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2017年3月14日

【無料記事】KARA「1人勝ち」ジヨンと他メンバーの「明暗」

 2011年に紅白歌合戦にも出場したことのある人気K-POPグループKARA。未だ公式には解散していないが、事務所を抜けたメンバーが多く開店休業状態だ。

 そんな〝元メンバー〟たちは個別に芸能活動を続けている。

 しかし誰が予想しただろうか、KARA時代とは逆に、人気の高かったニコルが伸び悩み、逆にジヨンの飛躍が際立っている。そして、その分かれ目は脱退後に所属した事務所にあるという。

■―――――――――――――――――――― 【著者】江川優梨子 【写真】KARA韓国公式HPより

(http://kara.dspmedia.co.kr/)

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 KARAは、10年8月11日、ヒップダンスが話題になったシングル『ミスター』を発売して日本デビューを果たした。メンバーは、ギュリ、スンヨン、ハラ、ニコル、ジヨンの5人。翌11 年には『第62回NHK紅白歌合戦』に初出場。

 13年1月にはK-POPガールズグループ初の東京ドーム公演『KARASIA 2013 HAPPY NEW YEAR in TOKYO DOME』を開催するほど、日本でも人気を誇った。

 メンバー全員、キュートなルックスを持ち、愛嬌も抜群で、日本語も流暢。日本のテレビ番組に出演して知名度を高めるのに時間はかからなかった。

 日本でも多くのファンを獲得してお茶の間の人気者になる一方、韓国の所属事務所・DSPメディアとの対立が表面化。メンバー内部の足並みも乱れ、14年ごろになるとKARAの〝分裂〟は不可避の状態に陥る。

 同年1月にニコルが、4月にはジヨンが脱退。これに対抗してDSPメディアは韓国のオーディション番組『KARAプロジェクト』で〝発掘〟したヨンジを新加入させ、8月に4人体制で立直しを図る。

 この〝新生〟KARAは日本で2枚のシングルと、1枚のオリジナルアルバムを発売。14年と15年には来日ツアーも実現した。だが、16年になると再び解散の危機が訪れる。

 16年1月に、ギュリ、スンヨン、ハラの3名が事務所との専属契約を終了。他の事務所に移籍してしまう。遂にオリジナルメンバーが1人もいなくなったKARAに残留したのは、最後に加入したヨンジのみ。こうしてKARAは、メンバー6人が別々の事務所に所属するという実質的な解散状態となった。

 にもかかわらず、リーダーのギュリは、インタビューなどで解散説を否定。再結成を仄めかしている。またヨンジはファンミーティングなどでは「KARAのヨンジ」と自己紹介しているし、他のメンバーも、それぞれ交流が続いていることをアピール。SNSに写真を公開するなどしている。

 こうした彼女たちの言動を、再結成に期待を持たせることで、自分たちのソロ活動へ注目を集めさせる〝商法〟と見なすことも可能だ。

 事務所から離れた5人は、少なくとも数年間はソロ活動に邁進する意欲に満ちている。すぐにKARAを再結成してKAMILIA──KARAファンの総称──たちを喜ばせようとは考えていないだろう。

 では、メンバーのソロ活動を、KAMILIAたちはどこまで応援するだろうか。

 KARAを失って、他の事務所の人気グループ(TWICE、Lovelyz、宇宙少女など)やKARAの妹グループAPRILを積極的に応援するようになったKAMILIAが少なからずいる。事務所DSPメディアは、KAMILIAの気持ちをAPRILに引き付けようと目論み、ファンミーティングやコンサートでKARAの人気曲をAPRILに歌わせている。

 APRILは美少女揃い。おまけにKARAの人気曲を上手に歌いこなしてしまう。KAMILIAにとっても魅力的な存在なのだ。いや、KAMILIAの気持ちは徐々にAPRILにシフトしているといっても過言ではない。

 こうした背景から、メンバー6人によるソロ活動は、KAMILIAのお財布を仲良く分け合うといった、甘い環境ではなくなってしまった。それどころか、はっきりと明暗が分かれてしまっている。

 驚くことにKARA時代には人気があったニコルが最も不遇だ。ニコルは14年10月に韓国の芸能事務所B2Mエンターテインメントと専属契約をしてソロ活動を開始。15年春から日本でも活動を開始した。

 だが16年の春以降、日本での活動が途絶。そして突然、9月に日本での所属事務所・CJビクターエンタテインメントから「契約満了のお知らせ」が公式ファンクラブに告知された。

 現在、CJビクターエンタテインメントの公式サイトのアーティストページ
(http://www.cjve.jp/Artist.html)

にはニコルの記載がない。更に、かつての公式サイト
(http://nicole-cjve.jp/)

にもアクセスができない状態だ。

 更に韓国の所属事務所・B2Mエンターテインメントは15年12月、CJグループの主要企業・CJ E&Mと合併してしまった。となれば、日本で彼女を受け入れる事務所はCJビクターエンタテインメント以外には存在しないと言っていい。

 こうしたことから、少なくとも日本におけるニコルの活動は今後、どうなるのか全く予測ができない状態だ。それを裏付けるように、日本における公式ファンクラブのサイトには、事務局休業のお知らせが虚しく表示されている。

 それでも韓国における芸能活動が順調ならば問題ないだろうが、実は母国でも寂しい現状に追い詰められている。16年4月には韓国での歌手活動を〝暗示〟するニュースが配信されたものの、それ以降、現在に至るまで実現していない。

 同年9月には韓国系音楽専門チャンネル『Mnet』のダンス番組に出演し、これは好評を博した。だが、それ以後が続かない。テレビ出演もなく、メディア露出は減る一方だ。女優としてのオファーも聞かれない。16年にKAMILIAの間で話題になった仕事は、数本の芸能番組と雑誌のモデル、という低調ぶりだ。

 16年2月に発売された2ndシングル『DON’T STOP』では、KARA全盛期を彷彿とさせるキュートなMVで勝負をかけたが、オリコンデイリーランキングの最高順位は2月29日付の11位と惨敗に終わる。そもそも初シングル『Something Special』の最高順位も15年7月6日付の8位と振るわなかった。要するにニコルの人気凋落は明白なのだ。

 逆にニコルとは対極な存在が一番年下のジヨンだ。14年4月に脱退したジヨンは、イギリスへの短期留学を経て、堀北真希、黒木メイサ、桐谷美玲らが所属する日本の芸能事務所・スウィートパワーと同年8月に専属契約を締結した。

 芸名を漢字「知英=Jiyoung」に変更し、12月には有料の公式ファンクラブを設立。日本で腰を据えて女優活動をスタートさせた。雑誌『non-no』(集英社)におけるレギュラーモデルも14年12月号から16年5月号まで勤めあげた。

 しかもジヨン=知英は女優のみの活動だと思われていたのだが、16年3月に「JY」名義で歌手としても〝再デビュー〟を果たす。

 現在のところ4枚のシングルを発売。同じ事務所の女優や自身が出演するドラマの主題歌などに使われたほか、16年秋には念願のミュージカル出演も果たした。そして今年17年5月に名古屋、大阪、東京で初のライブツアーを開催する予定となっている。

 未だに日本には、KARAのライブに足を運べず、〝欲求不満〟を感じているKAMILIAが多く残っていると推測されている。もし、ジヨン=JYのライブツアーを彼らが支持したならば、日本人KAMILIAの応援を独占することになるかもしれない。残り5人も、このライブツアーの成否に関しては、文字通り固唾をのんで注目しているはずだ。

 ジヨンの成功は、やはり所属事務所・スウィートパワーのマネジメントが巧緻だということも大きい。毎年新しいチャレンジをさせることで、ファンに期待や希望を与えるだけでなく、芸能活動の幅を着実に広げさせてきた。

 これは、場当り的なマネジメントが珍しくない韓国の芸能事務所には、やはり太刀打ちできないポイントだろう。更にジヨンは努力家としても知られる。日本語は発音だけでなく、読み書きの能力も向上しているといい、徹底した自己管理が容姿の輝きと、抜群の歌唱力を実現させている。

 これにスウィートパワーによる強力なマネジメント力が加わる。同じ事務所の女優の主演ドラマにジヨンを共演させることは、いわゆるバーターと揶揄することは可能かもしれないが、韓国系の芸能事務所にとっては簡単にできる〝芸当〟ではない。

 ジヨンは日本に根を下ろしたことにより、多様な仕事に恵まれた。それが評判を呼び、誰もが認める実積としてカウントされたのだ。

 これに対して、残りの5人は「韓流スター」として、たまに来日して仕事をこなす道を選択した。もちろん本人も納得した上での決断だったに違いないが、約3年でここまでの差がついてしまったのだ。その〝岐路〟を振り返って、5人は今、何を思うのかという想像は、相当にビターな味わいを伴う。

 やはり外国で成功するためには、その国で活動することが不可欠なのだ。誰でも分かる当り前のこととはいえ、スウィートパワーを信じて飛び込んだジヨンの決断は、誰にでも真似できるものではない。それが1人勝ちの決め手になったのだろう。

(無料記事・了)