそ鶏の首を絞めるかのごとく首に手をかければ、ひとたまりもないだろう、そんな思いがよぎる。
 執拗なエレベーターへの誘いを断り、一階への階段を上がろうとしたとき、白いコートに身を包んだ、女性が私とすれ違い、急ぎ、階下に降りて行った。
 その女性は、やはり三菱商事に勤めていた。今は独立してコンサルタント会社を経営している。「道路に強い」との評判だった。目の細く化粧の行き届いた、そのうりざね顔の女性は、山田の好みと言われていた。
 足早に階下を駆け降りて行った女性は、おそらくたった今、3階の事務所へと上がって行った山田とすれ違ってしまうことになったであろう。
 女性の足取りにはまだ希望の気配があった。
 聞けば、山田は安倍政権のもと、カンボジアで物流の大動脈となる高速道路建設〝プロジェクト〟を推進しているという。その参加料なのか、その女性もすでに山田に金を貸していると言われていた。この女性もまた、山田という大きな筋が大きな仕事に結び付くその日を夢見て、今を生きているのかもしれない。
 雪になるかもしれないと言われたバレンタインデー翌日の銀座で、人々の足取りは早く、空気は一層冷え込んでいるように感じられた。そんななか、山田を追いかけるかのように向かう女の姿が再び甦った。彼女もまた、小池隆一のように、身ぐるみ剥がされなければいいが……。
 山田に関わった者は、気付いた瞬間には、全てを奪われ、路上にぽつねんと放り出される。山田と知りあったゆえに、後半生で地獄の苦しみを味わうことになった小池。その悲しみは当然ながら、他の者と異なるはずがない。

(第4回につづく)