【無料記事】「安倍政権ブレーンの横顔」ルサンチマンの「山内昌之」 | イエロージャーナル

 あまりに密やかで、全く目立たないが、第2次安倍政権でにわかに存在感を増している、1人の男がいる。

 歴史学者の山内昌之氏だ。メディアは2016年、「東大名誉教授」と「明治大学特任教授」の肩書を使った。

 東大退官は2012年。それから政権中枢への食い込みは、〝御用学者〟などというレベルを越えた。政財界どころか、日本内外でも、他に追随する人物はいない。

「スパークリングワインで」──。

 山内氏と打ち合わせを希望する者には必ず、こう言われるのだという。仕事となれば、まずは腹にワインを流し込むわけだ。 ■―――――――――――――――――――― 【筆者】下赤坂三郎 【写真】山内昌之氏公式サイトより

(http://yamauchi-masayuki.jp/)

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 言わずと知れた、国際関係史の研究者。特に中東・イスラム地域研究の専門家だ。その博覧強記はあまりに有名だが、それだけではない。学究肌には珍しく、実地での見聞も加味され、だからこそ言説は非常に強い説得力を纏う。

 ところで山内氏の自宅はどこに所在するか、ご存じだろうか。

 学者といっても、紋切り型のイメージと現実は異なり、例えば田園調布や鎌倉に住む者は少ない。大半の住所は府中、三鷹、吉祥寺といったところで──我々、平凡な会社員と同じように──郊外の沿線から勤務先の大学へ通っている。

 それが山内氏の場合、何と赤坂8丁目だ。近くにはカンボジア大使館が建ち、赤坂5丁目のTBS本社も、六本木の東京ミッドタウンも指呼の間。いくら東大とはいえ、赤坂に居を構えている学者など見たことも聞いたこともない。

 一体全体、山内氏の懐具合は、どうなっているのだろうか。

 山内氏は現在、フジテレビ特別顧問と、三菱商事顧問に就いている。週に2日はフジテレビ、他の2日は三菱商事、そして残る1日は明治大学に出勤する。いやはや、「元東大教授」らしからぬ多忙で、華やかな印象の毎日だ。

 少なくとも三菱商事では、専用車も準備されている。自宅から出て颯爽と最新型クラウンの後部座席に乗り込む姿は、東大名誉教授というよりは、三菱商事アメリカ支社長と言ったほうがしっくりくる。

 そんな山内氏は1947年、国鉄労組の父親のもと、札幌市に生まれている。

 本人も北海道大学に進学してからは学生運動に身を投じた。所属はブントだという。絵に描いたような「団塊の世代」(1947〜49年生れ)と形容していいだろう。

 ご存じの通り、この時期に学生運動からの転向したグループは、社会に出ると一気に権力志向へ突き進むケースが少なくない。

 本来、東大教授の退官本流は、放送大学なのだ。私大への教授職が用意されても、放送大学教授を兼任するということもある。

 東大を退官してから、フジテレビと三菱商事の顧問室に直行した学者は、どう考えても山内氏が嚆矢に違いない。もとより東大時代から、メディア露出の好きな学者だとは思われていた。柔らかい語り口に加え、ビジネスマンのようなスマートさも兼ね備える。能力が桁違いなのは言うまでもない。だからこそのフジテレビ、三菱商事の招聘だったはずだ。

 そんな山内氏は意外なことに、ことあるごとに東大批判を繰り返す。その言説の中心は「東大には東大教授になりたい病(の人間が)多い」というものだ。教授になるまでは刻苦勉励を続けるが、その夢を果たした途端、何も勉強しなくなるのだという。

 しかしながら、ポストを得ると勉強しなくなるのは、日本全国の大学教授に当てはまる。別に東大に限った話ではなく、単なる一般論だ。山内氏の母校、北海道大学でも類例は掃いて捨てるほどあるだろう。

 山内氏の頭脳、見識を考えれば驚くほど、指摘に鋭さや深みに欠ける。

 東大内部にいたのだから、リアルな現状を語ってくれれば、それだけでいいのだ。なのに、そうした「内部告発性」にも乏しい。失礼を承知で言えば、新橋の居酒屋でエリート東大生を批判して悦に入る酔っ払いの戯言と大差ないのだ。

 いずれにしても、山内氏が東大に愛着を持っていないことだけは確かだろう。東大における「比較政治」の本流はやはり、94年に東大大学院・法学政治学研究科教授となり、13年に定年退職となった塩川伸明氏なのだ。

 塩川氏と異なり、山内氏は東大法学部に講座を持つことが叶わなかった。これだけで傍流が認定されてしまうわけだが、そうした〝本流〟の塩川氏と、〝傍流〟の山内氏は、東大で〝覇権〟を争った。ところが、この2人、相当に似た経歴の持主だということが、更に話をややこしくする。

 先に見たとおり山内氏は47年生まれで、一方の塩川氏は48年。塩川氏は都立日比谷高から東大に進学し、やはり山内氏と同じように学生運動に身を投じた。山内氏がブントだったのに対し、塩川氏は中核派だったという。

 山内氏がイスラム、塩川氏はロシア政治と、表向きの専門分野は異なる。だが、ロシアはイスラム系民族色の強い国、となると、この2人の因縁はより鮮明さを増す。山内氏もイスラムを通じてロシアを見ていたのだ。

 これほどの碩学が、同じ大学で覇を競い、結果として東大生え抜きの塩川氏が本講座を持ち、北大出身の〝外様〟である山内氏は〝疎外〟された──となれば、山内氏は様々な局面で鬱積したものを抱え込まざるを得なかっただろう。

 そして山内氏は傍流のまま、野に放たれた。まさか「在野の研究家」になるはずもなく、「野に遺賢なし」を自ら証明しようとしたのか、安倍政権の内部に深く食い込んだ。

 今や山内氏は安倍政権における安全保障分野の主要ブレーンと言っていい。肩書の1例としては、内閣国家安全保障局の顧問を務めている。また2016年9月には、特に注目されている「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」のメンバーにも選ばれた。

 東大時代のルサンチマンを晴らすため、山内氏は安倍政権の枢要へ、どんどん突き進んでいくのである。