2017年3月24日

プロ野球B級ニュース2016⑲忍者走塁

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 俊足の野球選手は魅力的──こう断言しても、反対するファンはいないはずだ。

 例えばトリプルスリーの凄さは、当然ながら長打力と走力を兼ね備えていることにあるのは言うまでもない。実際、歴代達成者は名選手ばかりだ。

 別当薫(毎日)、岩本義行(松竹)、中西太(西鉄)、簑田浩二(阪急)、秋山幸二(西武)、野村謙二郎(広島)、金本知憲(広島)、松井稼頭央(西武)、山田哲人(ヤクルト)、柳田悠岐(ヤクルト) ※チーム名は達成時に所属していたもの

 近年、メジャーリーグでも、日本プロ野球でも、盗塁は減少傾向にあるという。原因としては「バッテリー間の対策技術向上」など所説が入り乱れているが、俊足のバッターが1塁に進塁した時の緊張感を嫌うファンはいないだろう。「盗塁復興」が期待されているとしても過言ではないはずだ。

 だが、だが、16年のシーズンでも好走塁は随所に見られたし、我らが愛してやまない「B級走塁」も展開された。

 第19回は「忍者走塁」と題し、

①〝忍者ホームイン〟で初のビデオ判定
 ホセ・ロペス(DeNA)
②〝巨漢激走〟の破壊力
 ヤマイコ・ナバーロ(ロッテ)
③DeNAの〝忍者DNA〟 
 倉本寿彦(DeNA)
④大捕物の〝逃走塁〟 
 西川遥輝(日本ハム)

の4選手のエピソードをご紹介したい。
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【著者】久保田龍雄
【購読記事の文字数】4800字
【写真】日ハム公式サイト・ニュース『西川遥輝選手が児童養護施設の子どもを札幌ドームに招待』(16年5月21日)より
https://www.fighters.co.jp/news/detail/6220.html
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2017年3月17日

プロ野球B級ニュース2016⑱不運な人々

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 他のスポーツと同じように、野球も運に左右される場面が少なくない。名ピッチャーが打ち取った打球を、名手が待ち構えていても、イレギュラーすればヒットになってしまう。人知の及ばない世界が、確かに野球には存在する。

 16年のシーズンも、選手は運に泣かされた。その中でも、選りすぐりの、

①福留孝介に屈伏
 平良拳太郎(巨人)
②まさに涙雨
 モレル(オリックス)
③ミスター・間が悪い
 岩瀬仁紀(中日)
④V逸の瞬間!?
 サファテ(ソフトバンク)

の4選手のエピソードをご紹介したい。
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【著者】久保田龍雄
【購読記事の文字数】4200字
【写真】中日ドラゴンズ公式サイト「選手名鑑 岩瀬仁紀」より
http://dragons.jp/teamdata/players/iwase_h.html
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2017年3月10日

プロ野球B級ニュース2016⑰人間離れ篇

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 さる草野球の選手から、興味深い話を聞いたことがある。還暦を目前に控えた、かつての高校球児のチームと対戦したのだが、レベルが全く違うのだという。

「甲子園に出場できなかったと言うから見くびっていたけど、野球部で真面目に練習してきた人は常人ばなれしているよ」

 バッティングセンターで100キロのスピードを体験し、「100キロでもこれだけ早いのか」と腰を抜かした方も多いだろう。元高校球児が常人離れなら、プロ野球選手は人間離れの世界に違いない。

 中でも桁違いのエピソードを探してみると、やはり外国人選手が多い。第17回は「人間離れ篇」と題し、

①省エネ弾も破壊弾も自由自在
 ダヤン・ビシエド(中日)
②猛打賞ならぬ猛砲賞は全て肩書付き
 エルネスト・メヒア(西武)
③日馬富士と同サイズの巨漢で3塁打 
 ジャフェット・アマダー(楽天)
④外国人選手クラスのパワーで天井直撃
 柳田悠岐(ソフトバンク)

の4選手のエピソードをご紹介したい。

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【著者】久保田龍雄
【購読記事の文字数】4300字
【写真】柳田悠岐公式Facebookより
https://www.facebook.com/yukiyanagitaofficial/
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2017年3月3日

プロ野球B級ニュース2016⑯ルーキー

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 今回は、16年のシーズンでルーキーだった選手4人に焦点を当てる。新人にして「Bの洗礼」を受けた、文字通りのエリートと言える(?)。

 本記事と直接には関係ないのだが、同年10月に行われたドラフト会議における、各球団の1位指名を振り返っておこう。
 
【セ・リーグ】
・広島   加藤 拓也(投手)慶応大
・巨人   吉川 尚輝(内野)中京学院大
・DeNA  浜口 遥大(投手)神奈川大
・阪神   大山 悠輔(内野)白鴎大
・ヤクルト 寺島 成輝(投手)履正社高
・中日   柳  裕也(投手)明大

【パ・リーグ】
・日本ハム   堀  瑞輝(投手)広島新庄高
・ソフトバンク 田中 正義(投手)創価大
・ロッテ    佐々木千隼(投手)桜美林大
・西武     今井 達也(投手)作新学院高
・楽天     藤平 尚真(投手)横浜高
・オリックス  山岡 泰輔(投手)東京ガス

 17年のシーズンは3月、WBCという贅沢な〝前座〟で幕が開く。ペナントレースのスタートはセパ共に同月31日。今年は、どんなルーキーが注目を集めるのか、その中に上記のドラフト1位選手は含まれているのか、そんなことも考えながら本稿を読んで頂ければ幸甚である。

 今回の4ルーキーは、

①ドラフト最下位116番目の男、〝下剋上〟勝利を目指す
 長谷川潤(巨人)
②「7度目の正直」でも報われなかった非運
 岡田明丈(広島)
③パ・リーグ60年振りの珍事
 茂木栄五郎(楽天)
④「首位イジメ弾」連発の恐怖
 吉田正尚(オリックス)

という顔ぶれ。今年は全員が「2年目のジンクス」に挑むことになるというのも、プロスポーツの面白さだろう。

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【著者】久保田龍雄
【購読記事の文字数】4700字
【写真】楽天イーグルス公式サイト「2016年度:新入団選手発表会」より、茂木栄五郎選手(前列・右から2人目、背番号5)
http://www.rakuteneagles.jp/news/detail/5931.html
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2017年2月24日

プロ野球B級ニュース2016⑮ワースト記録

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 勝者が誕生すれば、必ず敗者も生まれる。当然の理に違いない。だが、その光と影の対比には、酸いも甘いも噛み分けた大人でさえ、心を揺さ振られるものがある。

 記録も同じだ。根本的には単なる数字の羅列なのだ。しかし、そこにはドラマがある。そして、人を感動させるベストな記録が生まれれば、ファンを唖然とさせるワースト記録も同じように発生してしまう。

 もちろん、我々「B級ニュース愛好家」が、光り輝く大記録をフィーチャーするわけがない。その逆だ。なぜプロの選手でも、こんな数字を作ってしまうのかというワースト記録をご紹介したいと思う。

 連載第15回は「ワースト記録篇」と題し、

①本塁打ゼロ記録を阻止!
 糸井嘉男(オリックス=当時)
②3球団全てで退場を記録
 梨田昌孝(楽天)
③2番打者の受難──連続無安打ワーストタイ
 荒木雅博(中日)
④先輩・大野豊を超えた最悪防御率
 塹江敦哉(広島)

の3選手、1監督のエピソードをご紹介したい。
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【著者】久保田龍雄
【購読記事の文字数】4800字
【写真】梨田昌孝オフィシャルサイトより
http://www.true-masa.com/
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2017年2月23日

【無料連載】『哀しき総会屋・小池隆一』第16回「記者と対峙」

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(承前)千代田区長の石川雅己は都立大(現・首都大学東京)法経学部を経て、1963年に東京都庁に入庁した。そのため、石川と山田慶一は「都議会のドン」と呼ばれる内田茂と関係が深いとされている。

 現在は練馬区長である前川燿男も、山田が「顧問」の名刺を持つ大都市センターで代表取締役を務めていた。そもそも前川も元都知事本局長などを歴任した都職員。そして山田との繋がりは内田茂都議との縁だと仄めかしていた。

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【著者】田中広美(ジャーナリスト)
【写真】NEXCO東日本公式サイト『もっと知りたい高速道路図鑑』より
http://www.e-nexco.co.jp/csr/wakuwaku/
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 2012年秋、当時の石原慎太郎都知事が急遽、国政復帰を表明。それに伴い12月に都知事選が実施された時も、内田の前に自民党都議団は「沈黙」を余儀なくされた。

 なぜか。それは以下のような事情があったからだ。

 石原が後継として使命した、作家で都副知事だった猪瀬直樹を、内田茂は極めて嫌っていると言われたからだ。そのきっかけは、千代田区紀尾井町の参議院議員宿舎の移転問題だった。

 副知事に就任すると、猪瀬はメディアを引き連れ、宿舎の建て替え予定地を視察。結果、自然保護を理由に反対したのだ。

 これが虎の尾を踏む。移転を推進していた内田茂の怒りに触れたのだ。以来、内田は猪瀬を徹底的に嫌厭する。ために自民党都議団も、猪瀬との不仲を伝えられるようになった。

 その影響は、都知事選で露骨に現れる。自民都議団は猪瀬推薦を決定できず、最後の最後まで沈黙を守った。内田を慮ったと見られても仕方がなかった。対して選挙公示に先立って行われた自民党による世論調査では、猪瀬支持が40%超という結果が出た。猪瀬を容認できない自民都議団としては苦々しい展開に追い込まれていた。

 最後は都議団での意思決定は不可能となり、公示日の直前、態度未決のまま判断を自民党本部に預ける形となった。そして最終的には党本部の決定で「猪瀬支援」が決まり、他党も有力候補の猪瀬に相乗りすることとなり、蓋を明けてみれば430万票超という歴史的数字で当選を果たす。

 自民党都議の中にも、なぜこれほどまでに内田が猪瀬を嫌っているのか──参院宿舎の問題で猪瀬副知事が、内田都議の意向に反対したとはいえ──これほどまでに執拗に尾を引いているのか訝る向きもあった。

 その背景として、内田当人でさえ自覚していない可能性もあるが、猪瀬が道路公団改革で「道路族のドン」と徹底的に戦ったことは重要だろう。猪瀬は勝者となり、相手を追放してしまったのだ。

 猪瀬が引きずり下ろした相手は、元建設省事務次官で、元道路公団総裁の藤井治芳。そして藤井と内田茂の間は、やはり山田慶一が取り持っていた。

〝全知全能の神〟たる「道路族のドン」藤井治芳

 山田たちが赤坂の焼肉屋『牛村』で宴会を開いた場面を、この連載では何度も紹介している。

第8回「角栄」
http://www.yellow-journal.jp/series/yj-00000320/
第15回「人間不信」
http://www.yellow-journal.jp/series/yj-00000457/

 山田は、この会合の直後、藤井治芳の「直筆メッセージ」を自身のところに集う者たちに伝えた。それを道路のドンからのご託宣ととった者もいようし、はたまた、藤井からの直筆メッセージを得てくる山田という男の凄さを更に確信した者もいよう。

 内容は、経済談義の他愛のないものだ。しかし藤井の直筆メッセージであることが「山田慶一」という看板がなお求心力を得るための何よりも強いメッセージとなる。

「藤井所感」とでも戯れに名付けてみるが、ポイントは以下のようなものだった。

 経済再編に当たっての考え方
経済、特に金融・産業の国際化が一層重層化する中で、国際的なシステムへの参画がより弾力的に可能となるよう、努力すべき
例えば
○税制のあり方、その中でも関税のあり方
○国際企業へ成長していくための育成プログラムの見直し
○外圧を利用した国内企業へのバッシング(パシフィックコンサルタント)

 パシフィックコンサルタントがバッシングの一例として言及されているところが、いかにも山田らしい〝手配〟であるようにも見える。

 自身が逮捕直前まで追い込まれた──実際、無罪とはなった──ものの、東京地検特捜部が立件した事件が、元建設省の事務次官をして「外圧を利用したバッシング」の一例としてわざわざ持ちだしている。

 これこそが肝なのだ。山田の元へ参集する一流企業勤務の〝賢い紳士〟たちは、山田と藤井の「精神的な一体感」を見過ごすことなく、見事に嗅ぎ当てる。「山田劇場」で演じられる仕掛けは大胆かつ繊細。観客たちが〝見巧者〟ということもあり、芝居の意味を誰もが完璧に理解する。

 藤井所感はレポート用紙3枚。地域金融と国際化など、マクロからミクロまで目配りがきいていた。しかし意外にも、「都市計画における研ぎ澄まされた思想性」などといった、プロを唸らせる魅力に乏しかった。藤井の圧倒的なキャリアを重ね合わせれば、凡庸という評価が下ってもおかしくない。

 それは、日本社会を論じた次の一節からも伺えた。

 日本社会は、明治政府発足以来、国家の体制が、諸外国に対して、国を富ます、強くする視点から、中央の強化と国家の強化を同一視し、税制、財政、法制、行政等を含め、インフラ構築も特別扱いされてきた。

 国即ち中央と地方との関係は、廃藩置県、官制知事、地方への助成金システムといった視点でつくられてきた。

 このことが、日本では、東京と地方との関係が必要以上に〝格差〟の形で現在に至っている。

 全総計画で当初から〝一極集中是正〟が挙げられているのはその為である。

 しかし、江戸時代では日本の文化、知識層が300雄藩からなる地方社会に定着しており、江戸に一極集中するのでなく、ほどほどの強い中央(江戸)とそれなりに強い地方との連けい構造であった。

 日本社会が、住み易さ、文化、経済的強さを目ざして、新たな地域社会構築(地方分権)を考えるためには、最近の諸々の情報及び情報発信のあり方が極めて重要になる。

 東京という大都市社会の国民である東京の発注情報をもって、日本の情報と誤解されないよう注意する必要がある。(東京人が日本人という誤解、東京人は日本人の一部にしか過ぎないという認識をあらためて思う必要がある)

 藤井所感のキーワードに「全総計画」がある。この全国総合開発計画こそは、まさに戦後自民党の55年体制を裏支えした国土開発計画といえる。

 目的は日本のグランドデザインを描くというものだ。当初は高度経済成長期にその事務局は旧通産省の外局である経済企画庁に置かれていた。それが橋本行革を経て、国土審議会を所管する旧建設省がその所掌を獲得した。

 各年次の予算獲得が各論だとすれば、全総は、いわば総論にあたる。そして、仮に各論が総論を超え得ないものだと考えれば、全総は「日本国デザイン」の設計思想ともいえる。更に踏み込んで表現すれば、日本国開発計画の「チャーター」──憲章、綱領、宣言などと訳される──とでもいうべきものだ。

 旧建設省の事務次官・藤井治芳が道路族のドンとして君臨できた背景の1つは、国土交通省が土建行政の元締だからというだけではなく、日本国土の設計思想さえもデザインする組織であったからだ。

 山田は、その「全総」を築いてきた藤井のメモを、つまりは「ドンの心情」を〝代読〟できる存在なのだ。山田こそは「日本開発のドン」の〝使用人〟であるという空気を醸し出していく。

〝道路利権〟を巡る通産省と建設省の暗闘

 現在、旧建設省=国土交通省が所管する全総は、そもそも旧通産省=経済産業省が担当していたことは、専門家の間でも、あまり知られていないようだ。

 先述した通り、全総は日本のグランドデザインを描く総論にあたる。当初は経済企画庁が所管し、経企庁は内閣府の外局として設置された。しかし、設置時にプロパー職員の存在しない官庁は、既存組織によって所掌争いの草刈場と化す。

 経企庁を巡るヘゲモニー闘争に、当然ながら旧建設省も〝参戦〟している。建設省は霞が関の中でも「隠れた名門」という個性を持っていた。藤井治芳のように、技官でも事務次官に上り詰めることができる技術官庁として知られるが、その出自は戦前の旧内務省に遡る。

 戦後GHQにより、内務省は自治省、厚生省、警察庁などに分割されたが、こうした旧内務省系の省庁は現在でも〝選民意識〟が高い。省庁の垣根を横断し、「旧内務省関係者」の名簿を作成するなど、自らを「ノーブル」な存在だと任じている。

 日本の省庁はエリート組織と見なされるが、1府13省庁の中で更に上位と位置付けられる役所を「五大省庁」と呼ぶ。内訳は①財務省、②外務省、③経済産業省、④警察庁、⑤総務省自治分野──となるが、この中で経産省=旧通産省は戦前、商工省と呼ばれ、決して一流官庁ではなかった。通産省が一流官庁として台頭してきたのは復興と経済立国が成功した戦後からになる。

 そして1950年に誕生した経済企画庁は当初、通産省に〝占拠〟される。歴代の事務次官を見れば、当初は商工・通算官僚の名ばかりが連なる。経企庁プロパーのトップ人事が行われたのは何と1989年。星野進保・事務次官の登場まで待たなければならず、実に設立から30年が経過していた。

 だが、名門建設省が、通産省の勝ちっぱなしを許すはずもない。最重要の仕事であるかのように暗闘が続き、遂に2001年の橋本行革による省庁再編で、全総の所管は通産省の手から建設省の手に移る。

 この全総が描く、全国道路ネットワークの下積み作業に関わり、役人人生を全うしたのが藤井治芳である。1936年生まれ。東京大学工学部土木工学科、同大学院工学研究科を経て62年に建設省入省。

 通産省=経産省は例えば、都市整備機構を所掌し、絶対に離さない。だが、道路で結ばれていない「単独の街」などあり得ない。都市を発展させるためには、必ず道路が必要だ。だからこそ藤井は戦後日本で行われた開発の全てを担ったと言っていい。生き字引だからこそのドンだったのだ。

 そして山田慶一は自民党田中派・田中政権が生んだロビイストだ。田中派が持つ権力、その源泉の1つが道路だったことは言うまでもない。山田も、この藤井の影をちらつかせることで、企業の求心力と、自身の命脈をつないでいた。

 ここで、少し重要な寄り道をさせて頂きたい。少なくとも、わが国日本において、民間が仕事をしようとすれば、必ず役所の「ルール」にぶつかるわけだが、そもそも、なぜ省庁の所掌が拡大し続けるのだろうか。更に、そうした指向の源泉はどこにあるのだろうか。この問いに、さる経産省の人間は、次のように答えてくれた。

「すべては法律。役所の権限はすべて法律が根拠になっているんだから。法律、政令、省令とね。役所は法律がなければ何もできないでしょ。だから、法律を作らなければどうにもならないわけだ。施策にはすべて法律が絡んでくる」

 なるほど。省庁は法律を作れども、棄てないのには訳があったのだ。

「年間、おおよそで100本くらいの法律が成立しますが、廃止というのはほとんどないですね。廃止の場合でも、法律の一部を廃止することはあっても、法律そのものの廃止というのはまずない。改正、改正でやっていきますからね」(内閣法制局)

 そして、経産省の人間はこう付け加える。

「法律を廃止するときはね、それは何を意味するかわかるかい? それは、新しい法律を作るときだよ」

 法律を永遠に作り続けるのだから、所掌が拡大することはあっても、縮小することはない。そこに、商機ならぬ〝省機〟拡大の芽もあろう。

 更に、省機拡大のときこそ、民間の思惑も潜り込む〝好機〟到来なのだ。1990年の橋本行革。その中の省庁再編とはまさに、バブル崩壊後の「失われた20年」の始まりであり、変革期特有の微妙な歪みが、ロビイストに付け込む余地を生んだのかもしれない。

 更に言えば、田中角栄と、越山会の女王、佐藤昭を後ろ盾にする自民党の生んだロビイスト、山田慶一の生き残る余地を……。

山田慶一と対峙した東洋経済新報社記者の岡田広行

 藤井治芳と全総計画。それは字義通り、開発そのものを意味した。

 開発計画に関する情報を、いち早く入手することは、企業にとってはどこよりも早く「ツバを付ける」すなわち、カネを注ぎこめることを意味した。

 使途秘匿金のニーズと、それが生きる余地がそこに生じるのだ。ちなみに使途秘匿金については、この連載の第13回で焦点を当てた。

【会員無料】『哀しき総会屋・小池隆一』第13回「千代田&練馬区長」の〝過去〟
http://www.yellow-journal.jp/series/yj-00000444/

 ゼネコン業界にとっては、いわゆる「前捌き金」といわれる、優に億単位にのぼるカネが動くことになる。事業関係者を飲食で接待するカネに使われるのみならず、現ナマを〝握らせる〟ためのシステムといえた。

 あそこにビルが立つ、向こうの駅前が整理される、といった計画が発表された段階で動いても、もう企業の事業は成り立たない。計画段階からカネを注ぎ、計画そのものを時には動かし、原案に食い込み、素案に意志を反映させる。そんな時にこそ「前捌き金」は大きな力を発揮する。

 藤井治芳という〝神〟の思想が、山田という〝口〟を通じ、ゼネコン業界と、その周辺に現実的なメッセージを伝える。すると、そこに集い、行動を開始する者たちが現れる。

 しかし、それが現在進行形として立ち現れる時、あまりに生々しく、醜悪な姿態を曝すことにもなる。東京都千代田区紀尾井町・清水谷参議院議員宿舎の老朽化にともなう移転・建て替え計画もまた、実はそんな壮大な思惑の一端にしか過ぎないのかもしれない。

 それにしても、この山田慶一という一般には耳慣れない無名の人物になぜ、これほど多くの人間が〝惹かれ〟、そして〝恃み〟とするのか。山田の素姓についてはほとんど活字になったことはないが、その山田を長く〝監視〟し続けてきた記者がいる。

 東洋経済新報社の岡田広行だ。その岡田が書いた次の記事が、これまでにもっとも深く、その山田を追ったものといえる。

 岡田がかつて取材した段階では読み解けなかった部分に、その後、私の取材で新たに読み解ける部分を加えて補完しながら、引用してみたい。

山田慶一氏。

「業務屋」と呼ばれる建設談合の世界に身を置く人間であれば、一度ならず彼の名前を耳にしたことがあるはずだ。

 昨年2月、公正取引委員会に一通の〝告発文〟が持ち込まれた。

 表題は「独占禁止法四五条一項に基づく申告」。差出人は平島栄・西松建設相談役(当時)。近畿二府四県の建設談合を取り仕切ってきた実力者が、部下の談合屋の造反に激怒して、前代未聞の行為に及んだのだ

〝談合のドン〟、平島のこの暴挙ともとれる行為は、当時、ゼネコン業界にとどまらず、それを持ちこまれた役所側にも衝撃を与えた。このスキームを描いたのが山田である。

 その平島氏が「すべてを明るみに出す」と息巻いていたさなか、談合の実態に詳しい準大手ゼネコンの幹部がポツリと漏らした。

「平島さんの背後で、『山田慶一』が動いている。話がややこしくなってきた」

 山田氏は、経歴、生年月日、出身地とも不詳。

 過去の事業歴を調べるには、法務局に眠る膨大な閉鎖謄本を丹念にめくる以外にない。しかも、一三年前に遡らなければならない。当時、山田氏は、「ケイヨウエンジニアリング」(本社・港区)なる企業の代表取締役を務めており、同社が二度目の不渡りを出す四カ月前に代表の座を退いている。以来、なぜか世間の表舞台に出ることを避け続けてきた

 山田の経歴はたしかに、表向き不詳である。当人が語らないのみならず、当人に訊くことさえ憚られる、強い威圧感を放っているからである。

 あるいは、誰もが知る「在日」という素姓ゆえに、山田を知る人間に自発的な抑制を強いているのかもしれない。

 だが、警視庁のファイルによれば、山田の経歴については次のように記録されている。

 山田慶一はもちろん、日本でのいわゆる日本人的な〝通名〟であるが、この通名もかつては慶一ではなく、初男で通っていたとされる。

 山田初男は、山口県出身とされる。それも、九州にもっとも近く、関門海峡をのぞむ下関市という。

 山田の学歴もこれまた表向きには、日本大学中退とも、東京理科大中退とも、他称されているが、これは、山田がこれら2つの巨大な学校法人を巻きこんだ巨大な都市計画プロジェクトに参画する折々にどこからともなく囁かれた話であり、事業の展開に有利に働くとみるや、それぞれの局面で都合のいいほうにあえて〝流している〟気配が強い。

 警察当局は、山田の最終学歴を「日本不動産専門学校」と見ている。同名の専門学校は現在も福岡市内に存在するが、山田が幼少期から青年期にかけて下関で過ごしたとすれば、福岡の専門学校に通っていたとしても不思議はない。

 下関と福岡とは、関門海峡という海を挟んではいるが、〝通勤圏〟である。

 この後、山田が警察当局に補足されるのは、「林一家」の構成員としてである。林一家とは聞き慣れないが、それも無理はない。かつて横須賀界隈を拠点として展開した林喜一郎率いる任侠グループで、林は稲川会最高顧問であった。この林一家の若い衆として、山田は初めて警察当局に補足されるのだ。

 この林一家の領袖、林喜一郎が死去した1985年以降、「山田初男」は表から姿を消した。

 そして、いつしか立ち現れたのが「山田慶一」である。山田の朝鮮名は朴慶鎬。おそらく、新しい通名に、「慶」の一文字を入れたのであろう。在日の人間が日本語の通名を創る場合に、当然、本名とのつながりをどこかに残す作法にもかなっている。

 この山田初男が構成員として認知されていた林喜一郎一家だが、林一家は、いわゆる〝経済ヤクザ〟のパイオニアといわれ、単なる任侠道から、現在につながる事業性へシフトする先鞭をつけたことでも知られている。

 山田初男が日本不動産専門学校で身につけた不動産取引の知識が、そうした事業性を追求する林一家で重宝された場面もあったのかもしれない。

 さらに、岡田が突き止めた「ケイヨウエンジニアリング」における山田の役員歴は貴重といえた。山田は現在まで種々に顧問の名刺を持つものの、ある時期以降、法人の役員登記欄には一切、名前を出さないからである。

 山田が〝自分の会社〟といいながら、「経営者」として正式に名前を表すのは、これまでに知られているところでは、このケイヨウエンジニアリングと、そしてもうひとつ、かつて赤坂にあった料亭・鶴仲くらいである。その他は、オーナー然とした振舞いをしながらも、決して役員欄には登場しない。

「山田は不動産には長けているが、株などの数字はまったくわからない」(小池隆一)といわれるそのあたりの偏りも、あるいはそのキャリアに由来しているのではないかとさえ思わせる。

 実際、自身にまつわる不動産の抵当のつけかたと、その転がし方、つまり不動産を、売買を経ずしてカネにする作法には山田は実に長けていて、自信を見せる。

 そして、その人脈は確かで、彩り鮮やかである。

 反面、政官財の人脈は多彩だ。

「越山会の女王」の異名を持つ佐藤昭子女史(政経調査会)、佐藤茂・川崎定徳前社長(故人)、加藤六月・衆議院議員、藤井富雄・公明元代表(東京都議)の長男・練和氏、そして葉山莞児・大成建設副社長等々。

 主催するパーティーもスケールがでかい。毎年暮れになるとホテルの大広間を借り切り、ゼネコン幹部数百人を招待して忘年会を催すという。出席者は互いに顔を見合わせ、「どんな人がよく知らないが、すごい人脈を持つ人らしい」と囁きあう。パーティーの費用の捻出方法も不明である

 だがバブルが崩壊し、自民党による圧倒的な利権政治と土建体質も多少の変革も迫られてきた昨今は、山田自身の経済状況も下降の一途を辿っているようだ。

「かつてのような神通力はもう失われつつある」(山田と20年来の知人)との声もあり、近年は赤坂の元クラブの焼肉屋の奥座敷で粛々と行われているにすぎない。

 しかし、そのスケールは異なれども、互いを知らぬ多彩な人脈こそが自身に対する求心力につながることを知悉し、そのための演出を躊躇なく駆使するあたりは、過去から現在に至るまで一貫している。

 本誌は山田氏の事業を二年以上にわたって追い続けてきた。山田氏が関与したプロジェクトの多くが不良債権と化しており、少なからぬ事業で「疑惑「の存在が囁かれてきたからだ。

 

 今年度末にかけて、銀行の不良債権処理に六兆円の公的資金が投入される。不良債権を作った責任は厳しく問われねばならない。だからこそ、山田氏には事業が頓挫したいきさつを聞きたかった。

 

 すると、思いがけないことに希望がかなった。文化学園の不祥事を取材するさなか、本人から「会ってもいい」と連絡が入ったのだ。この間、電話での取材依頼は優に一〇回を超えていた。山田氏が手掛けた東京・日の出町の山林開発の取材を始めた時から、すでに二年の歳月が経過していた。

 

 11月半ば、本誌記者は山田氏が主宰する団体の事務所におもむいた。千代田区一番町。日本交通の子会社が所有する真新しいビルの八階に山田氏は本拠を構えていた。中では七、八人の中高年の男女が働いているが、仕事の内容ははた目には分からない。

 

「環境計画研究会 山田慶一」

 

 差し出された名刺は、シンプルなものだった。ちなみに「環境計画研究会」は法人登記がされていない私的な集まりである。ただ、三年前に東京都に提出された宅地建物取引業者の資料の中に、次のような記載があった。

 

「本来、林野庁の遊休化した土地の再開発をするために(株)リスト内に設置された勉強会であり、目的を達成した現在も、ゼネコンその他不動産間連業者を集めて勉強会を開催しています」

 

 ちなみに、「リスト」の関山靖人社長は、右翼団体の「輿論社」に勤務していた経歴を持つ実業家で、山田氏の最も緊密なパートナーの一人とされる。リストと環境計画研究会は、同じビルの一室に事務所を構えていたこともある

 山田はしかし、この関山とのトラブルを抱える。これが、記事中でも言及されている東京西部の日の出町の開発を目論んだ、西東京開発をめぐる案件で、このときの反動も大きく影響したのか、ゼネコン大手の青木建設の倒産にも一役買った。西東京開発については岡田が記事中で後述する。

 山田氏の名前は、意外なところでも登場した。大沼淳・文化学園理事長の娘婿だったのだ。だからこそ、山田氏は本誌記者の動向に神経をとがらせていたのだ

 山田が子どもをもうけた〝妻〟はこれまでに都合6人に上ると見られている。

 この数は2007年、山田の実母が亡くなった葬儀の席で、初めて参列者らの目に触れ、明らかになった。

 文化学園理事長の娘は、このうちの1人で、山田はやはり子を1人設けている。だが、戸籍上の理由からか、山田は「これまで一度も結婚歴はない」と親しい者に喧伝している。つまるところ、籍を入れたことはないというのが実態のようだが、大沼の娘婿であった一時期、山田をマークするもうひとつの眼があった。

 当時の写真週刊誌『FOCUS』(新潮社・休刊)編集部である。所属記者やカメラマンは山田を追い、数々の写真を収めている。編集部が山田をマークしたのは、やはり平島栄による談合告発事件が契機だった。地下に潜っていた「初男」が「慶一」としてメディアに注視されるようになったのは、やはり平島栄事件が転機とみていいだろう。

 西松建設の平島栄、そして文化学園理事長の大沼と、常に大きな図体の後ろに身を隠すかのような生き方をしながら、徐々にその防御装置が完全には機能しなくなる。

 それは、関わる事業の大きさというよりはむしろ、自民党による圧倒的で絶対的な支配構造がほころびを見せ始める、時代構造と社会情勢の変化に曝されていたと読むほうが自然なのかもしれない。

 だが、自民党を背景に、山田らは「日本」を掘り起こし続けようとした。そこに、実はもっとも大きな落とし穴が待っていた。そして、その穴の底には亀裂が見えていた……。

 週刊東洋経済の岡田はついにその山田と対面する。

 山田氏に聞きたいことは山ほどあった。まず第一に「平島事件」の真相。次に、三〇〇億円が注ぎ込まれた東京・日の出町の山林開発事業の挫折の軌跡。そして、汐留地区での再開発事業の行方。そして文化学園の一件である。

 

「私の周りをあれこれお調べのようですね。私に何を聞きたいんですか」

 

 山田氏は、一瞬当惑した表情を浮かべながら切り出した。そしてすぐさま苦言を呈した。
「あなた方は以前、私が関係する『西東京開発』に七〇億円の使途不明金があると書きましたね。そんなカネは一銭もありません。きちんと調べてください」

 

「西東京開発」とは、東京・日の出町の山林開発を目的に設立されたプロジェクト会社である。青木建設、熊谷組、ハザマ、五洋建設などゼネコン六社が三〇〇億円近い債務を連帯保証したものの、事業は行き詰まった(本誌『96年10月5日号』参照)。

「そんなはずないでしょう。こちらも関係者を取材しています」

 

 記者が食い下がると、山田氏は興味深い発言をした。

「使途不明金はないのです。(住宅・都市整備公団出身の)元社長が目的外の事業に使ったカネが約三〇億円ありましたがね。原宿で土地建物を買ったんです」

 

 記者は思わず息を呑んだ。

 

「ですが、すでに時効です」

 

 山田氏はこう締めくくった

 山田の口からいみじくも洩れた「時効」という言葉。山田がしばしば表舞台から姿を消す時、民法上の時効がつきまとう。

 それが果して「時効成立」を待つための意図した行為なのかどうかはわからないが、山田が看板を下ろして、あるいは息を潜めている間に、しばしば多くの「時効」が成立し、関係者らは路頭に迷う。

 小池隆一もまた、山田の時効主張を目撃したことがある。関係者が歯ぎしりしたときにはすでに時効は成立し、そして刑法上の訴追を受けることもまずない。そうした関係者らの心理には、山田との〝共益関係を築かされてしまったのではないか〟という一抹にして大きな不安が必ず植え付けられているからである。

「山田の手口には、そうした共犯心理を共有させるところにひとつの特徴がある」(小池)のだ。それを、しかし、商売上手と呼ぶには、いささか無邪気が過ぎるだろう。山田以外の周辺関係者はそれによって、事業、そして企業、そして詰まるところは個人の生活が破綻するなどして、決定的な犠牲を生むからだ。

 山田がしかし、偶然ではなく、「時効」という概念をしっかり認識していることの言質をとった岡田との対峙は続く。

(第17回につづく)

2017年2月17日

プロ野球B級ニュース事件簿2016⑭ファーム篇

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 当り前だが、プロとアマの差はカネ、つまり生計を立てるか否かという問題に集約される。だからこそ本質的には、1軍と2軍の必死さに、変りはないはずだ。

 いや、生存競争という観点では、2軍の方が強烈で当然だ。ならば、選手を巡るドラマも、2軍の方が劇的だということにはならないだろうか。

「プロ野球B級ニュース事件簿2016」の第14回は「ファーム篇」だ。1軍を目指して必死──という選手だけではないところが、2軍の奥深さだろう。

①打撃投手は70歳
池田重喜(ロッテ)
②甲子園エースの豪華継投
松坂大輔(ソフトバンク)
③2軍で珍デビュー
高橋純平(ソフトバンク)
④東大相手に6回7失点炎上
桜井俊貴(巨人)

の4選手のエピソードをご紹介したい。
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【著者】久保田龍雄
【写真】2014年12月、ソフトバンクホークス新入団記者会見での松坂大輔。福岡ソフトバンクホークス公式サイトより
http://www.ustream.tv/recorded/56131041
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■まさに古来稀なり 球界最高齢の打撃投手は70歳!

池田重喜(ロッテ)

 

 打撃投手が古希なのだ。

 5月1日に70歳の誕生日を迎えたロッテの池田重喜・寮長兼打撃投手は、31歳で現役を引退し、53歳のときに寮長になった。

 だが、2軍の練習で若手選手に投げつづけ、抜群のコントロールを披露。「その歳でこれだけ投げられるのなら」と、12年から2軍打撃投手との兼務も始まった。

 大洋(現・DeNA)時代の69年4月13日の阪神戦(甲子園)で、ルーキーの田淵幸一にプロ初安打、初打点となるプロ1号を打たれたが、6回1/3をこの1点だけに抑えた。

 V9巨人時代のONとも対決し、ロッテ時代の米キャンプでは、若き日のレジー・ジャクソンを4打数4三振に抑えたことも。そんな輝かしい戦績を持つ男が、背番号「110」の打撃投手としてバリバリ投げつづけた。奇跡と言えるだろう。

「体が動くのは、両親が強い体に産んでくれたお蔭。ここまでやらせていただいているマリーンズに感謝をしています」

と言う本人だが、日々続けている自己管理の徹底ぶりも見逃せない。

 投球動作は腰に負担がかかるため、腹筋は1日500回、ウォーキングも1万5000歩以上が日課。食事も「暴飲暴食せずに、腹八分目で済ませる」という。そのお陰で四十肩とも無縁に〝若々しい肉体〟を保ちつづけているのだ。

 70回目の誕生日となったこの日も、ロッテ浦和球場で青松慶侑、井上晴哉、肘井竜蔵の3人を相手に74球を投げた。

 昨夏の甲子園準優勝・仙台育英高出身のドラ1ルーキー・平沢大河も、新人合同自主トレで〝初対戦〟し、3本の柵越えを放って以来、お世話になっている一人。

「最初にお会いした時に、あの年で投げていると聞いて、『マジっすか?』と思いました。70歳といえば自分のおじいさんぐらいの年。コントロールがよく、テンポよく投げていただいている。本当に打ちやすい。1軍で活躍することが一番の恩返しになると思っています」(5月2日付・日刊スポーツ)

 その平沢も同11日のソフトバンク戦(ヤフオクドーム)で待望の1軍デビューをはたした。

「(1軍に上がった)選手たちが活躍したときの嬉しい気持ちが活力になる」という「裏方のレジェンド」は、シーズン後に球団から契約終了を告げられ、ついに退団。「この年までやれて、球団には感謝の言葉しかない」と笑顔でプロ野球人生に終止符を打った。

 

■2軍戦で実現 甲子園春夏連覇エース2人の豪華継投で7回をゼロ封

松坂大輔(ソフトバンク)
5月4日 オリックスvsソフトバンク(タマホームスタジアム筑後)

 

 甲子園で春夏連覇を達成したV腕が2人も在籍しているチームはどこか?

 高校野球ファンなら、即座に答えられるはずだ。

 答えはソフトバンク。98年に春夏連覇の横浜高のエース・松坂大輔と10年に春夏連覇の興南高のトルネード左腕・島袋洋奨が在籍しているのだ。

 松坂はメジャーから日本球界復帰、島袋は中大からドラフト5位入団と立場は違っても、15年に揃ってソフトバンクに入団した同期生である。

 しかし、同年に右肩手術を受けた松坂は、2軍で登板わずか1試合に終わり、島袋も終盤に1軍で2試合リリーフ登板しただけと、かつての活躍を知る者には寂しい1年目となった。

 16年も揃って2軍で開幕を迎え、4月27日の中日戦(ナゴヤ)でV腕2人の豪華継投が2年目にして初めて実現した。

 高校野球の長い歴史の中でも春夏連覇を達成したのは7校だけ。2軍戦とはいえ、春夏優勝投手の継投は史上初の快挙と言えるが、残念ながら、試合は1対4で敗れ、4回5安打3失点の先発・松坂は負け投手に。せっかくの〝お披露目〟を飾ることができなかった。

 だが、5月4日のオリックス戦(タマホームスタジアム筑後)では、この年2度目の豪華リレーが見事にハマる。

 先発・松坂は4回2死満塁のピンチにブランコを3球三振に仕留めるなど、4回を2安打無失点。1点リードで迎えた5回から松坂をリリーフした島袋も7回に1死三塁のピンチを招いたものの、3回を2安打無失点。2人で7回をゼロ封し、1対0で逃げ切り勝ち。高校野球ファンには嬉しい一日となったが、1軍への道はまだ険しかった。

 松坂はシーズン最終戦、10月2日の楽天戦(コボスタ宮城)に合わせて1軍登録され、8回裏、西武時代の06年10月7日のプレーオフ第1戦(ソフトバンク戦)以来10年ぶりの登板をはたしたが、制球が定まらず、1回を3安打2四死球5失点。島袋も1軍に上がることなく、2勝7敗1セーブ、防御率5.51でシーズンを終え、3年目の17年は2人揃って背水の陣となる。

 今年は2人とも1軍で結果を残し、交流戦の阪神戦で、12年の春夏連覇投手・藤浪晋太郎(大阪桐蔭高)との春夏連覇同士対決をぜひ実現させてほしいというのが、ファンの切なる願いだが……。

 

■ボーク球を本塁打 期待のドラ1ルーキーが2軍で珍デビュー!

高橋純平(ソフトバンク)
5月28日 広島vsソフトバンク(タマホームスタジアム筑後)

 

 ソフトバンクのドラフト1位ルーキー・高橋純平が5月28日のウエスタン、広島戦(タマホームスタジアム筑後)で今季初登板をはたした。

 開幕1軍を期待されたが、1月の新人合同自主トレ初日に左すねの張りを訴えてリタイア。リハビリの影響で大幅に出遅れ、開幕から2ヶ月を過ぎて、ようやく2軍デビューと相成ったしだい。実戦登板は15年9月のU-18ワールドカップ、キューバ戦以来、266日ぶりだった。

 2軍戦とはいえ、話題のルーキーの初登板をひと目見ようと、小雨の降るあいにくの天気のなか、スタンドは満員の3113人で埋め尽くされた。

 3回から摂津正をリリーフした高橋は、先頭の9番・中村亘を146キロで遊ゴロに打ち取る。だが、次打者・野間峻祥にスプリットを中前安打され、プロの洗礼。そして、2番・庄司隼人の打席で、B級ニュースファンにとっておきの珍ネタを提供する羽目になった。1ボールから庄司に対する2球目、静止時間の短いクイックモーションが梅木謙一球審に「ボーク」と宣告されたのだ。

 通常なら野間がテイク・ワンベースで1死二塁から試合再開となるところだが、庄司のバットが142キロの内角直球を鋭くとらえ、右越えに運んだことから、話がややこしくなった。

 打者が安打や四死球、失策などで一塁に達し、走者すべてが1つ以上進塁した場合は、ボークに関係なくインプレーになる。つまり、庄司のホームランも記録に残るというわけ。思わぬ形でプロ初被弾と2失点がついてしまった。

 高橋は「投げる途中からボークとわかって、(力を)抜いてしまいました。ルールは後から知りました」と不用意な1球を悔やんだが、気持ちを引きずることなく、次打者・ブライディを3球連続の145キロで空振り三振、4番・ルナを147キロで右飛と大物の片鱗を見せつけたのはさすがだった。

 4回も安打と2四球で2死満塁のピンチを招いたものの、プロ初安打を許した野間を二直に打ち取ってリベンジ。2回を被安打3、与四球2、奪三振2の失点2。「〝ボークラン〟さえなければ……」と1球の怖さを肌で思い知らされたデビュー戦でもあった。

 16年はウエスタンで7試合に登板。2勝1敗、防御率2.22の成績を残したが、1軍デビューは2年目に持ち越しとなった。

 

■真夏の珍事!? 巨人のドラ1右腕が東大相手に6回7失点炎上

桜井俊貴(巨人)
8月25日 巨人3軍vs東大(東大球場)

 

 東大野球部が強くなったのか?

 それとも巨人が不甲斐ないのか?

 真夏の珍事とも言うべき仰天ニュースが飛び込んできたのは8月25日だった。

 この日、巨人は交流試合で東大と対戦したが、乱打戦の末、12対8の辛勝というまさかの結果となった。

 東大といえば、東京六大学リーグ戦で37季連続最下位。16年春はプロ注目の最速150キロ左腕・宮台康平(3年)の快投もあり、3勝を挙げた。

 だが3軍とはいえ、プロが手こずるような相手ではないはず。巨人ファンならずとも「一体何があったんだ?」と首を捻るところだ。

 大苦戦の原因は、巨人先発のドラ1右腕・桜井俊貴の乱調だった。プロ初登板となった3月30日のDeNA戦(横浜)の試合後に右肘の張りを訴えて登録抹消されて以来、3ヶ月半にわたって3軍で調整し、7月16日のBC富山戦(富山市民)で実戦復帰をはたしたばかり。試合の勘はまだ戻っていないものの、学生相手なら〝プロの顔〟でそれなりに抑えてくれるものと思われた。

 ところが、そんな〝未来のエース〟に東大打線が牙をむいて襲いかかる。初回から4回まで2点、1点、3点、1点と毎回得点。5、6回こそ無失点に抑え、計9三振を奪ったものの、毎回の11安打、7失点は、信じられないような炎上ぶりだった。

 初回の自らの野選に味方の拙守や塁審に打球が当たって中前安打になる不運も重なったとはいえ、東大の各打者は桜井のストレートに対応し、的確にとらえていた。

「直球がイメージと違う。全体的に球が高い。それが打たれた原因だと思う」(桜井)

 この日、立岡宗一郎が「1番レフト」で出場するなど支配下選手5人を起用した巨人は、7対7の6回に2点を勝ち越し、やっとの思いで打ち勝ったが、東大はエース・宮台がコンディション不良で登板回避。しかも、巨人はDHを使っているのに、東大はリーグ戦同様DHなし。これでは勝っても後味が悪かっただろう。

 一方、巨人に大善戦して自信をつけた東大も、秋季リーグでは宮台が左肩の疲労感から1試合しか登板できず、1勝10敗。38季連続最下位に終わった。

 だが、東大初のドラ1の期待もかかる宮台が復調すれば、17年は最下位脱出どころか、4位以上も夢ではない。今年も交流戦が組まれたら、巨人は2年連続で新聞ネタを提供という事態だけは避けたいところ?

(無料記事・了)

2017年2月16日

【無料連載】『哀しき総会屋・小池隆一』第15回「人間不信」

‰Æ‘î‘{õ‚Ì‚½‚߁AuƒpƒVƒtƒBƒbƒNƒRƒ“ƒTƒ‹ƒ^ƒ“ƒcƒCƒ“ƒ^[ƒiƒVƒ‡ƒiƒ‹v‚̃Oƒ‹[ƒvŠé‹Æ‚ª“ü‚éƒrƒ‹‚É“ü‚é“Œ‹ž’nŒŸ‚ÌŒWŠ¯‚灁‚P‚V“úŒß‘OA“Œ‹ž“sç‘ã“c‹æ

(承前)「貧乏の極にある」「奈落の底に落ち込むようでした」

 こうした小池の言葉は決して、貸した金を返してもらうためのハッタリや演技ではなかった。山田慶一に繰り返し金を貸し続け、返済の埒が空かないことが判明しても、小池は山田を責め立て、追い込むようなことはしなかった。

 山田にも真摯な部分があるはずだと一縷の望みをつなぎ、自分の生活費をやりくりするため、郷里・新潟県加茂市の土地などを売り払った。

 だが遂に「貧乏の極みに達し」てしまったのだった。手紙の引用を続けよう。

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【著者】田中広美(ジャーナリスト)
【写真】2007年10月、家宅捜索のため、「パシフィックコンサルタンツインターナショナル」のグループ企業が入るビルに入る東京地検の係官ら(撮影 共同通信)
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 「山田には連絡は付きません。」との事でしたので、霧島さんに事情を話したところ、霧島さんは「私が車を運転して羽田飛行場まで迎えに行って、お二人を病院までお届け致しますし、山田には私の方から、ちゃんと報告しますので、必ず責任を持って病院までお届けします。」と言って下さったので、私は霧島さんに甘えてお願いを致しました。

 その日の夕方、貴殿から電話があり、私は霧島さんにお世話になったことを報告し、貴殿に連絡が付かないまま、つまり、貴殿の了解無しに勝手に霧島さんに物事を頼み、車と時間を使わせて拘束してしまったことをお詫び申し上げ、感謝の言葉を貴殿に申し述べました。 

 これに対して貴殿の方からは、この霧島さんを勝手に使ったことを心良く了解する言葉と、病院の費用の工面をもう少し待ってくれという短いお話しがありましたので、私としては、霧島さんとの事が有った話しの後なので「解りました、お待ちしますので宜しくお願い致します。」としか答えられませんでした

 不義理の限りを尽くす相手、その運転手の善意に対して、誠心誠意の謝罪と感謝の言葉を書き連ねる。そんな小池を笑う人もいるだろう。だが、いくら嘲笑されようと、小池とはそんな男なのだ。だからこそ、小池と付き合った企業の総務担当者に、事件後も小池を慕う者がいるのも納得がいく。

 相手を決して不愉快にさせない。そのためには細心の気配りを行う。そんな小池の態度を計略的、作為的と見る者もいる。確かに、様々な経験を通して後天的に獲得した作法かもしれないが、それを死ぬまで貫けば、そうした性格は「天賦」のものだと言えるのではないだろうか。

「深い人間不信」に陥る小池隆一

 小池の記憶は驚くほど細部まで鮮明だ。そして恐ろしいほど几帳面な性格が、それを強化している。山田との一件だけでなく、自身が関わったこと、自身の耳に入ってきた情報は会話も含めて極めて細かく整理し、メモを作成している。

 その積み重ねは、取材を生業とする新聞記者や週刊誌記者、編集者などのノートやメモでさえも敵わないほど、詳細で丁寧なのだ。 

 しかもメモは、やりとりが行われたり、場面を見聞したりした直後にファイリングされている。正確性は極めて高く、録音に等しいレベルだ。

 だからこそ小池の回想は、思い込みや勘違いが非常に少なく、再現性と信憑性が高いように思えるのだ。

 山田に送った手紙にも含まれているが、場面の再現が非常に細かい。なるほど、小池らしい正確性なのだ。だからこそ一層、小池が追い詰められた状況は不憫に思える。自身の記憶を手紙に記すという作業は、辛い内容ならば残酷なものに違いない。

 小池は鈍感ではない。手紙を書くことが、身を切るように辛い記憶を鮮明に蘇らせることを充分に理解してもなお、手紙をしたためようとしたのだ。そこには「哀願」より、強い怒りがあっただろう。静かなる怒りが、遂に小池を動かしたのだ。

 この直筆の内容証明郵便が18枚にも及んでいるという分量にも、そうした「気」が現れているし、書き綴った内容には「覚悟」が満ちている。

 手紙はさらに、切実さを増す。

ところが、その翌日十六日朝、貴殿の方から電話があり「持って来る事になっている人が後から来るから、今日の三時過ぎには連絡します。遅くとも夕方までには連絡しますのでお待ち下さい。」と短い話しで電話が切れました。

 私は正直のところ、助かった、これで何とかなると素直に嬉しかったです。

 ところが、夕方を過ぎても電話が無いので、少々遅くまで何回も何回も私の方から貴殿の携帯電話に連絡をしましたが、何時も留守番電話になっていました。もちろんメッセージは「電話連絡をお待ちしています。」と吹き込んでおきました。

 そして翌二月十七日には、貴殿の方から前日十六日と同じように「昨日は連絡できなくてすみませんでした。今日もう一日待ってて下さい。夕方には連絡しますから、いまチョットお客さんでバタバタしているから」と言って電話が切れました。

 それ以後十八日の土曜日から二十三日の木曜日まで毎日毎日、何回も何回も携帯電話に連絡しても、銀座の事務所に連絡しても、自宅に連絡しても、一切連絡が取れないということで、互いの会話が成り立ちません。

 もちろん貴殿の携帯の留守番電話には「お電話下さい。お待ち致しております。」とメッセージを入れておりますし、二十二日には、「本日、胃癌の手術が終って、現在ICUに入っています。」という事も吹き込んでおります。

 そして、私としては、もう「これは駄目なのかな」という深い人間不信に落ち込んでしまいそうになった、そのとき、二月二十四日金曜日、午前十時三十一分に貴殿の携帯電話から電話があり、「何回も電話を頂いていたことは承知していましたが、電話できなくて済みません。いまお客さんなので三時過ぎにもう一度電話します。」と言って切れました。しかし例によって、それ以後、全く電話は有りません。

 この時、私が思ったことは、何時も「現在バタバタしているから後で電話を架け直すから」とか「いまお客さんなので後程電話します」とか「いま電車の中だから後程もう一度電話するから」等々、色々な場面を口実に何時も電話で話し合う姿勢が全く無く、直ぐに切られてしまうことばかりだなという事です。

 当然、私は貴殿のお仕事の邪魔をしてはイケナイとか、お話しできない状況であれば仕方のない事として、直ちに「それでは後程、電話をお待ちしています」「後程とは何時頃でしょうか?」と確認したり、「ではお待ちしますので夜中でも朝方でも一日二十四時間、何時でも、御都合の良い時にお電話を下さい。ですから必ず下さいョ。」と念を押したり致しますが、それでも、ほとんどお約束した筈の後程の電話はありません。

 しかし、このような、貴殿の方から電話を架けて寄越しながら「いまお客さんだから」とか「いまバタバタしているから」いう科白でサッサと電話を切ってしまい、架けた相手、つまり私に話しをする余裕も時間も与えず、極く短時間で電話を切り上げるという事は、私にとって甚だ失礼な電話であると存じます。日頃から、私は貴殿には「夜中でも朝方でも一日二十四時間、何時でも都合の良い時に、十分に話しができる時に電話を下さい。」と昔から言い続けております。貴殿は私のそうした姿勢・考え方を十分に承知しているにも拘らず、それが実行されることは、ほとんど有りません

実は「詐欺師」への免疫が存在しなかった小池隆一

 山田から希望を繋ぐ言葉だけであしらわれている最中に──さすがに極度の不安が募っていたのだろう──私の携帯に小池からの着信回数が増えた。

 意外に思われるかもしれないが、小池は「明白な虚偽」に対しては免疫に乏しかった。総会屋も、それこそ任侠の世界でも、一般社会と異なる内容かもしれないが、「質実と信頼」で成り立っているのだ。

 約束は守る。義理は果たす。この掟を破った者は信用を失い、世界で〝抹殺〟される。それが小池の前半生を占める世界の作法だった。まして、虚言を弄して相手を窮地に陥れ、それに頬っ被りするなどという人間は企業社会を含め、これまで小池が渡り合ってきた人間の中には皆無に近かった。

 もちろん任侠社会で約束を守らなければ、相応の痛手や報復が待っている。企業社会でも同様のことをすれば、経営者は自らの地位を失う危険性がある。手形が代表的だが、何よりも信用で成り立っている世界なのだ。

 ある種の盲点だったのかもしれない。「後程電話します」「夕方までには用意できます」などと嘘を言い、延々とシラを切ることができる人間。そんな相手と小池は取引を行ったことがなかった。

 鹿児島で山田からの連絡を、ひたすら必死に待ち続けている間、小池は1本の記事を目にする。

在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)は20日、中央常任委員会議長の徐萬述(ソ・マンスル)氏が19日に心不全のため自宅で死去したと発表した。84歳だった。25日午前11時から東京都千代田区富士見2の14の15の朝鮮会館で朝鮮総連葬を行う。葬儀委員長は許宗萬(ホ・ジョンマン)・朝鮮総連中央常任委員会責任副議長。

 ここ数年は病気のため、自宅で療養していたという。韓国慶尚北道出身で、1941年に日本に入国。総連幹部の人事などを扱う旧組織局などで活躍。2001年5月に第1副議長から議長に昇格。小泉純一郎元首相と故金正日(キム・ジョンイル)総書記による2度にわたる日朝首脳会談の実現や「在日本大韓民国民団」(民団)との一時的な和解などに関与した。

 許責任副議長が政策決定などに影響力をふるう一方、徐氏は今年1月、北朝鮮の金永南(キム・ヨンナム)最高人民会議常任委員長からの新年の祝電を受け取るなど、対外的な窓口役を務めてきた。総連内部では、議長席は当面空席になるとの観測が出ている。

 徐氏は、北朝鮮の国会議員にあたる最高人民会議代議員も務めた。日本政府は対北朝鮮制裁の一環として、代議員が北朝鮮に渡航した場合、日本への再入国を認めない措置を取っている。日本政府関係者によれば、徐氏は昨年12月に金正日総書記が死去した際に訪朝を希望したが、制裁措置のため断念したという
(2012年2月20日付朝日新聞デジタル版より)

 新聞記事をベタ記事に至るまで隅から隅まで目を通す小池は、この記事に目を留めた。

 うんともすんとも連絡してこない山田の行方について様々に頭を巡らせていたのだろう。なおも、決定的に山田に〝騙された〟とは思いたくはない。むしろ、すでにそれで済む状況ではない。妻と義理の母はすでに手術のために東京に行き、入院している。当座、その支払いが確実に迫って来ていた。

 もとより、形ばかりは山田にお金の工面を〝哀願〟するかのようにへりくだってはいるが、むしろ山田にこれまで工面してきたのは小池の側だった。しかし、そうした立場を決して振り回さないのが小池の作法である。

 記事を見て、小池はこう考え、私に告げた。

「記事を見て気付いたんだけど、朝鮮総連の最高幹部が亡くなったって出てる。だとすると、山田さんは今、電話をかけたくともかけられない状況にあるんじゃないかと思うんだ。最高幹部が亡くなったんだから、おそらく市ヶ谷の朝鮮総連の本部にぐーっと詰めてるんじゃないかな」

 私は、その時ばかりは小池に無情な応答をしてしまった。恐らく、小池自身が自分でも疑問に思いながら、それでも一縷の望みを繋ぐために話していたのだろう。同じ立場に直面すれば、誰でもそうなるに違いない。だが私は小池の希望を立ち切ろうとした。

「小池さん、それはないと思いますね。確かに彼は在日で、警察当局もその金の流れを追いかけ続けています。仮に在日であり、北系であったとしても、とりわけ警察の眼だけはことごとく嫌って、足のつくことだけは避けて生きてきた人間が、今、公安当局の監視が一層厳重になっているはずの総連本部に出入りして、ましてやそこに詰めているなんていうのはちょっと考えにくいですよ。それに……もし仮に詰めていたとしても、一本の電話もできない状況というのはありうるのでしょうか」

 こう告げると、小池はちょっと間をおいて、「それはそうだな……」と呟いた。

 小池は、私が言ったような「常識的な言葉」を求めているはずもなかった。少しでも長く、自身に希望があるという可能性を、自分で鼓舞したかっただけなのだ。小池の呟きを聞いた瞬間、私は「しまった」と思った。小池を更に落ち込ませてしまう、無神経な言葉を吐いてしまった。申し訳ないことをしたと反省した。

 小池は内容証明に自身で記している通り、昼夜を問わず、電話がかかってくれば、よほどのことが無い限り自分の都合を押してでも、相手の気持ちと言葉に誠実に向き合う。後述するが、2007年暮れにかけて山田が東京地検特捜部の連日の聴取を受け、まもなく〝完落ち〟寸前になりかけたときでさえ、山田を救ったのは、弁護士の内野経一郎ではなく、自身も逮捕という憂き目に遭い、そして特捜部の捜査を受けた経験のある小池であったのかもしれない。

 だからこそ、弁護士である内野でさえ、最後は「小池さん、あんたから山田さんに話をしてやってくれないか」と小池を恃んできたのでもあろう。だが、その時とて、小池は結果的には裏切られていた。

東京地検特捜部VS山田慶一「攻防戦」での「助け船」

 山田は特捜部が睨む、パシコン側から山田にカネが流れたのではないかという点については、毎日、朝晩の電話で心を預けて見せた小池に対してさえ完全に否定してみせ、小池も、山田が「善意の第三者である」と思えばこそ、山田からの相談に、昼夜を問わずに乗ってきた。

 しかし後に、追究の意志を固め、検察側の冒頭陳述書を入手した小池は、山田がパシコン側からカネを受け取っていたことを知る。さらに、それは1回ならず、継続して受け取り続けていたことを知るのだった。

 小池がその「欺瞞」を知るのは、2012年夏のことであり、山田が「電話をする」と言いながら、小池を翻弄し続けていた12年2月からさらに半年後のことであった。

 だが、内容証明をしたためた2月の時点でも、小池のなかには当然、これまでの山田の〝恃み〟に対して自分は精いっぱい応えてきたという感覚は当然にあった。それをあたかも愚弄するかのごとき、不誠実な対応が小池にはさっぱり理解できない。

<私に言わせれば、お客さんが居る時やバタバタしている時に、何故電話をしてくるのでしょうか?しかも私の方に貴殿に大切な、重要なお話しが有ることを承知していながら、さらには、私が貴殿に重要な用件をお伝えしており、その答えを首を長くして待っている私の心情を十分に承知していながら、何時も会話を十分にできない極く極く短時間で電話を切られるのか非常に疑問に思っております。

 しかし一方で、貴殿は時々、私の携帯電話に電話を架けてきて、「携帯電話では、盗聴されると困るので私も私の固定電話から小池さんの固定電話の方へ架け直しますから、何番の方へ架けたらいいでしょうか?」と言ってきて、架け直された固定電話での話しは、なるほど、これは他人様には、とりわけ捜査当局には聞かれたくない話しだなという内容の話しを長々とされて、私に意見を求めたり、判断を求めたり、知恵を絞らせたり、アイディアを出させたりしたことがしばしば有りましたが、貴殿は御自分の大切な話しは時間に関係なく、盗聴を警戒しながら長時間話されることも、ちゃんと実行されてるくせに、他人つまり私の大切な話しは、聞きたくない、結論を出したくない、返事をハッキリと言葉で伝えたくない、放って置けというかの如き電話の対応ではありませんか?

 こうした事は、今回に限らず、ここ三~四年前から特に顕著な貴殿の対応スタイルで、貴殿の電話の際の方程式のようなパターンです。

 それでも私は今日まで貴殿を信じて疑わずに、自分の信念をブレることなく今日まで頑張って参りました>

 12年4月26日付で内容証明郵便で送付されたこの手紙に対して、山田は回答してくることはなかった。たまりかねて電話をかけた小池に山田はこう言い放つ。

「そんなもの、読んでませんよ」

 そして、回答を拒絶したともとれる山田の電話からほどなく、小池のところに珍しい電話が入った。弁護士の内野経一郎だった。小池は不穏なものを感じ取った。

「小池さん、最近はね、暴対法の改正だとか、条例の強化だとかで、暴力団が表の世界からは消えていくように見えるけれども、それは結局、うまくかたちを変えて一般の企業にむしろ潜りこんでいるような状況なんだな」

 小池には、唐突とも思えるその内野の言葉を瞬時に理解した。

「なるほど、小池、おまえもすねに傷があるんだろう。だったらあまり騒がずに静かにしておれよと、そういうことを匂わせているんだなと思いましたよ。内野先生は頭がいいですからね」

 そして、次の言葉が小池のなかに決定的に突き刺さる。

「小池さん、あんたは私のホワイトナイト(救援者)になってくれる人だと思ってたんだけどなあ」

 それを聞いて、小池はこう確信した。

「小池よ、おまえあまり山田に触るなよ、と、まあ、そういうことでしょう」

 しかし、小池の腹は決まっていた。

「世の理というものはね、軽い木の葉が水に浮かんで、重い石は沈んでしまうんですね。でもね、今、私が陥った状況は、何にも悪いことをしていない私という木の葉が沈んで、むしろ私を食い物にした石が浮かんでしまっている状況です。木の葉を沈めて石が浮かび続けて延命するなんていうのは道理に反する。石が浮かんで木の葉が沈むという不条理を私は見過ごしませんよ。たとえ、あの小池が、と言われようとも、私はそれを見過ごしません。そんな不条理がまかり通れば、社会はおかしいことになる」

 石が浮かんで木の葉が沈む――。小池は2012年、自身、70歳になろうとする瞬間、そんな過酷さのなかにいた。

8億円を運んだ男と、中曽根の秘書と、そして千代田区長と

「あの、わたし、8億円を運んだことありますがね、運べるものですね。キャスター付きのバッグに入れて。東京駅前をですね。運べるものですね。重いです。重いですけど、運べるものです」

 並大抵のことでは驚かないであろう、居並ぶ紳士たちも、酔狂の言葉だけとも思えないその情景のリアリティーに、さすがに固唾を呑んだ。

 民主党の樽床伸二を招いての一席が設けられる以前の09年12月、東京・赤坂の焼肉料理屋・牛村の奥の座敷で、参集した紳士らを前に、こんな話が繰り広げられる。かつて名だたる企業のトップを務めた者たちばかりの席だ。しかし、だからこそ、億単位の現金に自ら手を下した経験などないのかもしれない。

「えー、8億ってバッグに入るの?」

 形を変えた追従さながらに、親しげに驚きの声をあげてへりくだってみせる紳士らがいる。

「えー、入ります」

 身振り手振りで、1億はこれくらい、8億はこんなものと、腕を広げてみせる。

 そこに1人の男が現れる。地下1階のその店に入るのにはいささか難儀であったかもしれない。杖をつき、弱った脚を庇っている。

 しかし、そのがっしりした肩幅だけではなく、男がまとう空気は、柔らかくとも、どこか強さに満ちている。

 男は名刺を取り出して、初対面の者たちに名刺を差し出す。決して大仰にではなく、さりげなくスマートに、かつ嫌みなく。そこには、男の自信と、そして長いキャリアが顕れて見える。

『劇団四季 顧問 筑比地康夫』──。

 とっさに、〝8億をキャスターで運んだ男〟が、名刺交換した紳士らに紹介する。

「中曽根さんの元秘書よ」

「浅利慶太の劇団四季」に留めておいては、その男を登場させた〝8億をキャスターで運んだ男〟、山田慶一の面目が立たないとでもいうように、山田はすぐに、元首相、中曽根康弘の名前を上げる。

 あっ、という声にならない声とともに再びツバを吞む紳士らがそこにはいる。

 あの中曽根元総理の側近がいる。会に呼ばれた者がそう思った瞬間、山田を知らぬ者は一瞬にして山田の〝凄さ〟を知る。そんな仕掛けなのかもしれない。他人の信用で自身の信用を創る。そんな手腕で叩き上げ、這い上がってきた人間らしい振舞いであり、作法であろう。

 時折、カウンターの奥から隙なく細く黒いアイラインを引いたママが顕れ、会の主宰者であろう、山田に話しかける。韓国語だ……。

 しかし、山田は一切、そのママとは目を合わせようとしない。それどころか、話しかけているママのほうに顔を傾けようとさえしない。まるで自身の横には誰もいないかのように、である。

 そして、その山田の異変にようやく気付いたのか。ママの口から耳慣れた言葉が洩れた。

「……持って来ましょうか」

 初めて山田は頷いた。山田が朝鮮人であることは、おそらく居並ぶ紳士らで知らぬ者はいないであろう。すでにその名はウェブサイト上にも溢れ、本名である朝鮮名も〝報道〟されている。しかし、本人が在日であることをあえて語らない以上、山田と相対する者たちがそれをあえて言葉にする必要はない。

 その店のママは、かつて山田の〝これ〟だったと、小指を立てて教える者があった。
 
 ママは山田との間では、いつもの朝鮮語で話しかけてしまったのだろう。しかし、それに朝鮮語で応じることは、山田にとっては恥をかかせられるようなものだったのかもしれない。

 ようやく日本語で何事かを話すやいなや、ママが素早くその場を去ったのと同時に、山田が大きな声で参集した一同に再び話しかけた。

「さあ、皆さん、冷めちゃいますよ。そっち、お酒、足りてますか。お肉、とる? なんでも言ってくださいね」

 韓国語で話しかけるママの横でこわばった顔を崩さなかった山田に再び愛想が戻り、相好を崩す。
 
そこへ、店の従業員だろう、10代に見えなくもない若い女性が慣れない手つきで、盆に水割り用の氷を載せて山田の脇に滑り込む。先ほどまで、ママの語りかけを執拗に無視していた山田のもとにあてがわれたかの如き、うら若い女性の登場に、山田は打って変わって舐めるような視線を注いだ。

 そしてこう言った。

「かわいいねえ―」

 首をかしげてもう一言。

「かわいいねえー」

 若い女性もやはり朝鮮の女性だろうか。細面で脚は長く、すらっとしたその姿は、いかにも日本人離れした美しさに見える。若さだけではない、伝統的な美形を醸している。

 盆から渡した氷受けを受け取り、その場を去ろうとする背中を、山田の視線はまだ追っていた。

 女もあまりの直截的な眼差しに照れたのだろうか。カウンターに走り戻ると、カウンターの内側にいた若い男と朝鮮語で二言、三言、笑いながら言葉を交わした。

 その日、山田が常々付き合いがある者を集めて忘年会を開くとの情報を得ていた捜査筋の男女2人は、開け放った座敷から僅かの距離にあるテーブル席で、飛び込み客などほとんどいないであろうその店の一隅に交代に飛び込み、この宴に参集する人間たちの様子を伺っていた。

 山田たちはすっかり出来あがり、そこに自分たちを監視する者がいることにはまったく気付いていないようだった。

 座敷2つをつなげられた宴会は続く。若い従業員にねっとりした視線を送っていたのに気付いたのだろうか。初老の紳士の声が響いた。

「山ちゃんは、奥さんがいっぱいいるからなあー」と、ひときわ親しげな声が上がる。

 東京都千代田区の区長、石川雅巳だ。

(第16回につづく)

2017年2月10日

プロ野球B級ニュース2016⑬とんでもハプニング

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 何しろ「プロ野球B級ニュース事件簿2016」がタイトルなのだから、A級、もしくは普通という珍プレーや好プレーが我らの対象ではないということは、ご理解頂いているに違いない。

 それにしても理論的には、スタジアムで繰り広げられるプレーは「好」か「珍」しかないはずなのだ。しかし、やはり野球は奥が深い。「ハプニング」としか形容できない場面が訪れることがある。

 いつものように厳選を重ね、その中でもB級を選んでみた。とどのつまり、「珍」も「好」も選手が原因であり、彼らが真面目であるほどに面白いわけだが、「ハプニング」に選手の責任はゼロだ。

 内容の面白さは折り紙つきだ。それだけでなく、突如、アクシデントに巻き込まれた選手たちのリアクションも見所だろう。今回の「とんでもハプニング篇」は、

①魚ッ、のハプニング
 バレンティン(ヤクルト)
②捕手も歩けばバットに当たる
 小林誠司(巨人)
③認定アウトで「B級ニュース」デビュー 
 オコエ瑠偉(楽天)
④主役不在のサヨナラ
 三輪正義(ヤクルト)

の4選手のエピソードをご紹介したい。
■――――――――――――――――――――
【著者】久保田龍雄
【購読記事の文字数】4400字
【写真】オコエ瑠偉公式Instagramより
https://www.instagram.com/louis_okoye/
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2017年2月9日

【無料連載】『哀しき総会屋・小池隆一』第14回「小池の手紙」

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(承前)2012年7月、株式会社大都市政策研究センターがある東京都中央区銀座2丁目10番18号の東京都中小企業会館と同じ所在地と、約款もほとんど変更されず、新しい「株式会社大都市政策研究センター」が設立された。

 なぜ、こんな〝トリッキー〟なことが行われたのか。銀行マンが「考えられる可能性」を解説する。

「1つは、例えば旧・大都市センターの代表取締役を辞めさせると、不都合が生じる場合です。具体的には大都市センター名義で借入金があり、代取の金子清志氏が返済の個人保証を行っている、といったケースが考えられます。旧・大都市センターでは金子清志、前川燿男の2人が代取でした。仮に金子氏が代取を辞職すると、前川氏が借入金の個人保証を行わなければなりません。それが嫌で新しい法人を作ったという経緯です」

 この分析が事実だった場合、当然ながら旧・大都市センターは、借金まみれということになる。

 私の取材に対し、大都市センターの代表取締役を務めていた前川──ご存じの通り、現在は練馬区長──は、

「あそこの従業員からクレームが多くてね。金子が支払いばかりをこっちにまわしてくるとかね。それで、仕方なくね、会社を移したんだ」

と答えた。これに銀行マンは着目する。

「もし『支払いばかりが押し付けられて』という話が本当なのであれば、もともと旧・大都市センターは損失の受け皿にするために設立したのかもしれません。負債を押し付けるペーパーカンパニーは実のところ、かなり多数存在しています」

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【著者】田中広美(ジャーナリスト)
【写真】東京都都市整備局『東京都市白書 CITY VIEW TOKYO』より
http://www.toshiseibi.metro.tokyo.jp/topics/h28/topi002_01.html
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 損失だけを引き受ける会社を作ることは、違法とは断言できないそうだ。そもそも銀行は捜査権がないため見抜けない。仮に国税の査察が入っても、帳簿上に取引記録が書かれてあれば、脱法行為と認定するのも難しい。こうした理由から、「損失専門会社」の実態を監視することは事実上、不可能なのだという。

「この旧・大都市センターの法人口座を、新・大都市センターが継続して利用している可能性も考えられます。そもそも、旧法人の名称を変更し、同じ所在地で、同じ名称の新法人を登記するというのは異常です。そこまでして表向きは同じ法人であるように見せかける必要があったわけですが、法人口座の問題は動機になり得るでしょう」

 会社の設立は比較的容易だが、法人口座の開設はマネーロンダリングの観点から現在、極めて審査が厳しくなっている。

「新会社の法人口座を作るのは簡単ではないので、旧・大都市センターと同じ名称とせざるを得なかったかもしれません。あるいは、旧センターの口座で運用中の取引が存在するため、どうしても口座だけは新法人でも引き継がなければならなかった可能性も考えられます」

 興味深いことに、2012年8月頃、東京都中小企業会館の大都市センターの事務所では、こんな場面が目撃されている。山田と金子が「社判」をめぐって諍いを展開していたのだ。

「代表印を渡すのならば、代取はおろさせてもらわなければなりません」

 文面だけでも、金子の強い決意が伝わってくる。実際、相当な剣幕だったという証言もある。さすがの山田もたじろいでいたという。「異常」は言い過ぎでも、「異様」な場面なのは間違いない。

「ただし、旧法人の法人口座を、全く別の新法人で使用する場合、銀行は絶対に問題視します。また口座の譲渡が法規に触れる可能性もあります」(同・銀行マン)

 旧・大都市センターの役員たちは一部を除き、この名称変更など「法人移行」の動きをまったく知らされていなかったのだ。

 一連のトリックを見抜いたのは、小池である。それを知った私は、眼光紙背に徹すが如き目力と、追い込まれた時の執念に驚かされた。

「法人番号が変わっている。これは新しい会社だ。企業がこういうことをするときには必ずただならぬ事情がある。そして、悪事がそこには必ずある」

 自らをしゃぶりつくした山田の身辺を、小池は執念で追っていた。

 

「他人の信頼を勝ち取る方法」を知り抜く山田慶一

 
 旧・大都市センターの役員ですら「そもそも会社設立以来、株主総会はおろか、役員会が開かれたこともない」と証言する。これが事実だとすれば、センターの異様さは一層増してくる。

 だが、大都市センターが新旧移行する中で、唯一、業態が一貫している存在がある。それが山田慶一だ。

 山田の机と事務所は、一貫して大都市センター内にあり、多くの企業関係者が呼ばれる場所も、面会する場所も、東京都中小企業会館内のこの事務所だ。

 第13回で、机の上に3億円が積まれた場面を紹介したが、その〝現場〟も、このセンターにある山田の机だった。

『【会員無料】『哀しき総会屋・小池隆一』第13回「千代田&練馬区長」の〝過去〟』
http://www.yellow-journal.jp/series/yj-00000444/

 小池が三菱商事の三桝素生、そして金子、山田との面会に指定されたのも、この東京都中小企業会館の事務所である。

 前川は、自身が代取を務める法人で、まさに社内で行われてきた策動の数々を、まったく知らないと言う。だが、その回答には決して逃げを打つだけだとは思えない信憑性が感じられた。

 実際、山田と金子が大都市センターを舞台に展開させる〝プロジェクト〟の数々は決して、思惑とスキームの全貌が他者に明かされることはないからだ。関係者は、ごく一部の事実しか明かされず、基本的には善意を悪用されて手伝うはめになる。

 もちろん、何もかもが善意を動機としているわけでもない。「山田と金子に寄り添っていれば、きっといいことがあるに違いない」「経済的なリターンも、いつかは得られる」──こんな下心も、もちろんある。

 だが恐ろしいのは、山田は言質を与えることなく、そうした善意と下心を他人から引き出すところだ。そんなマジックに、センターという〝舞台装置〟も、相当な寄与を果たしているのかもしれない。

 センターにおいて、山田はさながら最高の演出家というわけだ。さらに言えば、金子は〝出し物〟の手配師といったところだろう。

 そのひとつが連載第2回で触れた、ベトナムでの発電所入札事業という、三菱商事が関係する〝出し物〟だ。

『【連載】『哀しき総会屋・小池隆一』第2回「陰謀」──ODA・ベトナム火力発電所建設入札で〝暗躍〟した「伊藤忠」「三菱重工」「三菱商事」の抱えた「あまりにも深い闇」』
http://www.yellow-journal.jp/series/yj-00000248/

 山田は「ファイナンスはぜんぶ任せようと思ってまーす」と言ってはさらなる出資者を募り、あるいは「もうすぐこれでまとまったお金が入って来るので、そこから1億円をお支払いできます」と、さらなる金集めに励むのだ。

 だが、これだけなら、世の中に多数転がっている、月並みな「事業家」の──その別名は詐欺師だが──1人に過ぎない。

 山田たちが凡庸ではない点は、検察、警察、国税といった、捜査当局の介入をすんでのところで回避し、組織崩壊を防いできたところにある。彼らを支えたのは自民党一党支配という社会体制であり、更に田中角栄「越山会の女王」佐藤昭の影があった。

 とはいえ、これだけでも、彼らの評価には足りない。決定的な凄みは、後ろ盾が時代の移り変りで衰退していったにもかかわらず、現在に至るまで他人の信頼を勝ち取っているという点にある。信頼される方法を山田は知り抜いている。1番重要なのは誰もが理解しているように「絶対的な政治力」だが、2番を把握している者は少ない。それは「公的な存在」というカードだ。

 実際、山田にとって最大の後ろ盾だった佐藤昭は、大都市センターを設立してほどなく、2010年に鬼籍に入る。衰退どころか、消滅してしまったのだ。

 1番だけの男なら、同じ道を辿っただろう。しかし、山田には2番も知り抜いていた。

 だからこそ「都庁OBを受け入れる会社」との目的を掲げ、東京都人事の天皇と呼ばれた小豆畑を納得させることができたのだ。加えて代表取締役に元知事本局長の前川を据えさせ、いわば〝山田劇団〟の信頼性を確保した。

 東京都という「公的な存在」の価値は重い。日本では単なる地方自治体のレベルに留まらない。予算規模はアジア諸国の国家予算を遥かに凌ぎ、オーストラリアと同規模というレベルに達する。

 東京都庁の元知事本局長とは「一国の主」に匹敵し、東京都中小企業会館とは「城」に等しいだろう。山田慶一は「一国一城の主」を神輿に担ぐことで、自身に関する青天井の信頼性を手に入れたわけだ。

 ここにおいて「大都市政策研究センター」という、株式会社というよりは、むしろシンクタンクを連想させる社名が効いてくる。誰もが「よい方向に」誤解してくれるのだ。

 前川は株式会社の代表取締役だったにもかかわらず、名刺には「理事長」と記されていた。当然ながら、公益法人か財団法人という印象の強い肩書だ。そして金子は「理事」の名刺を持っていた。

 その大都市センターに積まれる3億円もの札束は、果たしてどこから来て、どこへ消えていったのか――前川は自身が知る限り、大都市センター名義で受注したのは、「杉並区からの調査委託事業だけしかない」という。

 区が発注する委託事業の予算規模は、もっと常識的な額だ。3億円もの額が机の上に無造作に積まれうるはずもない。というより、そもそも億単位の現金を積むという状況は、金よりも重要な思惑があることを示唆している。

 

「戦中生まれ世代」に属する小池隆一と「団塊の世代」の違い

 ヨーロッパ旅行から帰国直後、小池が口惜しそうに電話をしてきたことがあった。聞けば、鹿児島駅前の大型スーパー・ダイエーで、小池の長男が事故に遭ったという。

 エスカレーターの上で転落し、意識を失ったそうだ。

 一緒にいた弟が助けたが、上下の歯をひどくぶつけたらしく、ボロボロに折れてしまった。更に心肺停止状態に陥ったのだが、たまたま居合わせた女性が人工呼吸で蘇生させてくれた。長男が一命を取り留めて安堵すると同時に、小池には忸怩たる想いが沸き上がった。

「その時、ダイエーは何もしなかったんですよ。文句の一つも言いたいけれど、そうすると『あの小池が……』と非難される。でも、これも報いです。『大難を小難に、小難を無難に』という言葉があって、その通りだな、と考えました」

 元総会屋と知らぬ者が相対していれば、小池を哲学者と考える人間もいるのではないだろうか。それほど小池はストイックというか、求道者のような雰囲気を滲みだしている。

 それは見かけだけの話ではない。語る内容も語彙も実に多岐にわたる。引退した者にありがちな自慢話どころか、思い出話さえ滅多なことでは口にしない。

 小池は昭和18(1943)年の生れだ。第1次ベビーブームは昭和22〜24(47〜49)のため、いわゆる「団塊の世代」よりは数年、年長だ。世代論的には極めて似通っていても、小池たちは「戦中」に出生し、ベビーブーマーは「戦後」生まれという違いは大きいだろう。

 かつて昭和16(1941)年から、21(46)年までに生まれた世代を「戦中生まれ世代」と呼ぶ動きもあったようだ。初耳の人が多いはずで、定着しなかったことが簡単に分かる。

 とはいえ、第2次ベビーブーマー世代に属する私からすると、この「戦中生まれ世代」のキーワードは「忍耐」と「体験の捉え方」だと考える。つまり小池のように「戦中」を知る者と、「戦後」しか知らぬ者を比較すれば、危機に直面した時の粘りが全く異なるように思えるのだ。

 例えば日本国憲法の公布は昭和21(46)年だから小池は生まれているが、団塊の世代は誕生していない。朝鮮戦争は昭和25(50)年で小池は7歳だが、ベビーブーマーは3〜1歳ということになる。

 確かに団塊の世代も、戦争の記憶を鮮明に引き継いではいる。とはいえ、戦後の混乱期に数歳の差は大きい。何より小池たちの親は、空襲の中で乳呑み児を育てたのだ。一応は平和の中で養育した団塊の世代の親たちと最も違うところだろう。

 やはり団塊の世代は、終戦直後の空気を肌で知るには若すぎる。物心つき、多感な青年期に差し掛かった頃には昭和39(64)年の東京オリンピックを迎えた。経済白書が『もはや戦後ではない』と記述したのは昭和31(56)年のことだ。

 つまり第1次=団塊の世代と、第2次=団塊ジュニアの両ベビーブーマーは、いずれも戦後経験しかないというところは同じだ。戦中を知る者からすれば「いい時代しか知らない」世代とも言える。

 更に第1次世代は高度経済成長の波を受け、バブルという再び訪れることのない波にも乗った。その恩恵を受けて第2次ベビーブーマーも成長してきた。

 その団塊の世代が大量に退職したとき、各地の公民館は彼らで溢れ、その在勤中の苦労話こそが、あちらこちらで、憚られることない直截的な言葉で華を咲かせることになる。

 だが、小池もそうだが、戦前生まれの人間からは、問われるきっかけでもなければ、いかに自身が苦労したかという話は自然に発生しない。空襲にしても、戦中のひもじさにしても、そうした抗い得ない宿命としての体験が、死をも間近に感じさせる体験が、避けて通ることのできない局面が人生にはありうるのだということを肌で知っているからなのではないか。

 優劣を問うものではない。ただ、団塊世代の苦労と、戦前生まれのそれとでは、死線を彷徨うという決定的な質の断絶ではないのかと思えた。

 そんな時代背景が、小池隆一という人間の背中の片隅にもやはり漂っているような気がした。だからこそ、小池が2012年8月に送った手紙は、他の誰でもない、小池本人がこれまでにない屈辱に耐えて書きしたためたに違いないと思わせるものがあった。

 

経済的な破綻に追い詰められていく小池隆一

 
これから小池の手紙を紹介する。明確な誤字は修正したほか、文中には私の註釈が存在する。

被通知人 山田慶一 殿

 

 

 いつも貴殿とは東京でお会いしておりましたが、私はとうとう貧乏の極に達し、飛行機代もホテル代も無い状態で、もはや気軽に東京へ行けなくなりました。止むを得ず、用件は電話による会話がほとんどとなってしまいましたが、平成二十四年の新年を迎えた一月以降、貴殿とは会話らしい会話はほとんど行っておりません。

 

 

 思い起こして、振り返ってみても、真面目な、誠実な、真剣な会話は、ここ二~三年間を考えてみても、全く無かったように考えております。

 

 今回、この通知書を出さざるを得なくなったことにしても、この一週間というもの毎日毎日、何回も何回も貴殿の携帯電話に連絡をしても、何時も何時も留守番電話になっており、必ず「お電話を下さい」とメッセージを入れているにも拘らず、全く連絡が無い日が続いておりました。

 

 もちろん貴殿の銀座の事務所の方にも電話を入れましたが、女性事務員さんの対応は「私も連絡をしているのですが、全く連絡がつきません。連絡がつきしだい小池さんの方へ電話を入れさせます。」というお返事が十六日から二十三日までの六日間も続いておりました。

 

 そこで私は女性事務員さんに「こんなに事務所の方に連絡が来ない、事務所の方から連絡を入れても連絡が取れない等という事は、およそ有り得ない、考えられない話しでしょう。何か事故とか病気とか警察にでも捕っているかでなければ有り得ない事でしょう。とにかく電話を頂きたい事をお伝えしてください」と言って電話を切るより仕方ありませんでした。

 

 しかし、考えてみれば、こうして連絡が取れない状況は、この六日間に限らず、その以前からの事ではありました。

 小池【註:筆者判断で、小池氏妻の名前を削除】のお母さんが、胃癌と肺癌の二カ所が発見されて、鹿児島の方の国立南九州病院で色々と検査をしたが肺の方は難しいような印象のお話しを医師がされるので、やはり、もっと医療レベルの高い東京の病院で手術をやって貰わなければならないことになったので、どうしても入院・治療費及び【同】さんが付き添いのために料金の安いホテルに滞在しなければならないので、その費用等を見積ると、かなりの金額になるので、その費用の方を何とかして欲しい」と電話でお願いをしたことから貴殿との電話連絡が途絶えがちになりました

 小池はすでに、この山田にずいぶんなお金を貸しこんでいた。

 だが、一向に返済されないどころか、さらには貸し込んでいるお金を返してもらうためにさらに貸し込まなければならない展開に持ち込まれ、ついに、この「通知書」で悲痛な心境をさらけ出す。

 小池にすれば、何とか、こちらの心中を、その切迫した心中を相手に理解してほしかったに違いない。

 この通知書の発送後、小池は幾度となく私の携帯電話を鳴らし、この山田が現在、どのような状況にあるのかについて自身の推論を話して聞かせたが、小池はこの時点でもなおも、この男の誠実な対応を心のどこかで一縷の望みをつないでいた。

 だが、小池が相対する山田という男は非情だった。手紙の引用を続ける。

 

 二月の始めに入院・治療費でお金が必用になったことの説明と同時に平成二十一年三月三十一日に小池【同】さん自身が貴殿の口座に振り込み送金をして緊急に融資をしたお金壱阡萬円を返金して欲しいという催告を込めた電話を私が貴殿に入れた時の会話では、貴殿は「何とかしなければならないですネ」「どの位の費用がかかるのですか?」と私に質問をしてきました。

 

 私は「さあー。どの位かかるのでしょうか?胃癌の手術と肺癌の手術を二度手術するわけですが一回で二度の手術をするわけにはいかないそうです。まず、どちらかの手術を先に行って、様子を見たうえで、もう一方の方の手術をすることになると聞いております。

 そのうえ、鹿児島から出たことの無い八十五歳のお婆ちゃんで、鹿児島弁が凄いので、一般病棟では過ごせないと思うので、個室に入って貰わないといけないのですが、その個室が最低料金の部屋で一日二万九千五百円、約三万円なのだそうですが、それは絶えず満室で、なかなか空かないのだそうです。

 空き待ち順も数多くエントリーしているとも聞いております。その上のクラスの個室だと一日四万円台で、その上はいくらでも高い部屋が有るようです。しかも実際に入院をして検査をして、手術をしてみないと、一カ月で退院できるのか? 二カ月で退院できるのか? あるいは三カ月も四カ月もかかるものなのか私には解りません。

 ですから費用はいくらかかるかと聞かれても、現在の段階では、ちょっと判りませんが」と説明をしている話しの途中で、貴殿の方から「病気の事や個室の事を話しされても、私には解らないから、もう解りました。何とかしないといけないですネ。二~三日内に連絡します」と言って電話を切られましたので、貴殿の方から連絡が来るものと思って、電話をお待ち致しておりましたが、貴殿が言われた二~三日が過ぎても、四~五日が過ぎても電話が来ないので、私の方から電話を入れても入れても連絡がつかない日が続いておりました。

 

 そして、それこそ、たまたまつながった時には「いまバタバタしているので後程電話します」とか「いまお客さんがいるので後で架け直します」とかと言って切られてしまいます。

 しかし、その後では、ほとんどのケースが電話はかかって来ません。何と不誠実な対応なんだろう。何と無責任な対応なんだろうと率直に思いました。

 

 そんな日々が二月の始めから続いているうちに二月十五日の入院日を迎えてしまいました。おばあちゃんと【同】さんは二人で飛行機で東京へ発ちました。十分なお金の手配ができていない状況ではありますが、二人に不安な思いをさせるわけにはいかないので、「お金の手配はできているので数日中には届けることができるから安心して下さい」と、【同】さんには言い聞かせて送り出しました。

 

 ところが、その日二月十五日、羽田空港に到着した【同】さんから電話が有り、「いま羽田空港に居るんだけれど、お婆ちゃんが疲れたのか少々具合が悪くなって、椅子で休んでいる状態なんだけど、お金が無いのでタクシーには乗れない。モノレールや京浜急行電車では具合が悪化したら困るので、リムジンバスが病院の近くのホテルに行く便があるので、それに乗ってホテルまで行って、ホテルからならタクシーが安く済むので、リムジンバスの切符を買ったところです。ところが、そのリムジンの出発時刻まで二時間以上待たなければならない状況で、ほとほと困っている。

 

 しかも病院の方には昼までには到着する予定だと先生にも言っているけれど、これでは大幅に遅くなってしまうので、病院の方に連絡して欲しい」という電話が来たので、私はビックリ仰天しました。

 

 飛行機は順調に午前11時頃には到着しているのに、午後1時過ぎに電話がきて、まだ飛行場に居て、さらにはタクシー代が無いのでリムジンバスを待っている状況で、そのリムジンバスの発車時刻が、これから2時間以上も後になるけど、それを待っているということですので、私が貧乏の極にあるが故に、ここまで苦労をさせてしまうのか、と、本当に情けない気持ちになり気分が奈落の底に落ち込むようでした。

 

 しかし、困り果てている二人を、そのままにするわけにはいかないので、貴殿携帯、銀座の事務所に連絡を取っても、全く取れないので困り果てましたが、このような午後を過ぎているけれど、おられるわけは無いのだがと思い乍らも、御自宅の方に電話を入れてみたところ、神様のお手配なのでしょうか?偶然にも霧島さんが電話を取り上げたのです

 霧島とは、山田が個人で雇っている運転手で、山田は周囲にはこの霧島は、鹿児島の霧島神宮の宮司の直系であると紹介し続けていたが、霧島神宮の宮司家は「霧島家」ではない。

 小さな嘘の積み重ねは大きな嘘になり、それを信じる人間は、最後には〝大きく〟裏切られることになる。それが信頼関係の破綻に留まるのならば、それはまだ傷が浅いのかもしれない。小池は山田によって、経済的な破綻に追い込まれつつあった。

(第15回につづく)

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