2017年1月25日

【無料】松方弘樹「その人生と死」─『仁義なき戦い』から『元気の出るテレビ』まで

2017-01-26 15.10.56 1

「あんたは初めからわしらが担いどる神輿じゃないの。組がここまでなるのに、誰が血流しとるの。神輿が勝手に歩けるいうんなら歩いてみいや、のう!」(『仁義なき戦い』)

 それは、『仁義なき戦い』から始まった。

 10万人に1人といわれる難病「脳リンパ腫」闘病の末、先頃亡くなった映画俳優の松方弘樹。昭和のスクリーンを代表する名優として東映やくざ映画や時代劇を中心に長年に渡り大活躍、またバラエテイ番組や時代劇などでテレビでも人気者だった。高倉健、菅原文太ら往年の男性アクション・スターが年々亡くなっていく中で、またしても届いた大物人気俳優の訃報に、芸能界には激震が走っている。

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【筆者】鈴木義昭(映画ライター)
【写真】映画『沖縄やくざ戦争』(東映)DVDジャケットより
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 松方弘樹は、東映痛快娯楽時代劇の大スターだった近衛十四郎の長男で、十代から東映に所属した生粋の東映育ちである。

 少年時代は、野球選手か歌手を志していたという。孤児院育ちのサブを演じた『十七歳の逆襲・暴力をぶっ潰せ』(60年)で主演デビュー。不敵さと甘いマスクで売り出した。

 後に全盛期の東映時代劇で新進チャンバラスターとして頭角を現すが、東映時代劇が衰退して高倉健や鶴田浩二のやくざ映画が隆盛を極めると出番を失い、大映京都に移籍し時代劇に主演するなど「スター街道」では、やや遠回りが多かった。

 恩師ともいえる中島貞夫監督と組んだ『893愚連隊』(66年)や深作欣二監督の松竹作品『恐喝こそわが人生』(68年)に主演し、若々しく個性的な演技派としての魅力が注目されるが、出演作品は激減していた。

 同じく東映時代劇往年の大スター市川右太衛門の長男・北大路欣也と比較されることが多いが、二枚目でボンボン育ちの北大路に対し、松方は若い頃から撮影所内を海パン姿でのし歩き、所長に「どうしてそんなに品がないんだ!」と怒鳴られる始末だった。

 そんな松方にスポットが当たったのは、東映実録路線のきっかけとなる『仁義なき戦い』(73年)だった。俗に「集団抗争劇」といわれる映画らしく、主人公の広能昌三(菅原文太)をめぐり、シリーズ五部作を通して多くのドラマが展開するが、第一作『仁義なき戦い』で広能の心情を大きく動かしていく山守組若衆頭・坂井鉄也を強烈な個性で演じて絶賛された。

「あんたは初めからわしらが担いどる神輿じゃないの。組がここまでなるのに、誰が血流しとるの。神輿が勝手にあるけるいうんなら歩いてみいや、のう!」

 土建屋時代から山守組を束ねて来た坂井(松方)だが、ヒロポン取引の件で揉めて親分の山守(金子信雄)に向かって啖呵を切る。怒りは頂点に達して、一時的とはいえ山守を引退に追い込む。だが、老獪な山守は坂井のスキを見て、広能に「(坂井を)殺れ!」と命令する。古い仲間を殺すことに、広能は激しく躊躇する。第一作のクライマックスともいえる名場面が、菅原文太と松方弘樹によって演じられた。

 第三作『頂上作戦』でも、結核を病んでいる義西会の藤田正一役で顔を見せるが、第五作『完結篇』では、やはり広能(菅原)を相手に重要な役回りを演じている。

 広能を慕う市岡組組長・市岡輝吉が、その役だ。獄中で「手記」を書いている広能に、呉からはるばる網走刑務所まで面会に来た市岡(松方)は、一人物騒なことをまくし立てる。取り合わない広能に業を煮やしたかのように、市岡は過激な行動に出る。

「攻撃は最大の防御で。のう、これから巻き返しじゃみとれい、わしが火ぃつけたるけん……」

 暴れん坊の極道は松方のハマリ役だが、ひとつにまとまろうとする極道社会からはみ出てしまった市岡は、やがて自滅する。

 それまでの撮影所のヒエラルキーを破壊して、いわばお祭り騒ぎのように作られ、キャスティングもされたのが『仁義なき戦い』『新仁義なき戦い』などの実録路線だ。渡瀬恒彦、川谷拓三、室田日出夫、志賀勝ら多くのニュースターが誕生した実録路線だったが、その先頭に立って存在感を示したのが、本来は「東映のプリンス」だった松方弘樹であった。

 以後、松方弘樹は『実録外伝・大阪電撃作戦』『沖縄やくざ戦争』(共に76年)、『北陸代理戦争』(77年)など、実録路線に凄みのある演技とキャラクターで輝かしい足跡を残した。

 実録路線で極め付きのアウトローを演じる一方で、74年には、子母沢寛の同名小説を原作にしたNHK大河ドラマ『勝海舟』に肋膜炎に倒れ降板した渡哲也の後を受けて、急きょ第10回から勝海舟役として主演した。NHKには、好評だった『人形佐七捕物帳』(65年)以来の出演だったが、大河ドラマの主演はお茶の間にも松方弘樹のファン層を幅広く拡大、人気を決定づけた。

 この時、共演したのが新人女優だった仁科亜希子(当時明子)で、既に元モデルの先妻との間に一男二女のあった松方だが、仁科と不倫関係となって後に先妻と協議離婚、仁科と結婚する。

 仁科と松方の不倫劇は、週刊誌やワイドショーで大きく報じられたが、仁科の父で歌舞伎界の名優・岩井半四郎が、フジテレビ系のワイドショー『3時のあなた』に出演し、「娘を返してくれ」と涙ながらに訴えたのは衝撃的だった。その後、仁科との間にも一男一女を育てるが、やがて破局が訪れる。

 松方の女性遍歴は、奔放の一語に尽きる。

 70年代に人気歌手だった千葉マリアとは長く愛人関係にあり、やはり一男があるのは広く知られるところ。

 他にも、東映ポルノ路線の女王的存在で『女番長』シリーズなどで知られる池玲子との仲や人気女性アイドルグループで『黄色いサクランボ』などのヒット曲で知られる「ゴールデンハーフ」のメンバー・ルナ(高村ルナ)との仲は、芸能マスコミなどを大いに賑わせた。

 女優となった高村ルナは、日活ロマンポルノに出演し、『ルナの告白・私に群がった男たち』(76年)では、松方らとの性遍歴を自伝的に描いたとされる作品にも主演した。

「女を何人知ってるかっていうと、八百人ちょっと欠けるかな。だって年に三百人なんて頃もあった。オレ、丈夫なのよ」と、週刊誌のインタビューに答えることもあった。そして、最後に看取った女性は、仁科との離婚後、事実婚の関係にあった30歳年下の元女優、山本万里子さんであった。

 石原裕次郎や勝新太郎といった、昭和の戦後日本映画史を代表するスターの遊びっぷりを見習うように、豪快な飲みっぷり遊びっぷりで有名だった。

 主演した映画やテレビの打ち上げでは、大勢のスタッフ・キャストを連れて、撮影所のある京都の祇園などを何軒もはしごするのが通例だった。「持っている奴が払えばいいんだよ」と、支払いは全て松方だった。作品を通じ多くのスポンサーとも交流があった。昭和芸能史に名を残した銀幕スターたちが皆そうであったように、豪放磊落そのものという生き様だった。

 亡くなってから会見に応じた、東映映画の盟友であり、釣り仲間でもあった梅宮辰夫が、「今の時代ならきっと潰されていた」と回想するほど、その遊びっぷりは世間一般の常識を超えるスーパースターぶりだった。

 還暦を過ぎて医者に忠告されてからは、酒を止めて、クラブ通いも卒業した。

 時代劇、やくざ映画とともに、松方弘樹の代名詞ともなっていたのが「釣り」で、世界33カ国で350本のカジキマグロを釣り上げるなど、釣り師としてはプロ並みの腕前だったといわれる。闘病に入る前の一昨年5月には、沖縄県石垣島の海域で361キロの巨大マグロを釣り上げ、話題となった。

 父親の近衛十四郎も、東映時代劇にリアルな殺陣と壮絶なアクションで一時代を築いた剣戟スターだった。松方弘樹も、時代劇スターとしては、日本のチャンバラ界を背負って立つ活躍を見せた。

 テレビ時代劇では、『大江戸捜査網』(79~84年)『名奉行遠山の金さん』(88~98年)、また多くのスペシャル時代劇作品などに数多く出演、お茶の間の最後の時代劇ビッグスターでもあった。映画でも、『真田幸村の謀略』(79年・中島貞夫監督)の真田幸村役など忘れられない名演が多数ある。

 強面だったイメージを破り笑い顔が印象に残るようになったのは、バラエティ番組『天才・たけしの元気が出るテレビ』のレギュラー出演からだ。斜陽の映画界を自ら救うべく、映画プロデュースに進出したこともある。

 難病と闘い、闘病の果てに亡くなったが、行年74歳は昨今の俳優としては早過ぎるとの声も多い。想えば、『仁義なき戦い』に出演した時、菅原文太が当時39歳(1933年生まれ)、松方弘樹は当時31歳(1942年生まれ)。映画俳優として、まさに大きな坂を上っていくのに相応しい年齢であったと言えようか。

 老いてなお、松方弘樹は若い日の活力を漲らせ、今なお再び三度の青春を生きる男を感じさせた。東映時代劇のプリンスだったが、活躍のその原点には、斜陽映画界を救った実録路線『仁義なき戦い』があったように思う。

 烈しさと逞しさを演じ続けた昭和のスターが、あの世へと走り続けて行ってしまった。

 昭和のスクリーンが、また遠くなった。

 鈴木氏は『仁義なき戦いの〝真実〟-美能幸三 遺した言葉』(サイゾー)を1/25刊行。映画『仁義なき戦い』シリーズの主人公・広能昌三のモデル美能幸三に密着、その「映画や菅原文太、金子信雄ら出演俳優への思い」「極道としての半生」を追った一冊だ。

http://amzn.asia/cIfosBD

(無料記事・了)

2017年1月11日

【無料記事】ロマンポルノ「大スター」中川梨絵の「早すぎる死」

nakagawa2017-01-11-10-57-26

 日活ロマンポルノが生誕45周年を迎え、『日活ロマンポルノ・リブート・プロジェクト』と銘打って新作が制作されるなど、話題を呼んでいる。

 1971年から88年までの17年間に1100本あまりの作品が製作された日活ロマンポルノは、今や日本映画史に伝説的なページを記す特異なジャンルのひとつともいわれる。

 今回のリブート・プロジェクトは、行定勲、塩田明彦、白石和彌、園子温、中田秀夫ら近年注目される若手監督たちに、ロマンポルノへ挑戦させる刺激的な試みで、次々に意欲的な作品が公開されている。

 だが2016年、初期日活ロマンポルノの大スターが亡くなったことは、あまり顧みられていない。偶然というには偶然過ぎるその復活と死の符号に、女優の足跡を想わずにはいられない。女優の名は、中川梨絵──。
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【筆者】鈴木義昭(映画ライター) 
【写真】DMM R18動画『恋人たちは濡れた』より
http://www.dmm.co.jp/digital/nikkatsu/-/detail/=/cid=141nkt052/
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 中川梨絵と聞いて、初期ロマンポルノの衝撃的な作品群を想い出すのは、今や初老の域に達しようとする男性ファンたちだろうか。

 何ものにも束縛されない芯の強い女、弱さのなかにしなやかでしたたかな女の性を感じさせる女、中川梨絵がロマンポルノで演じたのは、新しい時代の女の生き方だったのかもしれない。

 日活ロマンポルノ第1弾『団地妻・昼下りの情事』(71年公開)は、いわゆるピンク映画から抜擢された白川和子が主演した。

 白川和子の活躍は、映画の斜陽から倒産寸前の危機だった日活映画を救った。白川に続けと、若く脱ぐことを厭わない女優、撮影所では陽の当たらなかった女優、新しい映画の可能性に賭けた女優たちが、次々に眩しいばかりの裸体をスクリーンに花ひらかせたのが、日活ロマンポルノという映画ジャンルでもある。

『恋の狩人』(72年)など出演作品が警視庁に猥褻容疑で摘発され「警視庁のアイドル」といわれた田中真理。

 セーラー服姿が初々しい『女高生レポート・夕子の白い胸』(71年)などの清純派・片桐夕子。

 時代劇ポルノ『色暦大奥秘話』(同年)などで人気の出た小川節子。

 新劇から飛び込み『一条さゆり・濡れた欲情』(72年)などの演技で各界から賞賛された伊佐山ひろ子など、多くのロマンポルノ・スターが輩出された。

 中川梨絵も、そんな初期ロマンポルノのトップスターだが、誰よりも演技力と存在感が際立ち、注目された。東映や松竹の一般作品にも進出、その大きな可能性が期待された女優だった。

 中川梨絵の代表作のひとつ『恋人たちは濡れた』(72年)は先日、イタリアのロカルノ映画祭で上映。内外で作品の芸術性が再認識され、ロマンポルノ復活への道を開いた。

 ロマンポルノの巨匠・神代辰巳が監督した『恋人たちは濡れた』は、どことも知れぬ海辺の町を舞台に行き場を失った若者の姿を描き、シラケ時代といわれた70年代初頭の若者たちに共感を呼んだ。

 故郷であるはずの町に暮らしながら「この町は初めてだよ」とうそぶく青年は、いつもおどけながら映画館のフィルム運びをやっている。ある日、青年は自分と同じ心象を持つ中川梨絵演じるヒロインの洋子と出会う……。性と生が交錯する官能的な時間が切り取られた作品だった。
 
 寝た客が3人続けて死んだことから付いた呼び名は「死神おせん」。中川梨絵が演じたおせんは、地獄の底のような江戸の女郎屋で暗闇の中の一筋の光のように生きているヒロインで、清々しく可憐だった。

『㊙女郎責め地獄』(73年)は、日活ロマンポルノを代表する映像詩人だった田中登監督の代表作だが、巧みな構成力と重厚な美の世界の核心に、愛くるしい美しさで中川梨絵が立っていた。文芸的な香りの漂う人形振りの場面では、彼女が子役時代から習い覚えた日本舞踊が活かされた。

 日活ロマンポルノのデビュー作品、藤井克彦監督の『OL日記 牝猫の匂い』(72年)では、公開直後に作品が警視庁に猥褻容疑で摘発された。彼女は、警視庁からの事情聴取にも堂々と応じ、気丈ぶりを発揮している。

 出演作を観た他社からスカウトされ、東映やくざ映画『実録飛車角・狼どもの仁義』(74年)では菅原文太の相手役を、独立プロのATG映画『竜馬暗殺』(同年)では原田芳雄の相手役を務めている。ポルノ映画に留まらない活躍の可能性を見せ、同年には松竹『喜劇・女の泣きどころ』で太地喜和子と共演、陽気なストリッパー役を好演した。

 以後、大きな期待を背負いながらも徐々にスクリーンから遠ざかったのは、幼い時から女優を夢見て育った彼女の夢に相応しい役と作品に再び巡り合えなかったからだろう。

 東京の下町に生まれた彼女は、5歳の時に日本橋の白木屋ホールで日舞「藤娘」を踊って初舞台。子役として小学校在学中には、NHKの人気連続ドラマ『お笑い三人組』にレギュラー出演している。

 高校卒業と同時に東宝に入社、中川さかゆの芸名で巨匠・成瀬巳喜男監督『乱れ雲』(67年)の端役でデビューしている。加山雄三の『若大将』シリーズにも出演したが、東宝では女優として芽が出ることはなかった。裸になれる若手演技派を探していた日活のスタッフに声をかけられて日活撮影所入り、初出演から主演だった。

 ポルノの中心がアダルトビデオの登場で映画からビデオに移行、日活ロマンポルノは消滅したが、近年、ハード過ぎてマンネリ化したAVに飽き飽きした若い観客や映画的なエロスを体験したい女性ファンが急増している。

 全世界的に「ポルノ映画」の価値が見直されようとしているようだ。ポルノ映画に、女の本音や女の感性、女の生き方を見ようという女性ファンも少なくないのではないか。そんな女性たちに、中川梨絵が演じたロマンポルノのヒロインたちは共感を呼んでいる。

 男に媚びを売ったり、欲望の虜になる、といった、ありがちなヒロイン像とは違う中川梨絵という女優の演じ方、生き方が注目されている。

 かつて中川梨絵は、日活ロマンポルノを公開時から高く評価し応援していたディスク・ジョッキーの林美雄の深夜放送「パック・イン・ミュージック」(TBSラジオ系列)に出演し、生い立ちから赤裸々に語った。彼女には、ポルノ女優というよりも等身大の女性像の印象のほうが強い。多くのファンから親しく愛された所以だろう。

 ポルノ作品以外にも出演作品は多く、多くの監督に起用したいと思わせる個性と実力を兼ね備えていた。子役から演技に打ち込んだ根性で、人気が出ても演技の勉強をする姿勢を崩さなかった。自作『踊りましょうよ』などで、フォーライフレコードから歌手デビューも果たしている。

 体調不良もあってか女優としてスクリーンに姿を見かけなくなった頃、好きな自転車で知り合ったという男性と結婚した。料理人である夫と東京・四谷で地酒が評判の小料理店を開き繁盛させた。近年は高齢の母親を介護する為に店を移転、店を続けながら再び女優業にもチャレンジしたいという夢を語った。

 日活創立100周年を迎えた2012年に行われた日活ロマンポルノ再上映イベントで、公開当時の熱気や彼女の人気を知らない世代にもファンを広げ、近年、新しい可能性が見え始めていた。
 ロマンポルノ・リブート・プロジェクトでも、塩田明彦監督の『風に濡れた女』は、この中川梨絵が主演した『恋人たちは濡れた』へのオマージュとなっており、中川梨絵がリスペクトされていることの証左となっている。

 しかし、15年の暮れに肺癌が見つかり、余命半年と宣告された。最愛の御主人に看取られ旅立ったのは、16年6月14日。行年67歳。

 神代辰巳、田中登、曽根中生、藤田敏八、加藤彰、小原宏裕ら日活ロマンポルノ往年の名監督たちも早くして亡くなったが、早過ぎた初期ロマンポルノのスター・中川梨絵の死は、日活ロマンポルノが本当に日本映画史の伝説となったことを感じさせた。

 時代とともに様変わりしたロマンポルノの歴史だが、ゴダールやトリフォら60年代フランス映画のヌーベルバーグ、大島渚、篠田正浩らの松竹ヌーベルバーグ、それらに匹敵する「日活ヌーベルバーグ」ともいうべき映画ムーブメントが、初期の日活ロマンポルノだったのである。

 中川梨絵はその中心にいた女優だった。彼女が、日活ロマンポルノ復活の年に亡くなったというのは、やはりポルノにロマンを求めるという日活ロマンポルノの作品世界にあって、女優という存在の大きさを感じさせた。ロマンポルノ復活も、それに見合う女優の登場が待たれる。

 撮影所経験と時代的な女性としての感性の両方を持った女優、中川梨絵のような女優は、日本映画に2度と出て来ないのかもしれない。長く語り継がれて欲しい女優である。

(無料記事・了)

2016年5月13日

戦後を走り抜けた「肉体女優」三原葉子の圧倒的な魅力

mihara

 平成に入ってから「女優」が脱がなくなったと言われている。確かに「昭和の女優」は、みなよく脱いだ。昭和の銀幕では、映画女優は脱いでナンボと相場は決まっていた。
 関根恵子や松坂慶子のように脱いでくれる大物女優や、ヌードが売り物のポルノ女優が登場する以前にも、スクリーンに美しい裸身を披露し、溢れる色香をふりまく女優たちがいた。
 当時の男性ファンの目を釘付けにしていた「肉体女優」「グラマー女優」と呼ばれる一群の女優たちである。
 清純派女優とは一線を画す「肉体派」の先駆けの一人に、1950年代後半から新東宝でグラマー女優のトップスターとして活躍した三原葉子という女優が存在する。

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【筆者】鈴木義昭(映画ライター)
【購読記事の文字数】2200字
【写真】日本におけるグラマー女優の草分け、三原葉子。「海女もの」映画は彼女が得意とするジャンルだった
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2016年2月1日

日本で最初の「ポルノ女優」の死──「香取環」の美と魅力

香取環

 初代「ピンクの女王」であり、元祖「肉体女優」とも言われた香取環=かとり・たまき=が人知れず静かに旅立ったのは、かの原節子が亡くなってから約1カ月後の2015年10月12日のことだった。
 昭和の日本映画史に燦然と輝く伝説の美人女優である原節子と同じように、香取環もまたその女優引退から長い歳月が経ち、彼女の生涯は伝説化されている。美しい顔立ちとグラマラスな肢体、日活撮影所時代からの演技力は、まさしく「昭和」という時代に「ピンク映画」という新世界を生み出した女神のような存在だった。

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【筆者】鈴木義昭(映画ライター) 
【購読記事の文字数】約2600字
【写真】香取環氏(提供・鈴木義昭氏)
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