プロ野球B級ニュース2016㉔大記録 | イエロージャーナル

「プロ野球B級ニュース事件簿」と銘打っていながら、今回は「看板に偽りあり」という内容となる。とてもではないがB級ではない、正真正銘の「A」である大記録を取り上げるためだ。

 さすがプロ、と唸りたくなるエピソードは

①18試合連続四球  柳田悠岐(ソフトバンク) ②史上最遅の2000本安打   新井貴浩(広島) ③デビューから14連勝   ヘンリカス・ニコラス・バンデンハーク(ソフトバンク) ④まさかのギネス世界記録

 三浦大輔(DeNA)

の4選手となる。さっそく、先に進もう。

■―――――――――――――――――――― 【著者】久保田龍雄 【購読記事の文字数】4300字 【写真】三浦大輔公式ブログより

(https://ameblo.jp/daisuke18/)

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■プロ野球タイの18試合連続四球達成も「(王会長に)全然並んでないです」

柳田悠岐(ソフトバンク)
4月19日 ソフトバンクvsロッテ(QVCマリン)

 2016年、開幕から17試合連続四球の記録を継続中だったソフトバンク・柳田悠岐が4月19日のロッテ戦(QVCマリン)で、王貞治(巨人-現ソフトバンク球団会長)が70年につくった18試合連続四球のプロ野球記録に並んだ。

 この日3打数無安打2三振の柳田は、1対1で迎えた8回1死満塁の勝ち越し機に4度目の打席に入ると、カウント3-1から代わったばかりの左腕・松永昴大の外角低めをしっかり見極め、決勝点となる押し出し四球。「チャンスで打てていなかったので、どんな形でも点が入ればと思っていた」とフォア・ザ・チームを強調した。

 結果的にチームの7連勝と今季初の首位奪取を決める貴重な1点となり、工藤公康監督も「非常に大きかった」と大喜びだった。

 連続四球の記録は、15年にトリプルスリーを達成した〝怪物〟を各球団の投手たちが何とかして抑えようと開幕から厳しい内角攻めを続けてきたのに対し、「自分のスイングをするだけ」とけっしてボール球に手を出さない打撃スタイルを貫いた結果と言える。

 それを証明するように、18試合で選んだ計25四球のうち、フルカウントまで粘ったものが15個もあった。「全部の球を追いかけても打てない。それがたまたま四球になっているだけ」と本人。

 46年ぶりのタイ記録についても、「全然並んでないです。(記録は)何も考えてないです」とまったくこだわっていなかった。

 そして、プロ野球記録更新がかかった翌20日のロッテ戦、柳田は遊ゴロ2つと三振の3打数無安打で9回の先頭打者としてこの日4度目の打席に立った。

 新記録へのラストチャンスだったが、積極的に打ちに行って、ロッテの2番手・南昌輝の初球ストレートを中前安打。この一打を足掛かりに、ソフトバンクは貴重な2点を加え、5対0で快勝した。

 試合後、「これで連続四球のことを聞かれなくなるね」という報道陣の問いに「そう、それですよ」とニヤリ。記録が途切れたことによる解放感から、つい本音が出たといったところか。ファンとしても、柳田が四球で一塁に歩く姿よりも、豪快な一打を見たいという気持ちに変わりはない。

 9月に右手薬指を骨折し、長期離脱するアクシデントもあり、2年連続トリプルスリーは達成できなかったが、今年も〝怪物〟の見出しが何度も躍る予感は十分だ。

■大学&社会人出身では史上最遅! 2112試合目で2000本安打達成!

新井貴浩(広島)
4月26日 広島vsヤクルト(神宮)

 3回無死二塁、成瀬善久の内角スライダーを、左翼線に運んだ痛烈なタイムリー二塁打が新井貴浩にとって史上47人目の通算2000本目の安打になった。

 プロ18年目の39歳2ヶ月。2112試合目での達成は、大学・社会人出身では史上最も遅い記録になる。また、FAで離れた古巣に戻っての達成も、史上初だ。

 駒大4年の98年秋、「どうしてもプロ野球選手になりたい」と売り込んで、ドラフト6位で広島に拾ってもらった無印の「不器用な男」は、キャンプ早々に故障して挫折を味わうが、周りの人に恵まれた。駒大の先輩にあたる〝鬼軍曹〟大下剛史ヘッドコーチは「この男を何とかモノに」と結果が出なくても、開幕から1軍に置きつづけた。

 そして、99年5月12日の巨人戦(広島市民)で、ホセからプロ初安打。速球に押され、左方向に引っ張ったはずの打球が右前に飛ぶというラッキーな当たり。「ホセの球は速かった」と言うと、もう一人の駒大の先輩・野村謙二郎から「そんな寂しいこと言うな」と叱られた。プロにはもっと速い球を投げる投手がたくさんいるんだから、そんなことを言っていたら、この世界では生きていけない。これが「プロ1安打目の教訓」になった。

 2年連続100打点以上を記録し、不動の4番になった07年オフ、「これまで一度も体験していない優勝を実現したい」と阪神にFA移籍したが、腰や肩の故障に苦しみ、代打要員格下げの悲哀も味わう。この時点では、2000本安打も達成できずに終わるかに見えた。

 だが、14年オフ、自ら自由契約を申し出て、8年ぶりに古巣・広島に復帰すると、阪神での最終年は43本しか打てなかった安打が117本と3倍増。2000本まであと「29」となった。

 そして16年、24試合目で、ついに大台到達。何度挫折を味わっても、必ず誰かが救いの手を差し伸べてくれた。一度広島に背を向けて出ていった男を温かく迎えてくれたカープファンにも、「優勝して恩返ししたい」と心の中で誓った。まさに「ワシほど人に恵まれた男はいない」という感謝の気持ちが大きな力となって築き上げた金字塔だった。

 8月3日のヤクルト戦(神宮)では、2回無死一塁、石川雅規から中越えに先制2ランを放ち、史上42人目となる通算300本塁打を達成。2179試合目での到達はもちろん史上最遅記録である。

■デビューから14連勝! 不敗男が2つのプロ野球記録更新!

ヘンリカス・ニコラス・バンデンハーク(ソフトバンク)
5月10日 ロッテvsソフトバンク(ヤフオクドーム)

 2015年6月14日の初登板以来、2年がかりで連勝街道を驀進したの「負けない男」バンデンハークが16年5月10日のロッテ戦(ヤフオクドーム)で8回を4安打10奪三振の1失点の快投を見せ、ついに14連勝を達成。

 66年の堀内恒夫(巨人)が持つデビューからの最多連勝記録「13」を抜いたばかりでなく、87年から88年にかけて郭泰源(西武)が記録した外国人最多連勝記録「13」も同時に更新した。

「不敗神話」の主人公は、けっして自らの記録を誇ることなく、謙虚そのものだった。

「自分の名前が残ることは嬉しい。でも、自分だけでできたことじゃない。ホークスというチームで達成できたこと、ホークスの一員になれたことが嬉しい」。

 それもそのはず。5月3日の日本ハム戦(札幌ドーム)では、自己ワーストの3被弾を喫し、0対4とリードを奪われた7回終了後に降板。

 ついに連勝記録もストップかと思われたが、味方打線が8、9回に奮起。4対4と追いついて初黒星を消してくれた後、延長10回に松田宣浩の左越えソロで逆転勝ち。「頼りにしているし、チームを勝たせたいと思って自分も投げている」と感謝するのもごもっともなのだ。

 そして、仕切り直しとなったロッテ戦、今季初の本拠地登板とあって、「気合が入った」。序盤から150キロ超の速球が唸り、ナックルカーブを中心とする変化球も低めに決まる。

 6回1死から田村龍弘に初安打となる中前安打を許すまでパーフェクトだった。加藤翔平の犠打で2死二塁にされたが、1番・中村奨吾を空振り三振に切って取った。

 その裏、「バンディが頑張っているから」と柳田悠岐が左越えに先制2ランを放ち、勝ち投手の権利をゲット。8回に1点を失って降板したものの、9回は守護神・サファテがきっちり締めて2対1で逃げ切り。まさにチーム全員でかち取った金字塔だった。

 だが、どんな記録も、いつかは途切れるもの。同17日の日本ハム戦(北九州)、15連勝をかけて先発したバンデンハークは、開幕以降ワーストの3四死球と自慢の制球が乱れ、大谷翔平に先制2ランを浴びるなど5回7失点KO。連勝記録は「14」でストップした。

 その後、「疲労蓄積」を訴えて6月1日に登録抹消され、3ヶ月以上も戦線離脱。連勝記録へのプレッシャーは予想以上に大きかった?

■プロ野球新記録ならず! でも、「頭になかった」ギネス世界記録を達成!!

三浦大輔(DeNA)
7月11日 中日vsDeNA(横浜)

 2015年に引退した山本昌(中日)とともに23年連続勝利のプロ野球記録を持つ43歳のレジェンド右腕・三浦大輔が16年7月11日の中日戦(横浜)で初先発初登板。前人未到の24年連続勝利に挑戦した。

 同年は調整不足から出遅れたが、コーチ兼任であるため、1軍に帯同しながら、黙々と練習を続けてきた。

 だが、開幕から3ヶ月半遅れてのシーズン初登板のマウンドは、ほろ苦いものになった。

 初回に先頭の大島洋平に右越え二塁打を浴びた後、2番・堂上直倫にも右前に打たれ、あっさり先制の1点を許してしまう。

 さらに1死後、ビシエド、森野将彦、福田永将に3連打されて、2点を失った後、エルナンデスにも左越え3ランを浴びた。百戦錬磨の大ベテランも、初回にいきなり大量6失点というまさかの事態に、ベースカバーに走った本塁で呆然とするばかりだった。

「悔しいし、申し訳ないです」

 しかし、ここからが「ハマの番長」の真骨頂。次打者・杉山翔大にも中前安打を許したが、バルデスの送りバントで2死をとった後、大島を二ゴロに仕留め、何とか踏ん張った。
平日にもかかわらず、三浦の快挙をひと目見ようとスタンドは満員だったが、さすがに6点のハンデはきつい。

「今日はダメか」とファンがあきらめムードになりかけた矢先、投手としてではなく、打者としてのもうひとつの大記録を目の当たりにするのだから、本当に野球は何があるかわからない。

 2回2死一塁で打席に立った三浦がバルデスの外角高めの134キロを鋭く振り抜くと、快音とともにライナーがショート・堂上の頭上を越えていった。

 この瞬間、大島康徳(中日-日本ハム)と並ぶ歴代4位タイの24年連続安打が達成された。

「そっちは全然頭になかった」そうだが、こちらの記録もプロ野球史に燦然と残る大きな勲章であるのは言うまでもない。

 否、プロ野球史どころではなかった。8月22日、「プロ野球投手による安打最多連続年数」として、ギネス世界記録にも認定されたのだ。

「(打撃は)得意じゃないけど好き。打席に入って一生懸命打とうとやってきたのが、24年につながったのだと思う」。かくして、「ハマの番長」は、「世界の番長」になった。