2016年11月10日

【無料連載】『哀しき総会屋・小池隆一』第12回「麹町五丁目計画」

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 山田と極めて近しい東京・千代田区長の石川雅己が、しばしば衆前で山田を評する言葉は、実に空々しい。
「やまちゃんはさあー、みんなひとのために使っちゃうからなあー」
 仮に、その言葉に偽りがないにしても、どこかの「ひとのため」に石井や小池といった〝犠牲者〟が生まれていいはずもない。そんなことは許されない。
 むしろ、山田と数十年来の付き合いがある人物の次の言葉のほうがより現実味がある。
「あの人は本当に、ファミリーだけ。自分のカネは隠しておいて、カネ回りが悪くなると、じーっと亀みたいに頭も手も引っ込めて、石みたいにじーっとしてるわけ。それで、すべてが通り過ぎるのをじーっと待ってるんだよ。あの辺の感覚は尋常じゃないよ。やっぱり日本人じゃないから、日本人からどれだけ取っても平気でいられるっていう感覚はあるんじゃないかな。日本人だったら世間体とかいろいろあるから、なかなか平気ではいられない状況でも、あの人は平気だから。それで、守るのはやっぱりファミリーだけだからね」
 山田慶一の生態と感覚は「居留民」と同根だと指摘する声がある。長年、山田の傍で多くを見てきただけはあろう。「すべてが通り過ぎるのをじーっと待」った末に、石井の債権の請求権は時効を迎えていたのであった。

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【著者】田中広美(ジャーナリスト)
【写真】『ちよだ区議会だより』より
https://kugikai.city.chiyoda.tokyo.jp/dayori/no229/pdf/229_P1.pdf
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 7000万円も貸しながら、債権者が返済を「お願い」するという本末転倒。だが、その原因を作った男に擦り寄り、近寄ろうとする人間は後を絶たない。魔力の如き魅力は恐らく、多少のいかがわしさには目をつぶっても、利益を得られる場面に遭遇することを望む人間にとっては、リスクを考慮しても、なお輝きを放って見えるのだろう。

■日大総長選挙騒動における山田慶一と小池隆一

 東京・銀座の昭和通りから通りを1歩入ったところに「東京都中小企業会館」なるビルがあり、その中に山田慶一の〝架空の城砦〟がある。「株式会社大都市政策研究センター」だ。以下からは「大都市センター」と省略させて頂く。
 山田らは2008年、虎ノ門交差点脇の晩翠軒ビルから銀座に拠点を移して事務所を構え、シンクタンク風の名前をつけて新たな法人を登記した。この大都市センターこそが、冒頭で挙げたベトナムでの受注工作の舞台となった。その1室では夕方になると、大企業の関係者らが三々五々集まって来る。
 山田は焼酎の一升瓶を片手にコップに水割りをつくり、やんや、やんやと、四方山話に花開かせる。その1室の笑い声の渦のなかには、山田が口にした数多のプロジェクトで泣きを見た者たちは、むろん入っていない。
 そこに集えるのは、山田の悪しき実態を踏まえたうえで、自分だけは山田と付き合えるという自負と実績に満ちた者だけなのだ。奇妙な矜持に満ちた笑いの宴には、常に不穏な通告も届いているのだが、それを気に留める者はいない。決して懲りるという内省を知らないため、千代田区に大きな拠点を構える日本大学でも大きな火種となった。
 ここに1冊の本がある。2005年8月に新装版として発刊されることになった折、小池は日大による発禁工作の実行者として、その名前を晒されてしまう。

<驚くまいことか、最後に接触してきたのは右翼団体元総会屋小池隆一である。なぜこの大物が出現したのか。おもしろそうなので話を聞くことにした。彼はあの児玉誉士夫の配下ととも(原文ママ)小川薫の門下生ともいわれる人物である。
「私は日大関係者のある人物に世話になっている。日大のために役に立ちたい。私個人の一存できた。版権を買い取りたい。」
 という申し出だった。
 私が断ると、
「警視庁捜査二課が動いている。」
 と脅された。
 私は平成一七年四月一八日付けで内容証明書を送付してこの申し出を正式に断った。
『暗黒の日大王国』の出版を目指してからもう六年になる。本が完成してからでも、一年近く経ってしまった。だが、その間にこんな知られざる水面下の攻防があったのである>(坂口義弘著『暗黒の日大王国─新装版─』スポーツサポートシステム)

 このとき、小池が著者の坂口に接触したのは事実だ。それは山田からのたっての頼みであったからだった。この発刊を前後して、日本大学では総長レースで人間関係が沸き立っていた。
 1996年から2005年まで日大総長は瀬在幸安。内容証明が送付された平成17年は2005年。『暗黒の日大王国』では瀬在と暴力団に癒着があったとし、大学運営の細部をレポートしたものだ。
 出版されれば瀬在の総長留任が厳しくなる、そう危機感を覚える者がいてもおかしくない。実際に阻止しようと動いたのは山田と、日大卒で共同通信出身の広報担当理事(当時)だった石井宏だった。
 山田と石井は日大による御茶ノ水周辺の校舎を含めた再開発を、当時まだ山田と蜜月だったパシフィックコンサルタンツに業務委託させるなど、日大の開発に一枚も二枚も噛んでいたのだ。
 しかし、当の瀬在の総長留任の雲行きが怪しくなったためか、工作に借り出された小池は、交渉の梯子をはずされたかたちとなり、坂口に対しても不義理な状況に追い込まれる。その結果が、右の記述となって現れたのだ。
 こうしたことから分かるのは、小池は既に山田の術中にはまっていたということだ。山田は小池の心理をうまく読んでいたのだろう。「こんな目先のカネで貸し渋って人間関係を壊してしまうより、ここはひとまず相手の顔を立ててやり、より大きなものにつなげた方がいい」──小池に限らず、山田は意識しているのかしていないのか、こうした人間社会における「大人の心理」を常に、実に巧みに利用していた。
 人心収攬術と呼ぶのであれば、間違いなくそうであろう。確かなことは、しかし、プロジェクトは常に完全な創作ではなく、ましてや架空のものなど1つもなく、どこかに必ず、その痕跡が傍目にも分かるようになっているということだ。幽霊話ではなく、ちゃんと脚も足も見えている。
 問題は、そうしたプロジェクトは、必ずしも山田の案件ではないところにある。「あいつは自分が見聞きしたものは全部、自分がやってる案件だって言っちゃう」(小池)なのだから手に負えない。
 山田に食い下がるのは、大人であればあるほど、不可能となっていく。なぜならば、もし万に一つ、山田の機嫌を損ねれば、「本当」のプロジェクトへの参加権を失いかねないという絶対的な恐怖が存在するからだ。
 そのためにも、山田側には絶対に欠かせないことがある。プロジェクトのメニューだけは手元に豊富に取りそろえておかなければならないのだ。ロビー活動を展開するコンサルティング業者に、そうしたプロジェクトが数多く揃うという下地を作ったのは、いわゆる55年体制、自民党体制であったことは間違いない。
 2009年に政権交代が実現してもなお、与党民主党はミニ自民党の如く振る舞った。そのために下地が決定的に崩れることはなかった。与野党が入れ替わっても、日本の国土は掘り返され続けていくのだ、と漠然とした期待があったのだろう。
 だからこそ山田慶一は、まるで夜光虫のように「期待」という名の光を放ち、一流企業と呼ばれる法人や、そこで働くエリートサラリーマンという組織人を魅了して止まないのかもしれない。
 それは決して山田慶一のみの「悪」ではない。彼ら組織人が自主的に集うという、自身の「意志」がある限り、山田慶一が持っているものは「悪」ではなく「魅力」なのだ。だから根本的な問題は、山田に魅力を感じる組織人たちの心の内側にも存在した。
 組織人から放たれる魅惑の眼差し。それを山田は間違いなく捕まえ、決して放さない。これこそが「ロビイスト」という職業に必須の条件なのだとすれば、間違いなく山田はバブル崩壊後最大の、55年体制末期が生んだ最も魅力的なロビイストだといえた。
「お金ある? あればすぐできるよ」
 そんな山田の掛け声に、人々は率先して金を出していった。山田という政治への、自民党への扉を開くための、金こそは何にも勝る通行手形であったのだ。

■区長と〝コンサルタント〟が絵図を描いた麹町五丁目計画

 銀行関係者をも驚かせる、業務委託契約書がある。不動産の第三者への売却コンサルティング業務の契約書だ。2008(平成20)年4月10日付の契約書の第6条には次のようなに記されている。
<甲は、本契約締結時に着手金として、金150000000円(消費税及び地方消費税)を支払うものとし、本委託業務完了時に成功報酬として、本不動産の売却価格の3%に消費税及び地方消費税を加算した金額から着手金を控除した金額を支払うものとする>

 念のため、金額は1億5000万円だ。甲欄には、株式会社アーバンコーポレーション代表取締役の房園博行の名と社判、乙は環境計画研究会代表の山田慶一の名と社判がそれぞれ置かれている。
 その日からわずか4ヵ月後の8月13日、甲であるアーバン社は東京地裁に民事再生手続き開始の申し立てを行う。つまり、アーバン社は実質的に倒産したのだ。
「時期的には4ヵ月前となると、すでに企業としては民事再生の手続きに入っていてもおかしくない時期です。その時期に、不確定要素の強い不動産売買を見越して1億5千万円もの手付金を払うというのは聞いたことはありません」(銀行法人営業部関係者)
 一方で、不動産の業界に詳しい人間はこういう。
「80年代のバブルの頃にはよくありましたよ、こういうの。倒産を見越してね、あるいは経営者個人に対するキックバックのために、現金が必要になるとこんな業務契約書をよく巻いたものですよ」
 後者の〝見立て″も現実味はある。この契約書と平行して作成された、63枚にのぼるカラ―の冊子がある。その表紙にはこう書かれている。
 麹町五丁目計画マスタープラン案――。
 日付は2008年2月12日、アーバン社と山田とが業務委託契約を結ぶわずか2ヵ月前のことだ。東京都内の大手建築設計事務所によって、麹町5丁目界隈の開発計画を取りまとめたもので、紀尾井町TBRビルの跡地を中心に、四ツ谷駅に近い新宿通りの現・鉄道弘済会館までをつないで開発する計画だ。そこには、住宅とホテルのタワー棟複数と、商業施設、さらに中低層の住宅施設を建築する計画が示されている。
 この東京のみならず、日本における一等地中の一等地で、山田たちは開発に着手していた。この建築設計事務所が作成した「マスタープラン案」を山田は持ち歩き、実際に永田町の弁護士事務所で広げて見せている。
 わざわざ第三者の弁護士にこのマスタープランを渡さなければならなかった事情は後述するが、山田はこのマスタープランを任されているのでカネが入るとして、このプラン案が記された冊子を提示していた。
 このプラン案の策定を前後して、この計画地周辺で、奇妙な動きがあったのが、表沙汰になったのは、山田らが業務委託契約を結んでから2年後のことだ。2010年9月16日、東京・千代田区の共産党区議、木村正明が質疑に立った。

<区政運営の公平性・透明性の確保について、端的に2点伺います。1つ目。区役所の移転に当たって、全体のマネジメントを民間企業にゆだねました。その企業の選定に当たり、プロポーザル方式を採用しましたが、選定委員はすべて区の内部職員でありました。『千代田区プロポーザル方式業者選定実施要綱』では、選定委員に原則として『学識経験者を入れる』となっています。なぜ内部職員だけで選定したのか、答弁を求めます。
 2つ目。2008年12月に都市計画決定された『麹町地区の地区計画』では、D地区、いわゆる上智大や鉄道弘済会館や駐車場などがある地区ですが、ここだけが高さと壁面の位置の制限が定められていません。D地区だけルール化を避けた、どんな特別な理由があったのでしょうか>

 鉄道弘済会館、そして「駐車場」こそが、山田らが持ち歩いた麹町プロジェクトの開発区域に当たる。
 いわゆる高さ制限がこの「D地区」の一角だけ設けられていなかった。そこに〝恣意性〟をかぎ取ったであろう木村は、質疑に取りあげた。むろん裏では、何かと区政で話題の尽きなかった、区長の石川雅巳の影を睨んでいたことは間違いない。しかし共産党の木村だけでなく、区議会側もこの段階では、このD地区で具体的な開発計画が進行中であることは知らなかった節がある。答弁に立ったまちづくり推進部長は朗々と読み上げた。

<麹町地区の地区計画は、幹線道路沿道において良好なまち並みを形成することにより、幹線道路における緩衝帯として、後背地の環境保全につなげることを目的としております。D地区におきましては、大規模敷地が多く、不整形な大規模街区となっております。こうした大規模敷地、大規模街区の建てかえにつきましては、一律に高さや壁面後退距離を制限するのではなく、ほかの都市計画手法も視野に入れながら、広場や道路等の空間―都市の空間ですね、そのとり方や、建物、それから機能の配置等、一体的検討が必要であると考えております。このため、地区計画の中では具体的な高さを定めませんでしたが、具体的な建築計画の機会をとらえ、地域の課題解決に向けた効果的な計画誘導を行えるよう、今回は方針のみとさせていただいたところでございます>

 一般論に終始しようとする答弁に、木村がさらに突っ込む。

<それから、麹町地区のD地区だけ、高さ制限、あるいは壁面後退のルールをかけなかったという問題であります。
 今の土地が不整形であるとか、あるいは大規模街区というご説明でしたけれども、そういうところだからこそ、高さ制限や一定のルールを課すことが重要なんじゃないですか。どういうところが開発をするのか、わからないわけだから。
 これまでも区は、地区計画について、その実現に向けて、都市計画に――地区の目指すべき将来図を設定してまちづくりを進めていくんだと。あるいは、将来像をその地区の人々が共有することで、地区としてのまとまり、一体感を持ったまちづくりを進めることができるんだと、こう述べています。つまり、その地区の地権者の皆さん、住民の皆さんがまちの将来像を共有して、そして一歩一歩、良好な住環境をつくっていくんだと。これが地区計画でしょう。何で一定の割合だけ、住民とは別のところで、区が独自にそういったところは別の手法で誘導していくというような例外措置を設けたのか。これは極めて疑問ですよ。
 これについては、特別にこのエリアを外せという働きかけだとか、そういう声がかかりましたか。その点だけ、確認しておきます>

 区議会も知らなかっただろうが、この時点で既にマスタープラン案は計画敷地面積として実に1万8198㎡を予定しており、そこに36階建てのタワー2棟を建設する計画が進行していたのだ。
 当初、この敷地を所有していたアーバンが倒産前に描いていた開発計画とはいえ、建築設計事務所側の青図では新宿副都心、表参道、東京ミッドタウン、六本木ヒルズ、丸の内仲通り、カレッタ汐留、そして銀座に並ぶ都内の一大開発となりうるものだった。
 山田と区長の石川とは極めて近しい間柄だ。山田の持ち歩く〝思惑〟と、そして石川ら千代田区の「部分的な例外措置」によって重なった部分、それが、「D地区」であり、「麹町五丁目計画」として表に現れたのだ。木村の「働きかけだとか、そういう声がかかりましたか」という直接的な問いかけに、役所側の答えはもはや見えていた。

<木村議員の再質問にお答えいたします。まず最初に、どちらかからいろんな要請があったか、高さを決めるなという要請があったかという話でございますが、それはございません>

 しかし、この答弁から遡ること2年前、2008年2月の段階、つまり千代田区が高さ制限を部分的に外すことを決めた時期までに、もう業者による青図は完璧にできあがっていた。これに対して、千代田区のまちづくり部長の答弁は、役所答弁としてはひな形通りのものだといえる。

<このまちについては、道路の舗装のあり方とか、いろんなことをやってきた経緯もありまして、一定の、余り高さに不そろいのないように、結果的には敷地の大きさによって高さも変わってくるわけでございますけれども、それでも、この辺を考えましょうという、70メーター、80メーターという数字が出てきましたし、それとともにあわせて出てきたのが、麹町大通りの、やはり色とか形態について、いろいろ、議論があった記憶がございます。
 そういう点でいきますと、先ほどのA地区におきましても、そういった敷地が道路に面しているところについては、一定の高さ、先ほど申し上げました70メーター、80メーターを設定していますが、その裏敷地においては、先ほども申し上げましたように、大きな街区それから公共施設、都市施設の整備状況がやはりここは不十分であるという観点からそういうふうな議論をして、そこの部分については、今回定めないで方針だけにしておきましょうと。方針の中で、やはり一体のまちであるということを書き込もうということで、そういうふうなことになった経緯がございます>

 実は、この共産党区議の質問から遡ることおよそ1年前、1通の怪文書が流れた。
(第13回につづく)