2017年2月22日

【無料記事】ベンチャー企業に騙された「住友銀行秘史」國重惇史氏

kuni2017-02-21 22.37.19

 バブル期のイトマン事件を巡る暗闘を描いた『住友銀行秘史』(講談社)の評判が高まる一方だ。硬派の「経済事件ノンフィクション」にもかかわらず、部数は13万部を突破。異例のベストセラーは、著者の國重惇史氏(71)にも関心が集まっている。

 ところが、ご存じの方も少なくないだろうが、実は國重氏、なかなか波瀾万丈というか、お騒がせな経歴の持ち主なのだ。

 スタートは典型的なエリートコースだ。東京大学経済学部を卒業し、68年に住友銀行(現・三井住友銀行)に入行。当時の銀行にとっては最重要ポジションの1つであるMOF(大蔵省)担当として名を馳せ、94年には48歳の若さで取締役に抜擢される。

 イトマン事件に直面したのは90年。この頃にメモしていた住友上層部の動向を、今回の著書で暴露したことになる。

 文中の登場人物は全て実名。一読した当事者たる住友OBらは凍りついたという。著者自身も、事件化を狙って怪文書を作成し、当局やマスコミに配布していた事実を明らかにしている。

 詳しくは國重氏の著書を読んで頂くとして、興味深いのはその後の人生だ。

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【写真】リミックスポイント公式サイトより
http://www.remixpoint.co.jp/
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 97年に住友キャピタル証券の副社長に就任するが、99年にDLJディレクトSFG証券の社長となる。

 同社は楽天証券の前身。つまり頭取候補とも言われていた國重氏は楽天に転職したのだ。同社の三木谷浩史社長に三顧の礼で迎えられたと報じた社もあった。入社後は三木谷社長の片腕として金融部門などを統括。副社長まで上り詰める。

 だが、好事魔多し──。

 週刊誌『週刊新潮』(14年5月1日号・新潮社)が、國重氏が都内在住の専業主婦とダブル不倫の関係にあることを報道。結果、「一身上の都合」から楽天を退社することになってしまう。

 そして15年6月、株式会社リミックスポイント(東京都目黒区東山)というベンチャー企業に請われ、國重氏は社長に就任する。

 ところが、この会社、資金繰りの悪化などで不透明な増資が続くなど、悪い意味での注目を集めていたのだ。

 その経緯は、ニュースサイト『ビジネスジャーナル』の記事『あの元楽天副社長、いわく付き企業社長として窮地&孤軍奮闘…反社勢力の詐欺を回避』(高橋篤史氏・ジャーナリスト)に詳しい。
http://biz-journal.jp/2016/11/post_17196.html
 内情を知る関係者が苦笑する。

「なんのことはない、このベンチャーが危険な会社だということにようやく気付いて、とにもかくにも逃げ出したというのが、ことの真相ですよ」

 中古車のオークションサイトとして事業を始めたリミックスはその後、競争激化で事業転換に追い込まれる。更に16年10月には資金繰りが悪化し、香港企業に大規模増資を引受けてもらうことを決めた。

 だが上記の記事にもあるが、この増資、かなり不透明なのだ。「不正な資金確保の疑いがある」との噂がつきまとい、証券取引等監視委員会など関係当局が水面下で内偵調査に乗り出したほどだ。

 そうした流れの中で、國重氏は16年末、「経営責任を明確化する必要がある」として社長職を辞任した。関係者が明かす。

「リミックスでは國重さん以外の役員は辞めていません。何のための経営責任なのか、これでは投資家に伝わりませんね。國重さんは自らの著作がベストセラーになって、注目される存在になった。高給で社長職を引き受けたものの、怪しげな増資が当局の目に留まり、怖くなって逃げ出した。これが彼の突然の辞任劇の真相ですよ」

「頭取候補」との声もあったほどだから、國重氏は有能な銀行マンとして業界では有名だった。一方で、女性関係が派手など、エリートらしからぬ脇の甘さも目につく。著作では年末年始、妻とは別の女性と海外旅行していた事実を明らかにしているほどだ。

「経営が危ないリミックスは、最初から國重氏を『信用補完』のつもりで社長に据えた。その魂胆に、國重氏は元銀行マンだというのに気づくのが遅すぎた」(同・関係者)

 やはり銀行関係者からも、國重氏の甘さを指摘する声が強い。ところが皮肉なことに現在、リミックスポイントの株価は絶好調なのだ。仮想通貨の店舗決済サービスが好材料と受け止められているという。

 とはいえ、所詮は〝株のプロ〟が注目する話だ。株に全く手を出したことがないか、〝健全〟な個人投資家なら、國重氏の判断を──遅きに失したとはいえ──支持するに違いない。

(無料記事・了)

2017年2月21日

【無料記事】石原慎太郎「長期都政」の秘訣と「小池百合子」の未来

tosei2017-02-21 16.14.32

 記者会見を開くのか開かないのか。二転三転した石原慎太郎氏だが、現在の段階では百条委員会の設置が確定し、証人喚問の現実味が強まっている。

 改めて振り返れば、石原都政は何よりも長期政権だった。だが、後継者たる猪瀬直樹氏と、その辞任で〝火消役〟が期待された舛添要一氏も、共に短期政権に終わった。

 この3人の「元都知事」を比較すると、「都政を安定させる方法」が見えてくるのではないかというのが、このインタビュー記事の原点だ。そして、その「方法」が言語化されたなら、未だに支持率が8割近い小池百合子知事の今後を占うこともできるに違いない。

 弊誌は、この石原都政で政策決定過程の中枢を内側から知った、ある人物にインタビューを依頼した。快諾を頂いたが、残念ながら要求される「取材源の秘匿」は極めて高い。名前はX氏としか書けず、抽象化した略歴すらご紹介できないことをお許し頂きたい。

 それではインタビュー記事を開始しよう。

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【写真】新銀行東京公式サイトより
https://www.sgt.jp/
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──4回連続で当選し、1999年から2012年まで知事を務めた石原氏に対し、猪瀬、舛添両氏は短命知事に終わりました。改めて、2000年代の都政を、どのようにご覧になっておられますか?

X氏 都政を責任問題で振り返るのではなく、「構造と作用」の力学という視点で見ることが大事です。

 普通なら石原都政は安定感に富み、猪瀬・舛添都政は不安定だったと総括されるはずですが、ここで真逆の視点から疑問を提起してみたいのです。石原、猪瀬、舛添の3人のうち、なぜ石原都政だけが「特別」に安定していたかという問いです。

 猪瀬、舛添両氏の辞任は、むろん本人たちの行動が全ての原因だったことは間違いありません。しかし、私は「なぜ都議会は簡単に彼らを切ることができたのか」という点に着目したいのです。

 都議会は石原都知事のクビを取れなかった。ところが猪瀬、舛添は取れた。この違いは、石原都政と、石原以後の都政で「質」が異なることを示唆します。具体的には、「議会との共犯関係」があったのか、なかったのかということに尽きるだろうと思います。

──共犯関係とは穏やかではありません。具体的には、どのような内容を指すのでしょうか。

X氏 議会との駆け引き、などという抽象的な話ではありません。議会にとって知事は「担ぐに価する神輿」でなければ意味がないんです。与党議員が「今のトップには価値がない」と判断すれば、失職に追い込まれない方が珍しい。そうして辞任に追い込まれた政治家として猪瀬直樹、舛添要一、そして第1次政権での安倍晋三の名を挙げれば、具体例は充分でしょう。いわば議会政治の大前提なんです。

 この点で石原都政には、新銀行東京というカードがありました。石原都政の中期から晩期にかけては、このカードが最大の、決定的な構成素材となりました。石原都政の屋台骨を支えたわけです。

──弊誌は『小池百合子都知事誕生で、舌なめずりして待つ「内田茂」の余裕──小池VS内田の全面戦争では「小池敗北説」が濃厚という「都庁伏魔殿」の恐怖』という記事を掲載しました。
(http://www.yellow-journal.jp/politics/yj-00000289/)

 ベテラン都政記者の「短期的にも小池知事は破れ、内田都議が勝つ」という予想は外れてしまいましたが、石原都政が新銀行東京を作ったのは、都議に「利権」を用意したことと同義だとする証言は、非常に興味深いものがありました。

X氏 新銀行東京は結果として破綻し、なおも破綻処理が続いているという、正真正銘の「石原都政における負の遺産」です。しかしながら、中小企業を応援するという錦の御旗のもと、銀行に群がることを都議会与党は許された。これは大きかったですね。

 結果、新銀行東京は与党都議の顔を立てるため、時代錯誤の情実融資が横行しました。それが破綻原因の1つとなったのは間違いありません。それでも与党都議にとっては支持・支援者に恩を売ることを可能にした「大きな甘い汁」だったのです。

 もちろん石原氏は、議会に飴を舐めさせるために新銀行東京を構想したわけではありません。ですが石原知事が、経営破綻に向かいつつあった新銀行東京を「議会の既得権益」さながらに放置し続けたのも一面では真実です。あの時、石原知事と都議会は「共同正犯」の関係だったといえるのではないでしょうか。与党野党を問わずです。

──猪瀬・舛添両氏の都政とは、比較にならないほどの規模と期間、石原都政は公私混同を行っていました。にもかかわらず、都議会は決して石原知事を「抹殺」しなかった理由ですね。

X氏 猪瀬、舛添両知事は、都議会と「共同正犯」レベルまで関係性を構築できませんでした。特に猪瀬氏に顕著で、本人の意図するところとはおそらく異なるでしょうが、いみじくも辞任の際に漏らした「政治家としてはアマチュアだった」との弁は、真実を言い当てていたのかもしれません。

 政治の世界における「議会との良好な関係」の内実は、議員個々の顔が立つカードを切ることであり、それは結局、議員が常に選挙区へ手土産を持参できるよう差配してやることだとも言えるでしょう。

 例えば猪瀬知事が、当時の知事本局を作業部隊として毎週のように都政改革のメニューを探していた頃の話です。それを受けて都営住宅の問題に手を付けようとしたことがありました。老朽化対策というスケールの話ではなく、都営住宅を広大なインフラと見なし、再編、利活用するというプランです。

 しかし私は、これには断固として反対しました。

 なぜか。それは石原都政が唯一、手付かずで、そのままに放置していたのが都営住宅であり、確固たる理由があったのです。政治=組織力のない猪瀬サイドにとって、野党といえども、政党の既得権益を脅かすようなことをすれば、絶対に無血では済みません。

 結果、都営住宅への着手を見送る一方で、東京から発信する地方主権、というメニューで提案が行われたもののひとつが「シンガポール方式」です。私が関わりました。

 残念ながら基軸化は果たせませんでしたが、資源小国であるシンガポールのインフラ整備は、総花的なものではなく、集中投資による一点突破型です。シンガポール経済開発庁の幹部にヒアリングを行い、水道事業の海外展開に感触を得たんです。シンガポールは言うまでもなく資源小国であり、水源を他国にゆだねています。環境技術という意味での水道事業は、シンガポールのみならず、アジアや途上国など経済伸張を迎える各国にとってはもっとも注目される技術であり事業です。東京都の水道技術はその点で世界最高レベルにあります。

 たd、水道事業者の労組である全水労は日本最大最強の呼び声も高く、確固たる一枚岩を誇っています。水道事業のスリム化を謳えば彼らの反発を招き、うまくいかないことは明らかでした。

 そのために水道事業を海外にスピンアウトさせることで、新規事業に結び付けたんです。東京都水道局が水道事業のコンサルタントとなり、途上国に「東京方式」を輸出するというモデルケースです。

 このようにして、猪瀬知事は与党野党そうほうの既得権益である都営住宅問題に抵触することを避けながら、それでも果敢に新規事業を展開していきました。結果、世論の支持を得たのですが、猪瀬氏が400万もの票を集め、「これで議会は俺を切れないだろう」と驕り高ぶったところに、落とし穴があったように思います。

 国会議員だろうが都議だろうが、議員は選挙基盤の確保が最優先です。常に地元へ利益を還元しなければなりません。だからこそ議員のために飴を作り、議員に飴をなめさせ続ける。それが議会と友好的な関係を築く唯一の方法なのです。しかしながら猪瀬氏はむろん、国会議員の経験を持っていた舛添氏でも、それは盲点だったでしょう。

 舛添氏の話なら、知事時代、「都市外交」という機密費さながらの潤沢な税金で豪遊を繰り返しました。やっていることはただ、石原都政の豪遊と五十歩百歩です。それにもかかわらず、野党が、「舛添知事とは一緒には、やっていけない」と見切りを付けたのは、やはり、舛添氏では、世論の風当たりというリスクを承知したうえでも、都議ら自らを立脚させるメリットがリスクを上回らなかったという解釈も可能ではないでしょうか。

──野党が「やっていけない」と見切りをつけるというのは信じられません。野党にとって、知事の問題はチャンスなのではないでしょうか。

X氏 1999年、石原氏が初当選した知事選を思い出して下さい。自民党は明石康氏を擁立しました。石原都政は与党のバックアップによっては誕生していません。そのために都議会与党たる自公は、積極的に石原都政をバックアップしていないんです。

 では、なぜ石原都政は〝長期政権〟たりえたのか。それは石原氏が知事である限り、与党であろうが野党であろうが、都議なら誰でも新銀行東京や、福祉、住宅関係の予算で、潤沢な「地元選挙区への土産」を持って帰ることができたいうことです。都議からすれば、石原知事は「消極的放置」に価するリーダーであり、そうした判断が石原都政の安定を生み出したともいえるのです。

 むろん、そのカードを差配していたのは浜渦武生氏といった、政治家なみに鋭い側近らであったわけです。ちなみに石原都政で副知事だった浜渦武生氏は都議会予算委で、民主党にやらせ質問を行ったことが百条委員会で判明。2005年に辞職へ追い込まれます。その絵を描いたのは〝都議会のドン〟たる内田茂都議だということは、今やテレビのワイドショーでも報道されていますが、皮肉なものだと言わざるを得ません。

 本題に戻りますが、石原都政は都職員に対しては恐怖政治を敷きました。ですが、権益を確保しようとする議会側の動きには、比較的自由を与えていたことは特筆すべきことだと思います。そしてもちろん、猪瀬・舛添両知事にも、そうした動きは見られませんでした。

 両氏とも、政治家としては幼すぎたと言うべきでしょう。都議会にとっては、両知事を支える理由がなかったのです。

──今夏には都議選が控えています。この勢いなら小池新党は圧勝という予測もあります。どうご覧になりますか?

X氏 これまでに見てきたように、議会との「共犯関係」を築けない都知事は、小池知事に限らず、誰でも短命に終わります。

 オール与党となれば、議会対策の必要はありません。トップとしては、極めてやりやすい状況になるのは論を俟ちません。

 だからこそ政治家には、オール与党化こそが、政策実現の最短ルートだと考える人がいます。小池知事も、改革実現の近道だと信じておられるようです。

 それでは石原都政の最晩期はどうだったでしょうか。あの頃の都議会は実質的にオール与党でした。ですが、圧倒的な数の力を有すると、反動も大きいのです。石原都政の安定性を生んだ背景を冷静に振り返れば、学ぶべき「政治手腕」とは、『議会は掌握すれども、制するべからず』だと、これに尽きると言えるのではないでしょうか。

 難しいことに、攻める余地を知事に与えられないと、都議や都議会は立脚点を失ってしまいます。結果、都議は支援者に自らの手腕、技量、何よりも清新さをアピールできません。そして「このトップの元では、自らの足元が揺らいでしまう」と判断すれば、彼らは必ず造反の意志を芽生えさせます。小池知事もまたそこに気づかないのならば、早晩、彼女自身が「守旧派」のレッテルを貼られることになるのではないでしょうか。

(無料記事・了)

2017年2月16日

【無料連載】『哀しき総会屋・小池隆一』第15回「人間不信」

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(承前)「貧乏の極にある」「奈落の底に落ち込むようでした」

 こうした小池の言葉は決して、貸した金を返してもらうためのハッタリや演技ではなかった。山田慶一に繰り返し金を貸し続け、返済の埒が空かないことが判明しても、小池は山田を責め立て、追い込むようなことはしなかった。

 山田にも真摯な部分があるはずだと一縷の望みをつなぎ、自分の生活費をやりくりするため、郷里・新潟県加茂市の土地などを売り払った。

 だが遂に「貧乏の極みに達し」てしまったのだった。手紙の引用を続けよう。

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【著者】田中広美(ジャーナリスト)
【写真】2007年10月、家宅捜索のため、「パシフィックコンサルタンツインターナショナル」のグループ企業が入るビルに入る東京地検の係官ら(撮影 共同通信)
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 「山田には連絡は付きません。」との事でしたので、霧島さんに事情を話したところ、霧島さんは「私が車を運転して羽田飛行場まで迎えに行って、お二人を病院までお届け致しますし、山田には私の方から、ちゃんと報告しますので、必ず責任を持って病院までお届けします。」と言って下さったので、私は霧島さんに甘えてお願いを致しました。

 その日の夕方、貴殿から電話があり、私は霧島さんにお世話になったことを報告し、貴殿に連絡が付かないまま、つまり、貴殿の了解無しに勝手に霧島さんに物事を頼み、車と時間を使わせて拘束してしまったことをお詫び申し上げ、感謝の言葉を貴殿に申し述べました。 

 これに対して貴殿の方からは、この霧島さんを勝手に使ったことを心良く了解する言葉と、病院の費用の工面をもう少し待ってくれという短いお話しがありましたので、私としては、霧島さんとの事が有った話しの後なので「解りました、お待ちしますので宜しくお願い致します。」としか答えられませんでした

 不義理の限りを尽くす相手、その運転手の善意に対して、誠心誠意の謝罪と感謝の言葉を書き連ねる。そんな小池を笑う人もいるだろう。だが、いくら嘲笑されようと、小池とはそんな男なのだ。だからこそ、小池と付き合った企業の総務担当者に、事件後も小池を慕う者がいるのも納得がいく。

 相手を決して不愉快にさせない。そのためには細心の気配りを行う。そんな小池の態度を計略的、作為的と見る者もいる。確かに、様々な経験を通して後天的に獲得した作法かもしれないが、それを死ぬまで貫けば、そうした性格は「天賦」のものだと言えるのではないだろうか。

「深い人間不信」に陥る小池隆一

 小池の記憶は驚くほど細部まで鮮明だ。そして恐ろしいほど几帳面な性格が、それを強化している。山田との一件だけでなく、自身が関わったこと、自身の耳に入ってきた情報は会話も含めて極めて細かく整理し、メモを作成している。

 その積み重ねは、取材を生業とする新聞記者や週刊誌記者、編集者などのノートやメモでさえも敵わないほど、詳細で丁寧なのだ。 

 しかもメモは、やりとりが行われたり、場面を見聞したりした直後にファイリングされている。正確性は極めて高く、録音に等しいレベルだ。

 だからこそ小池の回想は、思い込みや勘違いが非常に少なく、再現性と信憑性が高いように思えるのだ。

 山田に送った手紙にも含まれているが、場面の再現が非常に細かい。なるほど、小池らしい正確性なのだ。だからこそ一層、小池が追い詰められた状況は不憫に思える。自身の記憶を手紙に記すという作業は、辛い内容ならば残酷なものに違いない。

 小池は鈍感ではない。手紙を書くことが、身を切るように辛い記憶を鮮明に蘇らせることを充分に理解してもなお、手紙をしたためようとしたのだ。そこには「哀願」より、強い怒りがあっただろう。静かなる怒りが、遂に小池を動かしたのだ。

 この直筆の内容証明郵便が18枚にも及んでいるという分量にも、そうした「気」が現れているし、書き綴った内容には「覚悟」が満ちている。

 手紙はさらに、切実さを増す。

ところが、その翌日十六日朝、貴殿の方から電話があり「持って来る事になっている人が後から来るから、今日の三時過ぎには連絡します。遅くとも夕方までには連絡しますのでお待ち下さい。」と短い話しで電話が切れました。

 私は正直のところ、助かった、これで何とかなると素直に嬉しかったです。

 ところが、夕方を過ぎても電話が無いので、少々遅くまで何回も何回も私の方から貴殿の携帯電話に連絡をしましたが、何時も留守番電話になっていました。もちろんメッセージは「電話連絡をお待ちしています。」と吹き込んでおきました。

 そして翌二月十七日には、貴殿の方から前日十六日と同じように「昨日は連絡できなくてすみませんでした。今日もう一日待ってて下さい。夕方には連絡しますから、いまチョットお客さんでバタバタしているから」と言って電話が切れました。

 それ以後十八日の土曜日から二十三日の木曜日まで毎日毎日、何回も何回も携帯電話に連絡しても、銀座の事務所に連絡しても、自宅に連絡しても、一切連絡が取れないということで、互いの会話が成り立ちません。

 もちろん貴殿の携帯の留守番電話には「お電話下さい。お待ち致しております。」とメッセージを入れておりますし、二十二日には、「本日、胃癌の手術が終って、現在ICUに入っています。」という事も吹き込んでおります。

 そして、私としては、もう「これは駄目なのかな」という深い人間不信に落ち込んでしまいそうになった、そのとき、二月二十四日金曜日、午前十時三十一分に貴殿の携帯電話から電話があり、「何回も電話を頂いていたことは承知していましたが、電話できなくて済みません。いまお客さんなので三時過ぎにもう一度電話します。」と言って切れました。しかし例によって、それ以後、全く電話は有りません。

 この時、私が思ったことは、何時も「現在バタバタしているから後で電話を架け直すから」とか「いまお客さんなので後程電話します」とか「いま電車の中だから後程もう一度電話するから」等々、色々な場面を口実に何時も電話で話し合う姿勢が全く無く、直ぐに切られてしまうことばかりだなという事です。

 当然、私は貴殿のお仕事の邪魔をしてはイケナイとか、お話しできない状況であれば仕方のない事として、直ちに「それでは後程、電話をお待ちしています」「後程とは何時頃でしょうか?」と確認したり、「ではお待ちしますので夜中でも朝方でも一日二十四時間、何時でも、御都合の良い時にお電話を下さい。ですから必ず下さいョ。」と念を押したり致しますが、それでも、ほとんどお約束した筈の後程の電話はありません。

 しかし、このような、貴殿の方から電話を架けて寄越しながら「いまお客さんだから」とか「いまバタバタしているから」いう科白でサッサと電話を切ってしまい、架けた相手、つまり私に話しをする余裕も時間も与えず、極く短時間で電話を切り上げるという事は、私にとって甚だ失礼な電話であると存じます。日頃から、私は貴殿には「夜中でも朝方でも一日二十四時間、何時でも都合の良い時に、十分に話しができる時に電話を下さい。」と昔から言い続けております。貴殿は私のそうした姿勢・考え方を十分に承知しているにも拘らず、それが実行されることは、ほとんど有りません

実は「詐欺師」への免疫が存在しなかった小池隆一

 山田から希望を繋ぐ言葉だけであしらわれている最中に──さすがに極度の不安が募っていたのだろう──私の携帯に小池からの着信回数が増えた。

 意外に思われるかもしれないが、小池は「明白な虚偽」に対しては免疫に乏しかった。総会屋も、それこそ任侠の世界でも、一般社会と異なる内容かもしれないが、「質実と信頼」で成り立っているのだ。

 約束は守る。義理は果たす。この掟を破った者は信用を失い、世界で〝抹殺〟される。それが小池の前半生を占める世界の作法だった。まして、虚言を弄して相手を窮地に陥れ、それに頬っ被りするなどという人間は企業社会を含め、これまで小池が渡り合ってきた人間の中には皆無に近かった。

 もちろん任侠社会で約束を守らなければ、相応の痛手や報復が待っている。企業社会でも同様のことをすれば、経営者は自らの地位を失う危険性がある。手形が代表的だが、何よりも信用で成り立っている世界なのだ。

 ある種の盲点だったのかもしれない。「後程電話します」「夕方までには用意できます」などと嘘を言い、延々とシラを切ることができる人間。そんな相手と小池は取引を行ったことがなかった。

 鹿児島で山田からの連絡を、ひたすら必死に待ち続けている間、小池は1本の記事を目にする。

在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)は20日、中央常任委員会議長の徐萬述(ソ・マンスル)氏が19日に心不全のため自宅で死去したと発表した。84歳だった。25日午前11時から東京都千代田区富士見2の14の15の朝鮮会館で朝鮮総連葬を行う。葬儀委員長は許宗萬(ホ・ジョンマン)・朝鮮総連中央常任委員会責任副議長。

 ここ数年は病気のため、自宅で療養していたという。韓国慶尚北道出身で、1941年に日本に入国。総連幹部の人事などを扱う旧組織局などで活躍。2001年5月に第1副議長から議長に昇格。小泉純一郎元首相と故金正日(キム・ジョンイル)総書記による2度にわたる日朝首脳会談の実現や「在日本大韓民国民団」(民団)との一時的な和解などに関与した。

 許責任副議長が政策決定などに影響力をふるう一方、徐氏は今年1月、北朝鮮の金永南(キム・ヨンナム)最高人民会議常任委員長からの新年の祝電を受け取るなど、対外的な窓口役を務めてきた。総連内部では、議長席は当面空席になるとの観測が出ている。

 徐氏は、北朝鮮の国会議員にあたる最高人民会議代議員も務めた。日本政府は対北朝鮮制裁の一環として、代議員が北朝鮮に渡航した場合、日本への再入国を認めない措置を取っている。日本政府関係者によれば、徐氏は昨年12月に金正日総書記が死去した際に訪朝を希望したが、制裁措置のため断念したという
(2012年2月20日付朝日新聞デジタル版より)

 新聞記事をベタ記事に至るまで隅から隅まで目を通す小池は、この記事に目を留めた。

 うんともすんとも連絡してこない山田の行方について様々に頭を巡らせていたのだろう。なおも、決定的に山田に〝騙された〟とは思いたくはない。むしろ、すでにそれで済む状況ではない。妻と義理の母はすでに手術のために東京に行き、入院している。当座、その支払いが確実に迫って来ていた。

 もとより、形ばかりは山田にお金の工面を〝哀願〟するかのようにへりくだってはいるが、むしろ山田にこれまで工面してきたのは小池の側だった。しかし、そうした立場を決して振り回さないのが小池の作法である。

 記事を見て、小池はこう考え、私に告げた。

「記事を見て気付いたんだけど、朝鮮総連の最高幹部が亡くなったって出てる。だとすると、山田さんは今、電話をかけたくともかけられない状況にあるんじゃないかと思うんだ。最高幹部が亡くなったんだから、おそらく市ヶ谷の朝鮮総連の本部にぐーっと詰めてるんじゃないかな」

 私は、その時ばかりは小池に無情な応答をしてしまった。恐らく、小池自身が自分でも疑問に思いながら、それでも一縷の望みを繋ぐために話していたのだろう。同じ立場に直面すれば、誰でもそうなるに違いない。だが私は小池の希望を立ち切ろうとした。

「小池さん、それはないと思いますね。確かに彼は在日で、警察当局もその金の流れを追いかけ続けています。仮に在日であり、北系であったとしても、とりわけ警察の眼だけはことごとく嫌って、足のつくことだけは避けて生きてきた人間が、今、公安当局の監視が一層厳重になっているはずの総連本部に出入りして、ましてやそこに詰めているなんていうのはちょっと考えにくいですよ。それに……もし仮に詰めていたとしても、一本の電話もできない状況というのはありうるのでしょうか」

 こう告げると、小池はちょっと間をおいて、「それはそうだな……」と呟いた。

 小池は、私が言ったような「常識的な言葉」を求めているはずもなかった。少しでも長く、自身に希望があるという可能性を、自分で鼓舞したかっただけなのだ。小池の呟きを聞いた瞬間、私は「しまった」と思った。小池を更に落ち込ませてしまう、無神経な言葉を吐いてしまった。申し訳ないことをしたと反省した。

 小池は内容証明に自身で記している通り、昼夜を問わず、電話がかかってくれば、よほどのことが無い限り自分の都合を押してでも、相手の気持ちと言葉に誠実に向き合う。後述するが、2007年暮れにかけて山田が東京地検特捜部の連日の聴取を受け、まもなく〝完落ち〟寸前になりかけたときでさえ、山田を救ったのは、弁護士の内野経一郎ではなく、自身も逮捕という憂き目に遭い、そして特捜部の捜査を受けた経験のある小池であったのかもしれない。

 だからこそ、弁護士である内野でさえ、最後は「小池さん、あんたから山田さんに話をしてやってくれないか」と小池を恃んできたのでもあろう。だが、その時とて、小池は結果的には裏切られていた。

東京地検特捜部VS山田慶一「攻防戦」での「助け船」

 山田は特捜部が睨む、パシコン側から山田にカネが流れたのではないかという点については、毎日、朝晩の電話で心を預けて見せた小池に対してさえ完全に否定してみせ、小池も、山田が「善意の第三者である」と思えばこそ、山田からの相談に、昼夜を問わずに乗ってきた。

 しかし後に、追究の意志を固め、検察側の冒頭陳述書を入手した小池は、山田がパシコン側からカネを受け取っていたことを知る。さらに、それは1回ならず、継続して受け取り続けていたことを知るのだった。

 小池がその「欺瞞」を知るのは、2012年夏のことであり、山田が「電話をする」と言いながら、小池を翻弄し続けていた12年2月からさらに半年後のことであった。

 だが、内容証明をしたためた2月の時点でも、小池のなかには当然、これまでの山田の〝恃み〟に対して自分は精いっぱい応えてきたという感覚は当然にあった。それをあたかも愚弄するかのごとき、不誠実な対応が小池にはさっぱり理解できない。

<私に言わせれば、お客さんが居る時やバタバタしている時に、何故電話をしてくるのでしょうか?しかも私の方に貴殿に大切な、重要なお話しが有ることを承知していながら、さらには、私が貴殿に重要な用件をお伝えしており、その答えを首を長くして待っている私の心情を十分に承知していながら、何時も会話を十分にできない極く極く短時間で電話を切られるのか非常に疑問に思っております。

 しかし一方で、貴殿は時々、私の携帯電話に電話を架けてきて、「携帯電話では、盗聴されると困るので私も私の固定電話から小池さんの固定電話の方へ架け直しますから、何番の方へ架けたらいいでしょうか?」と言ってきて、架け直された固定電話での話しは、なるほど、これは他人様には、とりわけ捜査当局には聞かれたくない話しだなという内容の話しを長々とされて、私に意見を求めたり、判断を求めたり、知恵を絞らせたり、アイディアを出させたりしたことがしばしば有りましたが、貴殿は御自分の大切な話しは時間に関係なく、盗聴を警戒しながら長時間話されることも、ちゃんと実行されてるくせに、他人つまり私の大切な話しは、聞きたくない、結論を出したくない、返事をハッキリと言葉で伝えたくない、放って置けというかの如き電話の対応ではありませんか?

 こうした事は、今回に限らず、ここ三~四年前から特に顕著な貴殿の対応スタイルで、貴殿の電話の際の方程式のようなパターンです。

 それでも私は今日まで貴殿を信じて疑わずに、自分の信念をブレることなく今日まで頑張って参りました>

 12年4月26日付で内容証明郵便で送付されたこの手紙に対して、山田は回答してくることはなかった。たまりかねて電話をかけた小池に山田はこう言い放つ。

「そんなもの、読んでませんよ」

 そして、回答を拒絶したともとれる山田の電話からほどなく、小池のところに珍しい電話が入った。弁護士の内野経一郎だった。小池は不穏なものを感じ取った。

「小池さん、最近はね、暴対法の改正だとか、条例の強化だとかで、暴力団が表の世界からは消えていくように見えるけれども、それは結局、うまくかたちを変えて一般の企業にむしろ潜りこんでいるような状況なんだな」

 小池には、唐突とも思えるその内野の言葉を瞬時に理解した。

「なるほど、小池、おまえもすねに傷があるんだろう。だったらあまり騒がずに静かにしておれよと、そういうことを匂わせているんだなと思いましたよ。内野先生は頭がいいですからね」

 そして、次の言葉が小池のなかに決定的に突き刺さる。

「小池さん、あんたは私のホワイトナイト(救援者)になってくれる人だと思ってたんだけどなあ」

 それを聞いて、小池はこう確信した。

「小池よ、おまえあまり山田に触るなよ、と、まあ、そういうことでしょう」

 しかし、小池の腹は決まっていた。

「世の理というものはね、軽い木の葉が水に浮かんで、重い石は沈んでしまうんですね。でもね、今、私が陥った状況は、何にも悪いことをしていない私という木の葉が沈んで、むしろ私を食い物にした石が浮かんでしまっている状況です。木の葉を沈めて石が浮かび続けて延命するなんていうのは道理に反する。石が浮かんで木の葉が沈むという不条理を私は見過ごしませんよ。たとえ、あの小池が、と言われようとも、私はそれを見過ごしません。そんな不条理がまかり通れば、社会はおかしいことになる」

 石が浮かんで木の葉が沈む――。小池は2012年、自身、70歳になろうとする瞬間、そんな過酷さのなかにいた。

8億円を運んだ男と、中曽根の秘書と、そして千代田区長と

「あの、わたし、8億円を運んだことありますがね、運べるものですね。キャスター付きのバッグに入れて。東京駅前をですね。運べるものですね。重いです。重いですけど、運べるものです」

 並大抵のことでは驚かないであろう、居並ぶ紳士たちも、酔狂の言葉だけとも思えないその情景のリアリティーに、さすがに固唾を呑んだ。

 民主党の樽床伸二を招いての一席が設けられる以前の09年12月、東京・赤坂の焼肉料理屋・牛村の奥の座敷で、参集した紳士らを前に、こんな話が繰り広げられる。かつて名だたる企業のトップを務めた者たちばかりの席だ。しかし、だからこそ、億単位の現金に自ら手を下した経験などないのかもしれない。

「えー、8億ってバッグに入るの?」

 形を変えた追従さながらに、親しげに驚きの声をあげてへりくだってみせる紳士らがいる。

「えー、入ります」

 身振り手振りで、1億はこれくらい、8億はこんなものと、腕を広げてみせる。

 そこに1人の男が現れる。地下1階のその店に入るのにはいささか難儀であったかもしれない。杖をつき、弱った脚を庇っている。

 しかし、そのがっしりした肩幅だけではなく、男がまとう空気は、柔らかくとも、どこか強さに満ちている。

 男は名刺を取り出して、初対面の者たちに名刺を差し出す。決して大仰にではなく、さりげなくスマートに、かつ嫌みなく。そこには、男の自信と、そして長いキャリアが顕れて見える。

『劇団四季 顧問 筑比地康夫』──。

 とっさに、〝8億をキャスターで運んだ男〟が、名刺交換した紳士らに紹介する。

「中曽根さんの元秘書よ」

「浅利慶太の劇団四季」に留めておいては、その男を登場させた〝8億をキャスターで運んだ男〟、山田慶一の面目が立たないとでもいうように、山田はすぐに、元首相、中曽根康弘の名前を上げる。

 あっ、という声にならない声とともに再びツバを吞む紳士らがそこにはいる。

 あの中曽根元総理の側近がいる。会に呼ばれた者がそう思った瞬間、山田を知らぬ者は一瞬にして山田の〝凄さ〟を知る。そんな仕掛けなのかもしれない。他人の信用で自身の信用を創る。そんな手腕で叩き上げ、這い上がってきた人間らしい振舞いであり、作法であろう。

 時折、カウンターの奥から隙なく細く黒いアイラインを引いたママが顕れ、会の主宰者であろう、山田に話しかける。韓国語だ……。

 しかし、山田は一切、そのママとは目を合わせようとしない。それどころか、話しかけているママのほうに顔を傾けようとさえしない。まるで自身の横には誰もいないかのように、である。

 そして、その山田の異変にようやく気付いたのか。ママの口から耳慣れた言葉が洩れた。

「……持って来ましょうか」

 初めて山田は頷いた。山田が朝鮮人であることは、おそらく居並ぶ紳士らで知らぬ者はいないであろう。すでにその名はウェブサイト上にも溢れ、本名である朝鮮名も〝報道〟されている。しかし、本人が在日であることをあえて語らない以上、山田と相対する者たちがそれをあえて言葉にする必要はない。

 その店のママは、かつて山田の〝これ〟だったと、小指を立てて教える者があった。
 
 ママは山田との間では、いつもの朝鮮語で話しかけてしまったのだろう。しかし、それに朝鮮語で応じることは、山田にとっては恥をかかせられるようなものだったのかもしれない。

 ようやく日本語で何事かを話すやいなや、ママが素早くその場を去ったのと同時に、山田が大きな声で参集した一同に再び話しかけた。

「さあ、皆さん、冷めちゃいますよ。そっち、お酒、足りてますか。お肉、とる? なんでも言ってくださいね」

 韓国語で話しかけるママの横でこわばった顔を崩さなかった山田に再び愛想が戻り、相好を崩す。
 
そこへ、店の従業員だろう、10代に見えなくもない若い女性が慣れない手つきで、盆に水割り用の氷を載せて山田の脇に滑り込む。先ほどまで、ママの語りかけを執拗に無視していた山田のもとにあてがわれたかの如き、うら若い女性の登場に、山田は打って変わって舐めるような視線を注いだ。

 そしてこう言った。

「かわいいねえ―」

 首をかしげてもう一言。

「かわいいねえー」

 若い女性もやはり朝鮮の女性だろうか。細面で脚は長く、すらっとしたその姿は、いかにも日本人離れした美しさに見える。若さだけではない、伝統的な美形を醸している。

 盆から渡した氷受けを受け取り、その場を去ろうとする背中を、山田の視線はまだ追っていた。

 女もあまりの直截的な眼差しに照れたのだろうか。カウンターに走り戻ると、カウンターの内側にいた若い男と朝鮮語で二言、三言、笑いながら言葉を交わした。

 その日、山田が常々付き合いがある者を集めて忘年会を開くとの情報を得ていた捜査筋の男女2人は、開け放った座敷から僅かの距離にあるテーブル席で、飛び込み客などほとんどいないであろうその店の一隅に交代に飛び込み、この宴に参集する人間たちの様子を伺っていた。

 山田たちはすっかり出来あがり、そこに自分たちを監視する者がいることにはまったく気付いていないようだった。

 座敷2つをつなげられた宴会は続く。若い従業員にねっとりした視線を送っていたのに気付いたのだろうか。初老の紳士の声が響いた。

「山ちゃんは、奥さんがいっぱいいるからなあー」と、ひときわ親しげな声が上がる。

 東京都千代田区の区長、石川雅巳だ。

(第16回につづく)

2017年2月15日

【無料記事】キットカットを配る「蓮舫代表」の四面楚歌

renho2017-02-15 10.42.27

 日本において、ハロウィーンがバレンタインの市場規模を超えたのは昨年2016年のことだという。

 菓子業界にとっては〝コペルニクス的転回〟かもしれないが、さる女性政治家は、それでもチョコレートを重んじているようだ。政治担当記者が苦笑して言う。

「16年9月に民進党代表に就任した蓮舫さんですよ。代表選に当選すると民進党の関係者が私たちマスコミに、蓮舫さんの写真がプリントされたキットカットを配ったんです」

 ちなみにキットカットは箱入りではなく、1個1個に「バラ売り」されたものが配られたという。

「一応、賄賂じゃないかと冗談で話したんですけどね。まあ、真面目な話をすれば、数十円の単位ですし、政治担当記者といっても東京都の有権者じゃない人間も多いですから問題はないんでしょう。とはいえ、不問に付するというより、民進党が大変な時に、何を浮かれているんだと呆れる気持ちが強かったですよ」

 記者氏の直観は、確かに正しかった。二重国籍問題で味噌を付けたことが「過去」に思えるほど、今の蓮舫代表には様々な「苦難」が襲い掛かっている。文字通り「四面楚歌」という状況なのだ。
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【写真】蓮舫代表公式サイトより
https://renho.jp/
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 まずは蓮舫氏ご自身の「去就」が問題になっている。首相を目指すべき党代表として、衆院選挙区への鞍替えが取り沙汰されているのだが、なかなか前に進んでいないのだという。

 確認しておくと、首相は「衆院議員に限る」という規定は存在しない。だが、衆院の解散権を持つことなどから、「衆院議員でないと問題が多い」という見解が基本だとされる。

 産経、日経、読売、時事などは「蓮舫代表、次期衆院選で東京比例1位を検討」と16年10月に報じた。だが「お家騒動」が得意技の民進党だけあり、一部議員からは「党代表が小選挙区制で戦わないのは反則技そのもの。真面目に当選した議員に示しが付かず、混乱の要因になる」と反対論が噴出している。

 とはいえ、東京都内の小選挙区も12区(北区、足立区の一部)を除き、現職と公認内定者で埋まっている。前回落選した海江田万里元代表の1区(千代田区、港区、新宿区)から出馬し、海江田氏を比例で優遇する案も検討されているともいう。だが調整は一筋縄ではいかないようだ。

 そんな中、蓮舫代表サイドは「ウルトラC」を画策していたようだ。関係者が明かす。

「蓮舫代表は、小池百合子・東京都知事の地元だった東京10区(※編集部註:豊島区と練馬区の一部)から出馬すると狙いを定め、水面下で急接近を図っていたんです」

 だが、10区は小池都知事を真っ先に支持した若狭勝・衆院議員が16年10月に補選で当選を果たしている。本当に蓮舫代表が出馬するとなれば「禅譲」が必須となるが、そんなことが可能なのだろうか。

「昨年暮れから小池知事と接触を重ねる中、禅譲の密約が成立した、という情報が漏れ聞こえたこともありました。条件として検討されたのが、都議選で小池知事の本拠地である豊島選挙区、定数3での〝取引〟です」

 豊島選挙区の現状は、自民、公明、共産という顔ぶれだが、小池知事サイドは『小池新党』で2議席、残り1議席は公明という青写真を描いているという。要するに豊島選挙区から自民都議を一掃したいわけだ。

 そこで蓮舫=民進党サイドとしては、民進党候補者の出馬を取り下げ、小池新党の2議席獲得を援護射撃することで小池知事と話を付けるつもりだったようだ。更に関係者は「小池知事と若狭衆院議員との関係は決して良好ではないんです」と明かす。

「知事は、都知事選で応援してくれた『7人の侍』の都議たちが自民党から除名処分を受けたのに、自民党に居座り続ける若狭氏に愛想を尽かしています」

 産経新聞は16年12月、『民進党の蓮舫代表が小池百合子東京都知事に秋波?「小池氏と協力探る」 都議選での連携を模索』
http://www.sankei.com/politics/news/161211/plt1612110014-n1.html

との記事を掲載した。11日に蓮舫代表が「小池氏と協力できることがないか探ってみたい」と発言したことを受けてのものだ。

 明けて17年の1月4日にも記者会見で、「(民進は)改革の旗を掲げる仲間を公認している。小池氏とは、見ている方向は同じだ」と更に小池氏へ秋波を送った。

 だが2月3日、小池知事は定例会見で「明確に申し上げると(民進すべてとの連携は)全く考えていない」と発言。蓮舫代表は9日の記者会見で「私から(小池氏との)連携を模索していると、これまで明言をしたことはないと思っている」と苦しい釈明に追い込まれた。

 一体、何があったのか。その謎に挑んだのが『【水内茂幸の野党ウオッチ】「小池台風」が「蓮舫丸」を吹き飛ばす日 「民進、驚くほど弱い」と命綱断たれ』の記事だ。
http://www.sankei.com/premium/news/170213/prm1702130006-n1.html

 記事の根幹は、小池知事に対する高い支持率と、民進党へのアレルギーが根強いことが、小池知事サイドの世論調査で明らかになったという点だ。民進党と調整するより、小池新党で自前の候補者を擁立した方が勝率は高いという。

 更に、鉄鋼、造船重機、非鉄、建設などの産業別労組「基幹労連」の組合員を対象にした16年のアンケートで、自民党への支持率が初めて旧民主党を上回っていたことも明らかになった。完璧な「四面楚歌」の状況が続いている。

 苦しい党勢を、蓮舫代表が回復させる可能性は存在するのか。政治アナリストの伊藤惇夫氏は「今のままでは厳しいでしょう」と指摘する。

「蓮舫さんという政治家は、舞台の書割のようなんです。綺麗な絵だけど、真実味に乏しい。人の心を動かすことができない。表面的な人気はありますから、二重国籍問題で露呈した『危機管理能力が欠如している』という問題点が払拭できていないにもかかわらず、街頭に立つと人は相当に集まるんです。だけど支持率回復には結びつかない。かといって、今の民進党には看板となる政治家は他にいない。変えようにも変えられない。悪循環ですね」

 民進党の人材難が根本の原因ではある。「小泉進次郎カード」を温存できている自民党との決定的な違いだ。伊藤氏は自民党事務局の勤務を経て、98年には民主党の事務局長を務めた。「古巣」のふがいなさに、苦言を呈さざるを得ない。

「歯がゆい思いをしています。今の自民一党だけが強く、野党が多弱という政治構造が問題であることは言うまでもありません。野党第一党の責務は民進党が果たさなければならないのに、内紛に明け暮れている。党としての一体感が欠如しています」

 蓮舫代表の衆院鞍替え問題も、民進党の課題が集約されているという。

「舞台の書割で知名度は高く、一定の人気があるんですから、どこの小選挙区からでも出馬すればいいんですよ。代表として気概を見せるべきタイミングですが、水面下での調整に明け暮れている。結局はリーダーシップに欠けているわけです」

 本当のウルトラCがあるとすれば、「思い切った若返り」だと伊藤氏は指摘する。

「民進党にも、まだ無名だとはいえ、政治家としての実力を蓄えつつある若手議員がいるんです。思い切って彼らに党を任せる。有権者が民進党を嫌うのは、民主党政権のアレルギーが根強いからです。だとすれば、政権交代に関係した議員は退場するのが、最も効果的な刷新策です。それ以外の方法はないと思います」

 蓮舫代表がキットカットを配ったのは、受験生よろしく「きっと勝つ」のダジャレを意識してのことだろう。とはいえ、少なくとも現時点では「きっと負ける」というシナリオ以外は浮かばないのが現状だ。

2017年2月14日

【無料記事】フジテレビ「エビ中訃報スクープ」の問題点

ebi2017-02-14 15.27.52

 2月8日、アイドルグループ『私立恵比寿中学』、通称「エビ中」のメンバー、松野莉奈さんが突然亡くなった。致死性不整脈の疑い。18歳、あまりにも若すぎる死だった。

 この衝撃的な訃報を報じたのは、所属事務所の公式発表ではなく、フジテレビの報道番組『FNNスピーク』(月〜金曜・11時半〜11時55分)のスクープニュースだったことをご存じだろうか。

 少なくとも報道関係者にとって、スクープほど〝勝ち負け〟が明確なものはない。報じた側に絶対的な正義があり、破れた側の主張は「言い訳」「弁解」と受け取られるのが普通なのだ。

 ところが今回に限っては、フジテレビの報道姿勢に疑問の声が少なくないという。それも「負け惜しみ」ではなく、それなりの根拠があるというのだ。

 テレビ局の関係者が明かす。

「通常、芸能人の訃報は所属事務所の発表を踏まえて報じることが大多数ですが、稀に特定のメディアが独自情報を得ることもあります。その際でも、所属事務所や遺族など関係者の確認取材が必要であることは言うまでもありません」

 昔は確認が取れれば瞬時に報道できるテレビ局、共同や時事といった通信社の独壇場だったが、近年は新聞も公式サイトでのネット速報で対応できるようになった。

 そのため不謹慎な言い方だが〝競争〟も激化しているようだ。それが背景にあるのかは不明だが、フジテレビのスクープは相当に「掟破り」だったと悪評が強いという。

「信じられませんが、フジテレビは関係者の確認を取っていないと言うんです。警察関係者の情報提供だったらしく、信頼性が高いと判断したとの話なんですが、その判断はどうなんでしょうか……」(同・テレビ局関係者)
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【写真】松野莉奈さん公式ブログより
http://www.lineblog.me/tag/%E6%9D%BE%E9%87%8E%E8%8E%89%E5%A5%88?blog_name=ebichu
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 別のテレビ関係者が、詳細を明かす。

「所属事務所に何度も連絡を取ったのに、全く繋がらなかったそうです。ただ、確かな情報だったので、報じることにしたと言います」

 所属事務所さえ出し抜いた大スクープ、とふざけるわけにもいくまい。少なくともネット上では死を悼む圧倒的な声の影に、所属事務所の対応が遅いとする見方も散見されたが……。

「事務所の責任はゼロと言っていいのではないでしょうか。それこそ、ご遺族は亡くなってすぐマスコミに大きく報道され、心を痛めているそうです。所属事務所にさえ詳細を伝えていない段階で、これほどニュースが広まってしまったことに困惑しておられるのは間違いありません」(同)

 先行報道の結果、事務所も混乱してしまったようだ。正確な情報が公表される前、ネット上では死因について「ウィルス性脳症」や自殺説など様々な憶測が垂れ流しになってしまった。

 別のテレビ関係者が、警鐘を鳴らす。

「ご遺族からすると、朝に119番通報を行ってから、たった6時間で娘の訃報が全国ニュースで報じられているわけです。しかも、自分のところに一切、確認の取材がなかった。これで困惑しない方がおかしいと思います。報道に携わる者であれば、誰もがスクープを狙って当然ですが、さすがに訃報は細心の注意を払わなければ、更なるマスコミ不信を招くだけだと思います」

 事務所の対応が遅れたとする指摘も、実際のところは亡くなってすぐに発表、という方がむしろ稀だ。遺族の意向により、密葬を済ませてからマスコミ対応、というケースも決して少なくない。それぐらい神経を使う方が、むしろ社会的通念には合致するのではないだろうか。

 もちろん、事件や事故など、何よりも速報が求められるニュースが存在することは論を俟たない。報道に必要な確認作業──俗に言う「裏取り」──もケースバイケースとしか言いようがなく、どんな内容のニュースであっても、必ず関係者に取材を申し込まなければならないというわけではない。警察情報だけで報じても、それが正解という状況もありうる。

 とはいえ、18歳の女性芸能人が死亡したことを、警察情報だけで速報していいのかということになると、様々な意見が出るのではないだろうか。

 少なくとも芸能人にとっては、訃報は最後の「舞台」とも考えられる。改めて故人を輝かせる報道が理想型であるはずだが、今回の場合は、単に遺族の感情を傷つけるだけという結果に終わったのではないだろうか。社会と「マスゴミ」の乖離が、又しても浮き彫りになってしまった格好だ。

(無料記事・了)

2017年2月13日

【無料記事】松山英樹と池田勇太の差

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 2016年の男子ゴルフ賞金王は池田勇太(31)に決まったことを、どれぐらいの方が覚えているだろうか。既にお忘れの向きも少なくないに違いない。

 獲得賞金額は2億790万円。今季は平均ストローク、平均パット数、バーディー率でもトップとなり、『日本ゴルフツアー機構(JGTO)』のMVPにも選出された。押しも押されもせぬ「第一人者」として称賛したいところだが、残念ながら、とうてい手放しで褒めるところにはいっていない。

 米国を主戦場とする松山英樹(24)はなんと、すでに始まっている今季、米ツアー2試合で約2億5000万円を稼ぎ、池田の年間賞金額を軽く超えてしまったのだ。日米の賞金格差はあまりに大きい。
 
 格差は賞金額だけではない。米ツアーの合間を縫っての帰国時に、『日本オープン』『三井住友ビザ太平洋マスターズ』などで松山は他を寄せ付けず、当たり前のように優勝して米国へ帰っていく。

 圧倒的な実力差を見せつけられ、日本ツアーはしらけるばかりである。

 

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【写真】レクサス特設サイトの松山英樹選手(中央)
https://lexus.jp/brand/hideki_matsuyama/profile/press.html
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 松山ら多くの一級線が欠場したリオ五輪でも、池田は〝健闘〟して21位、片山晋呉(43)は54位。これが、順当な国内ツアー組の「実力」ということなのであろう。

 想起させられるのは、日本におけるラグビーブーム「終焉」の苦い記憶である。
 
 国内では早稲田、明治、慶応を中心とする大学ラグビー人気や、新日鉄釜石、神戸製鋼の連覇に沸き、サッカーでは埋めることのできない国立競技場のスタンドを満員にしてきたラグビー人気があった。

 だが、そのラグビー人気が一気にしぼんだのは、1995年ワールドカップ南アフリカ大会で、17―145で大敗したニュージーランド戦がきっかけであった。世界の実力を知り、日本の小ささを知り、ドメスティックな勝敗に一喜一憂していることにラグビーファンたちが虚しさを覚えたからだ。

 松山が活躍すればするほど、国内ツアーを見る気分が失せる。

 同じことは、ダルビッシュ有(30)や田中将大(28)が米国に去り、大谷翔平(22)も近い将来のメジャー入りを目指すプロ野球にもいえるだろう。ダルビッシュは「ここ(日本のプロ野球)にいては進化がない」と言って渡米した。

 松山と池田らの差はこれにとどまらない。

 国内ツアーでは、有名選手らがギャラリーに対して怒声をあげるシーンを良く見かける。サインの求めにも横柄な態度で応じず、にらみつける選手が少なくない。

 松山の帰国時に驚かされるのは、彼のサインに応じる時間の長さである。決して愛想があるわけではないが、気持ちは伝わる。プロ野球では、オリックスから大リーグに移った長谷川滋利が同じ内容のことをインタビューで発言している。大リーグでは「絶対にサインを断るな」と教育を受けたが、そんな指導は日本のプロ野球では行われなかった、と。

 これでは格差は広がる一方である。

(無料記事・了)

2017年2月9日

【無料記事】千代田区長選・現職勝利で「石川VS内田」黒い原点

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 千代田区長選は小池百合子を〝担いだ〟形となった現職・石川雅己氏の勝利に終わった。

 報道では今のところ、『週刊朝日』(2017年2月17日号)の「豊洲移転きっかけは「小池派区長説」を追う」が唯一、気を吐いた印象だ。

 とはいえ、石川区長が築地市場の移転に絡んでいたことを示し、特に都庁港湾局長時代の辣腕に触れたことは重要だが、その背景には踏み込めてはいない。
 
 答えを先に示せば、港湾局長時代の石川氏は、既に内田茂都議の実質的な傀儡だったのだ。記事では、石川が都局長として政策を立案したように書かれているが、当時から都庁では内田都議の後ろ盾がなければ、誰も局長などの幹部ポストには就けなかった。

 つまり石川区長こそ「内田茂チルドレン」の筆頭格なのだが、いまだに正確な報道が行われていない「なぜ石川区長と内田都議は反目したのか」というポイントを詳報してみようと思う。

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【著者】下赤坂三郎
【記事の文字数】2500字
【写真】千代田区公式サイト「区長選挙開票結果」より
http://www.city.chiyoda.lg.jp/koho/kurashi/senkyo/kucho/kihyo.html
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 まずは元千代田区職員に、もつれた糸を解き明かしてもらおう。

「決定的なきっかけは2008年、内田茂さんの落選です。この時、例えばゼネコンや、政治ブローカーといった〝都政関係者〟の間で、『これで内田は終り』という雰囲気が蔓延したんですね。そしてゼネコンなどが内田さんの代りとして注目したのが、01年に千代田区長に当選していた石川雅己さんでした」

 これまでは「内田茂チルドレン」たる千代田区長だったが、周囲が「親離れ」を勧めてきたわけだ。そしてチルドレンたるご本人も、やぶさかではなかったらしい。

「さる都政ブローカーが、赤坂の焼肉屋で都やゼネコンの関係者を招く宴会を、定期的に開いていたんです。そこに石川さんも姿を見せていたんですが、非常に用意周到なんです。公用車の利用記録を残してしまうと、反石川派の区議から追及されるので、赤坂見附の交差点で公用車を降りて、赤坂の繁華街を1人で歩いて来るわけです。ところが、この振舞が内田さんの逆鱗に触れてしまうんです」(同・元千代田区職員)

 内田都議は石川区長のこれまでになかった用心深さを目の当たりにして、何と「ゼネコンとの折衝役という自分の役割を奪い取ろうとしている」と見抜いてしまったのだという。男の勘も、こういう時は恐ろしいものがある。

「この頃は例えば、紀尾井町にある参議院清水谷宿舎の建て替えに焦点が集まっていました。石川区長は内田さんを抜きにして、ゼネコンや不動産業者と直接、ラインを持つようになります。ゼネコン側も歓迎しました。となると内田さんからすれば『俺の力で千代田区長になったくせに』と面白くないのは当然でしょう。庇を貸したら母屋を乗っ取られたわけですから」(同)

 一方、1999年に初当選した石原慎太郎・都知事は、2003年、07年、と再選を重ねていく。そして07年には猪瀬直樹氏が副知事に就任する。
 
 ご記憶の方も少なくないだろうが、清水谷宿舎の建て替え問題は「江戸時代から続く貴重な緑地」として反対運動が根強く行われていた。ところが都政トップが石原=猪瀬のコンビとなってからの08年12月、「都心に残る貴重な緑を保護すべき」と計画の断念が表明された。

「石川区長は、改革派を自称する猪瀬直樹・副知事が都政入りすると、陰では蛇蝎のごとく嫌っていました。ところが猪瀬さんと内田さんの対立関係が明らかになると、一転して猪瀬さんを選挙応援に招いたんです。今回も同じですが、石川区長は改革イメージを前面に出すことで当選してきました。とはいえ、ゼネコンと金融機関の強固な支援が当選の最大要因ですから、改革派は見せかけだけですね」

 弊誌は『【無料記事】千代田区長選の「小池VS内田」は真っ赤な嘘』の記事を掲載した。
http://www.yellow-journal.jp/politics/yj-00000442/

 文中で、

<千代田区長選で真に重要なのは石川氏の選対本部に、1人のキーパーソンが参加していることだ。その名を鈴木重雄氏という>

と書いたが、この点に関して、都政クラブの記者氏に現状の解説をお願いしよう。

「石川区長の万歳三唱で、鈴木氏は真後ろに立っていましたね。関係者の間では、週刊文春の『反・内田茂キャンペーン』のネタ元は猪瀬氏と鈴木氏の2人という見立てが強固なんです。本来であれば情報参謀といった役割ですから、万歳のような表舞台に出るタイプの人じゃないんです。黒子の自覚は充分お持ちのはずで、あれはわざとでしょうね。都庁の幹部たちに『自分は小池百合子と近いぞ』とアピールする狙いだったんでしょう」

 何よりも内田VS石川のバトルが雄弁に物語るが、政治の裏舞台ともなれば、はったりやら化かし合いが横行する。自分を大きく見せるために、ありとあらゆる手を打たなければ生き残れない世界だ。都政クラブの記者氏は「今回の千代田区長選で、本当の勝者は鈴木さんですよ」と苦笑する。

 だが石川区長の素性に詳しいジャーナリストの見立ては、少し違うようだ。

「鈴木さんは旧住専の富士住建の関係者であり、その利害を背負っています。ところが石川区長が持つ千代田区のプロジェクトは巨大すぎてゼネコンしか対応できないんです。そのため、鈴木さんは小池都知事への近さを武器に、都議選への関与を画策していくのではないでしょうか」

 千代田区政に妙味が存在しないのであれば、小池都政に食い込めばいい、というわけだ。確かに金と票を持つ者にとっては、政治家など出入り業者に等しいだろう。

 いずれにしても、石川区長の再選で、千代田区内の開発は一気に加速するに違いない。弊誌は最後に「真冬の怪談」を付け加えて、この稿を終わらせよう。

「利権にどっぷりと漬かっている区議も少なくありませんが、これからは今以上に気を付けるべきでしょう。昨年も重鎮区議の1人が政務調査費の問題で書類送検されましたが、問題は誰が捜査を動かしたかということです」(前出の区長の素性に詳しいジャーナリスト)

 ジャーナリスト氏によると、少なくとも石川区長が特別秘書を使い、区議の政務調査費や不正行為の数々を徹底して調べていたのは事実だという。

 脛に疵を持つ者たちが、必死にバトルロワイヤルを戦っている姿が浮かぶ。それが千代田区政の実情なのだ。

(無料記事・了)

2017年2月8日

【無料記事】〝空中分解〟「JYJ」の「キム・ジェジュン」恍惚と不安

JYJ

 人気K-POPグループ・東方神起の元メンバーで、JYJのキム・ジェジュンが2016年12月30日で兵役を終了。初となる来日ソロツアー『2017 KIM JAE JOONG ASIA TOUR in JAPAN ‘The REBIRTH of J’』を2月7日から開始した。

 当然ながら公式サイトでも大きく紹介されている。動画でのファンメッセージも公開されるなど、意気込みが伝わってくる。

 横浜アリーナ、大阪城ホール、日本ガイシホールで開かれるコンサートは全て平日という強気の日程だ。社会人のファンには年度末という極めて多忙な時期であり、嬉しい悲鳴を上げているかもしれない。

 来日した2月3日の羽田空港には多くのファンがつめかけ、ジェジュンも笑顔を振りまいた。更に7日には、さいたまスーパーアリーナでの追加公演も発表された。こちらは土日の日程となっており、今のところは何もかも好調な出足と言えるだろう。

 ところがファンの間では、事務所のマネジメント戦略がジェジュンの芸能活動にマイナスとなり、足を引っ張るのではないかと不安の声が強まるばかりだという。ご存じの通り、東方神起時代から事務所とのトラブルは頻発してきた。ファン度外視の泥沼の争いに付き合う必要はないものの、ここで最小限の事実関係を振り返っておこう。
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【著者】江川優梨子
【写真】JYJ JAPAN OFFICIAL WEB SITEより
http://www.jyjjapan.jp/)
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 東方神起は03年、韓国の大手芸能事務所・SMエンターテインメント所属としてデビューを果たした。同社はSJ、少女時代、EXOなど、人気のアーティストを多く抱える。

 日本では05年から活動を開始。07年には日本武道館でライブを開催し、08年にはオリコンチャートで1位を獲得。NHKの『紅白歌合戦』への出場も果たし、トップアイドルとしての地位を固めていく。

 だが人気の高まりと比例するように、事務所との関係は悪化。現在のJYJメンバーであるキム・ジェジュン、パク・ユチョン、キム・ジュンスの3人は09年、SMエンターテインメントの契約を不当として提訴。裁判所も「違法性が認められる」との判決を下し、3人は事務所と袂を分かつことになる。

 10年9月に3人は、新設の芸能会社C-JeSエンターテインメントから、グループ名JYJで世界デビューすることを発表。これでファンも一安心かと思いきや、日本側窓口であるavexがJYJのマネジメント中止を通達。一難去ってまた一難。今度は日本での活動が危ぶまれる事態となってしまう。

 実際、11年に日本公演も日程に組まれた『ワールド・ツアー・コンサート2011』では、avexがマネジメント権を理由に日本での公演実施の撤回を要求。更にシージェス・エンターテインメントまでもがマネジメント業務の不履行を理由に、JYJの専属契約の解除を通知するなど泥沼化の様相を呈してしまう。2013年に和解が成立するまで、延々と法廷闘争が続いたのだ。

 一方でJYJは地道な活動を重ねてきた。韓国で3枚のアルバムを発表し、15年まで来日ツアーを4回開催。同年にリリースした初の日本語シングル『Wake Me Tonight』はオリコンのランキングで15万枚超の推定累積売上枚数を記録。変わらぬ人気を見せ付ける格好となった。

 人気、実力は折り紙つきであるにもかかわらず、マネジメントの問題から完全な表舞台には登場できない。ファンにとっては隔靴掻痒の状況が続くうち、またしても「グループ空中分解」という新しいトラブルが勃発してしまう。

 15年3月にはキム・ジェジュンが、そして8月にパク・ユチョンが兵役・補充役に就いた。にもかかわらず、キム・ジュンスは兵役を先送りし、1人で芸能活動を継続していたのだ。ジュンスの兵役が明らかになったのは昨年16年11月。今年17年2月から陸軍訓練所に入所し、警察広報団に服務することになった。 
 
 これは、かなりイレギュラーだと言える。ご存じの通り、韓国男性は19歳から29歳までの間に、軍役を果たす義務がある。そのため人気のK-POPグループはメンバーが兵役に就く時期をなるべく重ね合わせ、グループ活動の空白期間を最小限に抑えるのが一般的だからだ。

 ところがJYJは真逆の結果となった。一覧にしてみよう。

・キム・ジュンス  17年2月に入隊予定
・パク・ユチョン  17年8月に社会服務要員を除隊予定
・キム・ジュジュン 16年12月30日に除隊

 パク・ユチョンの社会服務要員とは、「補充役」とも呼ばれる。軍役に支障はないが、様々な事情から兵役の代替勤務に就くという制度だ。パク・ユチョンは喘息の持病があることなどから社会服務要員となったと言われており、現在は江南区役所に勤務している。

 キム・ジュンスの服務期間は1年9か月。このため、3人揃っての活動再開が可能になるのは、早くても18年11月となってしまった。これは最も年齢の若いジュンスが1日でも長いソロ活動を希望したことが原因とされるが、この時点で事務所の調整能力に疑問符が付く。

 しかも、更なるトラブルが勃発する。社会服務要員のパク・ユチョンが16年6月に性的暴行容疑で告訴され、最終的には計4人の女性から「トイレで性的暴行を受けた」と訴えられてしまったのだ。

 警察が捜査を開始すると、4件とも「嫌疑なし」の処分が下った。それでも事件の悪影響は決して小さくない。パク・ユチョンの芸能界復帰は先の見通しが立っていないという。

 つまりJYJの看板を背負って芸能活動できるのは今年17年2月以降、キム・ジェジュンただ1人となってしまうわけだ。

 となれば、キム・ジェジュンのソロ活動で収益を上げるしかない。とはいっても所属事務所の打ち出す方針にファンの反発が強まるばかりだという。理由は、あまりにもえげつない利益優先主義だからだ。

 例えば、キム・ジェジュンの退役を1か月後に控えた16年11月、「Welcome back JAEJOONG」というソウルへの〝観光ツアー〟が発表された。目玉は退役の翌日、12月31日大晦日の深夜零時から4時までの間、ファンミーティングを行うというものだ。

 確かに「復帰第一声」に立ち会えるのだから抜群の話題性だろう。だがファンが困惑したのも事実だ。「退役した当日、しかも深夜から酷使されるのは問題」「まずはファンより両親に会うべき」などの異論も沸きあがった。

 しかも、このツアー案内を掲載したのは日本語サイトだけとも判明。他にも有料の日本公式ファンクラブを開設する企画も明るみになり、「明らかに日本のファンを金づるにしようとしている」と悪評が拡散していく。

 一部のファンはツイッター上で、キム・ジェジュン本人に「#nocjes」のタグをつけて反対意見を送り続け、一種の炎上状態となる。この「nocjes」は「ノーC-JeSエンターテインメント」の意味だが、結局、これらの企画は全て中止に追い込まれた。

 キム・ジェジュン本人は芸能活動に飢えていたのか、除隊直後からSNSを毎日更新し、動画の配信も精力的だ。ブランクで日本語が拙くなっているとはいえ、サービス精神は相変わらずだ。日本語で日本のファンに呼びかけるなど、全く抜かりがない。

 だが、歳月の流れは残酷だ。31歳となり、率直に言って若い頃の姿とは別物となった。兵役中にタトゥーの数も増え、イメージの変化についていけないファンもいる。仕方のないことだが、兵役という「活動休止期間」のため、別のK-POPグループに乗り換えたファンも少なくない。

 日韓両国の関係も冷え切っており、雰囲気を一変させる話題にも乏しい。現在、日本のファンをどれだけ繋ぎとめているのか、最も不安視しているのはキム・ジェジュン本人ではないだろうか。

 企画を失敗させ、炎上を招いた事務所に対しては、「勇み足」と許すファンが一般的のようだ。とはいえ、東方神起・JYJの歴史から、事務所アレルギーは根強い。「また事務所が問題を起こしたのか!?」とファンは一気に不安を覚える。少なくとも今のところは優秀なマネジメントでサポートするというよりは、足を引っ張っているというのが現状だろう。

 退役がファンにとって、飛びきりの「慶賀」であることは論を俟たない。キム・ジェジュンの意欲・気力も充実している。とはいえJYJを1人看板で背負う「恍惚と不安」に直面している可能性はあるだろう。そんな中での日本ツアーというわけだ。更なる試練に直面したJYJの「試金石」としてファンだけでなく、芸能関係者の多くが注視している。

(無料記事・了)

【連載】加藤ジャンプの「こんなところで呑んでみた」第3回「大田市場」

konnna2017-01-24 7 30 52

 築地じゃなければ、どこでもいい。

「市場で飲みましょう」と提案されたとき、最初にそう思ったのである。日本一の市場は今、もめている。そういうことを考えずに、素直に飲みたかったのである。

 大田市場まで朝酒を呑みに出かけたのである。築地じゃない、東京の巨大市場といえば、やはり大田市場である。フェラーリとランボルギーニみたいなものである。

 まだ夜も明けきらない朝6時過ぎ、JR京浜東北線の改札で編集者の初山さん(仮名)と待ち合わせた。

 始発に乗ったのである。当然、早起きをしなくてはならない。

 早起きは苦手ではない。案外毎日、朝刊が届くより先に目がさめていたりする。ただ、いつもの早起きに、これといって目的はない。勢いにまかせて、目を開けている状態を維持しているだけである。

 なにか次にやらなくてはいけない行動はない。始発に乗らないといけない、という緊張を強いられると途端に遠足前夜の子供のように興奮状態になり、寝付きも悪くなり勢い早起きは地獄になる。

 初山さんも、おそらく同じ事態に陥ったのであろう。改札のむこうにいた彼の両の目は、長い軟禁生活から開放された政治犯のようにしょぼしょぼで、ほとんど反射だけで横浜から大森までやってきたこちらを安心させた。

 これで大金持ちのファンドマネージャーと朝食を食べながらインタビューというような内容だったら、ひたすら遠い目をするのみだが、待ち受けているのは朝酒である。市場行きのバスの列に並んでいるうちに、すでに心は高揚している。

「長靴、はいてる人いませんね」

 市場を通るバスだから、プレートの付いたキャップを被った人や、ゴム長靴やゴムの前掛けをしている人が乗車しているかと思っていたら全然いなかった。当たり前にスマホをいじり、黙って市場へむかう。

 それで、思い出したことがある。先日、北陸地方の朝市に行った。ほっかむりした老婆が一杯、と期待していたら、ユニクロのダウンの人が大勢いて、ほっかむりの人はほとんど見られなかった。働く人のファッションはとうにグローバル化しているのである。

 大田市場はどこの駅から行っても案外遠い。どの駅からもすぐ着く築地とはそこが大きく違う。そして、建造物はどれも巨大である。ほど近い羽田空港からひっきりなしに離着陸する飛行機が間近を飛び、誰もが納得する近未来がそこにある。

 コンクリートの巨大な塊がいくつも立ち並び、それぞれの屋根の上に、場違いなほどファンシーな葡萄や筍のオブジェが看板代わりに掲げられている。まったく関係ないが、ジオングにドムの足を無理矢理くっつけたガンプラを思い出した。母さん、あの『ホビージャパン』誌、どこに行ったんでしょうね……。

 大田市場ができたのは平成元年のことである。面積は日本最大で約40万平方メートル。東京ドームがおよそ8個分の大きさである。秋葉原の神田市場、いわゆる『やっちゃば』、品川の荏原市場、蒲田分場、大森市場と築地の一部が合体してできた。市場の人に聞いたら、

「築地もみんな来るって話しもあったんだけど、すごく反対してね。あのときこっちに来てたら、今みたいなことにはならなかったのに。ここなら地下に水たまりなんかないですしね」

 と笑っていた。おっしゃるとおり。ちなみに、大田市場は野菜や花は日本最大の取扱高である。これで築地がここに合流していたら、ファイブプラトンで無敵だったはずだ。橋本真也と小川直也の「刈龍怒」をふと思い出す。市場はどういうわけか少年から青年期の記憶が甦りやすい。

 大田市場には築地のような「場外」はない。食堂の類いもぜんぶ市場の敷地内にあって、そこを一般人も利用する。事務棟と呼ばれる建物のなかに、たくさんの食堂が集まっていて、

「まあ、ここが築地で言うところの場外ですなあ」

と事務棟ですれ違った市場の方が教えてくれたが、たしかに、いろんな店がそろっている。

 もちろん早朝からやっていて、酒も飲める。喫茶(ビールはある!)、中華、定食屋、居酒屋兼小料理、洋食、そして寿司。

 楽園である。楽園ではしご酒。最高である。
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【著者】加藤ジャンプ
【記事の文字数】5300字
【写真】山桜食堂の肉団子
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2017年2月1日

【会員無料】みずほFGの経営統合「リースと不動産」で暗闘

mizuho2017-01-31 18.13.28

 みずほフィナンシャルグループ(東京都千代田区大手町・証券コード8411)傘下の企業が新たに経営統合を模索し始めた。早ければ年内にも道筋をつけ、来年には実施という段取りを考えているようだ。

 経営統合を検討するのは、傘下リースの芙蓉総合リース(千代田区三崎町・8424)と興銀リース(港区虎ノ門・8425)。そして不動産のヒューリック(中央区日本橋大伝馬町・3003)と東京建物(同区八重洲・8804)である。

 みずほFGは2013年2月に『ONE MIZUHO』を掲げ、第一勧業銀行、富士銀行、日本興業銀行の「旧3行による派閥争いをなくす」と宣言した。

 14年6月には委員会設置会社へ移行。社外取締役に就いた川村隆・元日立製作所会長から「グループ傘下企業がいくつもあるのはおかしい」と指摘され、銀行、証券、資産運用会社の統合を実施してきた。
 
 そして次に検討課題となったのが、まずリース会社である。グループ内には芙蓉総合リース、興銀リース、そして東京センチュリー(千代田区神田練塀町・8439)の3社がある。

 全社とも、みずほ系とはいえ、東京センチュリーの筆頭株主は伊藤忠商事だ。株式保有率は25%。「3社統合は簡単ではない」とし、芙蓉総合リースと興銀リースの経営統合を模索することになった。

 ところが、芙蓉総合リースと興銀リースは上場会社。「上場会社の社長や役員の椅子を手放したくない」として、両社の役員は統合を渋っていた。

 業を煮やしたみずほFGの佐藤康博社長は15年、FG副社長の辻田泰徳氏(旧富士銀出身)を芙蓉総合リースの社長に送り、16年6月にはみずほ証券の社長だった本山博史氏(旧興銀出身)を興銀リースの社長に就けるという〝荒療治〟を断行した。

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【記事の文字数】1700字
【写真】みずほFG公式サイトより
https://www.mizuho-fg.co.jp/index.html
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